第四十三話
「バレー部を辞めて、バスケ部に入るだと?…そんなこと、わしは絶対に許さんぞ!」
後日、高田がバレー部の顧問である伊野家に会いに行くと、伊野家はそう高田に言い放った。皺だらけの顔を一層歪ませている。
「どうしてですか?俺はバスケがやりたいんです!」
「許せるわけがないだろう。お前は、これからこの学校のバレー部を引っ張っていける選手なんだ。その才能を無駄にはできない。」
「バスケ部を引っ張ることだってできますよ。」
ちなみに今話している場所は体育館に付属している教官室だ。部屋には私と高田と伊野家先生の三人しかいない。
「そういう問題じゃない。お前は、バレーならプロだって目指せる程の能力がある。しかし、ここでバスケ部に入ってしまえばプロになるなんて不可能だ。経験、というものがスポーツにおいてどれだけ大事かお前は知っているだろう?」
「高校からバスケを始めて、NBAに入ったっていう選手だっていますよ。」
「…そうなんですか?黒沢先生。」
急に話を振られ、少し焦る。最近では、ウクライナ出身のビッグマンがそうであったような…。
「確か、いたような気がしますね。並外れた才能の持ち主だったんでしょう。」
「俺にも、そのぐらいの才能はありますよ。強豪バレー部の一選手としてプレーするより、弱小バスケ部のエースとして活躍する方が花もありますし。」
弱小バスケ部?初心者の癖にそこでエースになる?聞き捨てならないことを言っているが、彼は相当の自信家のようだ。しかし、190程の長身はバスケ部としては確かに魅力的だ。来てくれるのなら、歓迎したい気持ちはある。
「花があるとか、そういう問題じゃない。高校生だからモテたいってのは分かるが、バレー部で全国制覇を果たす方がよっぽど格好いいぞ?」
「それは肩書だけじゃないですか。バレーの試合を見るより、バスケの試合を見る方が興奮しますよ!最近、NBAの試合とかよく見るんですが、向こうのチームに面白いガードの選手がいて…。」
伊野家先生が突然ドンッと机を叩いた。高田ははっとして話を止める。
「黙れッ!お前はバレーを馬鹿にしているのか!」
伊野家先生は顔を赤くしながら怒鳴る。顔の皺が一層歪む。そもそも伊野家先生は多くの生徒から「怖い先生」との評価を受けている先生だ。学校でいきがっている生徒も、彼の前では大人しくなるというから、伊野家先生から怒鳴られて委縮しない生徒はそういない。高田も、流石に委縮しているようだった。
「スポーツってのは、人に見られる為にするものなのか?それじゃあ、お前は一体何故今までバレーをしていたんだ?バレーが楽しかったから。自分が上手くなっていくのが楽しかったから。勝つのが楽しかったから。そうじゃないのか?」
そして伊野家先生は続ける。
「何を思って急にバスケ部に入りたいと思い始めたのかは知らんが、その理由は今までバレーへ重ねてきた努力を無駄にしてもいいものなのか?俺は、お前の輝かしい未来を期待して、こうして引き留めているんだぞ。」
「……。」
高田は少し黙った後、こう言った。
「じゃあ…どっちもやりますよ。」
「何?」
「バスケもバレーも、どっちもやります。」
その言葉を聞いて、伊野家先生はふっと笑う。
「お前は知らなかったかもしれないが、運動部と運動部の兼部はできないんだぞ。」
「じゃあ、バレーは中学の頃たまに行っていたクラブチームで続けます。あそこは夜練習をやっているから、バスケ部の時間とも被らないと思います。」
伊野家先生がまた真顔になる。
「バスケ部で練習してから、クラブチームでバレーの練習?そんなことして自分の体が持つと思っているのか。」
「持ちますよ。だって、俺ですし。」
「黒沢先生、あなたのところはそんなに楽な練習なんですか?」
「えっと、多分走るだけならバレー部よりやらせます。バスケ部の練習を楽なものだと思っているなら、止めたほうがいい。」
「でも、俺なら行けますって。中学の頃だって部活とクラブ一緒に行ってたし。怪我だって一回もしたことありませんよ。」
「お前の体が頑丈なのは知っているが…、しかし、俺としてはバレー選手として大成して欲しいし、バスケを練習する時間をバレーに充てて欲しいが…。」
「まあ最近はマルチアスリートを育てようという論もありますし、バスケ部としては歓迎しますよ。かの有名な、NBAで得点王に輝いたアイバーソンも高校の頃はバスケ一筋だったわけではないし。」
私が高田に助け舟を出すと、高田はぱっと笑顔になった。
「そうですか!じゃあお願いします。」
「いや、しかし…。」
伊野家先生は苦虫を噛み潰したような顔をしている。
「…分かった、とりあえず認めてもいい。」
「やった!」
高田は椅子から跳びあがって喜ぶ。そして、鞄の中から退部届と入部届を同時に取りだした。準備の良い奴だ。
「じゃあ先生、これ受け取ってください。」
高田は伊野家先生に退部届、私に入部届を渡す。
「バスケの用意はもう出来てるんで、今日から練習に参加してもいいですよね?」
「ああ。」
「じゃ、失礼します!」
そう言って高田は嬉々として出て行った。教官室で伊野家先生と二人きりになる。
何か、気まずいな…。
「黒沢先生。」
「はいっ?」
「二つ、約束をしてくれませんか。」
「…はい、何でしょう。」
「あいつに、怪我はさせないでやって下さい。特に足は。あいつの才能は誰よりも私が知っていますから。…もう一つ、あいつにもしバスケの才能がなくて、試合にも出せないようなレベルなら、先生があいつを退部させて、うちに返して下さい。…我が儘なことを言ってすみませんが、約束してもらえますか?」
伊野家先生の語調に先ほどの厳しさはない。むしろ、我が子を労わる親のような慈愛に満ちた声だった。私としても初めて聞く声だ。
「私は彼の将来に夢を見ていた一人でね。彼は将来、バレーなら日本代表も狙える程の逸材だと思っていますよ。鍛えれば鍛えるだけ伸びていく。あいつに教えていて、私も楽しかったな…。」
「先生…。分かりました。約束しますよ。怪我に対しては細心の注意を払います。また、才能がないと見限ったらすぐに退部させますから。」
私はそう先生に告げる。そして、時計を見るともう練習が始まる時間だったことに気付いた。
「すみません伊野家先生、これから練習なので、失礼します。」
「はい。」
伊野家先生は目を閉じて椅子にもたれかかっている。私はそれを尻目に、ドアを開けてコートへ向かう。
「そうか、バスケか…。」
ぼそっと伊野家先生が呟いた。




