白い日――思い出してしまったあの日の痛み
地獄の宣告から辛くも逃れたわたしは、その夜もまた眠る事が出来なかった。
この家に来て、と言うよりも、結婚してから夜はまともに眠れていない。目を閉じるとどうしても色々な事を考えてしまうし、眠れば眠ったで嫌な夢を見る事が多いからだ。魘された自分の声に驚いて夜中に目が覚めるなんて事も何度もあったから、眠るとかえって疲れてしまう気がした。
鈴華ちゃんは甘い新婚生活を想像してしまっているようだけれど、決してそんな事はない。むしろ倦怠期のような奇妙な距離感を保った生活を送っている。
そしてその事が、わたしの頭を悩ませる一因ではあるのだけれど。
校内を歩いていると、相変わらずあちらこちらからの視線を受ける事が多い。できるだけ気にしないようにしているのだけれど、やはり鈴華ちゃんの姿は人目を引くのだろう。
可愛く生まれた事に関しては凄く羨ましいけれど、アイドルも案外大変なのかもしれない。そんな事を感じていた。でもその事を伝えたら、鈴華ちゃんはぱっちり二重の大きな目をさらに大きく見開いた。零れ落ちちゃうんじゃないかと心配になるくらいに。
「いやだ、まなちゃん。こんなに可愛いのに、もしかして自覚がないの?」
「はあっ? いや、それ、親戚の欲目だから!」
言われたわたしのほうがびっくりした。
自慢じゃないけれどわたしは、未だかつて容姿を褒められた事なんか一度もない。そりゃあ家族は親バカ姉バカだから、もういいって言うくらいに可愛いを連呼してくれたけれど。あと、高橋のおじさんとおばさんもだけれど、あの家には女の子がいない上にわたしの事を本当の子供みたいに扱ってくれていたからであって、それもよその子に比べれば可愛いと言う程度のものだったはずだ。
だから鈴華ちゃんの言葉は、とてもではないけれど額面通りに受け取る事なんかできるはずがなかった。
「まあ、いいわ。そのうち嫌でも分かるでしょうし」
溜息を吐く姿まで可愛らしい鈴華ちゃんに言われても、色々複雑なのだけれど。
不意に廊下が騒がしくなった。休憩時間だから教室内も静かだとは言い難かったんだけれど、それ以上に外の方が賑やかなのだ。
「委員長、ちょっと来てくれ」
教室の前の戸口から見えた顔を確認して、納得した。一年五組の正副担任のお取り巻き達の声だったらしい。
童顔だけれどそれなりに整っている顔立ちの爽やか系の担任佐野先生と、すっきり整った顔立ちで眼鏡も理知的な副担任の高橋先生が、実は女子生徒からかなり好意を寄せられているらしい事は、転入生のわたしでも既に知っていた。
佐野先生は鈴華ちゃんの彼氏さん。高橋先生は実はわたしの旦那様。もちろんその事は生徒達には秘密なんだけれど。
まあ、もてるのも仕方がないよね、と鈴華ちゃんと顔を見合わせて苦笑いをした。
「バレンタインの時は大変だったのよ」
鈴華ちゃんが、珍しく溜息を吐きながら遠い目をした。
ちなみにその日はわたしの十六歳の誕生日で、教会で結婚式を挙げていた。式は午後からだったから、高橋先生は午前中だけ出勤していたのだけれど。
生徒間でのチョコレートの受け渡しは、当然と言えば当然なのでこの際問題ではない。一部異常な数のチョコレートを集めていた男子生徒もいた事にはいたが、鈴華ちゃんにとっては対岸の火事。どうでもいい事になっている。
元々独身の若い男性教員の数が多いわけではないから、当然ながら女子生徒達のターゲットとなる教員は限られている。休憩時間毎に日頃から人気の高い教員の元に女子生徒が訪れるわけだが、中にはわざわざ各教科の教務室まで押しかけて告白する生徒や、帰り道で待ち伏せしている生徒までいたらしい。
可愛い生徒からの気持ちを無碍にもできず、本命は受け取れない、ホワイトデーのお返しはしないと言う条件で受け取る教員が殆どだ。
そしてそれは佐野先生や高橋先生も同じ。特に午後から早退した高橋先生に渡せなかったチョコレートは、翌日職員室の机の上に山積みにされていたと言うから驚きだ。
あれ? でも?
「どうしたの?」
「あー、いや、別に。何でもないよ、うん」
そう言えば先生は、チョコレートなんて一つも家に持ち帰っていなかったなあと、今頃気が付いた。先生は、甘い物は嫌いじゃないけれどそんなに数多く食べる方ではない。だから全部一人で食べたとは考えにくい。だとしたらどこかに置いているのだろうか。
先生の謎が、また一つ増えてしまった。
「あとは、ホワイトデーよねえ」
「何が?」
「バレンタインの時ほどではないにしても、それなりに、ね」
「もしかして、告白返し?」
そうなのよ、とまた鈴華ちゃんが溜息を吐いた。
大学受験を控えて自由登校期間に入っているはずの三年生の姿を、ここ数日なぜか学園内で見かける機会が増えていた。
将星学園には大学部も併設されているため、進学希望者の内の約半数が内部進学を希望する。選考試験は12月下旬に実施されるため、内部進学者は既に受験戦争から解放された自由の身と言う事にはなるのだけれど。
「ああ、3年生は恋のラストスパートだからね」
クラスメイトの真中さんによると、卒業を間近に控えた三年生達が、高等部内で告白合戦を展開するために登校して来ているのだとか。だからみんな心なしか、目が血走っているように見えたのだ。受験のせいではなかったらしいと分かって、なんとなく笑ってしまう。
「ほら。元宮さん、また呼び出しされてるし」
「学園のアイドルは大変だよね」
そう言えば最近鈴華ちゃんが席を外す事が多いような気がしていたけれど、そう言う事だったらしい。もちろん全てお断りしているだろう事は想像に難くない。
「でも、高橋さんも何人かコクられたんじゃなかったっけ?」
「え? どうしてそれを?」
誰にも言っていなかったはずなのに。
「ばれていないと思うほうがおかしいわよ。こないだの三笠先輩なんて、教室まで迎えに来てたじゃない」
そう。なぜか最近、靴箱に手紙が入っていたりお呼び出しがかかったりする事があった。今までそんな経験があまりなかったから、戸惑うやらびっくりするやらで困っている。
高橋先生に知られたくなかったから鈴華ちゃんにも相談していなかったと言うのに、既にクラス中に知られていると言う事は、もしかすると教職員の耳に届く事もあるのだろうか。
もっとも先生がそれを知ったところで、わたしには何も言ってこないだろうけれど。
「高橋さん、可愛いもんねー。いいなー。わたしも一回くらいコクられてみたーい」
「は?」
思いも寄らない事を言われ、耳を疑った。
「え? 何? 何でびっくりしてるの?」
「いや、言われ慣れないって言うか言われた事もないような事を聞いたから」
可愛いなんて、そう滅多に言われる事はないのだから。まさかそれがわたしに向けられた形容詞だなんて、思いもしなかった事だし。
素直にそう告げると、なぜか周りにいた女の子だけではなく男子までもが一緒になって
「高橋さんは可愛い」
と言い出した。こんな所でクラスの協調性を発揮しなくてもいいんじゃないかと頭の隅で思いながら、お願いだから虐めるのはやめてと懇願した。
そして問題のホワイトデー。今日は三年生の卒業式の三日前にあたる。だからこそなのかもしれないけれど、自由登校期間中最も多くの最上級生の姿を学園内のあちらこちらで見かけていた。
「どうする?」
「どうするったって、ここじゃ無理だよ、ねえ?」
昼休み。いつものように数学教務室の前まで来たわたしと鈴華ちゃんは、その盛況ぶりに開いた口が塞がらなかった。
三年生は自由登校期間とは言え、一年生と二年生は通常通りの時間割で授業が行われる。当然ながら教員達は各担当クラスに授業に出ている。さすがに授業時間中に教務室や職員室に押し掛ける事もできなかった三年生達が、この時間に殺到してしまうのは無理もなかった。
「ホワイトデーって、男の人からの告白返しの日だよね? どうしてこうなるの?」
疑問に思った事を、鈴華ちゃんに訊ねる。
「確実に返事が欲しいからでしょうね。本当に押し付けがましいったら」
本命は受け取らない、お返しはなし、と言う条件で受け取ったにもかかわらず押し掛けるなんて。と鈴華ちゃんは珍しく、かなりご立腹だった。
数学の教務室がこれなら、国語の教務室もさぞかし、なのだろう。
仕方がないから、数学教務室の隣にある視聴覚室に行く事にした。ここは、他の先生がいたりして数学教務室が使えない場合を考え、いつも予め高橋先生が鍵を開けておいてくれるから。
予想通り今日も鍵はかかっていなくて、わたし達は溜息を吐きながらこっそりとお弁当を食べる事にした。
いつもならば、二人が作って来たお弁当を四人で一緒に食べている。いつもよりも言葉数が少なくなるのも食事が味気なく感じるのも、きっと人数が一気に半分になってしまったからだ。
視聴覚室は完全防音設計だから、どんなに大きな物音を立てても外に漏れる事はない。そして反対に、外からの物音が中に届く事もない。
そのせいなのだろうか、たった壁一枚隔てただけの場所にいるはずの先生の存在が気になるのに、とても遠く感じられてしまうのは。
「そういえば、鈴華ちゃんはバレンタイン、佐野先生に何をプレゼントしたの?」
ちょっと知りたいなと思っていたので、半分中身が残ったお弁当箱を片付けながら訊いてみる。重苦しい雰囲気を消したい気持ちもあった事にはあったのだけれど、純粋に知りたい気持ちもあった。
いきなりの質問にちょっと驚いた顔をした鈴華ちゃんは、けれどすぐににっこりといつもの笑顔を見せてくれる。
「チョコレートトリュフと、手袋。クリスマスに手編みのセーターを渡したから、本当は手編みのマフラーにしたかったんだけど」
時間がなくてチョコだけ手作りにしちゃった、と少し恥ずかしそうに頬を染める。こんなに可愛い彼女からの贈り物なら、佐野先生はきっとどんな物でも嬉しいんだろうな、なんて想像した。
「じゃあ、今日はデート?」
「ええ。ちょっと遠出して食事でもしようって」
鈴華ちゃんは、今度こそ本当に真っ赤になっている。
色々障害も問題も多くて大変な恋愛のはずなのに、こんなにお互いを想っていられるなんて羨ましいな、と心から思う。障害が多いほど恋は燃え上がると言うけれど、本当にそうなのかもしれない。
「まなちゃんは? バレンタイン、恭ちゃんに何をあげたの?」
わたしから振った話題なのに、そう聞き返されても当然だと言う事をすっかり失念していた。
今年のバレンタインは、高橋先生と再会して初めてのバレンタインであり、わたしの十六歳の誕生日でもあり、そして何よりもわたしの名前が庄司真奈美から高橋真奈美に変わった日でもあった。
一気に色々重なってしまってうやむやになっていたけれど、実はそれなりにプレゼントを用意していたりした事はした。
「んー。わたしの事は、まあ、いいじゃない」
「あら。わたしの事だけ聞いておいてまなちゃんのは秘密だなんて、ずるいわよ。こら、白状しなさい!」
詰め寄られて返事に窮したところで、タイミング良く昼休みの終了を告げる予鈴が響いた。外の音は入らないけれど、さすがに職員室からの連絡と始業・終業のベルは入るようになっているのだ。
「ほら。急がないと、午後の授業に遅れちゃう」
お弁当の包みを手に取り、足早に戸口へと急いだ。
「ん、もう! 後で絶対に白状してもらいますからね」
頬を膨らませて唇を尖らせる鈴華ちゃんがとても可愛くて、ついつい笑顔になってしまう。
やっぱり佐野先生って幸せものだよね。そんな事を考えながら手をかけたドアノブが、突然勝手に回ったかと思うと、ドアが内側に開かれた。当然そこに立っていたわたしは開いたドアに弾かれる。
「まなちゃん!」
後ろ向きに転んだわたしは、盛大に尻餅をついてしまった。制服のスカートの中に膝上までのスパッツを履いているから、下着が丸見えになる事はなかったけれど。
わたしの転倒に驚いた鈴華ちゃんの、悲鳴のような声が教室内に響く。
「まな? お前、何遊んでいるんだ」
「遊んでなんかいないわよ。恭ちゃんがいきなりドアを開けたりするから、まなちゃんが転んじゃったんじゃない」
鈴華ちゃんの言葉通り、ドアを開けたのは高橋先生だった。
鈴華ちゃんの非難がましい目つきと急いで起き上がろうとしているわたしを見比べ、ようやく先生は納得したようだ。
「急がないと、あと三分で五時間目が始まるぞ」
その言葉に、わたしと鈴華ちゃんが一緒に「あ」と声を上げる。
「わ、わ、わ。大変! 鈴華ちゃん、わたしはいいから、先に行って!」
「でもまなちゃんが遅れちゃうじゃない!」
「わたしと一緒だと、鈴華ちゃんまで遅れちゃうよ。わたしは後から行くから、先に教室に戻ってて」
走れないわたしと一緒だと、鈴華ちゃんにまで迷惑がかかる。鈴華ちゃん一人なら走れば間に合うはずだから、と言葉を重ねたら、渋々頷いてくれた。
「先生にはわたしが言っておくから、まなちゃんもできるだけ早く戻ってね」
「うん。お願い」
鈴華ちゃんの後姿を見送ってからゆっくりと立ち上がり、わたしも視聴覚室を後にしようとした。けれど、動く事ができなかった。気が付いたら先生に、右腕を掴まれていた。
「大丈夫か」
「え? あ。大丈夫、です」
脚の事を言っているのだと気が付いたから、わたしはこくこくと何度も頷いた。掴まれた腕に意識が行ってしまって困る。
五時間目の授業の開始のベルが鳴り響き、いよいよ気持ちが焦って来てしまう。
「先生、手、離してください」
わたしの言葉にようやく先生が手の力を緩めてくれたので、その隙に廊下に滑り出た。半ば逃げ出すようにして。
「今日は、悪かったな」
教室に戻ろうと歩き始めたわたしに、先生の声が追い掛けて来る。
何の事を言っているのか、咄嗟に頭が追いつかない。それよりもなぜかわたしと並んで歩いている先生が気になって、まともに頭が働いてくれないのだ。
この時間、先生は空き時間だっただろうか。
「いえ。気にしていませんから」
恐らく昼食を一緒に食べられなかった事を詫びているのだろうと推察し、振り向く事はせずにわざと明るい声で応えた。だからこの時、先生がどんな表情をしていたのかはわたしには分からなかった。
平面ならばそれなりの速さで歩けるけれど、さすがに階段は上りも下りも自信がない。注意して確実に足を運びながら上るわたしに、二段下がった位置で先生がついて来ている。
先生の視線が気になる。内心で早くどこかに行ってくれないかと思いつつ、けれど本心ではこのまま一緒に歩いていたいな、なんて思ってしまう。無理だという事はもちろん承知しているけれど。
ようやく一年生の教室がある四階に着き、ほっと息を吐いた。
「この時間って、佐野先生だったな」
「あ、はい。そうです」
先生は少し考え込んでから
「じゃあ大丈夫だな」
と言って、今上って来たばかりの階段に向かって歩き出した。
「え? あの、先生?」
「教室に戻るくらい、一人で大丈夫だろう」
その言葉に、どうやらわたしのために教務室からわざわざここまでついて来てくれたのだと気がついた。
また鈴華ちゃんから
「過保護すぎる」
と言われそうだ。わたしは少し感動しながら、階段を駆け下りて行く先生を見送った。
「先生、ずるいよ」
けれど思わず口から零れた言葉は、まさにわたしの気持ちそのものだったから、慌てて両手で口を塞いだ。その拍子に落としてしまった弁当箱の包みが、授業が始まり静まり返っている校舎の中に響き渡った。
その日のホワイトデー攻撃は放課後まで続き、若い先生達はかなり疲労が濃く表情に出ていて、何だか気の毒に思えた。もちろん生徒間での義理チョコ返しや本命返しなどの微笑ましい光景も、そこかしこで見る事ができた。
そんなイベントには表向き関係のない顔をして学校を後にした鈴華ちゃんは、佐野先生との待ち合わせまでの時間を、うちで一緒に宿題をしながら過ごす事にした。もちろんわたしに異存があるはずもない。
今日の鈴華ちゃんは、ベビーピンクのニットのワンピースにベージュのハーフコートを羽織り、確実に美少女度がアップしている。これが佐野先生のためのおしゃれなんだと思ったら、同性のわたしでも妬けると言うのもだ。
今日の宿題は、古典と英語。どちらもあまり得意ではないけれど苦手でもない、まずまず無難な教科だった。
鈴華ちゃんはどうやら理数系に強いらしく、比較的苦手な文系科目の宿題に難色を示している。とは言え日頃から満遍なく成績がいい彼女の事、二人でああだこうだと言っている間に難なく片付ける事ができた。
「すっかり忘れていたけど、まなちゃん、バレンタインのプレゼントは何にしたの?」
さすがは記憶力が素晴らしく良いらしい。昼休みの話題を蒸し返されてしまい、どうしたものかと考えを巡らせる。わたしを見つめる鈴華ちゃんの目は期待に輝いていて、それを裏切るのもどうかと思われるのだけれど。
だからと言って嘘をつく必要もないのだけれど、確実に待っているであろう鈴華ちゃんからの非難が怖いかもしれない。
「まさか、何もあげていないとか、言わないわよね」
「いや、一応用意していた事はしていたんだけどね」
「渡さなかったの?」
「いや、渡さなかったと言うか、渡せなかったと言うか」
実際、用意はしていたのだ。数日前からは新居に送り出す荷物の準備やら結婚式の準備やら新生活の準備やらで、必要以上にバタバタしていたから、とてもではないけれどチョコレートを手作りでなんて事は不可能だったのだけれど。
何が良いのかおねえちゃんに相談して、チョコレートは市販の物にしたけれど、プレゼントも一緒に用意してはいたのだ。
「ほら。バレンタインって、わたしの誕生日だったから。結婚式もその日だったし、一日中バタバタしちゃって」
「でも、じゃあ次の日にでも渡せたんじゃない? 一緒に住んでいるんだから」
鈴華ちゃんの的確な指摘に、返す言葉を必死に探す。
「一緒に住んでいるからこそ、次の日になんて間抜けで渡せなくなっちゃったんだよ」
「どうして? だって、六年ぶりだったんでしょう?」
「や、まあ、それはそうなんだけども」
「じゃあなに? そのプレゼント、未だまなちゃんが持っているの?」
しまった。そう来たか。
鈴華ちゃんは頭が良い。勉強ができるだけではなく、頭の回転が速いのだ。とても勘が良いとも言える。
「えー。あー、まあ」
「まなちゃん。そのプレゼント、今日渡しちゃいなさい」
「へ? でも今日ってホワイトデーだよ? 一ヶ月も経ってるよ?」
「でもも何もないの。渡さなかったら、そのプレゼントもそれに籠められたまなちゃんの想いも無駄になっちゃうのよ」
あまりに正論すぎて、返す言葉を失ってしまう。
本当は違うんだと言いたかったけれど、それはできなかった。言ってしまえば惨めになるのは分かっていたから。
「う、ん。わかった」
とたんに嬉しそうに納得してくれる鈴華ちゃんに絶対だと念を押された。
ごめんね、鈴華ちゃん。わたしは心の中で鈴華ちゃんに謝った。多分渡せないと思う。多分ではなくて、絶対に。だって、一度受け取りを拒否された物なんて、今さら渡せるはずがない。
胸が、痛い。あの日の事を。あの時の先生の表情と言葉を思い出す。傷つく乙女なんて柄じゃないけれど、それでも痛い。これ以上、耐えられる自信がない。
佐野先生、早く帰って来て鈴華ちゃんを連れ出してくれないだろうか。でもそうしたら、高橋先生も帰って来る事になる。
ああ、もうどうにでもなってくれ。なんとなく自棄になったわたしを見て何かを感じたらしく、鈴華ちゃんが口を開いた時。
インターホンの音が小気味よく室内に響いた。
重い足取りで玄関に足を運ぶと、そこには当然ながら先生達がいた。鍵を持っているんだから、わざわざインターホンを鳴らさなくても良いのに。そう思いながら、ドアを開いた。
わたしの後ろには既にコートとコートとをバッグを手にした鈴華ちゃんがいて、幸せそうに佐野先生を見つめている。
「あ。雪?」
一歩外に出た鈴華ちゃんが空に舞う白い物を認め、手を差し出す。
「さっき、降り出した。文字通りのホワイトデーだな」
目を細めて愛しげな眼差しで鈴華ちゃんを見つめる佐野先生もまた幸せそうで。そんな二人を羨ましいと思う半面、妬んでしまうわたしの醜い心が疎ましくて、とてもではないけれど直視する事ができない。
「じゃあ、行ってきます」
そう言って出て行く二人の背中を見ていると、鈴華ちゃんが一度だけ気遣わしそうな表情でこちらを見た。
わたしは心配させたくなくて、無理に笑顔を作って手を振る。
そして二人がエレベーターの乗り込むのを確認してから、先生の顔を見ないで、無言で家に入った。




