13.釘
「って、うおぉぉぉい!! 何してんのお前?!」
教室の中の空気を読まずに(正常な反応だからある意味空気は読んでいる)叫んだのはイオだった。
席から勢い良く立ち上がって、指の先から肘までを綺麗に真っ直ぐに伸ばして虚空に手の甲を打ち付ける見事な突っ込みを入れられたテロルは、不快そうな顔をする。
「何、貴方」
「何って何先生気絶させてんだよ?!」
正論だ。
正論過ぎて逆に引く。
この状況で正論を言えちゃうイオは相当イタい。
もっとこうさ、マジョリティーに溶け込もうよ日本人らしく。
そんな事を考えながら、ぼくはテロルと目を合わさない様に視線を泳がせつつ、イオとの遣り取りを迂遠に眺めていた。他のクラスメイト――佐渡さんは除く。どうでもよさそうだった――も、ぼくと同じ様にしていた。
ざっ、とテロルは一歩踏み出す。
「つまり……貴方はワタシに敵対するのね」
何でだよ。
会話の死球に思わず突っ込みそうになったが、ぐっと呑み込む。
「えっ、いや、別にそうじゃないです……」
日和んな。空弦さんかよ。
「ほ、ほらっ、お前も何とか言ってやれ真麻!!」
「巫山戯んな爆発呪文!! ぼくに振るな!!」
あ。
しまった。
つい突っ込みを……。
ちらり、と横目でテロルを見る。
「…………」
見てる見てる。凄いこっち見てる。
「そう。つまり、こういう事ね――」
テロルは目を瞑り、ゆっくりとぼくを指差した。
「貴方が、彼を尖兵として、ワタシに差し向けた」
「違う?! 何の話!?」
「見苦しい。ワタシは既に理解したわ……そう、貴方が"組織"の人間だと」
うわっ、やっべぇ。この子ガチでアレだ。
「そうと解れば、ワタシの為すべき事は一つよ。貴方という敵性存在は排除する必要がある」
テロルは教壇を降りると、僕の席に近付いてくる。腰元な手を遣り、ブレザーの中から――ナイフを取り出した。
「って、いやいやいや!? 馬鹿?! 馬鹿なのお前!? ちょっと落ち着こう? 冷静になろう? ナイフとか駄目だって絶対!!」
「ふん……貴方のその動揺が全てを物語っているわ」
テロルはナイフを顔の高さまで持ち上げ、刃の上に視線を滑らせて、切っ先で狙いを付ける様にぼくを睨んだ。
うわーい。
誰か助けて。
縋る思いで教室の中を見渡したが、皆ぼくから目を逸らした。佐渡さんは俯いて肩を震わせている。笑いを噛み殺していた。
何だこの理不尽さ。
「大人しくしなさい」
そう言ってテロルは一歩こちらに踏み込む。思わずぼくは席から身をよじったが、同時にテロルがぼくの手を取って、捻り上げた。
「痛っ?! いたたたたたたっ!? 痛い!!」
軽く捻られただけなのに、余りの事に痛みから逃れようと反射的に椅子から立ち上がってしまった。テロルはそのままぼくの背中に周り、膝を後ろから蹴って、ぼくを跪かせる。
「ふんっ、隙だらけだな。大した事も無い」
「えっ、ちょっと意味が解らないんだけど?!」
「雑魚め」
テロルがそう言った瞬間だった。
ガタン、と大きな音が鳴る。
「……ちょっと貴女、何をしているのかしら?」
佐渡さんが席を立ってテロルを睨み付けていた。
おや……、とテロルが愉快そうに言う。
「そう言う事か。呆気無さ過ぎると思っていたが、やはり黒幕は貴方だったか――この教室の中で一人だけ落ち着き払っていると思っていたが――」
「何を言っているのか意味不明なのよ中二病」
うわぁ。
言っちゃった。
「んなっ?! ちゅちゅちゅ、ちゅうにびょ」
「私の質問に答えなさい。貴方、何をしているのかしら?」
あっという間に顔を真っ赤にしたテロルに対して、佐渡さんは淡々とペースを崩さない。テロルは佐渡さんの圧倒的な――圧倒的な……何だ? プレッシャー? 圧力? ……取り敢えずSヂカラと呼ぼう――それを前にして、動揺を隠し切れていない。あぁ、我ながら何て阿呆な表現と状況だろう。
くっ、とテロルは呻くと、腕を背中に捻り上げたままぼくを教室の後ろまで引っ張っていく。
「痛い! ちょっと痛いってばテロルさん?!」
「黙れ! 貴方は人質だ、口答えをするな!!」
「また、勝手に私の真麻くんに……許さないわよ中二病患者……」
佐渡さんはテロルを一睨みする。強大なSヂカラを前に、テロルの顔が引き攣った。
ふふん。
あの程度の視線に動揺する様じゃ、まだまだだ――等と、心中で余裕をぶっこいてみる。
「真麻くん、貴方も何勝手に人質にされているのかしら……?」
「あ、スンマセン……」
テロルは静かに怒りを伝える佐渡さんを前に、抵抗する様にぼくの首元にナイフを突き付けた。本来ならば、ビビるまくる局面なのだろうが、如何せん佐渡さんが行動を起こしているせいで今一つ緊張感が無い。
そしてテロルが、
「来るな! こっちに来るな! 彼がどうなってもいいのか?!」
と叫び、件(前話)の状況に至る。
マジでどうしてこうなった。
「よくも人の事を狂っているだなんて言えたわね、中二病患者。そのナイフも本物とは言っても通販で買った様なものなんじゃないの?」
「そ、そそ、そんな事は無い! これはオーダーメイド品だ!!」
「あぁ、オーダーメイドの通販品なのね。形から入るところなんて、もう立派に言い逃れ出来ない中二病よ」
「き、貴様! この後に及んでまだワタシを愚弄するか!! だ、大体、彼を人質に取られたから行動を起こした癖に、ワタシを挑発して彼がどうなってもいいのか?! 貴様にとって彼は何なんだ!?」
「恋人よ」
うわぁ死にたい。
ずぱっと、佐渡さんは言い切った。
教室の中のざわめきが、先刻とは違うものに色を変える。恥ずかしくて死にたい。
「こ、恋人……?」
想定外の返答だったのだろう。テロルは呆然と呟く。ぼくだってこの場面で、そんな発言されるとは思わなかった。ホント恥ずかしい。
「えぇそうよ。真麻くんは私の恋人。だから勝手に彼に手を出した貴方を、私は許さないわ」
多分、『勝手に手を出した』の意味が、一般的な意味とは違うと思う。
ふっ――と、そこで何を思ったのか、テロルは勝ち誇った様に笑みを浮かべた。
「ならば、どんなに強がったところで貴様は私に手を出せないという事ではないか! 恋人という何よりも大切な者を人質に取られていると自ら吐露する等、愚の骨頂!! 貴様のその態度は全てが虚勢であると語っている様な痛いっ?!」
高らかに語っている間に、あっという間に佐渡さんに近付かれて思い切り左頬に平手打ちされるテロル。
この人、中二病とか以前にただの馬鹿なんじゃ……。
「ごめんなさい、何て言ったのかしら? よく聞こえなかったわ。私が虚勢を何ですって?」
平手打ちから立ち直り、テロルはきっと佐渡さんを睨んで、ナイフの刃先をぼくの首から佐渡さんに向ける。
「き、貴様は所詮強がっているに過ぎな――痛いッ!!」
次は右頬に平手打ちされた。
「ごめんなさい、何て?」
「う、ううっ……だから、その……痛い!? まだ何も言ってないのに!!」
「あ、ごめなさい、誘っているのかと」
うううっ、と追い詰められているのか悔しいのか、よく判らない唸り声を上げながら、それでもテロルは挫けない。
「だか」
平手打ち。
口を開いた瞬間だった。
「ごめんなさい」
とか佐渡さんは言うが、その表情は完全に嗜虐に蕩けていて、まるで説得力が無い。ぼく以外の前でそう言う顔をされたのが何か腹が立つ。
「な、何なのこの人?! 貴方のガールフレンド頭怪訝しいんじゃないの!」
「いやこれデフォだから」
「狂ってるわ日本人!!」
「うっさいわね」
最早平手打ちも口調も雑な佐渡さんだった。
平手打ちにより両頬を真っ赤にしたテロルは、戦意喪失したのか(やっとか)、涙目になってナイフを持った手もだらりと下げて、ふるふると身体を震わせていた。泣きそう。この程度で心が折れる様じゃまだまだと言わざるを得ない。
「お……おぼえ、覚えておきなさい! えーと……その……な、名前! 名乗りなさい、覚えておいてあげるわ!!」
「嫌よ」
くぅっ、とテロルは喉から声を出してそのまま泣き出した。そして脱兎の如く走り出して教室を――あ、ドアにぶつかった――出て、全速力で廊下を走って行った。
「……えっ、っていうかこの状況どうするの?」
ぼくが振り向いて訊いた時には、佐渡さんは既に自席に戻って何事も無かったかの様にしていた。
翌日、テロル――本名はアビゲイル・リストーンらしい。でも皆もうテロルとしか呼ばない――は平然と教室に来たが、森川先生は自分の身に起きた事への言及はしなかった。というかマジで記憶が飛んでいた様だ。
そして、佐渡さんは佐渡さんで、新しいオモチャを見つけた気分なのか、遠回しにテロルをイジメる事に味を占めた様だ。
それよりぼくと佐渡さんが付き合ってる事に誰も突っ込んでくれないんだけど何で?