エピローグ とても可愛い子
私は上着のポケットにお気に入りのお財布を入れて走り出す。
寒い外。
雪の降る、雪の降り積もる道。
人の行き交う街中、人通りの多い市場に向かって私は走る。
息は白い。
冷たい空気を吸い込みながら、吐く息は白い。
ハァ、ハァ。
温かい上着、温かいニット帽、温かいズボン、温かい手袋、温かいマフラー、温かい靴下、たぶん温かい長靴。
とても温かくて、とても寒い。
そんな中を、そんな中で、私は走っている。
雪を踏むたびに、音が鳴る。
一歩踏むたびに、音が進む。
息が上がる。
市場が見えてくる。空は曇っている。雪の雲が覆っている。
手先と足先が冷たい。
とても冷たい。
それでも私は、走っている。
早く買いたいから。
早く食べたいから。
息を切らしながら、市場を進む。
人の踏みならした雪が増える。
道は人だかりが出来ている。
私はころぶ。
足をもつれさせて、ころぶ。
5秒くらい、ころぶ。
顔をあげる。
温かい手袋を地面につけて。
膝をついて。
鼻と前髪には雪がついて。
それを払う。
顔が赤い気がする。
とても冷たい。
私は起き上がる。
膝を払う。
上着を払う。
鼻をすする。
とても温かい。寒さを、雪から、守ってくれてる。
私が前を向くと、街の子達が私を見ている。
じっと私を見つめている。
不審そうに、私を見つめている。
怖くなる。
逃げそうになる。
足が動かなくなる。
子供達が近付いてくる。
私はうつむいたままずっと立ちすくんでいる。
「おい」
いちばん大きい子が声を出す。
「おい!」
びくっとなる。
私はおそるおそる顔を上げる。
いちばん大きい子はそっぽを向いている。
その後ろに、街の子が隠れながら私を見つめる。
「・・・だいじょうぶか」
いちばん大きい子が、そっぽを向いたまま言う。
白い息を吐きながら。
鼻水をすすりながら。
マフラーを巻きながら。
「・・・うん」
私がその子を見て言うと。
いちばん大きい子は。
小さい声で何かをつぶやき。
恥ずかしそうに走り出す。
私の横を抜けて、走っていく。
その後を街の子達が、ついて行く。
人だかりの中に、消えていく。
私はその後をじっと見つめる。
気をつけろよ。
そう言ったように聞こえた。
私は心の中で、ほほえむ。
ほほえみたいけど、まだ、ほほえめないから。
泣きそうになるから。
思い出してしまうから。
しばらく見つめたあと。
私は歩き出す。
今度は、歩く。
ゆっくり。
踏みしめて歩く。
しばらく歩くと、お店が見える。
私の探していた露店が見える。
とてもおいしそう。
とてもいい匂い。
私はそのお店の、並んでいる人の、最後に並ぶ。
前には3人並んでいる。
1人が買い終わったから、あと2人だ。
私は上着のポケットからお財布を取り出そうとして、気付く。
あれ。
ない。
お財布がなくなっちゃった。
私はポケットを何度もさわる。
入れたはずのポケットを何度もさわる。
でも、ない。
さっきころんだとき、落としちゃったのかも。
私はさっきの道に走り出す。
急いで走る。
戻ってくると。
もう、そこは雪だらけ。
ころんだ跡は、小さくなっている。
私は雪をどかす。
どかして、探す。
でも、ない。
見つからない。
なんで。
私は探す。
ずっと探す。
見つかるまで、冷たい手を動かす。
それでも見つからない。
雪がどんどん降ってくる。
見つからない。
もしかしたら走ってる時に落としたのかもしれない。
私はその場に立ち尽くす。
何もせず、立ち尽くす。
もう見つからない。
そう思いながら、立ち尽くす。
目に浮かんだ涙を、もう冷たくなってしまった手袋でぬぐう。
雪がとけてしみこんだ毛糸の手袋で。
せっかく買えると思ったのに。
食べられると思ったのに。
大切な人との、大切な思い出なのに。
思い出したら、もっと悲しくなる。
私は次々に出てくる涙をふく。
ずっとふく。
そうしていると、誰かが近付いてくる。
雪を踏む足音が、ゆっくり近付いてくる。
私の前で止まる。
「どうした」
え。
私は見る。
涙で見えないけど、私は気付く。
私は。
その人は、かがみ、一回雪をかき分けただけで、私のお財布が見つかる。
その人は、魔物焼きの入った袋を持っている。
「これか?」
私は目を見開いて、涙の浮かぶ目を見開いて、見つめる。
じっと、ずっと、呆然と、見つめている。
うそ。
私は。
知っている。
だって。
それは。
そのお財布は。
その袋も。
その中身も。
そのおいしさも。
その思い出も。
全部。
全部。
その人が。
このお洋服も、ずぼんも、帽子も、靴下も、長靴も、全部、全部。
全部、全部。
私の大切な。
私の大好きな。
とても大好きな。
すごくすごく大好きな。
私は嗚咽を漏らしながら。
泣きはらしながら。
顔を、鼻を赤くしながら。
とてもとても大好きな人の胸に飛び込んだ。
ーENDー




