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6.手袋

 一日の授業が終わって、掃除当番だったぼくが掃除を終えて帰ろうとしていた時だった。

 佐渡さんは先に帰ってしまった様なので(一緒に帰ってくれる気配すら見せなかった)、一人寂しく帰路に着こうかと思っていると、教室を出たところで「あっ」と誰かが声を上げた。

「えっと、真麻安孝って貴方?」

「あ、はい。そうですけど」

 知らない女子だ。

 肩口で揃えた髪に、赤いカチューシャを付けた大きい眼の女子。何処かで会った事があるのかなと思ったけど、全く思い当たらなかった。

「あたしは二年生の風紀委員の空弦(からつる)ひより。ちょっと貴方に用があるの、今大丈夫?」

 風紀委員? 何でまた……ぼくはこれでも自慢じゃないが毒にも薬にもならない人畜無害な普通の男子高校生を自負しているのに。

「貴方、佐渡真子と付き合ってるわよね?」

「申し訳御座いません」

 深々と頭を下げた。自分でも吃驚するくらいの社会人並の四十五度の謝罪。

 何はともあれ佐渡さんの名前が出た時点で謝っておいた方がいいと、ぼくの脳回路が弾けた。恐らくは佐渡さんが何かしたに違いない。その為の話をカレシ(笑)のぼくに訊きに来たんだろうけど、

「ぼくには佐渡さんについて話す事が出来ません。お役に立てなくて本当に済みません」

 ぼくが知っている事だろうが知らない事だろうが、勝手に話したらきっと佐渡さんがお怒りになるので、ぼくは何も言えないのデス。だけどよく考えてみると、ぼくは佐渡さんについて名前以外に知っているのは太腿の柔らかさぐらいだ。あー……思い出すと、気持ちよかったなぁ、あの膝枕。

「えっ。いや、急に何? 大丈夫、貴方?」

「あ、いや太腿が」

「えっ!?」

 彼女は慌てた様にスカートで太腿を隠す様にした。

「あぁ、いやいや違います!! 何でも無いです!! 見てたとかそういう意味の発言じゃないんです!!」

「…………」

 じっとりと睨まれた。

 そんな。ぼくは人畜無害な男子高校生なのに。

 しかし、最近佐渡さんの蔑みの目に曝され続けていたせいか、女子特有の陰湿な感じがする心に刺さる視線も不思議と辛くなかった。前のぼくだったら多分、やらかしてしまったらそのまま一日へこんで、イオ辺りに『。゜。゜(ノД`)゜。゜。』とか『(´;ω;`)』とかの慰めて構ってちゃんメール爆撃をしていただろう。十中八九『( ゜д゜)、ペッ』って返されるけど。あぁ、思い返すと全くいい友達だな奴は。死ね。

 それはそうと、強くなったんだな、ぼくは……。

 そう考えると、見知らぬ女子の軽蔑が薄く見て取れる視線すらも自分のレベルアップに感じられて気持ち良かった。

 空弦さんは「まぁいいわ」と気を取り直すと、一歩ぼくから離れてから話を続けた。

「今日貴方のところに来たのは、佐渡真子について訊きに来たんじゃないの。寧ろその逆、貴方に忠告しに来たのよ」

「……忠告、ですか?」

「そう。あと、何で敬語なの? 同じ二年生なんだからタメ口でいいのに」

「あ、うん。そうだね、何かその場のノリで……」

「あはっ。何それ、変なの。あ、それより忠告よ忠告」

 彼女は軽く笑うと、脱線し掛けた話を元に戻し、こほんと一度間を取る様に咳払いをした。

 そして言う。

「佐渡真子とは別れなさい」

 は?

「これは最初で最後の忠告」

 え?

「碌な事にならないって、断言出来るから」

 言いたかった事はそれだけ、と空弦さんはくるりと背を向けて、呆然とするぼくを置いて去っていった。


「――って言う事が昨日あったんだよね」

 昼休みに「お弁当食べましょう」とまた佐渡さんに誘われたぼくは、前と同じ様に嬉々として屋上に一緒に来ていた。昨日の出来事を話す機会だと思い、空弦さんに言われた事を話すと彼女は足を組みながら「ふぅん」と特に興味無さそうに応えた。因みにぼくは隣に座る事を許されず、目の前で地べたに座る形になっていた。この程度の扱いはもう余裕。慣れだよ慣れ。

「で、佐渡さん何か知らない?」

「知らないわ」

「空弦ひより、って名前も?」

「知らないわ」

「でも風紀委員が口出しする事じゃないよね?」

「知らないわ」

「先生とかも関係してるのかな?」

「知らないわ」

「ぼくの妹の名前は?」

唯維(ゆい)

「教えてないよ?!」

「知ってるわ」

「怖い! 怖いよ佐渡さん!」

「そんな事より」

 そんな事って。情報化社会でぼくの個人情報が守られてない事がそんな事って。

「真麻くん、私、今の話で貴方に一つ言いたい事があるの」

 佐渡さんは足を組み直して、前屈みに顎を乗せた手の甲を膝で支える。表情は変わっていないけど、明らかに雰囲気が変わっていて機嫌が悪くなっているのを表に出したのが判った。

 あ。

 やばいこれ。

 不条理が来る。

「え、ええっと何でしょうか佐渡さん……」

 何が悪かったんだろうか。空弦さんの話をする時は最大の注意を払って、佐渡さんの機嫌を損ねる部分はカットしつつ話の内容が伝わる様にしたのに。

「貴方、私の下僕の分際で何を勝手に頭を下げているの?」

 そこですか。

 佐渡さんについて問答無用で謝った事は喋らずに、普通に質問に答えられなくて軽く頭下げただけって説明したのに、そこですか。

「いや! だって、違うんですよ、人間的に普通の対おっふ?!」

 今日は顎を蹴り上げられました。

 幸いな事に舌は噛まずに済んで、ぼくは仰向けに倒れた。ぐわんぐわんと揺れる頭で頑張って顎の位置と歯に異常が無い事を確かめてどうにかこうにか起き上がる。

「口答えは認めてないわよこの愚図」

「も、申し訳御座いません……」

「判ってないわ。何も判ってないわ。貴方は自分の立場をこればかりも把握していない」

 佐渡さんは立ち上がり、ぼくの前まで歩いてくる。

「私を恋人として付き合いながら他の女子と話をするところまではいいわ、認める。けれども、主従がはっきりしている相手が居ながら、それ以外の人間に頭を下げる? 言語道断よ、この屑」

 あー、スイッチ入ってるー。超楽しそう。普段は絶対見せない可愛い笑顔になってる事気付いてるのかなぁ、佐渡さん。

 でもこの笑顔を知っているのはぼくだけで、独り占め出来ているっていうのは、それはそう悪くない気分なんだよだなぁ。暴力には反対したいところだけど、本気でやってきている訳じゃないし、嫌われているからって訳じゃないから、それを考慮すればまぁ耐えられるかな。

「えっと、許可を取ればいいんでしょうか……」

「許可? そんな訳無いでしょう」

 佐渡さんは更に歩いてきて、ぼくの足の間に爪先を割り込ませてきた。ぼくの身体を跨がずに近付けるところまで近付いて彼女は続ける。

「懇願から始めるべきよ。哀れな塵なんだから、そのくらいしないと駄目よ」

「……以後気を付けます」

 今後、こうやってぼくの知らない新ルールが随時追加されていくのだろうか。男女交際ってこういうのだったっけー……最悪、お互いに付き合う上での取り決めをするとしても、ぼくと佐渡さんの場合(一方的に)主従関係だしなぁ。

 あぁ、出来る事ならいちゃつきたい。

「で?」

「え?」

「それで、どうこの落とし前を付けるのかしら?」

 そう言いながら佐渡さんは膝を落とし、目線をぼくと同じ高さにして続ける。

「勿論、それなりの誠意のある謝罪を見せてくれるわよね……?」

 じっとぼくの眼を見つめながら、彼女は掌で軽くぼくの腹を押してきた。その手でなぞる様にあばらまで指先を遊ばせて、ぼくの肋骨の隙間を見つけると、そこに軽く押し込む様に力を込める。

「……っ」

 くすぐったい様な痛い様な感覚に僅かにぼくが身じろぐと、佐渡さんはうっとりと愉しむ様な顔で、一段ずつ階段を登る様に指を肋骨に這わせた。最初は片手でしていた戯れを彼女は途中から両手で始め、ぼくの身体で、反応で、表情で愉しむ。やがてその手が肩に辿り付くと、佐渡さんは撓垂れ掛かる様に力を入れて体重を預けてきた。されるがままにしていたぼくは、自然とそのまま押し倒される。

「ねぇ……貴方はどうやって謝ってくれるのかしら?」

 精神的な屈服から来るものなのか、ぼくの口はからからに渇いていて、何かを答えようと舌を動かしたものの、上手く喋れずにただ生唾を飲み込んでしまうだけだった。

 ぼくは。

 ぼくは、ただ、君と居られるなら、それで――

「不純異性交遊!!」

 突然、屋上にぼく等以外の誰かの大声が響き渡った。

「そこ! そこの女子生徒、佐渡真子!! 今直ぐに真麻から離れなさい!!」

 声を張り上げてつかつかとぼく達の許に歩いてきたのは、赤いカチューシャを付けた大きい眼の女子――空弦ひより、さんだった。

「真昼間から学校の屋上でいちゃこらいちゃこらするな!! 不純異性交遊!! 禁止!!」

「は……?」

「あぁ、全く真麻。昨日言ったばかりなのに、何でそう躊躇いも無く佐渡に合ってるの? 貴方馬鹿なの?」

 空弦さんはそう言い放つと、腰に手を当てて仁王立ちする。

「校内で不純異性交遊を発見した場合、風紀委員である私はそれを先生に報告する義務がある。佐渡、貴方がひた隠しにしてきた傍若無人な振る舞いも、本性もこれで全部白日の下に曝される事になるのよ!!」

 自身満々に佐渡さんを指差して言う空弦さん。何か、佐渡さんと知り合いみたいな口振りだけど……。気になって、ちらっと佐渡さんに目を遣ると、彼女はいつの間に立ち上がっていて、

「……誰、貴方?」

 素で困ってた。

 困る佐渡さん可愛い。

「なっ……あたしを忘れたというの?! あたしの十代前半の人生を滅茶苦茶にしておきながら貴方はあたしを忘れたというの!?」

 そして何かキレる空弦さん。ぼく関係無い。

「ごめんなさい、本当に誰か判らないわ」

「ほ、本気で言ってるの……? 本気で言ってるの……!!」

「本気で判らないわ、ごめんなさい」

「小学校、中学校とあれだけあたしの事を陰湿に虐め続けてたのに、忘れた……? ――信じられない、何処まで最低なの貴方」

「あぁ……ごめんなさいね。私、今まで虐めてきた人の顔とかいちいち覚えてないの。飽きたら次の人に集中しちゃって……取っ換え引っ換えで虐めてたから、もしかしたら貴方の事も何回かのスパンで虐めてたかも知れないわね」

 凄く申し訳無さそうに言ってるけど、佐渡さんマジで言ってる事最低だよ……。

「忘れるなんて許さないわよ……あたしの事を思い出しなさい! 空弦ひより!! 小学校時代に『ひよちゃん』なんて綽名で呼んで先生の前では仲良しぶってたけど、帰り道ではいつもの様に靴を隠して泣いて帰るあたしを『また靴を失くしたの? 馬鹿じゃないの』って追い討ちを掛けて、中学時代はクラスの中で巧妙に根回しをしてあたしを常に孤立させて笑いものにしたのよ貴方は!!」

 一気に捲くし立てると空弦さんは肩で息をして、ちょっと半泣きになっていた。昔を思い出してしまったらしい。

 一方、佐渡さんは言われた事を考えて思い返しているのか、暫くすると「あぁ」と手を叩いた。

「手袋のひよりね」

「思い出したのねっ!!」

 空弦さん嬉しそうだけど何か違う気がする。

「それより手袋って……?」

「真麻くん、手袋を逆から言ってみて」

「え? えっと……『ろくぶて』?」

 間髪入れずに胸倉を掴まれて六発殴られた。

「こういう事よ。幼稚園とか小学校の時に、よくやらなかったかしら?」

「……うん、やった様な記憶あるけどさ……口で言えば判るよ……佐渡さん」

 口の中が切れただけで済んだのが幸運なくらい本気で殴られた気がする……。

「だから言ったのよ真麻! そいつとは別れた方がいいって!!」

「無駄よひより。真麻くんは本気で私の事を愛してくれていて、私もまた本気で彼の事を愛しているの」

「あ、愛っ……!?」

「愛しているわ」

「そんな事真顔で二回も言うな恥ずかしい!!」

「ぼくも割と恥ずかしいです佐渡さん……」

「それよりも、随分と変わったわね、ひより。昔の貴方の方が可愛かったわ。虐めがいがある雰囲気があって」

「ふ――ふふふ!! そーよ、あたしは変わったのよ! 貴方に虐められ続けて自分を変えようと夏休みを使ってお遍路もしたし、滝に打たれる事もして、禅寺で修行もしたのよ!! あたしは強くなった! そして変わったの!! 虐められる自分から秩序を守り正す事が出来る人間として!! その甲斐もあって高校に入ってからは風紀委員にもなれたわ!!」

 ……何か台詞にエクスクラメーションマーク多い人だなぁ。

 佐渡さんは特に感想を漏らす訳も無く、ただ「ふぅん」とどうでもよさそうに答えると空弦さんに一歩近付いた。

「それで?」

「だからっ、先刻も言ったでしょう! 貴方の本性を暴く為に」

「それで?」

「え、いや……だから、その。風紀委員としてあたしは」

「それで?」

「いや、えっとですね……佐渡に仕返しをする為に」

「佐渡? 呼び捨て?」

「ひぅっ! さ、佐渡さんに仕返しする為にですね……」

「真麻くん、何でこの娘が虐められやすかったのか判るかしら?」

「えっ、突然過ぎじゃないその質問?」

「判る?」

「いや、判らないけど」

「簡単よ。『名は体を表す』とはよく言ったもので、この娘はね、物凄く『日和易い』のよ――ねぇ、ひより?」

 優しく囁く様に佐渡さんに呼び掛けられると、空弦さんはびくりと身体を動かして、恐怖の対象から目を逸らしていたが、歯を食い縛って覚悟を決めた様に向き直った。

「そ、そんな事は! あたしは修行して強くなったんだ!!」

「嘘ね」

「嘘です、はい……」

 日和った。

「い、いや! でも、修行して変わったのは事実よ!!」

「そうかしら?」

「あ、いえ、そうでもないですね……」

 日和った。

 空弦さんは何度か佐渡さんに日和らされると(変な日本語だな)、耐え切れなくなったのか途中で「くぅっ」と泣きそうな声を上げて走り去った。そして屋上の扉の前に立つと、遠くから威勢よく言う。

「佐渡!! 今日のところは見逃してあげるわ!! だけどね、貴方がもしも他に誰かを虐めようとしているのを見つけたら、この風紀委員の空弦ひより!! 絶対に見過ごさないから!!」

「行くなら早く行きなさい」

「あ、はい……じゃなくて!! あたしは貴方を絶対に許さない!!」

 言うだけ言うと、空弦さんは屋上から去っていった。

 ……で、何だったんだ。本当に何しに来たんだろうあの人は。

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