第三十三話
改行やスペースが、スマホからだと変に見えるのかもしれません。
「山岡県コーチクリニック」
それは、山岡県のバスケットボールコーチを集めて、講師がバスケの指導法などを教えてコーチを育成することを目的とする、講習会のようなものだ。年に1,2回は開催され、講師は開催する度変わるので、様々な話が聞ける。
私は今回が初参加だ。何の話が聞けるのか、楽しみにしていた。
「ここの三階の会議室ですよ。」佐藤先生が先導する。
山岡大学の一室を借りて、このクリニックは行われるらしい。エレベーターの前に「山岡県コーチクリニック 三階301会議室」と書いた看板が立っていた。エレベーターのボタンを押して、二人で乗り込む。
「楽しみですねー。今日の講師は誰なんでしょうか?」
「えっと、南北高校の監督の、熊代先生って聞きましたよ。」
南北高校!この前対戦したチームだ。熊代先生の威圧感のある話し方を思い出した。
エレベーターのドアが開く。会議室はすぐに見つかった。エレベーターから出て、すぐ左に曲がったところに、先ほどと同じような看板が立っていた。
「あと、このクリニックはそんなに楽しいものではないと思いますけど。」
部屋に入る直前に佐藤先生が言う。確かに熊代先生相手だと、少し緊張してしまうかもしれない。
コーチは全員で七十人以上は集まっており、会議室はすぐに手狭になった。
しばらく待っていると、スーツを着た人が二人、静かに部屋に入ってきた。大柄で彫りの深い顔をしている男性と、小柄で何故かふらふらとしている男性だ。それを受けてがやがやとしていた会議室が静かになる。
「えー、本日は当クリニックに集まって頂きありがとうございます。えー、私は司会進行を務めさせて頂きます江藤と申します。えー、まず最初一つ、残念なお話があります。」
小柄な方の男性がマイクを手に喋り始める。残念な話?
「えー、今回講師を務めて頂く予定だった熊代先生ですが、えー…教え子に体罰を振るっていたということで、処分が下されました。誠に残念なことです。そのことで、今回の講演は辞退すると、本人から申し伝えがありました。」
会議室がやにわにざわつき始める。体罰で処分?あの先生が?
「具体的に何があったんですか?」誰かが質問した。
「えー、学校で練習中に部員を殴ったりはたいたり、罵ったりしていたみたいなんですね。それを、一年生の部員が親に打ち明けて、発覚したようです。」
発覚…。普通に学校の体育館で行われていたことなのに、と少し違和感を覚える。
「えー、最近はマスコミもうるさいですからね、その親が熊代先生を転勤させるか首にしなければ、マスコミにこのことを発表すると言ったみたいなんです。えー、そして学校側は熊代先生を転勤させたというわけです。」
「そんなこと、うちもやってますけどねぇ。」
「最近の親は怖いですなあ。私の時代なんて、教師が学生を病院送りにしたなんて話も聞きましたけどねえ。」
「えー、そういう話は後にしましょう。今回は臨時として、アチーブ高校の監督の西谷翔雲先生にお越しいただきました。えー、ゴホン、お静かにお願いします。」
「みなさんドウモ、西谷です。」
大柄な男性が話し始めた。彫りの深い顔だなと初めてみた時も思ったが、良く見れば、目のあたりが異常にへこんでいる。陥没していると表現するのが正しいかもしれない。かなり特徴的な風貌だった。
「今回は熊代センセーが出てこられないと言う事で、ザンネンです。それで、体罰が問題になったというコトで、今回は体罰を巡る指導について話していきたいと思います。」
「あっちょっと待ってくれ。」
「ハイ?」
「あんたじゃない。」
声の主は、大鷲監督ではないか。席が離れていたのでよく分からなかった。
その大鷲監督が、西谷先生の話を遮って話し始めた。
「江藤さん、あんた山岡県で朝練禁止を決めた時の議会のメンバーだろ。ちょっと言いたいことがあるんだが、良いか?」
江藤は、少し眉をひそめる。江藤の返事を待たずして大鷲先生は話し始めた。
「朝練禁止をやってみて、どうだい。山岡県の学生の学力は上がったのか?」
「えー、まだ半年ぐらいしか立ってませんけど…県全体で行った学力診断テストの結果、前回より平均点が二点は上がっています。朝練禁止の効果が出たということですね。」
そう言って江藤はにっこりと笑う。しかし、大鷲先生は真顔で続ける。
「うちのバスケ部に関して言えば、全く変わっちゃいなかったがね。学校全体で見ても大した変化は無かった。」
「そういうところもあるでしょう。しかし、上がっている高校もあるのです。」
ピリピリとしたムードが、こちらに伝わってくる。大鷲先生は朝練禁止の是非について話そうとしているのか。
「そもそも平均点が二点上がったところで、統計学的には全く有意でない。」
不意に私の目の前の席に座っていた人が言う。黒縁メガネを光らせながら。
「一回のテストの平均点が二点上がったからといって、朝練禁止の効果かどうかなんてことは全く分からない。たまたまの可能性も高い。何度も検証しなければはっきりとしたことは言えないだろう。」
「えー、そ、そうですね。まだ判断できる時期ではありません。もうしばらく様子を見ないと…。」
「もうしばらくっていつまでだよ!」
ドン!と大鷲先生が机を叩いた。
「選手たちの貴重な練習時間をそんな実験みたいなもので奪うことが許されるのか。もし朝練禁止の効果が無かったとしたら、どうするんだ。選手たちが可哀そうだろう!俺は今すぐこんな馬鹿げた制度を取り消すべきだと思っている!」
大鷲先生の顔が赤くなっている。江藤はたじたじだ。そういえば大鷲先生は高血圧で悩んでいると聞いた覚えがあるが、大丈夫なのか?
「私もその意見に賛成です。生徒たちには、自分のしたいことをさせてあげたいと思います。」
そう発言したのは、決勝戦の試合を見ながら話した正心高校の監督、庄先生だ。
「俺も、そう思うけどな。」
「私も、統計学云々以前に、この制度には反対だ。」
「いや、画期的な試みなんだ。もう少し続けるべきだろう。」
「学校ごとに、成績の水準を設けて、それを下回ったら朝練禁止、それでいいんじゃないか?」
集まったコーチ達から、様々な意見が飛び出してきた。
「すごい雰囲気になってきましたね。」
佐藤先生が話しかけてきた。まったく、私の想像していたものとは違う方向にクリニックが進んでいる。
「えー、分かりました。その件はまた今度、会議に掛けてみたいと思います。」
江藤が汗を拭きながら言う。
「先延ばしにしようって魂胆だったら、許さんからな。さっさと決めろよ。」
大鷲先生が食ってかかる。
「えー、分かりました。では、クリニックのほうを続けましょう。西谷先生、お願いします。」
「みなさん、面白いコト言いますね。ちなみに私は、朝練禁止なんて話、聞いたこともなかったですね。ははは。」
西谷先生はそう言って笑った。
え?
会場内で、見事にハモった。




