しっかり者の子とぐうたら
私は家の外で洗濯物を洗う。
洗濯用のたらいで洗濯板にごしごし擦る。
家は小さいし、壁は木の板のつぎはぎだらけ。
でもそれは隣の家も同じだし、隣の隣も同じだ。
だって、ここはスラム街。それが普通。
私にとっても。それは普通の光景で、日常だった。
「あ、猫ちゃん」
私はあの猫を見つける。
私が見つめていると、猫は近付いて来てくれる。
頬がゆるむ。口元から笑みがこぼれる。
かわいい猫。
首輪のついていない。きっと野良猫。
その野良猫は私の前に座る。
私の心を癒すように。
今日も座る。
私、アズールは洗った洗濯物を持って家に入る。
家には今日もお母さんがいる。
お母さんは赤ちゃんに付きっきりだった。
「おかあさん、あのね・・・」
ん。
「お母さん、今日もね」
うん。
「遊んでくるね」
私は家を出る。
今日もスラム街をぶらぶら歩く。
とぼとぼ歩く。
てくてく歩く。
狭い路地をうろうろ歩く。
今日も変わらない。
明日も変わらない。
同じ風景、同じ景色。
両サイドの斜め下に結んでいる二つのヘアゴム。
私はそれをほどき、また結び直す。
肩に届くほどの髪の毛。
それがまた二つに分かれる。
すぐ終わる。
何の時間つぶしにもならない。
あの猫ちゃんは、どこかな。
いるかな。
私は探す。
今日も探す。
狭い路地は入り組んでいる。
つぎはぎだらけの家が並び建っている。
私はやることを探して今日も歩く。
あ。
いた!
小さなくさはらの中に、その猫がいた。
私は心がはずむ。
でも。
すぐにしぼむ。
だって。
先客がいる。
私は触れあえない。
遠くから見つめるだけ。
私は遠くから、その人と、猫を見つめていた。
悲しそうなその人を見つめていた。
いつもは子供達で賑わっているはずのその場所に、その日はその人と猫しかいない。
不思議な光景。
私はしばらくのあいだ、そこに突っ立っている。
だって、他にやることがない。
その人が私に気付く。
私は驚き、うつむく。
「どうした」
声をかけられた。
どうしていいかわからない。私はうつむく。
「お前も、悩みあるんだろう」
え。
私は驚いて、顔を上げる。
「一緒にぐうたらしようぜ」
その人が言う。
優しそうに。
「この猫と。たわむれながらさ」
その人は言う。
「いいの・・・?」
「どっちでも」
その人は言う。
その人は猫にかまい始める。
私は、おそるおそる近付く。
「かわいい」
言葉が自然に出る。口元がゆるむ。
「俺が?」
その人が言う。
「え・・・」
私はなんて言えばいいのか戸惑う。
「なんでもない」
その人が言う。
私は苦笑いする。
私はそこにおそるおそる座る。
いいのかな。
私は猫を見つめる。
邪魔しちゃ悪いかな。
2人の間に。
でも。
我慢できない。
私はじゃれはじめる。
私がじゃれる。
猫はじゃれない。
でも楽しかった。幸せだった。
ありがとう。
私を猫と触れあわせてくれて。
私はその人にお礼を言いたかった。
その人を見上げる。
優しそうに猫を見るその人を。
「ん?どうした」
私の視線に気付いたその人は、聞いてくる。
言わなきゃ。
私は、声を、声を。
声を。
声を。
「ぁ・・・」
ありがとう。
って、言いたいのに。
私は、声が出ない。
なんで。
なんで。
なんで。
その人は、うつむく私の頭を優しくなでる。
私は泣いている。
ぼろぼろ泣いている。
涙が草に落ちる。
「泣けばいい」
その人は言う。
私は泣いた。
えんえん泣いた。
悲しかったんじゃない。
なんだかよくわからない。
けど。
けど。
嬉しかった。
寂しかった。
誰かに、慰めて欲しかった。
かまってほしかった。
私だって、お母さんの子供なのに。
どうして。
お母さんは私にかまってくれないの。
しっかりしてる。なんて褒めないで。
お姉さんなんだから。なんて言わないで。
しっかりなんてしていない。
私もお母さんの子供だ。
まだ子供だ。
なのに。
なのに。
私はその人に抱きすがって、ずっと泣いていた。
その夜、私は家で大泣きした。
私は今まで言えなかったこと。
言いたかったこと。
話したかったこと。
毎日会う、猫ちゃんのこと。
全部、全部。
お母さんに言った。
お母さんは。
泣いていた。
お母さんも。
泣いていた。
ごめんねって。
泣いていた。
赤ちゃんも。
泣き出した。
その日はみんな。
泣いていた。
寝るきわになって、暗闇の中で、毛布の中で。
お母さんが聞いてきた。
今日会ったその人は、どんな人だったのと。
私は。
よくわからないとごまかした。
本当のことだけど、ごまかした。
だって。
こぼしたくないから。
あの時のうれしさ、寂しさ、楽しさ。
全部、こぼしたくなかったから。
全部、全部、大切な思い出だから。
とても大切な思い出だから。
また会いたいな。
名前は聞けなかった。
でも。
また会いたいなと。
私は自分の心に正直に。
そう願った。




