第二十七話 意思の継承
あの大騒動から、早いもので一ヶ月程が経った。
エルディオと調査団員たちは、村人たちと協力して二週間ほどで村の復興を成し遂げると、捕らえたグロウエン審査官の部隊を伴って王都へと帰っていった。
すでに伝書鳥を飛ばして事態の概要は伝えているそうだが、魔族の暗躍という重大な一件を詳しく報告するため、かなり急いでの帰還となった。
一方、雇われの冒険者だったロクスとネアの二人は意外なことに村に残ることになった。
なんでもダイチとアステラに手も足も出ず負けたのが相当悔しかったらしく、自分たちから志願して、このコラコルン村でコボルト流の修行をさせてもらうことになったのだ。
俺自身、ダメ元でダイチとアステラに彼らの希望を伝えたのだが、なんと二人はやる気満々で修行を引き受けた。
一応、村で会合を開き二人の拘束を解くことや村への滞在を許すかを審議した。
しかし本人たちの修行への熱意を見て、特例として許可が下りたのだ。
人間が使う共通語と、喉の鳴らし方が重要なコボルト語では発音が全然違う。
けれど、ロクスとネアは身振り手振りや表情を駆使して、驚くほど上手く村人たちとコミュニケーションを取っていた。他のコボルトたちともすっかり打ち解けているのは、俺にとっても嬉しい誤算だった。
さらに意外なことに、ネアは修行の合間の余暇を使って、コボルトたちに共通語を教え始めていた。
最初は好奇心の強い子供たちが中心だったが、回を重ねるごとに大人たちも参加するようになり、今や広場はちょっとした青空教室のようになっている。
「あー、いー、うー!」
ふかふかの毛並みの子供コボルトたちが、ネアを囲んで一生懸命に口を動かしている。
ネアは、かつて俺たちを襲った時の険しい表情が嘘のように、柔らかな笑みを浮かべて彼らの発音を一つずつ丁寧に直していた。
「そうそう上手よ。……あ、ケイト」
「ネア先生。お疲れ様」
冷やかし半分でそう呼ぶと、ネアは「先生はやめてよ」と苦笑した。
「でも、助かるよ。共通語が話せれば、これから人間と取引をする時にも便利だしね」
「……私にできるのはこれくらいだから。それに、この村の子たちはみんな素直で教え甲斐があるわ」
ネアの言葉には、この村での生活を心から楽しんでいるような響きがあった。
広場の奥では、ロクスがダイチから猛烈なしごきを受けている真っ最中だ。
たまに俺も基礎訓練に参加させてもらうことがあるけれど、これが死ぬほどキツい。
この世界に来てから身体能力が向上しているのは感じていたけれど、ダイチの特訓に食らいついていけるロクスはやっぱり凄い。
紅玉級の冒険者というのは、伊達ではないようだ。
冒険者の仕組みについても、休憩がてら二人から詳しく聞いた。
大きな街には必ず一つは冒険者ギルドがあり、そこに登録して依頼をこなすことで報酬を得るのだという。 ギルドには階級制度があり、見習いの水晶級から始まり、ロクスたちの紅玉級は中級にあたるらしい。
二人のギルド証を見せてもらったら、重厚な金属プレートに本物のルビーが嵌め込まれていて、それ自体が工芸品のような価値がありそうだった。
二人は王都周辺の地図も持っていたので、羊皮紙を借りて書き写させてもらう。
出来上がった地図をじっと眺めていたら、ラディがひょこっと顔を出し、声をかけてきた。
「ケイト、どこかに行くの?」
「うん。王都っていう、この国で一番大きな街に行こうと思ってるんだ」
俺がそう答えると、ラディはギュッと俺の腰に抱きついてきた。
「……ずっとここにいるのは、無理?」
潤んだ瞳で、上目遣いにそう聞いてくる。
うっ、その目はズルい。
正直、俺だってこの村に来たばかりの頃は「ここで一生過ごすのもありかな」なんて考えたこともあった。
もふもふに囲まれた、穏やかで温かい生活。それは間違いなく、俺にとって理想の居場所だったから。
けれど、この一ヶ月半で色々なことがありすぎた。
エルシーのこと、魔族のこと、そして外の世界で起きている戦争のこと……。
何も知らなければ、俺はこのままこの村で笑っていられたかもしれない。でも、知ってしまった以上、この力を誰かのために使えるなら、俺は行かなくちゃいけないんだ。
その決心を、そのままのラディに伝えた。
ラディは俺の顔をじっと見つめていたが、やがて小さく鼻を鳴らした。
「……わかるよ。ケイト、決めた匂いがする」
どうやら、俺の覚悟は匂いとして漏れ出していたらしい。
ラディは残念そうに耳を伏せ、俺の胸に顔を埋めた。 ラディ……。俺だって寂しくないわけないだろ。
「よし! じゃあ、出発の前にまたよく燃えるドングリを拾いに行くか!」
「行く! いっぱい拾う!」
ラディはパッと顔を上げると、ちぎれんばかりに尻尾をブンブンと振った。
***
アウグレイスとリスティアナの傷がようやく癒えた頃、新設された集会所で今後の方針を決める会議が開かれた。
会場にはリューベルド先生、ダイチ、アステラ、ロッシュ、そしてアウグレイス、リスティアナ。俺とルーヴェンも席についた。
まずは村の今後について。
リューベルド先生が静かに口を開き、コボルトたちの総意を告げる。
「新たな村長は、ダイチに任せることとなりました」
コラコルン村の村長は世襲制ではない。その時、最も信頼に足り、強い者が務めるのだという。ダイチは少し照れくさそうに「よろしく」と頭を搔いた。
続いて、話題は一番の懸案事項へと移った。
アウグレイスが重々しい口調で語りだす。
「……元々、我ら調査団の指令は聖遺宝の調査であった。持ち帰ることまでは含まれていない。……だが」
彼は一度言葉を切り、真っ直ぐに俺たちを見つめた。
「聖遺宝が魔族と人間の争いを止める鍵となるのなら……。我はこれを持ち帰り、王へ献上したいと考えている」
静まり返る集会所。
リューベルド先生が、懐からあの小枝を取り出し、机の上に置いた。その姿は、未だ魔力を失ったかのようにひっそりとしている。
「この杖は、かつての戦いで荒野となったこの地を救うため、英雄ノルフェリス=ヴァルディア様が安置したもの。そしてこの村のコボルトは、共に旅をしたコボルト、クーン様の末裔であると言い伝えられています」
伝説の英雄たちの名に、アウグレイスたちが息を呑むのがわかった。
「杖と、二人の英雄、そして前の主様が長い年月をかけてこの森を育んできました。ですが……前の主様によれば、この杖はもうその役目を果たしたのだといいます。そして村長は、杖の力をその身に宿して新たな森の主となり、この杖をケイトさんに託しました」
先生はそこで一度言葉を切り、真剣な眼差しを俺に向けた。
「ですので……この杖をどう扱うかは、村長に託されたケイトさんに任せたいと思います」
ダイチやアステラたちも、当然だというように深く頷いた。
全員の視線が、俺に集まる。
俺は机の上の小枝を見つめ、ゆっくりと言葉を紡ぎ出した。
「……俺は、この杖が本当に戦争を止める力になるなら、使いたいと思う。でも俺が持ってても今のところただの枝だ」
俺は隣に座る先生を見た。
「だから……もし可能なら、その力を引き出せる先生に一緒に王都まで来てほしい。先生の力が必要なんだ」
先生は心底驚いたように目を見開いた。まさか自分がお呼びに預かるとは思っていなかったのだろう。
数秒の沈黙の後、先生は何かを振り切るように小さく笑い背筋を伸ばした。
「……わかりました。この杖の真の価値を見極めるためにも、私も協力しましょう」
良かった。
先生が来てくれたら百人力だ。
「アウグレイス、これでどうだろうか?」
俺が問いかけると、アウグレイスもまた数秒の間を置いてから
「わかった。……そうしよう。共に王都へ」
ついに、王都行きが決まった。
***
食堂は、新たな村長の誕生を祝う酒の匂いと笑い声に包まれていた。
俺は隣で美味そうに酒を煽るルーヴェンに、ふとした疑問を投げかけた。
「……なぁ、ルーヴェン。お前、いつまでその犬耳少女の姿なんだ? もう戦いは終わったんだし、元に戻れるんだろ?」
「ん〜? さあな……。我自身にもわからんが、特に不自由はないぞ?」
ルーヴェンは顔を赤くして、グビグビと景気よく酒を流し込む。
「俺は狼の姿の方がかっこよくて好きだったなー……」
本音がポロッと口から漏れると、ルーヴェンはハハハと豪快に笑った。
「案ずるな。お主の魔力がさらに強まれば、またあの勇猛な姿にもなれるだろうよ。……のう?」
ルーヴェンが視線を向けたのはテーブルの上。
木をくり抜いた小さなカップの中に水が張っていて、その中にどんぐりが、一葉の瑞々しい芽を伸ばしていた。
そのカップには革紐が付けられているから、移動中は首から下げることができる。
手先が器用なロッシュが作ってくれたのだ。
「今はエルシーの魔力が勝ってるのか」
「そうだろうな」
ルーヴェンは猪肉の煮込みを口に放りながら事も無げに応えた。
食事を終え、食堂を後にして自室に戻りまったりと過ごした。
もうそろそろ寝床に入るかと思っていたら、急にルーヴェンが立ち上り身支度を始めた。
「ルーヴェン?」
「ケイト。旅の支度は整っているか?」
「ああ、大体準備は終わってるよ。近日中には出発できるはずだ」
俺がそう答えると、ルーヴェンは口角を不敵に上げた。
「なら、今夜出発する」
「……え?」
あまりに唐突な言葉に、俺は間抜けな声を漏らした。
出発?それも今夜?
「な、なんで?」
「くく、今夜は満月だぞ?」
ルーヴェンは窓の外を指差す。
夜空には、煌々と輝く満月。
満月の夜ならルーヴェンはあの巨大なドラゴンの姿になれる。
「いや、満月はわかるけど。何も今すぐじゃなくても……」
「察しが悪いな。我の背に乗れば王都など一飛びだ。無駄な時間を省ける。行くぞ、荷物を持て」
ルーヴェンはそう言うなり、窓からふわりと外へ飛び降りた。
俺は大急ぎでザックやマントなど、準備していた物を手当たり次第掴んでルーヴェンを追った。
***
コンコン。
俺は緊張で強張る拳でその扉を叩いた。
集会所の一角にある、アウグレイスたちが滞在している客間だ。
扉が開くと、中から現れたのはリスティアナだった。
「ケイト様……? こんな夜更けに、一体どのようなご要件で?」
「悪い。アウグレイスも起きてるか?」
部屋の奥から「どうした?」とアウグレイスの声。
俺は、先ほどルーヴェンから叩き込まれた方針を思い出しながら、一気に言葉を叩きつけた。
「聖遺宝は、王には渡せない。これは人間には扱えるものではないからだ。……俺たちは、あんたたちとは別行動をさせてもらう。この村のコボルトたちは何も知らないし、この件には一切関わっていない。……いいな?」
「なッ……!? 何を……!」
驚愕に目を見開く二人を背に、俺は「じゃあ」とだけ残して踵を返した。
説明などしていたら夜が明けてしまう。
急ぎ足で階段を降り、集会所の外へ出たところで、背後からリスティアナの声が追いかけてきた。
「待ってください! ちゃんと説明をしてください!」
俺の前に回り込み肩で息をしながら立ち塞がる彼女。
だが、その背後の闇から地響きのような低い声が漏れた。
「――小娘。そこを退け」
集会所の外、月明かりの下で待ち構えていたのは、巨大な白龍の姿へと変貌したルーヴェンだった。
満月の光を浴びて白銀に輝く鱗と、圧倒的な威圧感。
「ド、ドラゴン……!? なぜ、こんなところに……!」
リスティアナが恐怖に顔を強張らせたじろぐ。その隙を見逃さず、俺はルーヴェンの元へと走った。
バルコニーからアウグレイスも飛び出してきたが、目の前の神々しい光景に絶句している。
「!? そのドラゴンは……!」
「悪いなアウグレイス! そういうことだから! あとは頼んだぞ!」
「待て、ケイト!!」
叫び声を置き去りにして、俺はルーヴェンが差し出した前足に飛び乗り、その広い背へと這い上がった。
巨大な翼が一度、力強く羽ばたく。
巻き起こった突風が地面の土埃を舞い上げ、次の瞬間俺たちの体は重力から解き放たれた。
「……まったく。めちゃくちゃですね、貴方たちは」
ルーヴェンの背の先の方、鞍の代わりに鱗を掴んで座っていたリューベルド先生が呆れたように、けれどどこか楽しそうに肩をすくめた。
先生もまた、ルーヴェンに強引に連れてこられた口だ。
「……たしかに。俺もそう思います」
俺たちは顔を見合わせ、夜空の冷たい風を浴びながらこらえきれずに笑い合った。
下界ではアウグレイスたちの叫ぶ姿がみるみるうちに小さくなっていく。
月光に導かれるように、白龍は夜の帳を切り裂いて加速した。
目指すは王都だ。




