33-40話まとめ
コーチクリニックから始まり、練習試合の終りまでです
「山岡県コーチクリニック」
それは、山岡県のバスケットボールコーチを集めて、講師がバスケの指導法などを教えてコーチを育成することを目的とする、講習会のようなものだ。年に1,2回は開催され、講師は開催する度変わるので、様々な話が聞ける。
私は今回が初参加だ。何の話が聞けるのか、楽しみにしていた。
「ここの三階の会議室ですよ。」佐藤先生が先導する。
山岡大学の一室を借りて、このクリニックは行われるらしい。エレベーターの前に「山岡県コーチクリニック 三階301会議室」と書いた看板が立っていた。エレベーターのボタンを押して、二人で乗り込む。
「楽しみですねー。今日の講師は誰なんでしょうか?」
「えっと、南北高校の監督の、熊代先生って聞きましたよ。」
南北高校!この前対戦したチームだ。熊代先生の威圧感のある話し方を思い出した。
エレベーターのドアが開く。会議室はすぐに見つかった。エレベーターから出て、すぐ左に曲がったところに、先ほどと同じような看板が立っていた。
「あと、このクリニックはそんなに楽しいものではないと思いますけど。」
部屋に入る直前に佐藤先生が言う。確かに熊代先生相手だと、少し緊張してしまうかもしれない。
コーチは全員で七十人以上は集まっており、会議室はすぐに手狭になった。
しばらく待っていると、スーツを着た人が二人、静かに部屋に入ってきた。大柄で彫りの深い顔をしている男性と、小柄で何故かふらふらとしている男性だ。それを受けてがやがやとしていた会議室が静かになる。
「えー、本日は当クリニックに集まって頂きありがとうございます。えー、私は司会進行を務めさせて頂きます江藤と申します。えー、まず最初一つ、残念なお話があります。」
小柄な方の男性がマイクを手に喋り始める。残念な話?
「えー、今回講師を務めて頂く予定だった熊代先生ですが、えー…教え子に体罰を振るっていたということで、処分が下されました。誠に残念なことです。そのことで、今回の講演は辞退すると、本人から申し伝えがありました。」
会議室がやにわにざわつき始める。体罰で処分?あの先生が?
「具体的に何があったんですか?」誰かが質問した。
「えー、学校で練習中に部員を殴ったりはたいたり、罵ったりしていたみたいなんですね。それを、一年生の部員が親に打ち明けて、発覚したようです。」
発覚…。普通に学校の体育館で行われていたことなのに、と少し違和感を覚える。
「えー、最近はマスコミもうるさいですからね、その親が熊代先生を転勤させるか首にしなければ、マスコミにこのことを発表すると言ったみたいなんです。えー、そして学校側は熊代先生を転勤させたというわけです。」
「そんなこと、うちもやってますけどねぇ。」
「最近の親は怖いですなあ。私の時代なんて、教師が学生を病院送りにしたなんて話も聞きましたけどねえ。」
「えー、そういう話は後にしましょう。今回は臨時として、アチーブ高校の監督の西谷翔雲先生にお越しいただきました。えー、ゴホン、お静かにお願いします。」
「みなさんドウモ、西谷です。」
大柄な男性が話し始めた。彫りの深い顔だなと初めてみた時も思ったが、良く見れば、目のあたりが異常にへこんでいる。陥没していると表現するのが正しいかもしれない。かなり特徴的な風貌だった。
「今回は熊代センセーが出てこられないと言う事で、ザンネンです。それで、体罰が問題になったというコトで、今回は体罰を巡る指導について話していきたいと思います。」
「あっちょっと待ってくれ。」
「ハイ?」
「あんたじゃない。」
声の主は、大鷲監督ではないか。席が離れていたのでよく分からなかった。
その大鷲監督が、西谷先生の話を遮って話し始めた。
「江藤さん、あんた山岡県で朝練禁止を決めた時の議会のメンバーだろ。ちょっと言いたいことがあるんだが、良いか?」
江藤は、少し眉をひそめる。江藤の返事を待たずして大鷲先生は話し始めた。
「朝練禁止をやってみて、どうだい。山岡県の学生の学力は上がったのか?」
「えー、まだ半年ぐらいしか立ってませんけど…県全体で行った学力診断テストの結果、前回より平均点が二点は上がっています。朝練禁止の効果が出たということですね。」
そう言って江藤はにっこりと笑う。しかし、大鷲先生は真顔で続ける。
「うちのバスケ部に関して言えば、全く変わっちゃいなかったがね。学校全体で見ても大した変化は無かった。」
「そういうところもあるでしょう。しかし、上がっている高校もあるのです。」
ピリピリとしたムードが、こちらに伝わってくる。大鷲先生は朝練禁止の是非について話そうとしているのか。
「そもそも平均点が二点上がったところで、統計学的には全く有意でない。」
不意に私の目の前の席に座っていた人が言う。黒縁メガネを光らせながら。
「一回のテストの平均点が二点上がったからといって、朝練禁止の効果かどうかなんてことは全く分からない。たまたまの可能性も高い。何度も検証しなければはっきりとしたことは言えないだろう。」
「えー、そ、そうですね。まだ判断できる時期ではありません。もうしばらく様子を見ないと…。」
「もうしばらくっていつまでだよ!」
ドン!と大鷲先生が机を叩いた。
「選手たちの貴重な練習時間をそんな実験みたいなもので奪うことが許されるのか。もし朝練禁止の効果が無かったとしたら、どうするんだ。選手たちが可哀そうだろう!俺は今すぐこんな馬鹿げた制度を取り消すべきだと思っている!」
大鷲先生の顔が赤くなっている。江藤はたじたじだ。そういえば大鷲先生は高血圧で悩んでいると聞いた覚えがあるが、大丈夫なのか?
「私もその意見に賛成です。生徒たちには、自分のしたいことをさせてあげたいと思います。」
そう発言したのは、決勝戦の試合を見ながら話した正心高校の監督、庄先生だ。
「俺も、そう思うけどな。」
「私も、統計学云々以前に、この制度には反対だ。」
「いや、画期的な試みなんだ。もう少し続けるべきだろう。」
「学校ごとに、成績の水準を設けて、それを下回ったら朝練禁止、それでいいんじゃないか?」
集まったコーチ達から、様々な意見が飛び出してきた。
「すごい雰囲気になってきましたね。」
佐藤先生が話しかけてきた。まったく、私の想像していたものとは違う方向にクリニックが進んでいる。
「えー、分かりました。その件はまた今度、会議に掛けてみたいと思います。」
江藤が汗を拭きながら言う。
「先延ばしにしようって魂胆だったら、許さんからな。さっさと決めろよ。」
大鷲先生が食ってかかる。
「えー、分かりました。では、クリニックのほうを続けましょう。西谷先生、お願いします。」
「みなさん、面白いコト言いますね。ちなみに私は、朝練禁止なんて話、聞いたこともなかったですね。ははは。」
西谷先生はそう言って笑った。
え?
会場内で、見事にハモった。
34
「じゃあ話を始めましょうか。えっと、体罰を巡る指導についてでしたね。」
「ちょ、ちょっと待って下さい西谷先生。」
江藤が焦ったように西谷先生の話を止める。
「朝練禁止を知らなかったって、どういうことですか?」
「ははは、まだその話してたんですか?」
(なんなんだこの人?)
独特な風貌、そして独特な雰囲気がある。外国人?イントネーションが独特なので、外国暮らしが長かったということなのだろうか。
「私は校長センセイに、指導に関しては私の好きなようにやりなさいと言われているので、好きなようにしているだけですよ。」
「好きなようにって…、それは駄目なんですって。条例で決まったんですから。」
「へえ、そうなんデスか。分かりました。朝練禁止、ですね。ごめんなさいね、今まで知らなかったもので。」
「ちゃ、ちゃんと守ってくださいね。」
ゴホン、と一つ江藤が咳払いをした。
「えー、では、話を始めましょうか。」
「まず、体罰ですね。これはみなさん、ゼッタイにしてはならない、と思いますか?」
会場が少しざわつく。
私も隣の佐藤先生に話しかける。
「どうなんでしょう。実際私も大鷲先生に殴られたことぐらいはあるんですが、別に今となっては恨みもなにもありませんし…。」
「そうなんですか?私はされたことがないので、よく分かりませんけど。…でも、やっぱり傷付く子もいるんじゃないですか?」
ここで、手を上げて最初に発言したのは、大鷲先生だ。
「俺は、場合によっちゃあっても仕方ないと思ってる。そういう厳しさも選手の成長にとっては必要なんだ。」
「はい。」
西谷先生は笑顔で答えるだけで、反応は特にない。
「『監督は嫌われてナンボ』という言葉もある。監督が選手にとっての畏怖の対象になることで、選手も真剣に練習するようになるんだ。」
「ふーん。じゃあ、次の方。」
大鷲は西谷先生の態度にムッとする。悪気があるのかは分からないが…。
「わ、私は体罰は絶対に良くないと思います。」
次に発言したのは、小太りの男性だ。おどおどとした雰囲気で、話し始めた。
「体罰を受けた子が精神的に傷ついて、心身ともに良くない影響が出ることも決して少なくはないと思います。えっと、た、例えば、七年前に私が勤めていた学校では、部活がつらくて不登校になった子がいます。こ、高校生と言ってもまだ子供で、不安定な時期です。体罰に耐えうる人ばかりではないと思います。」
「なるほど。」
「では、私の意見も言いましょう。私は、体罰は絶対にするべきではない、そう思っています。」
「ほう。」と、大鷲先生。
「バスケットボールにおいて、選手を成長させる為に必要なもの、それは何だと思いますか?」
少し間があったが、誰も返事はしない。大鷲先生も腕組みをして見ている。
「私は、この三つが大事だと思っています。それは、自尊心、思考の柔軟性、そして想像力です。自尊心がある選手ほど、自信を持ってプレーをします。まあこれは私の経験上の話ですが、他の人の顔色を気にせず、自分のしたいことをする選手は、伸びます。逆にいつも遠慮がちにプレーしてる選手は今一つ伸びませんね。」
「次に、柔軟に物事を考えることが出来れば、選手としてより一層成長します。監督や仲間からのアドバイスを真摯に受け止めたり、何か行き詰まった事があればやり方を変えてみるなど、自分を変えることを怖がらない選手も、成長していくのが早いですね。ちなみに、自尊心ばかりあって、思考の柔軟性に欠ける選手は自分勝手で伸びません。」
「さらに、想像力があれば、相手にどんなフェイクが有効かとか、味方や敵がどう動いて行くか、どのプレーを選択するのが正解か、などを自分で考えながらプレーができます。また、決まった型に囚われずに、自分の発想で動くことができます。様々なプレーを経験することで、スキルを磨いていくことが出来るので、これは、選手の成長にとって、非常に大事なことですよね。監督に指示されたことをするだけでは、大きな成長は見込めませんから。私は、想像力が最も大切だと思っています。」
西谷先生の話し方は、今までとは全く違う、流暢なものだった。一瞬、本当に西谷先生が話しているのか疑ったほどだ。
西谷先生は少し間を空けてから、悲しそうな顔になって言った。
「そして…、体罰は、これら全てを選手から奪ってしまうのです。体罰で選手は自分を抑えられ、むりやり考え方を押しつけられ、どうすれば殴られないかを考えた結果、監督の指示に従うだけのロボットになってしまうのです。」
「ちょっと待ってくれ。」
声の主は、案の定大鷲先生だった。
「別に俺は体罰で選手を締め上げてるわけじゃない。まあ体罰を使うべきだなんて言うつもりはないが、体罰も、使いようってことじゃないのか?」
「どう使うんですか?」
「例えば、体罰は、練習をサボったりだとか、いい加減なことをしている奴に使うんだ。体罰なんて誰だってされたくない。されたくなからこそ、必死に練習するんだ。」
「先生、それは間違ってますね。」
そう言って西谷先生は、鼻で笑った。
「体罰なんて使わないと真面目に練習もできないような環境を作ってしまっている時点で、指導者としての資格はありませんよ。そもそもそういう選手は監督の見てないところでサボろうとするので、結局上達しませんから。」
大鷲先生は、チッと舌打ちをして後ろを向いた。私と目が合う。
おい、黒沢。お前も何か言え。…そう目で言われた気がする。
「ちょっと、良いですか。」
勇気を出して、手を挙げる。
「はい。」
「私は西商の新しい監督になった黒沢です。どうもよろしくお願いします。」
そう言って一礼。
「私は昔大鷲先生の教え子でした。当時、実際に大鷲先生に暴力を振るわれて、本当につらくて、辞めようと思った時期がありました。大鷲先生から『やる気がないなら辞めろ!』と言われたことさえあります。」
大鷲は再び前を向いた。話しやすいようにという配慮だろうか。
「しかし、反骨精神といいますか。辞めろと言われると、何故か辞めたくない。辞めなかったら先生も自分を見直すだろうか。そんな感じに思いまして、結局三年間続けました。」
「辞めたいと思っていた時期を、一度乗り越えると、人間は強いものです。なんとしてでも続けよう、先生を見返してやろう、そう思ってがむしゃらに練習しました。結局練習のしすぎで怪我をしてしまいスタメンになることはありませんでしたが、先生にあんな風にきつく当たられなければ、こんなにバスケットボールに打ちこむこともなかったと思います。ある意味では、体罰があったからこそ、今の私があるんだと思います。私は決して体罰に賛成ではありませんが、そういうケースもあると、知っておいてもらいたかったので、話させていただきました。聞いていただきありがとうございます。」
結局、その後は何とも言えない雰囲気のまま、簡単な質疑応答や、ルールの再確認などが行われて、今回のコーチクリニックは終わった。
帰り際に佐藤先生に良い話でしたと言われたり、大鷲先生にお前はドMなのかとか言われたりしたが、思った通りのことを言えたのは満足した。
難しい問題だが、正解不正解があるわけではない。子供の扱いにマニュアルなんてないのだから。ただ、少しでも子供の気持ちを読み取り、それに合った指導をしていくことが、良い指導者への道だろう。そんな思いで、山岡大学を後にした。
35
「よーし五分休憩だ!フリースロー二本決めた者から休んでいけ!」
「お、おい早く打て!俺はトイレに行きたいんだ!」
「急かさないでくださいよ!あ、外れた!」
コーチクリニックが終わり、今はもう五月の終わり頃だ。夏の県大会の地区予選は六月の中旬から始まる。もうほとんど時間はない。
体育館の気温は、前と比べてどんどん上がってきている。夏がすぐそこまで来ているのが分かった。
今までの練習は、春大会で課題だったフリースローの確率を上げることと、暑い時期に走り続ける体力を養うことを重点的に練習した。また、クリニックで西谷先生が言っていた、「自尊心、思考の柔軟性、想像力」の話を聞かせたりした。
また、県内の高校と練習試合を二回ほど組んだ。どちらも弱小と呼ばれるチームだった為、西商が圧勝した。本当は南北ともう一度対戦したかったが、南北の監督が変わるごたごたのせいでその希望は叶わなかった。
休憩時間、ダンクコンテストなどと言って能勢と大賀がダンクの練習をしている。元気な奴らだ。
大賀は一本も成功していなかったが、能勢は長い腕を活かしてツーハンドダンクを叩きこんでいた。助走さえあれば能勢はダンクができるようだ。
…どう考えても地区予選二回戦で終わらせていいチームじゃない。次の夏大会では絶対に結果を残さなければ。
不意に教官室のドアが開き、佐藤先生が顔を覗かせた。
「黒沢先生、お電話です。」
「あっはい。今行きます。」
電話の主は、正心高校の庄先生だった。
「どうもお久しぶりです。えっとですね、夏大会も近いということで、最終調整ってことで練習試合をしたいんですよ。もしよろしかったら受けて頂けないかなと…。」
「練習試合ですか。いいですよ!いつぐらいなら都合がいいです?」
「えっとですね…。」
練習試合を最後に一度行っておきたいというのは、こちらとしても考えていたことだった。ただ、正心高校は確かこの前バスケ部ができたばかりと聞いたが、初心者集団だとするとあまり良くないかもしれない。初心者とやって怪我をされても困るし、またこちらが怪我をするのも怖い。
しかし、対戦高を選り好みできるような身分ではないし、正心の子が初心者と決まっているわけでもない。気をつければ大丈夫だろう。私はこの練習試合を来週の土曜日に受けることにした。
「集合!」
部員を集める。
「おい、柳と五島はどこに行った?」
「先生が休憩時間が終わっても教官室から出てこなかったので、どっか行っちゃいましたよ。」
「どうせ部室だ!連れ戻して来い!」
…しまった、まずこの辺を指導するのが先だっただろうか。
「来週の土曜、正心高校と練習試合をすることになった。さほど強い相手ではないが、怪我だけは絶対にないようにプレーするように。」
「正心高校ってバスケ部ありましたっけ?」
「今年からできたらしい。」
「へー。」
ちょっと空気が緩むのを感じた。どうせ弱小だと考えているのだろう。
しかし私はこれをただの練習試合で終わらせたいとは思っていない。
「では、練習再開!ツーメンからの二対二だ!…あと能勢、ちょっと来い。」
「はい?」
能勢はおどおどとしながら歩いてくる。他の部員達は、練習に戻っていく。
「な、何ですか?」
「お前に課題を与える。一つは、次の試合でダンクを最低一回はすること。」
「えっ?」
「二つ目は、六十点以上得点すること。いいな。」
「ええっ!?」
「ただしこの話は他の部員にはしないこと。」
西谷先生の話を思い出す。能勢に足りないのは、自尊心だ。能勢は自分のプレーにもっと自信を持っていいのだ。スコアラーとしての能力は十分にあるのに、自信の無さがそれを打ち消している。また、周りの選手に遠慮しすぎている。
弱気であったり、遠慮する気持ちが少しでもあれば、60点を取るなんてことはできない。ある意味、これで吹っ切れてほしいと思っていた。
「ちなみに達成できなかったら、今後一週間筋トレだけさせるから。」
「ええー!」
ちなみにダンクを条件として言ったのは、ただ単に私が見たかったからだ。
36
正心高校との練習試合を翌日に控えた金曜日の学校。放課後に、教員室で授業で使うプリントをまとめていると、柳が訪ねてきた。
「あの…すんません。」
「どうした?」
「えっと…明日の練習試合、休ませてもらえませんか?」
柳はいつものへらへらとした顔を止めて、申し訳なさそうな表情をする。
「…また家の手伝いか?最近多いみたいだが、何か大変なのか。」
「ええ、ちょっと。」
柳はちょくちょく家の仕事の手伝いという名目で練習を休んでいる。そうした理由があれば無理に練習に参加させることはできないので、今までそれは許してきたが、最近その休みの頻度が増えているのだ。
「助けられることがあったら、何かしてやるが。」
「いやいいです。こっちの問題なので。」
いつものことながら、柳はそれ以上のことは何も言ってこない。教員としては何かしてやりたい気持ちはあるが…。
「まあ、分かった。大変だろうが、頑張れよ。」
「ありがとうございます。」
柳はそそくさと教員室から出ていく。
…サボりの口実でなければいいのだが。柳は見た目から軽薄そうなイメージがあるので、ふと疑ってしまうが、部員を信じないわけにはいけない。自分にそう言いこませて、再びプリントをまとめる作業を始めた。
そして土曜日。試合会場は西商ということになったので、正心高校の選手たちが訪ねてくる形だ。部員達を早めに体育館に来させ、ベンチや得点版をセッティングする。
しばらくすると、学校に大型の車が乗り込んできた。運転手は庄先生ということが分かったので、来客用の駐車場へと案内する。
「本日はどうもよろしくお願いします。」
「こちらこそよろしくお願いします。…ええと、まだ来ますか?」
「いえ、これで全員です。」
車から出てきたのは、庄先生を除くとたったの五人。やっとバスケができる人数だった。
「…五人、ですか。」
しかも、一人を除いて皆小柄、というか細い体つきの選手ばかりだった。これは…。
「すみません、四月からできたばかりなので。」
「あ、いえいえ。…体育館はこちらです。」
選手たちは二階で着替えるように指示し、庄先生と私は教官室へ入った。
「四月からできたばかりというのは、先生が作ったという意味なんですか?」
「いえ、あの子たちがバスケがやりたいと私に言って来たんですよ。うちはがちがちの進学校なので、運動部はバドミントンとか卓球くらいしかなかったんですね。」
そんな学校もあるのか…。
「彼らは経験者なんですか?」
「ええ、一応…。と言っても公園で遊びでやっていたぐらいみたいです。中学校の頃にあるマンガを読んで興味を持ったらしいですよ。」
「何て名前のマンガですか?」
「ええと、なんでしたっけ…スライムダンク?みたいな名前の。」
「な、なるほど。」
ぷっと私は吹き出した。スライムダンク。ピキーとか鳴きながらボールの代わりにされるスライムを想像してしまった。
「私はあまりバスケに詳しくないので、ちゃんとした指導はできていませんが…、でも、走らせることだけなら十分にやらせましたよ。走りっぱなしのスポーツだと聞いていたので。…そもそもあの子たちはバスケが大好きみたいなので、特に何も言わなくてもストイックに練習してくれていましたが。」
「なるほど…。十分でしょう。バスケが好きなら、きっと成長しますよ。」
「そうですか。まあ、指導法などはこれからも勉強ですね。」
「ええ、お互いに。」
年が近いのもあってか話が合い、二人でそれから少し話しこんでしまった。
しばらくして、正心高校の選手が教官室に入ってきた。
「先生、まだですか?」
「ああ、今行く。あと、その前に黒沢先生に挨拶をしなさい。」
「あ、はい。」
教官室に入ってきたその選手は、五人の中で最も体の大きい人だった。体つきも一回り違うようだ。
「正心高校で一応キャプテンやってる鯉幟と言います。本日はよろしくお願いします。」
こいのぼり君か…、珍しい名前だ。
「よろしく。怪我だけはないようにしましょう。」
「はい。」
そう言って鯉幟は一礼し、教官室から出て行った。
「黒沢先生、とりあえず最初は合同練習という形でいいですか?どんな練習をやっているか見せてもらいたいので。」
「ええ、分かりました。」
まず体をあっためる為に軽いランニング。コートを五周ほどしてから、ストレッチ。時間を20分程、たっぷりと取る。
そして、フットワークの練習だ。四月の頃と比べると随分動きが良くなってきた気がする。
次はハンドリングの練習だ。まずエンドラインに並び、一人ずつドリブルを突きながら走りだす。バックコートのフリースローサークル、センターサークル、フロントコートのフリースローサークルを回り、レイアップでフィニッシュ。
これは、スピードが出た状態でのドリブルの練習だ。また、サークルを回りながら走るのは、思ったよりも体の筋肉を使う。
これを右ドリブル、左ドリブルの両方をこなすと、今度はオールコートの1on1。この辺りから、藤原や五島などがスタミナ切れをおこしてくる。しかし、ここで休ませては意味がない。
「ほら、頑張れ!」
発破をかける。正心の選手たちも緊張もあってか少し疲れているようだったが、ここは心を鬼にする。
オールコート1on1の練習を終えると、スリーメンを始める。これは、エンドラインに三人立ち、パス交換をしながらコートをサイドラインを往復しながらボールを運ぶ練習だ。とりあえず、結構走る練習だと想像して貰いたい。
「パスは走ってる人の前に出すんだ。飛び付かせろ!」
こうした速攻の練習を、南北に負けた日から繰り返していた。おそらく南北ほどではないが、前と比べれば随分走れるようになったはずだ。
スリーメンを終えると、フリースローを打たせ、二本決めた人から休憩だ。フリースローが下手な藤原や大賀は休憩時間が短くなってしまうのだが、二人にはここから向上心を持ってもらいたい。
「ただ走る練習と言っても、やり方がいろいろあるんですね。」
庄先生が何やらメモを取りながら、話しかけてきた。
「そうですね。ドリブルやパスを交えて走るのは、バスケの練習としては一般的です。」
「そうなんですか…。私はただ走らせればいいのかと。」
「ダッシュをひたすらやらせる、とかをされたんですか?」
「そうですね、1セット30往復ぐらいをやらせてましたね…。」
えっ?30?
庄先生、部員達死にますよ、それ。
37
休日は体育館を四時間は使える。最初の二時間はアップ、練習に使い、それから試合をして、それが終わればダウンをして終了という流れで行く予定だ。
走る練習を終わらせると、キャッチ&シュートの練習や1on1,3on3などの練習をした。
「じゃあ、そろそろ試合を始めましょうか。」
「そうですね、そろそろ…。」
正心
松田158
中原165
山口170
飯見171
鯉幟186
西商
田部160
小町172
小倉177
大賀184
能勢186
「能勢、この前言ったこと、忘れてないよな?」
60点、取ってこいと言ったことだ。能勢はコクリと頷く。
前半の練習の時間で分かったが、能勢のマッチアップとなる鯉幟も、体は大きいが決して上手い選手ではない。
能勢にその気があるなら、決して無理ではないはずだ。
試合が始まった。ジャンプボールは余裕で能勢がはじく。
「ヘイ!」
すぐにボールを要求したのは小倉だ。うちはまず小倉のアイソレーションからオフェンスを始めることが多い。
「ヘ、ヘイ!」
しかし、能勢が小倉のいるサイドのローポストで面を張った。攻める気まんまんだった小倉が動きを止める。
「珍しいな、能勢が…。しゃーねえな。」
小倉は能勢へとパス。
能勢はドリブルをしながら、体を押し付けて鯉幟を押していく。
すると、小町がゴール下へと飛び込んできた。完全フリーだ。
「やっべ!」
鯉幟がパスコースをふさごうとした隙に、能勢がその場で振り向いてシュート。これが決まる。
(いつもの能勢なら鯉幟が反応する前に迷わずパスするよな…。)
西商の選手たちが違和感を抱いたまま、試合は進んでいく。
能勢はそれからもボールを貰ったら、パスを全く返さずに攻め続けた。
アウトサイドからのジャンプシュート、振り幅の大きいクロスオーバーからのドライブ、フェイダウェイやステップスルーなどバリエーションの多いポストプレーなど、能勢の多彩なオフェンスの前に鯉幟は為す術もない。また、鯉幟はスクリーンアウトの技術も乏しく、能勢はオフェンスリバウンドでも腕の長さを活かしてボールを奪い、貪欲にゴールを狙った。
(上手すぎる…!どうやったら止められるんだ!)
結局、能勢は前半だけで40点を荒稼ぎした。試合は61-25で西商が圧倒していた。
ハーフタイム。
「田部、ボールが能勢ばっかりに集まってるから、もっと散らしていこうぜ。」
小倉がそう田部に言う。
「そうですね。」
「えっ。」
能勢が困ったような顔で田部を見る。
「何だ能勢、まだ点が取りたいのか?ちょっと前半のお前はワンマンすぎただろ。どうしたんだよ。」
「いや、えっと…あの…。」
能勢はちらっと私の方を見た後、
「今日は点が取りたい気分っていうか…。」と言った。視線がふらふらと泳いでいる。チームメイトに私に言われたことを教えるな、と言ったことを気にしているようだ。
「練習試合だぜ、セットプレーの練習もした方がいいだろうし、皆やりたいプレーとかあるだろ。」五島が言う。
「大体、あいつら相手ならいくら点取ったって仕方ないだろ。」
「ん…。」
能勢はそのまま、黙ってしまった。
「まあそういう事で、もっとボール散らしていこう。それでいいですね、監督?」
「ああ…。」
私は、別に能勢に60点取れる得点能力があるかどうかを知りたいわけじゃない。彼のアンセルフィッシュな性格を、バスケをしている間だけでも変えてみたいのだ。だから最後までセルフィッシュなプレーができるなら、60点取れるかどうかはどうでもよかった。
しかし、ここでチームメイトの声に引っ張られてしまうようなら、前半の頑張りはただ私の声に従っただけだ。彼の性格に変化はなかったということだ。
「庄先生、あいつ、どうやったら止められると思いますか?」
正心ベンチ、監督を含めたった六人のメンバーで話し合う。
「外から見てて分かったが…。鯉幟、お前の身体能力なら決して能勢君にも負けていない。技術の差だけだ。」
「その差をどうやって埋めればいいんですか。」
「能勢君の動きを観察してみろ。彼のプレーから学んでいくんだ。今日は勝てないかもしれないが、この試合を次に繋げて行けるはずだ。」
「また、能勢君の動きに癖が無いかも観察しろ。次に相手が何をしてくるかを読むんだ。お前らなるできる。お前らが他のチームに自慢できるものがあるとすれば、ただ一つ。ここだろ。」
庄はそう言って自分の頭を指差した。
38
西商対正心。61-25で西商リードの状態で、3Qが始まる。西商は小町を五島、小倉を中野、大賀を藤原にメンバーチェンジした。正心高校は部員が五人しかいないので、そのままだ。
「控え起用ってのはイラつくが、これからは暴れさせてもらうぜ。」
五島はボールを持つとノーフェイクでドライブを仕掛ける。それでもマークマンの中原を一瞬で抜き去り、ヘルプが来る前にレイアップを決めた。
(速い…!)
中原はそれからも五島を止められない。ドライブでディフェンスを切り裂きながら貪欲にゴールを狙った。
また、藤原も好調だ。ローポストでボールを貰い、体重差を活かしながら押し込んでフック気味のシュートを打つというパターンで得点を重ねた。
(まずいな…後半が始まって五分立つのにまだ一点も取ってない。このままじゃ60点なんて取れないぞ。)
能勢は焦る。このまま行くと今後一週間筋トレ地獄が約束されている。
しかし、ハーフタイムでパスを回していくと作戦を決めた為、我が儘に得点を取りに行くなんて、自分にはできない。能勢はエゴイストになりきれない自分を責めていた。
(あ…そうだ。)
田部がショットクロックギリギリでスリーを放つ。これはリングに当たって外れた。
(自分でリバウンド取れば…!)
能勢は鯉幟の前に回ってスクリーンアウトで鯉幟を押し出す。長い手を伸ばしてボールを掴んだ。そのままシュートに行く。
「シャッ!」
同時に鯉幟も跳んだ。そして、能勢の放ったシュートを弾き飛ばす。
「うわっ!」
能勢は思わず転ぶ。
弾かれたボールは正心の中原が取った。鯉幟はそのまま速攻に参加する。
(五人でやってるのに、全然足が衰えてないな。これだけ暑いのに。)
中原は前を走る松田にパスを出す。ここは五島が止めるが、松田はふわっとしたパスを上げる。
このパスを取ったのは、鯉幟!そのままタップしてシュートを決めた。
「足速え…。」
ベンチの小倉を驚いている。先ほどの打点の高い能勢をブロックしたこともあり、かなり運動能力の高い選手だということが分かった。
田部とのピック&ロールで、再び能勢に得点のチャンスが来た。背中側には鯉幟。
能勢は一つシュートフェイクを入れる。これにつられて、鯉幟は思いっきり跳んだ。
「あれっ!?」
鯉幟が落ちてから能勢は跳び、落ち着いてシュートを決めた。
(やっと二点…。)
もう残り時間は4Qを合わせて13分しかない。
「ああ、なるほど、なるほどなあ。いいなそれ。」
鯉幟はやられたにも関わらずしきりに感心している。
(あと、膝を曲げたまま落としてない時はフェイクか…。膝を落とすタイミングさえ合えばブロックできる。)
だんだんと、西商のパス回しはあまり上手くいかなくなってきた。出ずっぱりの田部や五島、藤原の体力が切れてきたことが大きい。単調な外からのシュートが増えてきた。
五島のスリーが外れ、藤原、能勢がリバウンドに行く。藤原がボールをチップして、能勢の方に弾くも、能勢は鯉幟のスクリーンアウトで動けない。
(今までスクリーンアウトなんてしてたっけ?)
結局鯉幟がリバウンドをキープ。
西商が攻めあぐねている間、中原が連続でスリーを決めるなど、正心は得点を重ねる。
そして、鯉幟が今度は能勢にポスト勝負を仕掛けてきた。鯉幟はスピンムーブでエンドライン側を攻め、強引にゴール下でポジションを取った。
そしてシュートフェイク。これには能勢も引っかからない。
能勢が跳ばないのを見るや今度は後ろへピポッドをしてシュート。能勢が跳んだが、鯉幟はシュートの構えだけで跳んでいなかった。能勢との接触を受けながら強引にシュートを決めた。バスケットカウントワンスローだ。
「良しっ!」
鯉幟はガッツポーズ。76-45と点差は開いているものの、嫌な流れになってきた。
能勢がローポストで再びボールを持つ。右、左と肩でフェイクを入れて、左へターンしてフェイダウェイを放つ。
(このプレーも、前半でも見たぞ!)「おらッ!」
能勢のポストフェイダウェイにも、鯉幟は触ってきた。そして能勢をスクリーンアウトして止める。軌道が逸れてリングの手前で落ちたボールは飯見が取った。
「また…!くそっ!」
能勢が珍しく怒りをあらわにする。
「大賀でもあんなブロックはできねぇだろ。」
「うるせぇな、できるよあのぐらい。」
また小倉と大賀が何か言いあっているが、実際能勢のフェイダウェイがブロックされるのを見るのは初めてだ。
(もしかしたら…とてつもない逸材かもしれない。)
私は鯉幟を見ながら、そう思った。
「よし鯉幟いいぞ!その調子だ!」
「うっす。結構、能勢のプレーも掴めてきました。」
正心ベンチでは庄先生が嬉しそうにしている。
結局能勢の得点はほとんど鯉幟に止められてこのクォーターは四点に終わった。
「あいつ、試合中にもどんどん成長してるみたいだな。まさに鯉幟だな。鯉が滝を登って竜になっていくみたいだ。」
五島がそう言って茶化す。
「どうする能勢、もう交代するか?」
私はそう能勢に聞く。
「いや…まだやります。」
「しかし、多分あいつはお前のパターンを読んで来ているんだろう。お前を出し続けるのもどうかと思うが…。」
能勢は少し間を空けて、こう言った。
「お願いします、やらせて下さい。絶対に勝ってきます。」
「よし。」
私は笑った。
暑い盛りの体育館。ひと際涼しい風がぴゅーっと中に入ってきた。
39
「お願いします、やらせて下さい。絶対に勝ってきます。鯉幟君に」
「能勢、お前な…。」
小倉が食ってかかろうとしたが、大賀が制する。
「いいだろ。この練習試合くらい能勢の好きにやらせれば。」
「お願いします、小倉先輩。」
「…まあ、いいけど…。」
小倉は仕方ないという表情で、こう続けた。
「でも一つ言っておくけど、俺は別にお前がエースだって認めるわけじゃないからな。」
「僕も自分がエースだなんて思ってません。でも、鯉幟君に負けたまま終わりたくないです。」
「わかったわかった。」
小倉が手をひらひらと振る。すると、4Qの開始を告げるブザーが鳴った。
「小倉、何か偉そうなことばかり言っとるが、名ばかりエースにならないように気をつけろよ。」
大賀がぼそっと小倉に話しかける。
「あ?」
「俺の感じた限りじゃ、お前と能勢、どっちの得点力が上とも分からん。もしかすると既に能勢の方が得点力は高いかもしれんぞ。」
(…そんなこと、分かってんだよ。)
小倉はそう考えたが、口には出さない。口に出せば本当にそれを認めてしまいそうになる。
81-52、西商リードから4Qが開始された。
(この10分で16点も取らなきゃいけないのか…。攻めのパターンを増やさないと。)
この試合で60点を取ることを命令された能勢は、まだ44点しか取っていない。
(あれ、ダンクしてこいとも言われたっけ?)
西商はメンバーをスタメンに戻した。
(柳がいないと、PGを任せられる選手が田部しかいないのは気になるな…。)
ここまで田部は出ずっぱりだ。しかし、小町はそれほどスピードやハンドリングがあるわけでもないし、五島にゲームメイクなど出来るわけがない。仕方なしにも田部を使い続けるしかなかった。
正心ボールからゲームが再開した。
正心のPG、松田がドライブを仕掛ける。田部は既にかなり疲労しているようで、簡単に抜かれてしまう。すぐに能勢がヘルプに行く。
ここで松田が浮いたパスを出す。このパスの先には、全力でジャンプした鯉幟!
「うおおッ!」
ガシャッ!
鯉幟は空中でボールを取り、リングに叩きつける!
…そう、文字通りリングに叩きつけて、ボールはサイドラインの方へ飛んで行った。鯉幟はバランスを崩して転倒する。
「あーくそ!おっしー!」
あわやアリウープダンクが成功していたというプレー。鯉幟は倒れたまま、悔しそうに手を叩いた。
「それで良いぞ!存分にやってこい!」
正心ベンチで庄先生が声を出す。
これまでの動きを見るに、正心は一人ひとりの技術は拙いがパスを使った連携を取るのは得意そうだ。
鯉幟しか良い選手がいないという訳ではない。PGの松田は小柄ながらかなりのクイックネスがあるし、SGの中原はフォームは変だがなかなかシュートが上手い。SFの山口はガリガリだがハンドリングは悪くない。PFの飯見はインサイドプレーヤーとしてはサイズはないが身体能力が高そうだ。一長一短、なかなか楽しそうなチームではないか。
(二年後が楽しみだ。)
西商のオフェンスでは、スリーポイントライン上に立った能勢にパスが入る。
(外もあるからな…離せねえ。)
鯉幟は能勢に密着するようにディフェンスをする。
能勢はジャブステップで鯉幟と少し距離を取らせる。そして、ドライブすると見せかけたワンドリブルから、少し下がってスリーを放つ。
これはリングに当たって外れる。鯉幟はホッとしたが、このリバウンドを取ったのは大賀!すぐにゴール下シュートをねじ込む。
「能勢、ガンガン行け!外しても俺が取ってやる!」
「は、はい。」
大賀が尻を叩かれながら、能勢はディフェンスに戻る。
(能勢が鯉幟を外に釣りだせば、もう正心にリバウンダーはいないのか。)
正心のPFは171cmの飯見。インサイドでは明らかにこちらに利がある。
正心がオフェンスをまた失敗すると、ボールは再び能勢へ。
先ほどと同じようにスリーのラインに立ち、ジャブステップ。足と体を少し前に倒してドライブすると見せかけ、また戻すというステップだ。これを二回した後、ジャブステップをした足を戻さずにそのままドライブ!
「やべっ…!」
先ほどと同じようなシュートを警戒したせいで、鯉幟はついていけない。こうなれば能勢はほぼノープレッシャーだ。能勢は冷静にレイアップを決めた。
(なんだかなあ。)
これまでの能勢のプレーに、少し別の感情を持つ者がいた。小倉だ。
(能勢は味方で、あいつが活躍するのは別に俺に損があるとかそういうわけじゃないんだが…何か気に入らない。)
(あいつのシュートが外れて欲しいとすら、ちょっと思ってしまった。今まで味方に対して、…大賀に対してだってそんなことを考えたことなんて無かったが…。)
「痛ッ!」
鯉幟が強引に能勢にブロックに行く。能勢はその手を左手で制しながら、右手でフック気味のシュートを放った。ファールの笛が鳴ると同時にボールがゴールに吸い込まれる。ボーナススローも決めて、能勢は49点目。
「すげえな、能勢…。」
ベンチでは藤原が感心している。
(あと11点…。)
正心のオフェンスでは、山口がスリーを打つも外れる。しかし、鯉幟が能勢を完璧にスクリーンアウトで抑えてペイントエリアから押し出し、オフェンスリバウンドを取ってシュートを決めた。
「おい!何やられてるんだ!」
「すみません!」
(力じゃ負けてる…。スキルで勝負しなきゃ。)
続く西商のオフェンスで、能勢がドライブを仕掛ける。抜ききれないと見るや、ステップバックしてジャンプシュート。これはリングに弾かれて、正心ボールとなった。
「くそお…。」
正心は残り五分の時点でタイムアウトを取った。五人で戦っている向こうの選手たちの疲労は相当なものだろう。
「能勢、お前分かってるか?」
私は少し厳しい言い方で能勢に言う。
「鯉幟に勝つということは、1on1で鯉幟を打ち破ることじゃないだろ。勘違いするなよ。」
「は、はい。」
「点の取り方なんていくらでもある。」
ハイポストに立つ能勢にパスが入る。鯉幟を背にして、ゴールを横目で見る。瞬間、45度にいた小倉がゴールへカットする。そこに能勢はパス。マークマンの山口は遅れて走り出す。
「ちょ!」鯉幟がヘルプに行く。
しかし、小倉はパスを弾くようにして能勢に返す。フリーになった能勢は落ち着いてレイアップを決めた。
「山口!ボールばっかり見てるからそうなる!ちゃんとマークマンの動きも同時に見とけ!」
庄先生がもっともらしいことを言っている。バスケはほとんど知らないと言っていたが、勉強もしている様子だ。
西商の攻勢は続く。今度は大賀と能勢でダブルハイポスト。ボールが大賀に入ると、能勢が大賀から回り込むようにボールを貰いに行く。能勢に手渡しでボールを渡すと、大賀はスクリーンで鯉幟の動きを止めた。ヘルプに来た飯見は171cm。能勢はワンドリブルでゴール下まで行き、シュートを決めた。
次は田部とのピック&ポップ。能勢がボールマンにスクリーンを掛けた後、外に開いてボールを貰おうとするプレーだ。能勢は一瞬ゴールへ向かうと見せて外に出る。この動きに鯉幟は反応が遅れ、能勢はフリーでスリーを放った。このボールは綺麗な回転をしながら、小気味良い音と共にゴールに入った。
「やべえ、止められねえ…。」
鯉幟はふーっと息を吐き、庄先生の方を見る。
「仕方ない。気持ち切り替えろ!二回目は止めるんだ。」
庄先生の手にはまたメモ帳がある。これらのセットプレーも覚えようとしているのだろうか。
(そうだ、セットプレーはフィニッシュできるポイントを作り出そうとする動きだ。落ち着いて動きを見れば、相手の狙いも分かるはず…!)
西商は、今度はピック&ロールのプレーを狙う。これは先ほどのように能勢が外に開くのとは違い、中に切れ込む動きだ。今度も能勢は一旦外に開くふりを見せて、中に切れ込む。田部はすぐにパスを出した。
「そんな単純なフェイクに引っかかるか!」
鯉幟が手を伸ばして、ボールをカットする。そしてそのまま一人で速攻に行き、全速力のままレイアップを決めた。バスケを本格的に始めたのが高校からとはとても思えない走力だ。
「っしゃ行こう!まだ行けるぜ!」
残り一分で84-42。普通ならとっくに気持ちが折れてる時間帯だろうに、このハッスルは感心する…。
「田部、さっきのは自分でスリーが狙えただろ。別に全部能勢で行かなきゃいけないわけじゃない。判断を間違えるな。」
そして、田部を叱る。先ほどのピック&ロールではスクリーンで田部がフリーになったが、鯉幟はヘルプに行かなかった。それなのに、能勢にパスを出そうとしてはこのプレーを練習する意味がない。
「あと四点…。」
残り一分だ。能勢は少し焦る気持ちが出てくる。
「四点?四点ってなんだ?」
それを近くにいた大賀に聞かれてしまった。
「あっ!いや!なんでもないです。」
「ほお…。まあ大方あの先生にでも何か言われとるんだろ。60点取ってこいとか。」
能勢は目を泳がせる。このことは他の部員には言うなと言われていたことを思い出す。
「そういうことなら、任せろ。全力でサポートしたる。」
大賀はそう言って能勢の背中を叩いた。
今度は大賀のスクリーンを使って、能勢をコーナーでフリーにする動きだ。鯉幟が大賀に手間取っている内に、能勢はフリーでミドルシュートを放つ。
しかし、これは外れる。
大賀が鯉幟とリバウンドを競り合う。大賀は鯉幟より高さは無いが、腰を落としたパワフルな動きで鯉幟をバックボードの下に押し込む。
「つ、つええ…。」鯉幟は大賀の岩のような重たさを感じた。
そして、大賀は落ちてきたボールを手を伸ばしてキャッチ。そのままシュートに行くかと思いきや、大賀は能勢にパスを出した。
「決めろ!」
能勢は再びフリーでシュート。これは綺麗に決まった。
あと二点。
正心のオフェンスでは、中原が最後の反撃とばかりにスリーを決めた。そして、西商の最後のオフェンスが回ってくる。
左45度の位置で、能勢のアイソレーションだ。能勢はまだ動かない。
「絶対止める。」鯉幟は挑戦的な目つきで能勢を見る。
「いや…。」
「絶対取るから。」
残り十秒。能勢は、何とトップにいた小倉にパスを出した。
「え?」
鯉幟が呆気にとられていると、能勢は小倉の方へ走りだす。小倉はゴールに背を向けて能勢にボールを差し出す。
しかし、能勢はこれを貰うフリをするだけで、取らない。小倉を回り込むように今度はゴールへ向かっていく。
「そういう狙いか!」
鯉幟はゴールへ向かう能勢を止めようと走り出した。すると、まるで壁にぶつかったように、体が止められた。
大賀のスクリーンだ。
(結局最後まで能勢か…。)
小倉は、ゴールへ浮かせたパス。
ドンピシャのタイミングで跳んだ能勢がそのボールを掴み、ゴールに叩きこんだ。
「今日はありがとうございました。良い経験になりました。」
庄先生はぺこりと頭を下げた。
「こちらこそありがとうございます。うちの子達も何かを掴めたようですよ。」
「じゃあ今度は、また夏大会で会いましょう。」
「はい。正心とは同地区なので、地区大会で当たる可能性は高いですね。」
「そうですね。じゃ、鯉幟、最後に一言何か言え。」
「えっ?」
急に話を振られた鯉幟は一瞬驚いた表情をしたが、ちょっと姿勢を改めてから言った。
「今日はホントありがとうございました。とても成長できたと思います。大会前に西商とやれてよかったです。」
「うん。」
私は笑顔で頷く。
「この恩は、夏大会で西商に勝つという形で返したいと思います。」
「いや、それはいらんぞ…。」
そう言って全員で笑い合う。
夏大会まであと二週間。さて、どこまで調整できるか。




