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第八十八話

 校長が、ゆっくりとこちらに歩いてくる。

 太陽が建物に隠れ始め、辺りはたちまち暗くなってきた。黒澤は、気温が急に下がったように感じた。

 以前、“夏大会の成績が振るわなければ監督を解任”という旨のことを言われていたことを思い出す。その話かもしれない、と黒澤は嫌な汗を拭った。


「今日の試合、見させて頂きましたよ、黒澤先生。」

「…それはどうも。」

 校長は、無表情を崩さずにそう言った。

 その顔からは特に感情は読み取れない。


「ベスト16ですか。少し残念な結果ですな…。」

「申し訳ございません、私の力が至らないばかりに…。」

 黒澤は少し顔を下げながら、校長の顔色を覗う。


「少し、長話をしてもいいですかな。」

 校長は、そう言って話し始めた。




 ……私は、始めは期待していた。これからの男子バスケ部に。何しろ今度赴任してくる先生は、あの大芸の大鷲監督の教え子だ。大鷲監督とは何度も話をしたことがあるが、あれほど選手のことを考えながら指導に情熱を注ぐ人間は彼以外に知らない。実際、優秀な人材を何人も輩出している。その中の一人である君は、あの大鷲監督のような優れた指導をしてくれるだろうと、そしてあのチャラチャラしたバスケ部を変えてくれるだろうと思っていた。

 しかし、赴任して数カ月立ってもバスケ部の様子は変わっていなかった。練習も、汗はかいているものの、皆どこか澄まし顔で、我が校の野球部のような高校生らしい熱さは感じられなかった。しかも、あれだけ体格に恵まれた人材がいると言うのに、結局県の中でも目立たぬ成績だ。


 私は失望した。優れた指導者の教え子がそのまま優れた指導者になるとは限らないのか、と。


 そもそもバスケ部には、教師の立場から見て、非常に優秀な子達が集まっている。二年の小倉や大賀は体格も十分、運動神経も優れている。一年生の五島は学業でもトップクラスの成績を出している。能勢やバレー部から編入した高田なども才能が満ち溢れている人間だ。どの部も彼らを欲しがっている。

 そんな彼らに、高校生という人生で一度きりの輝かしい時期を、こんな部で過ごさせていいものか。いや、彼らの真価を発揮できる場に誘導するのも教師の役目だ。


 それならば、方法は二つだ。一つ目の方法は、バスケ部を真に優れた部活動へと変えること。二つ目は、男子バスケ部を解体し、部員の彼らを然るべき部活へ勧誘することだ。

 

 一つ目の方法を取るとしても、このまま時間が立てば改善するという望みは薄いだろう。そこで、女バスの佐藤先生の力を頼ることを私は考えた。彼女は優秀な指導者だ。女バスの選手達は県でトップクラスの実力を持つとともに、品行方正で素晴らしい人間ばかりだ。彼女に、男バスの指導も任せることが最善であると私は考えていた。

 それで無理なら、潔く男バスは廃部にする。そもそも我が校の野球部が甲子園で活躍できなくなったのも、バスケットボール部に有望な人材が流れ始めたからだと、私は常々考えていた。廃部の決定を下すことに特に躊躇もない。


「今日ここに来たのは、男バスが今日の試合に負けた場合、私の考えを君に伝えようと思ったからだ。」

「…つまり、今日で僕はお役御免ということですか。」

「……。」

 校長は返事をしない。その目はじっと黒澤の目を捉えている。

「失礼ながら、言わせて下さい。あなたが私に、バスケ部の監督を辞めろと言われるなら私も拒みません。結果が出せなかったのは私の責任ですから。しかし、部員達にバスケ部を辞めろと言うのは絶対に肯定できません。あなたの目に彼らがどう映っていたのかは私には分かりませんが、彼らの今までの努力を、その汗を馬鹿にするのは止めて頂きたい。私は、彼らに厳しい練習を強いてきましたが、彼らは今まで弱音も吐かず反発もせずに付いてきてくれました。この高校に来たばかりの新参者の僕にですよ。それは、私が怖くて従ったのではなく、勝ちたい、上手くなりたいという気持ちがあったからこそ付いてきてくれたのです。」

 まあ、全く反発が無かったかと言えば嘘になるが、と黒澤は心の中で呟く。

「人生の価値は簡単に客観視できるものではありません。彼らが無為な青春を送っているなんて、一体どこの誰が言えるのでしょうか。少なくとも私の目から見れば、彼らはひたむきに努力を続け、バスケットボール選手としても、人間としても成長していました。それは、誰にも否定させません。例え私が男子バスケ部の監督を解任されたとしても、廃部には絶対に反対します!」


 私の言葉を聞いて、校長はしばらく黙っていた。そして、口ひげを少しいじったかと思うと…。

「……はっはっは!」

 校長は、堪え切れないといった様子で笑い始めた。




 口をぽかんと空けている私を見てさらに吹き出しながら、校長は驚くべき言葉を発した。


「黒澤先生、すみません。全て…冗談です。ベスト8まで行けなければ監督を解任するとか、男子バスケ部を廃部にするとか…、そんな話は、ただちょっとあなたを試そうと思って言っただけです。」

「……はい?」




「あなたの指導と、今後の男子バスケ部に期待していたことは本当ですよ。しかし、あなたが本当はどんな人間なのかを知りたかったのです。」

「…それで、あんな話を持ちかけたのですか?」

 呆け顔のまま黒澤は質問する。校長は半笑いのまま答えた。

「はい。まず、新任一年目で、地区予選敗退チームを夏大会の県ベスト8に導けなんて、相当優秀なコーチでも簡単にこなせる仕事ではないでしょう。しかし、あなたがその条件を突きつけられて『無理だ。』と諦める人間なのか。それともとりあえずやってみて、結局こなせなかったら『元々この程度の選手しかいないチームでベスト8に行けなんて無理な話だ。』なんて開き直る人間かなのか…。黒澤先生はどちらでもありませんでした。ベスト8に行けるよう努力をし続け、結局ベスト8には届かなかったものの、その責任は選手ではなく自分にあると言い、そして選手のことを考えて廃部に反対しようとしていました。」

 さらに校長は続ける。

「さらに、今日の試合を見て、黒澤先生の言葉に偽りがないことも理解しましたよ。彼らのプレーは、素人目にも一朝一夕でできるようになるものではないことは分かります。誰もがひたむき勝利を求め、点を離されても諦めず、走り続けていました。私は彼らの熱さに巻き込まれ、気付けば試合に釘付けになっていました。また、監督の選手らの間に強い信頼関係があることも感じました。私の目から見れば、チームとしての強さは、相手のチームを上回っていたとも思います。」

「そ、そうですか…。」

 黒澤は、校長の一転攻勢とでも言うべきべた褒めに返事が見つからず、ただ恥ずかしそうに頭を掻いた。

 すると、校長は顔を正して、黒澤の目をじっと見た。


「黒澤先生。」

 そして校長は、深々と頭を下げる。

「あなたなら、信頼できる。……西商バスケ部を、今後もよろしくお願いします。」

 

 

「……はい!ありがとうございます!」

 黒澤は力強く答えた。


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