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鋼の凱歌、雪影の花

作者: 篠原 天佑

 本作中の登場人物については、内面・外面とも著者の独自の解釈が多分に含まれています。また、作品内世界設定についても同様です。

 本作には、「ログ・ホライズン」本編に関する内容が断片的に含まれています。ご了承ください。

「ギルマス・・・・・・これは・・・・・・」

「・・・・・・そうさな、間違いねえ。リング・イベントだな、こいつは」


 吹雪に霞む雪原のむこう、聳え立つ氷壁の城砦の、大人十人分の高さのある大門が再度開かれ、蒼褪めた貌の巨大な戦士の群れを吐き出すのを遠くに見やり、ディンクロンはうんざりした様に髪を掻き上げながら、自分の半歩後ろに立ったウィリアムと目配せを交し合った。

 彼らの足元には、つい先ほど同じ大門から攻め寄せてきた〈霜巨人の斥候〉フロストジャイアント・スカウトらの死骸が累々と横たわっている。

 その数、凡そ十と二体。視線を上げて目を凝らせば、氷壁の城砦から地響きを立ててこちらに駆け寄ってくる蒼白の戦士の数は、足元に転がる死体の優に倍はいるように見える。毛皮と骨と鉄の具足を身に纏い、手に手に戦斧や戦槌、人間の身長の倍ほどもある大剣や、六畳間程の大きさの巨大な円盾を携えて、押し寄せる雪崩のような肚に響く鬨の声をあげながら、〈シルバーソード〉の冒険者たちとススキノのドワーフの連合軍に向かって殺到してくる巨人の群れは、まるで自然の猛威がそのまま悪意を以て自分たちに襲い掛かってくるような、豪胆な勇者さえ心胆寒からしめる畏怖と威厳に満ちた光景であった。


「流石にモニター越しとは迫力が違いますね。今ならハラドリムのムマキルに立ち向かったローハン騎兵(ロヒリアム)の気持ちが理解できるような気がします」

「指輪マニアが、笑えねえ喩えだな。・・・・・・肚ァ括れよ、色男。敵さん、今度は小隊級(パーティーランク)だけじゃない、何匹かは軍団級(レイドランク)が混ざってるぞ」

「心得てますよ。先刻と同様、戦士四人で壁を構成、白兵戦域をレイド前方に限定します。接敵(エンゲージ)の瞬間は回復(ヒール)マシマシで」

「分かってる。いずれにせよ、こっちは初見だ。一当たりして様子見を頼む。任せたぞ」


 ぶっきらぼうだが自分を信頼しきったウィリアムの言葉に対し、こちらは言葉は口には出さず、ただ僅かに肩を竦めて諾の意を伝える。そうった仕草のひとつひとつが仲間たちから”気障ったらしい”などと半分笑いながらからかわれる原因なのだが、自分では至極自然に取っている態度だし、言動なので、そう簡単には直しようもない。


 ドワーフ軍の弩兵隊が、地響きを立てて攻め寄せる巨人たちに向かって三斉射する。弓弦の弾ける音とともに、ごう、と吹き付けた雪風が、緩やかにウェーブした前髪を嬲る。

 背後で戦闘準備を整える仲間たちの視線が、ちりちりと自分の背中を灼くのが感じ取れる。

 これがタンクの醍醐味だ――――僕たちだけの戦場(いくさば)の華だ。

 背中に味方、前に敵。此の時只今此の刹那、此の世にたった一つ此処だけが、僕らクソレイダーの居るべき場所だ。

 吹雪の向こうに寄せ手を遠く睨みつつ、左手の大盾を凍土の大地に突き立てて、ディンクロンは剃刀みたいに薄く、鋭く、野獣のように微笑んだ。

 

     *     *     *


 オプタテシケの西の麓、〈大災害〉以前は〈羆神〉(キムンカムイ)や巨人、種々の巨大生物が跋扈していた大雪原に、〈大災害〉後の初めての冬のある夜に突然現れた氷で造られた大城砦は、統制の取れた巨人たちの略奪軍の拠点として瞬く間にエッゾ全域にその存在を知らしめた。


 エッゾのドワーフたちは、伝統的に霜の巨人たちとは対立関係にある。古くはヤマトを支配したヒューマン・エルフ・ドワーフ連合王国(コンバイン)の時代に、彼らの伝説的な英雄が厳冬のオプタテシケを越えようとして霜巨人の部族に殺され、死霊術(ネクロマンシー)で甦らされて下僕とされたのが、数百年経ってなお消えぬ禍根のそもそもの始まりだと云う。数カ月後、後世アサヒカアと呼ばれるようになる居留地(コタン)のドワーフたちは、彼らの地を侵略する霜巨人の軍の先頭に立っているのが、彼らが敬愛する英雄の変わり果てた姿であることに気付き、限りない嘆きと悲しみに襲われた。屈強な戦士らの決死隊が邪悪な巨人の祈祷師を殺し、己が民の屍肉を喰らう堕ちた英雄の心臓に杭を打ち込み滅ぼして以来、エッゾのドワーフたちは巨人を見ると激昂し狂奔して、死をも辞さぬ攻撃を仕掛けるようになった。そうすれば、たとえ敗れて殺されたとしても、死体が傷付き過ぎて甦らされたりすることはないだろうと信じているのだ。


 大城砦は恐らく、〈ノウアスフィアの開墾〉で実装されるはずの新しいレイドゾーンだ。

 そう判断して攻略の計画を練っていた戦闘ギルド〈シルバーソード〉のギルドマスター、ウィリアム・マサチューセッツのもとに、ススキノのドワーフ氏族の長である鉄のような肌と雪白の髭を持つ老戦士が訪ねてきたのは、城砦が現れてから十日目の朝のことである。


”城砦に拠った霜巨人たちが、アサヒカアの街に対する一大攻勢を計画している”


 老戦士からもたらされた情報は、冒険者たちからすれば、即ち大規模戦闘級の新しいクエストの導入部と云う事になる。

 ススキノはプレイヤータウンだ。如何に相手が強大な巨人族とはいえ、自衛戦力は充分にある。だが、アサヒカアにはススキノ程の備えが無い。そもそもエッゾ圏内に在留している冒険者のほとんどはススキノに集中しているのだ。エッゾの都市の常として、アサヒカアの街も堅牢な城壁に囲まれているが、巨人たちの膂力にかかれば、人間やドワーフ基準の城壁など砂の楼閣のごとしだ。アサヒカアの街を戦火に巻き込む前に、野戦で巨人どもに痛手を与えて、略奪軍の遠征を阻止したい。切実な表情でそう訴える老戦士に、エルフの狙撃手は、いつもの狷介な表情を崩さぬまま、口許だけを僅かに綻ばせて、〈シルバーソード〉が全面的に協力する旨を伝えた。

 固唾を飲んで遣り取りを見守る仲間たちにも、背後に控える副官のディンクロンにさえ、意思確認する素振りもない。「まだ見ぬレイド、誰も知らぬレイドゾーン」と聞いて尻込みするような根性無しは、今更〈シルバーソード〉のレイド班には残っていないのだ。〈奈落の参道〉からこっち、まだフルレイドには僅かに足りないが、デミの奴でも誘えばなんとか形にはなるだろう。ウィリアムはそう考え、そして事実、反対するメンバーは一人もいなかった。

 かくして、ギルド〈シルバーソード〉の面々は、ススキノのドワーフ軍と協力し、三日間の入念な準備と打ち合わせの後、氷壁の城砦の前に広がる大雪原を戦場と定め、フロスト・ジャイアント軍との戦闘を開始したのである。


 払暁、砦から出撃してきた巨人の小隊は、どいつもパーティーランクで名前付き(ネームド)もおらず、戦い慣れた〈シルバーソード〉の猛者たちの刃や魔法によって次々と斃されていった。短い、しかし苛烈な戦闘が終わって周囲を見回したウィリアムは、自分の仲間にもドワーフ軍の指揮官たちにも誰一人犠牲が出ていないことを確認し、うっすらと笑みを浮かべた。

 思慮深げな表情の〈守護戦士〉ディンクロンは、巨人の死体を見分しながら近付いてくるウィリアムに、恐らくこれは彼らの先遣隊に過ぎないであろうと進言した。


「先行偵察から伝言。正面大門よりフロスト・ジャイアント更に十二体出撃。すべて小隊級、ネームドなし」

「どう思う?」


 珍しく率直にアドバイスを求めてくる野戦指揮官(ギルドマスター)に、ディンクロンはほんのちょっぴり驚いたが、それを表には出さずに小首を傾げて質問に対する答えを探す。

 〈奈落の参道〉の冒険から帰ってから、この気難しいエルフの〈暗殺者〉は、ほんの少しだけではあるけれど、以前と比べて仲間との間に言葉を惜しまないようになった。

 元々饒舌なほうではない口下手なギルドマスターを、恐らくリアルではほとんどが彼より年長であろうメンバーたちは、そんなことは関係なしに好いて信頼していたけれども、ディンクロンたちが頼りにしているギルドマスターはここのところ、仲間を頼るという意思を、以前よりももうちょっとだけ、はっきり見せるようになってくれていた。


 ・・・・・・それにしたって、いきなり「どう思う」はないだろう。言葉足らずもここまで徹底すると、却って立派に見えてくるから不思議なものだ。


 すました顔で考えているふりをしながら、心の中では可笑しくて必死に笑いを堪えている。

「おい、ディンク。聞いてんのか?」

「聞いてますよ。判断材料としてはまだ少なすぎますね。とりあえずは、目の前のアレを片付けてから様子を見るしかないのでは?」

「・・・・・・まあ、そうだな。まだ始まったばっかりだしな」

 ウィリアムの手の一振りで、レイドチームが再び防御陣を組む。雪煙をあげて突進してくる巨人たちとドワーフの義勇兵の間を隔てる壁の如く、ディンクロン、順三、羅喉丸そしてデミクァスら戦士たちが等間隔に立ち塞がる。ドワーフの長との打ち合わせで、ドワーフ軍には可能な限り接敵せず、射撃での支援に徹するよう依頼してある。重装備のドワーフ戦士と謂えども、素の耐久力は90レベルを超えた冒険者とは比ぶべくもない。たとえ比較対象が魔法使い(キャスター)であってもだ。

「〈ハーフレイド〉ランクまでなら〈盗剣士〉や〈暗殺者〉でもなんとか保持(キープ)できる。出来るだけ拾ってくれれば、漏れた奴から潰していく」

「了解。頼りにしています」

 背後からそう怒鳴るウィリアムに、前方の巨人の兵団を睨んだまま、ディンクロンは盾を掲げてあくまで紳士的にそう答える。

 さて、ここからが僕ら”壁役(タンク)”のショウ・タイムだ。


     *     *     *


 リング・イベントは、戦闘タイプのクエスト又はイベント形態の一種だ。

 多くはパーティーランク以上のクエストやレイドのスクリプトに採用されている形式で、内容はとしては要するに、『大量の敵が波状攻撃を仕掛けてきて、それらを倒し切ることにより最後にボスやネームドが現れる』というイベント形式を指す。

 複数の(ほとんどの場合大量の)モンスターからなる個別の襲撃単位を、打ち寄せる波に喩えて”ウェーブ”と呼ぶ。時間経過によってウェーブは次の段階に移行し、新たなウェーブが起動する。開始直後のウェーブは、モンスターの強さ或いは数の点からそれほど高い難易度ではないが、ウェーブが進むにつれて敵の数或いは強さは漸増してゆく。レイドランクのリング・イベントともなれば、ウェーブの回数は10回近く、DPSが足りなければ敵はどんどん増えてゆき、最終ウェーブに到達した際には属するすべてのモンスターがレイドランクなどと云う高難易度のリング・イベントも過去のコンテンツには存在し、ハイエンドなレイダーたちによる様々なドラマの舞台となってきた。


 ディンクロンも、リング・イベントには慣れている。新拡張パックがローンチされるたびに、新たに追加された難関レイドコンテンツの幾つかにはリング・イベントがスクリプトとして組み込まれていた。〈千年森の島〉の〈デバウアリング・ワームロード〉だとか、〈モルテン・サンクタム〉の〈竜王ウルダール〉ウルダール・ザ・ドラゴンハイロードだとか、〈シルバーソード〉の仲間たちと乗り越えてきたリング・イベントの思い出を挙げればきりがない。


 リング・イベントは忙しい。

 乱戦になるし、息つく暇もなく敵は襲ってきて余裕も何もない。頭で考えていたら追い付かないのがリング・イベントだ。タンクもヒーラーも、支援職もDPSも、ただひたすらMPのペース配分だけを考えながら、黙々と自分の仕事を果たし続ける。予想外の敵の能力にも、考える前に反射で対応できるようでなければ、そこが蟻の一穴となってレイドチームが崩壊する。

 ヒーラーは、減りゆく味方のHPと自分のMPを突き合わせながら、雨漏りするボロ家の屋根の穴を塞ぐように一途にヒールを飛ばし続ける。

 DPS(ダメージディーラー)は、最大戦力の傾注点が戦線の何処なのかを常に即時に判断しながら、再使用規制時間(リキャストタイム)の終わった順に、途切れなく特技を叩き込み続ける。

 そしてタンクは、押し寄せる敵に端から挑発(タウント)を入れながら、頑固にそして強固に戦線を維持し続ける。

 とてもじゃないが、綺麗な戦いになどなりはしない。血まみれ、汗まみれ、泥まみれになりながら、誰もが無様に戦場を駆けずり回らなければならぬ。

 何処がいいのかと云えば、そこがいい。

 練り上げた戦略、積み重ねた戦術を競う、宝石を丹念に研磨するような珠玉の戦とはまた違う。

 各々が脇目も振らず、唯只管に目の前の自分の仕事を果たし続ける。一見無秩序で泥臭いそれらが、いつしか縦糸横糸になって紡がれて、戦場と云うタペストリを織り上げる、その感覚がひどく好きだ。血と涙、鋼と魔法、肉と魂を捧げるに足る芸術品だ。


 ――――けれど、ほんとうにそれだけでいいのかな。


 彼は世間では、〈シルバーソード〉のナンバー2、〈ミスリル・アイズ〉ウィリアム・マサチューセッツの補佐役であると認識されている。しかし実のところ自分自身では、とてもじゃないが自分はそんな器ではないと思っている。

 そもそも副官などというものは、もっと視野が広くて全体を見ることができ、全体のために動ける人間がやるべき役職なのだ。

 〈D.D.D〉の高山女史やリーゼさん、〈西風の旅団〉のナズナ姐さんなんかは、自分などは比べ物にならないくらい有能だ。彼女たちは、彼女たちのギルドマスターを補佐する仕事を完璧にこなし、自らの能力の高さを、自らの力でもって常に証明し続けている。

 そして、〈記録の地平線〉のギルドマスター、〈腹黒眼鏡〉の〈付与術師〉シロエ。あの気難しげな眼鏡の青年の性格や能力は、実はリーダーよりもずっと参謀とか、補佐役向きだと云うのがディンクロンの印象だ(本人がどう思っているかは知らないが)。実際、〈奈落の参道〉のレイドが成功した要因の八割がたは、ウィリアムの補佐をシロエが十分以上に行ったからであることは、疑う余地のない事実である。

 シロエを見ていてよく分かった。結局、自分は、”タンクとしての自分の仕事”しか見えていないし、見ていないのだ。今、自分が副官でございなどと云う顔をしていられるのは、たまたま〈シルバーソード〉の面子の中に、自分より冷静で、自分より社交的で、自分より交渉事が得意なメンバーがいなかったからに過ぎない。

 要するに、〈シルバーソード〉は、ウィリアム・マサチューセッツと云う強力な統率者がいなければ、ただの”職人”の集まりに過ぎないのだ。それぞれの持つ技能は水準以上だが、社交性も協調性もなく、まとめ役(ウィリアム)がいなければ組織として動くことすらままならない。


 ・・・・・・ならば結局、僕が居る意味とはなんだろう。僕ができる仕事とはなんだろう。 


 ひとつレイドを越えるたび、ディンクロンは自分自身にそう問いかけずにはいられない。

 タンクとしての仕事は完璧に果たす。当然だ。彼はヤマトサーバーのトップランクを争う大規模戦闘ギルド〈シルバーソード〉のメインタンクだ。だが、それは飽く迄もただの最低ラインでしかない。それを割るなどと云う事は、前提にすら入っていない。考えるべきは、その先だ。

 遮二無二剣を振るいながら、エルフの青年騎士は、うすぼんやりと他人事のように自分自身を眺めつつ、自問自答を続けていた。


     *     *     *


 今戦っているのが幾つめのウェーブなのか、数える作業は早々に放棄した。

 自分の脇を駆け抜けて、ヒーラーたちのもとに突進しようとする〈霜巨人の中隊長〉フロストジャイアント・ルーテナントと二体の巨人を〈シールドスウィング〉で足止めする。馬鹿みたいにでかい戦斧を盾で押し返すと、轟音をあげて尻餅をついた巨人の戦士が、信じられないとでも云いたげな目を小さなエルフの騎士に向けた。そいつの頭を飛び越えて、角兜を被った巨人の士官が大上段に振りかぶった大剣を大地も割れよと叩きつけてくるのを、盾を持った左手を添えて掲げた幻想級の長剣で、真っ向から受け止める。肩に喰い込む分厚い鋼の感触を、間断なく投射される回復呪文が間髪入れず掻き消してゆく。


 レイドランクの巨人は、パーティーランクの巨人よりも更に頭二つ分背が高い。恐ろしげな髭には吐息が凍り付いて氷柱を作り、落ち窪んだ眼窩の奥の瞳には、小さい生き物に対する蔑みと傲慢さが地獄の炎のように燃えている。

 そんな悪意と殺意の塊が、山のような質量を伴って、片手の指では利かない数で怒涛の如く攻め寄せてくる。攻撃も防御も、考える前に身体が反応する。


「五秒後に範囲攻撃(AE)くるぞ、近接は離脱準備!」

「デミの奴に脈動回復(HoT)重ねろ! 障壁(ウォード)も切らすなよっ!」

「頭数減らすのが優先だっつってんだろうが! MA(メインアシスト)徹底しろ莫迦野郎っ! 何年レイドやってんだっ!」

「ペット抑えろボンクラ! 跳ねさせてんじゃねえ!」


 戦いが激しさを増せば増すほど、普段は不器用なくらい言葉の少ないギルドマスターは舌の回転が滑らかになる。解析係の〈召喚師〉アザレアが辛抱強く続ける戦闘経過時間のカウントをBGMに、ウィリアムの口から矢継ぎ早に飛び出すのは指示と、叱咤と、罵声の嵐だ。〈大災害〉がこの世界とディンクロンたちとを変えてしまうずっと前、ボイス・チャットで散々聞いてきたその声を、今彼らは現実の声として聞いている。PCのスピーカーから聞こえていた時は、不機嫌そうで、拗ねたようで、けれどちょっぴり幼さが覗いていた少年の声は、いまや歴戦のエルフの狙撃手の咽喉から朗々と響く、頼もしくて誇らしい最高にイカしたバリトンだ。不機嫌そうで拗ねたようなところは相変わらずだったけれど、だからどうした、これが僕らのギルドマスターだ。これが僕たち〈シルバーソード〉の、ヤマトで一番恐れを知らないレイドチームの最高指揮官だ。


『蒙昧愚劣なる原住民(スクレイリング)が、この己を雑兵どもと同じと思うなよ!』


 一際体格の大きい立派な角兜を被った霜巨人が、ごうごうと逆巻く嵐のような大音声で吠えた。

 ぞくり、と背骨を駆け上がる悪寒に、咄嗟に相手のネームタグを確認する。

名前付き(ネームド)出現! 順三、カバーお願いしますっ!」

「応よっ!」

 魂を押し潰さんばかりの恐ろしい威圧感に、血気に逸ったドワーフたちが一斉に弩を放った。兜や盾に針鼠のように突き立つ矢をさしたる痛痒を受けた様子もなく小煩げに払い除け、ドワーフの隊列に注意を向けかけた〈正統の擁護者(ヴィンディケイター)トールギル〉に〈タウンティング・ブロウ〉を叩き込むと、巨人の将軍はぎろりとディンクロンを睨み付け、槌頭の大きさが軽自動車ほどもある巨大な戦槌を横殴りに叩きつけてくる。東湖が投射した障壁呪文(ウォード)が一瞬で弾け飛び、まさしく交通事故みたいな勢いで魔法の大盾に戦槌が激突すると、順三の〈カバーリング〉を受けているにもかかわらず、ディンクロンのHPが瞬時に三割近く消し飛んだ。相次いで投射される回復呪文のヒール・タウントに負けじと、ディンクロンも次々と挑発特技や攻撃特技を重ねてゆく。

「AEっ! 近接離脱しろっ!」

 ディンクロンに背中を向けるくらいに身体を捻じり、戦槌を大きく振りかぶった巨人のモーションを見て、ウィリアムが警告の叫びをあげる。レイドランクの霜巨人族が持つ近接レンジの範囲攻撃〈アニヒレーション・スウィング〉の準備動作だ。トールギルの背後から弱体効果(デバフ)を打ち込んでいたフェデリコとハイランドスカイが素早く数歩後退する。

 〈アニヒレーション・スウィング〉はレンジが短い代わりにダメージの大きな範囲攻撃だが、単発であるがゆえに戦士職であれば耐えるのはそう難しくない。ただ一人近接範囲に踏みとどまったディンクロンは、〈クール・ディフェンス〉を発動して攻撃に備える。東湖が障壁を更新し、同時に浮世の反応起動回復が重ねられる。氷の塵を撒き散らしながら振り回される戦槌の一撃を見事に耐え切り、エルフの〈守護戦士〉はがら空きになった巨人の脇腹に、〈デモリッシング・ブロウ〉の痛撃を叩き込んだ。自分の脛ほどの背丈しかない〈冒険者〉の一撃を受けて、小山のような体格のトールギルが踏鞴を踏む。寸でのところで踏みとどまった巨人の将軍は、怒りに燃える瞳をディンクロンに向けると、今度は戦槌を上段に構えて〈巨人語〉の詠唱を開始した。


「接敵中止っ! 接敵中止っ! 目標、詳細不明の詠唱開始! 回復(ヒール)厚くしてくださいっ!」


 ディンクロンが咄嗟に飛ばした警告に、ネームドの背後に貼り付きなおそうとしていたフェデリコたちが急制動し、慌てて再度後退する。

 〈正統の擁護者トールギル〉が構えた大戦槌の槌頭が、傍から見てもはっきり分かるほどの膨大な氷の魔力を纏い始め、ぱきぱきと音をたてながら白く輝き凍り付いてゆく。再び〈クール・ディフェンス〉をオンにして防御姿勢を取るディンクロンが掲げた大盾に、温度差で周辺の大気が歪んで見える程の冷気を纏った戦槌が振り下ろされた。高度な魔法で鍛えられた金属同士がぶつかり合い、その接点からは、無数の氷の棘がまるで空間の罅のように出鱈目に枝分れしながら周囲に伸びる。ディンクロンの甲冑を処構わず穿ちながら扇形に拡がったそれは、束の間獲物の熱を求めて鎌首を掲げる多頭蛇の如く無秩序に宙空でうねったのち、跡形も残さず一瞬で砕け散った。

 次々に投射される回復呪文を受けながらも、ディンクロンの目が驚愕と焦燥に見開かれる。

 エルフの騎士が身に着けた幻想級の魔法甲冑〈不壊なるもの〉(アンブレイカブル)は霜に覆われ、四肢全ての神経が凍り付いたかのように身動き一つ叶わない。

 同時に、それまで怒りに燃える瞳をディンクロンに向けていたトールギルは、掌を返すようにディンクロンに対する興味を失って、大股にディンクロンを跨ぐと彼に回復呪文を投射するヒーラーたちに注意を向けて、猛然と突進を開始した。


 ヘイトワイプは、レイドランクのモンスターが稀に持っている特殊能力だ。この珍しい能力は、発動すると、そのモンスターに対して積み上げたヘイトの一切がリセットされてしまう。結果として、能力の発動直後に最もヘイトを稼ぐ行動を取っていた者にターゲットが移り、その人物にモンスターが”跳ねる”ことになる。そしてそれは概ね、メインタンクをヒールしていたヒーラーや、大ダメージ特技を使用していたダメージディーラーになるわけだ。


 ディンクロンのデバフウィンドウに、凍結効果のデバフアイコンが禍々しく点滅している。治療(キュア)不能の強力な麻痺(スタン)効果に警告の声すらあげることができず、眼球だけを巨人が突進した方向に動かすのが精一杯だ。

 巨人が突進する方向には、レイドチームの生命線であるヒーラーたち、そしてギルドマスターのウィリアムを含む遠隔攻撃部隊が無防備な姿を晒している。彼らでは巨人の攻撃に耐えることは不可能だ。一合ともたず叩き潰されるに違いない。そうなれば――――

「デミ・・・・・・クァス・・・・・・っ!」

 両肺を丸ごと搾り出すように、気管を無理矢理押し広げ、掠れる声で遊撃役の〈武闘家〉の名を呼ばわる。

 果たして、突進する巨人の眼前に、黒い颶風となって滑り込んだのは――――〈ファントム・ステップ〉で前線から後退してきた〈ブリガンティア〉のデミクァスだ。

「オォッラァッ!!」

 挑発特技では間に合わないと判断し、〈ドラッグ・ムーブ〉でトールギルのターゲットを無理矢理自分に固定する。その直後、トールギルの戦槌が横殴りに〈武闘家〉に激突し、その身体を数メートルも弾き飛ばした。


「デミぃっ!!」

「こんなもん、クソッたれっ!」


 ウィリアムの絶叫に、数度バウンドして地面に叩きつけられた〈武闘家〉は、新雪を蹴立てながらも体勢を立て直して怒鳴り返す。

 〈金剛不壊〉(インドミタブル)で首の皮一枚残して踏み止まっているのだ。

「次はもたねえぞ、クソ〈守護戦士〉(カカシ)っ!」

「充分ですよっ!!」

 デバフが持続したのはほんの数秒。点滅していたアイコンが消失すると同時、身体の自由を取り戻したディンクロンは、〈守護戦士〉の切り札の一つ、魔法並みの長射程を持つ〈オーバーヘイト〉をトールギルに叩き込む。〈オーバーヘイト〉がディンクロンのヘイトポジションを急上昇させ、ヒーラーたちを牛蒡抜きして再度彼を〈正統の擁護者〉のヘイトリストのトップに押し上げた。踵を返して突進してくる巨人の将軍の戦槌を盾で受け流し、位置調整しながら挑発特技を連打してなんとかキープを再開する。

(肝が冷えるっ!)

 心中ぼやきながら考えを巡らせる。〈オーバーヘイト〉はこれで数分の間使用不可だ。一方先程の相手の特殊攻撃は、長くても180秒程度、下手をすれば一分足らずで使用可能になる可能性が高い。さて、次弾をどう捌いたものか。

 その時、ウィリアムの焦れたような大声が、半ば反射的に敵の攻撃に耐え続けるディンクロンの耳朶を打った。

「ディンク、報告寄越せっ!」

 一瞬なんのことやら分からず目を丸くするが、すぐにギルドマスターの意図を了解する。

「詠唱名〈ナミング・コールド〉、恐らくは前方扇型近接範囲攻撃、効果は範囲内に約5,000のダイレクトダメージ、及びヘイトワイプ。着弾と同時に同名のキュア不能のデバフを付与、持続時間約6秒、デバフの効果はスタン及び1秒ごとに約3,000の継続ダメージ(DOT)ですっ!」

「上出来だ!」

 そうだ。たとえディンクロン一人では対処法が思いつかなくとも、彼の背後には誰あろう、〈ミスリル・アイズ〉のウィリアム・マサチューセッツその人が控えているのだ。

 〈シルバーソード〉は、ウィリアム・マサチューセッツのワンマン・チームだ――――そんなことを小馬鹿にしたように云う奴だっている。それがどうした、云いたい奴には云わせておけばいい。ウィリアムこそが僕らの御旗だ。金銀錦の一枚看板だ。


「順三、今相手にしてる奴デミに任せてトールギル(そいつ)に貼り付け! 〈ナミング〉の直前にそいつのタゲ取って〈ナミング〉受けろ! ディンク、順三が〈ナミング〉受けたらすぐにタゲ取り返してそのままキープ続けろ、いいな!」

「了解っ」

「応っ」


 メインタンクがまともに〈ナミング・コールド〉を受けてしまえば、差し当たりヘイトワイプを防ぐ手立てがない。凍結デバフはキュアできないからほんの数秒とはいえメインタンクは動けないし、大ダメージのDOTを喰らっているから回復の手を緩めることもできない。必然的にメインタンクを回復するヒーラーにネームドのターゲットが移ることになる。だからといって、単純にサブタンクが交替してネームドをキープしようとしても、ディンクロンさえギリギリで耐えているネームドの攻撃に、ディンクロンより防御力で劣るサブタンクが耐え切れる保証はない。

 しかし、サブタンクが〈ナミング・コールド〉だけをピンポイントに受け止めれば、無傷のメインタンクがすぐにトールギルのターゲットを取り返して安定したキープが可能となる。メインタンクの優れた防御力を最大限に活用でき、ヒーラーへの負担も軽減される。それだけの対応策を、積み重ねた経験とわずかな情報から瞬時に導き出したのだ。


 ――――ああ、なかなかどうして、見事なものだ。


 ディンクロンは嬉しくって、つい口許が綻んでしまう。

 トールギルのHPは、まだ一割も減っていない。こいつの持っているスクリプトがこれだけだとも限らない。取り巻きだってまだ残っているし、こいつ自身が本気を出しているのかどうかさえも分からない。

 けれど、そんな事なんてどうでもいいと思える瞬間が、レイドの中には確かにある。彼は、その瞬間が何度でも味わいたくて、全てが変わってしまった〈大災害〉のそのあとも、みっともなく、未練たらしく〈エルダー・テイル〉の女神の裳裾にしがみつく、〈シルバーソード〉と云う名の廃人集団に居座っている。

 中でも一番いぎたなく女神の裾に喰らいついている、ぶっきらぼうで愛想の無いエルフの狙撃手は、彼ら全員の自慢であり、憧れでもある、愛すべき廃ゲーマー中の廃ゲーマーだ。ひとたび彼の号令があれば、〈シルバーソード〉の猛者たちは、奈落に降って百万の地獄の悪鬼の軍勢とだって笑って一戦交えるのだ。何故なら彼らは全員、”それ”をするためだけにここにいるのだから。彼ら一人一人が、他の誰でもない、ウィリアム・マサチューセッツと、〈シルバーソード〉の仲間たちと”それ”をするためだけに己のすべてを擲ってここにいるのだから。


(そうだ、だから結局そんなのは――――最初っから分かり切ったことだったんだ)


 だから、ディンクロンのたった一つの居場所はここにある。ディンクロンが為すべきたった一つの責務はここにある。


 誰にも、どんな化け物にも、巨人だろうが龍だろうが、冥王だろうが絶対君主だろうが、ウィリアム・マサチューセッツを妨げることを許しはしない。ウィリアムに文句を云いたいのならば――――その身に牙、爪、刃を突き立てたいのならば――――彼の指揮を、僕らの進軍を妨げたいのならば――――そいつらが向ける敵意と悪意の一切合財、まずは僕が引き受けよう。断じて斃れてなどやるものか。これは誰にも譲れない、僕の、僕だけの役目なのだから。

 僕は、ウィリアムの目や耳や口でなくていい。参謀や軍師なんて面倒な役は真っ平御免だ。僕が望み、僕が為すべきは唯一ツ――――僕らの居場所を守るために、ウィリアムがその能力を最大限に振るうとき、何者にも邪魔はさせない。そんな邪魔があったことすら意に介させない――――ただそれだけを僕は希う。ただそのためだけに僕は在る。

 だから僕は、〈シルバーソード〉の”第一の盾”(メインタンク)で在り続けるのだ。


「〈ナミング〉来るぞっ! 順三、スイッチしろっ!」

「応さ、任せろ!」


 順三が〈武士の挑発〉を入れながらトールギルの前に回り込むのに合わせ、ディンクロンは巨人の右脇を時計回りにすり抜けて巨人の背後に回る。振り下ろされる白霜を纏った戦槌を順三が受け止めると同時、ヒーラーたちのほうに駆けだそうとするトールギルを〈アンカー・ハウル〉で強引に振り向かせ、そのままキープを継続する。


「アザレア、〈ナミング〉のリキャスト報告っ!」


 生き生きと瞳を輝かせながらウィリアムが指揮を続ける。そいつが無性に嬉しくて、ディンクロンの剣はますます冴え渡る。スタンから回復した順三が、トールギルの背後に下がりながら、ディンクロンの顔を見咎めて、少々意地悪そうな笑みを浮かべた。

「笑うとこかよ、ここ! お前も大概イカれてるぜ、キザ野郎!」


 そうか、僕は笑っているのか。


 何時の間にか貼り付いていた口端の笑みを苦笑に変えながら、お返しとばかりに巨人の膝に〈シールドスマッシュ〉を叩きつけると、踏鞴を踏んだ巨人の足に踏まれそうになった順三が慌てて数歩飛び退り、ディンクロンに向かって抗議の声をあげた。本気で焦った様子の順三に澄ました顔で真面目くさった会釈を返し、再びトールギルに注意を向ける。氷嵐吹き荒ぶ雪影にただ一輪、ひっそりと誇らしげに咲くその花を、誰にも散らさせず守るため――――血と肉と鋼渦巻く戦のただなかに、脇目も振らず飛び込んでゆく。



 さあ、そろそろ歩き始めなくっちゃ。僕らの凱歌はもうすぐそこだ。






〈 了 〉

 「ろぐほら副官祭!!」に投稿させていただいたものについて、ルビ等を多少追加したうえでこちらにも投稿させていただいております。

 ディンクロンさんの口調について、資料を当たったもののほとんど参考になるものが無く、完全に自分の脳内補完になってしまいました。「俺の知っとるディンクロンさんと違う!」と云う方、申し訳ありません。俺が悪かった。

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― 新着の感想 ―
[一言] 流石、戦闘描写上手いですね。前回の対人戦から一転レイド独特の緊張感と緻密な作戦行動がたまりません。
[一言] ディンクロンさんは守護戦士の鑑ですな(つД;) そう言えばこの人副官でしたっけ(←
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