第六十五話
試合を前日に控えた金曜日の練習。しとしとと雨が降っている。
雨のせいか吹奏楽部が練習している音は聞こえない。静かな校内に、ダム、ダムとドリブルの音が響いていた。
練習は普段通りのメニューだ。しかし、どうも皆声が出ていないようだ。
「よし、ここらで一旦休憩しようか。」
少し皆を休ませる為にも休憩の時間を取る。
いや、しかしこんな天気の日は、やけに眠たくなるな…。私は椅子から立ち上がり、部員達の話に交じってみた。
「遂に明日から県大会か…。緊張するなあ。」
不安がる田部をよそに、小倉はあくびをしながら言う。
「緊張したって仕方ないだろ。早くボールよこせ。眠たくなってきた。」
「あ~したてんきにな~れ、ってな。気楽にいけば良いのよ。どうせお前が出る頃には大差ついてるはずだし。」
軽口を叩いているのはやはり柳。一年生達は何かとそわそわしながら練習しているが、上級生組は流石に落ち着いているようだ。
「明日って、何試合あるんでしたっけ。」
小町が聞く。
「明日は一回戦終わらせるだけだと思うから、試合は一回だけだぞ。」
「ってことは、島上のやるのはその次の日っすか…。」
小町は独り言のように呟く。そういえば、彼にも一つ聞いておきたいことがあるのだが、いつ言うべきか…。
雨の勢いが少し強くなっただろうか。それにつられたのか、皆のドリブルの音が少し強くなった。
皆、口ではどう言っても、やはり緊張しているようだ。「口から生まれた男」などと呼ばれていたらしい柳の口数も少なくなっており、静かな雰囲気のまま練習が続いていた。
「何静かにしてるんだ!元気だせ!」
そう私が檄を飛ばしても、若干声が出るようになるだけで、数分後にはまた元通りになってしまっていた。
その中でも私が特に疑問に思っていたこと。
いつも野太い声でチームを盛り上げていた男、大賀。その彼が、練習中ほとんど声を出していないことだ。
流石にそのまま練習を続けるのも良くないだろう。私は一旦大賀を練習から抜けさせ、話を聞くことにした。
「自分の存在意義が分からんのです。最近。」
…まず彼はそう言った。
「何を言っているんだ。どうしてそう思った?」
「昨日の試合がきっかけです。190超の人達に、何もさせてもらえなかった。リバウンドも取れず、ブロックされ、ディフェンスでは楽に上からシュートを打たれて…。自信が無くなったんだ。」
「あいつらは特別だ。」
何といっても一人は実業団の選手だ。高校生にそう簡単にやられるはずがない。
「それでも、明日当たる和城や、付属には190を超える選手達がいて、そいつらとインサイドで争わなきゃならない。しかし、また昨日の試合のようにやられる、と考えたら、俺がいる意味って何なんだ、と考えてしまって。実際、昨日の試合でも途中で中野に変えられてしまったし。」
「なるほど。…大賀、いつか俺が、『ポジションに捉われないバスケ』を目指すといったのを覚えているか?」
「…ああ。ドリブルの練習とかをさせられる度に思い出すが。それが?」
「お前は自分の仕事場を自分でインサイドに限定しているようだな。」
「インサイドに限定…?」
不思議そうに、大賀は私の目を見た。
「お前のサイズは確かに、高いレベルになればなるほどインサイドプレーヤーとしては不足だろう。しかし、もしお前がガードのプレーヤーだとしたら?」
「俺が…ガード…?」
「自分のポジションを限定させて、そのことばかり練習するのは楽しくないだろう。例えば、ドリブルを身につけて強力なドライブができるプレーヤーになるとか、アウトサイドシュートを練習してシューターとして活躍するとか、そんな自分を思い描いてみろ。わくわくしてこないか?」
大賀は黙って話を聞いている。その瞳の奥に、一筋の光が見えた気がした。
「インサイドでしか仕事ができない鈍重なプレーヤーなんて、なりたくないだろ?お前の武器は、現時点ではパワフルなリバウンドとブロックくらいしかないかもしれない。しかし、お前はここまでガードの為の練習もしっかり続けてきたんだから、そこらのビッグマン相手を圧倒できるくらいのスキルは身に付いているはずだ。一度、自分の殻を破ってみたらどうだ。」
「なるほど…。」
大賀は足元に置いていたボールを拾って、笑った。
「じゃあ先生、今日は何時まで体育館が開いているんだ?」
規定では、七時で全部活の練習は終了しなければならない。しかし…。
「気の済むまでやればいい。俺が傍で教えよう。」
私もまた、彼の笑顔を見て、規定などどうでもいいくらい、楽しくなってきていた。
しかし…。
「黒沢先生!」
遠くで部員が私を呼ぶ声がした。入口の方を見ると、立っていたのは、校長先生だった。
「すみません、もっと早く来る予定だったんですが、少し遅れてしまいましたね。」
校長先生は少し頭を下げる。時計は既に六時を回っている。
私は校長先生を教官室に通し、椅子を出した。
「いえそんな。…それで、何の用でしょうか?」
「県大会出場、おめでとうございます。それで、明日がその県大会の一回戦だと聞いて、少し様子を身に来たんですよ。して、目標のベスト8に入ることはできそうですか?」
「断言はできませんが、行ける、と考えています。」
校長先生は少し笑った。しかし、目の奥は少しも笑っていないようにも見える。
「野球部の監督の小笠原先生は、この前『絶対に甲子園に行けます!』とおっしゃっていましたよ。もう少し自信のある言葉が聞きたかったですね…。」
柔らかな表情をしているが、この校長先生は不満を抱いているのは明らかだった。ここまで接して来て分かったことだが、この人はいわゆる体育会系の熱血漢が好きで、筋金入りの根性論者だ。なので、どうも私の態度が気に入らないようにも感じる。
「さて、明後日は私も試合に身に行かせてもらいますからね。」
そう言って校長先生は腰を上げる。
「そうそう、そう言えば、男子バスケ部の成績が振るわないようなら、女バスの佐藤先生に男バスの監督も兼任してもらった方がいいのではないか、という話が出てましてね…。いえ、男バスの成績さえ良ければ何の問題もないのですが。」
そして校長先生は帰って行った。私は外に出てその姿を見送る。
体育館を出ると、雨は本降りになっていた。ザアザアと騒がしく喚き立てる雨が、私の心を抉ってくるように感じた。
打ち切りになる可能性を孕みながら、県大会へ進んでいきます。




