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異世界は歩くような速さで  作者: 森野 キキ


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第二十五話 ワフデュス

 ダイチとアステラは、必死に村長へと呼びかけ続けていた。

 

「もう脅威は去りました! 落ち着いてください!」

「元に戻ってくれ村長!」


 だが、その悲痛な叫びも今の村長には届かない。それどころか村長はさらにその瞳の赤みを増し、地響きのような念話を轟かせた。


『なぜ……なぜ敵を庇う? 我が子らと言えど邪魔立てするなら容赦はせぬ!』


 激高した村長の周囲に、緑色の光の玉が無数に浮かび上がった。


『スイコウダン!』


 村長の合図と共に光の玉が八方へと弾け飛ぶ。


「グランド・ウォール!!」

 

 アステラが咄嗟に土の壁を張り巡らせたが、その物量は防壁を容易に超えていった。防ぎきれなかった光弾が着弾し調査団員たちが悲鳴を上げ、辛うじて燃え残っていた村の建築物が次々と破壊されていく。


「大変だ……。一刻も早く村長を正気に戻さないと……!」


 リューベルド先生の顔にも隠しようのない焦りが浮かんでいた。

 

「主様には俺の言葉は届いたから、もっと近くで話しかけたら村長にも届くかもしれない」

「そうですね。……ならばこうしましょう」


 リューベルド先生が提示した作戦は、極めて大胆なものだった。

 まず、ダイチと先生が正面から村長の注意を引き付け、その隙にアステラとルーヴェンが足止めを行う。

 

「足が止まって動けなくなったところで、ケイトさんが村長の頭に取り付き直接語りかけるのです」


「先生……そ、それ、俺のウェイト高すぎない?」


 思わず声が裏返った。

 頭に取り付く?

 あのキューロスを一口で丸呑みにして、ボリボリバリバリと生々しい音を立てて噛み砕いた巨大なアゴがある頭に……?

 もし失敗してあの中に放り込まれたら……。

 想像しただけで、胃の奥がせり上がるような寒気がした。


「はい。頑張ってください」


 そんな俺の戦慄をよそに、先生は爽やかな笑顔で即答した。


「な、何かこう、防御力がめちゃくちゃ上がる魔法とかないんですか?」

「それは持ち合わせていませんが……恐怖を一時的に取り払う魔法ならありますよ」


 ああ、前にかけてくれたあれか。

 俺は、情けなくもブルブルと震える自分の足を一度強く叩いた。


 ……ここでやらなきゃ後悔する。


「お願いします」


 俺が覚悟を決めると、先生は持っている杖をギュッと握り締めてこちらに向けて掲げた。


「フィア・ブロー!」


 その瞬間、体中を支配していた心臓の嫌な鼓動がスッと消え足の震えが止まった。

 脳内がクリアになる。


「ふーー……ありがと、先生」


 リューベルド先生は頷くと、ダイチとアステラの元へ作戦を伝えに走る。

 残った俺の隣で、ルーヴェンが少し意地悪そうに笑いながら声をかけてきた。


「もう震えは止まったのか?」

「……お前は、目の前であいつがバリバリ食べられるところを見てないからそんな風に笑えるんだよ」


 俺が言い返すと、ルーヴェンは「ふむ」と銀色の耳を動かした。


「お主も鳥やウサギを食べるだろう。それと同じことだ」

「そうだけど……いや、生きたまま丸呑みにしてないから! 全然同じじゃないぞ!」

「ハハハ!」


 ルーヴェンは愉快そうに声を上げて笑った。

 ……こいつなりの緊張のほぐし方だったのだろうか。おかげで、強張っていた肩の力がすっかり抜けていた。


「我もサポートするが、お主もしっかりやれよ」

「ああ……。絶対に村長を元に戻す!」


 ガッと、互いの拳と拳をぶつけ合う。

 その確かな感触が俺に勇気をくれた。

 ルーヴェンは身を翻してリューベルド先生の後を追い、俺はそれを見送ると背後にある巨大な大樹へと向き直った。


 俺はできるだけ気配を消し、村長の視界に入らないよう瓦礫の陰を縫って大樹へと取り付く。

 ごつごつとした巨大な樹皮に手をかけ、一歩ずつ慎重に。

 眼下では、仲間たちが村長の注意を引くための咆哮を上げていた。


 突然、視界の端でピカッと強烈な光が弾けた。

 リューベルド先生の目眩ましだろう。激しい光に目を細めた隙を突き、俺は無我夢中で大樹を駆け登る。


 たどり着いたのはちょうど村全体を見渡せる高さの太い枝の上だ。

 そこから見えた光景に胸が締め付けられる。

 村の出入り口は焼け焦げた残骸と化し、さっきまで広場付近まで迫っていた火の手を、村人たちと調査団員が必死に消し止めていた痕跡が残っていた。

 今はみんな村の外まで避難しているようだが、中央の広場まで降り立った村長は、いまだに《スイコウダン》を放ち続け村を自らの手で破壊してしまっている。


「……早く止めないと」


 このままじゃ村のみんなが悲しむ。

 そして何より、正気に戻った村長自身が自分のしたことに一番絶望してしまうはずだ。そんなことは絶対に嫌だ。

 転生したばかりで右も左もわからなかった俺を温かく迎えてくれたコラコルン村。

 大好きなもふもふに囲まれた俺の新しい居場所。

 それを守るためなら怖くても飛べる。


 ここから村長までの距離はかなりあるから《ハイジャンプ》で高度を稼いで《リーフウィンド》で距離を伸ばす。二つのスキルの同時運用。一歩間違えれば地面に叩きつけられるかも。


「エルシー……力を貸してくれ」


 俺はポーチの中のどんぐりに、祈るように触れた。  その時、村長の前方の空中で花火のような光の玉が炸裂した。


 それを合図に、アステラとルーヴェンが編み出した金色の鎖が大地から猛然とせり上がり、暴れる村長を幾重にも縛り上げその動きを封じ込めた。


 今だッ!!


「ハイジャンプ!!」

 

 俺は大樹の枝を思い切り踏みつけ、空へとその身を投げ出した。


 凄まじい風の音が耳を打つ。


  「リーフウィンド!!」

 

 宙を舞う俺の体につむじ風が纏わりつく。

 その推進力を利用して俺は弾丸のように前方へと滑空した。

 眼下では、巨大な村長が身悶えしている。ちょうどその頭上、角と角の間に狙いを定めると俺は風の加護を解いて一気に落下した。


 ズシンッ、と重い衝撃。

 俺は村長の巨大な頭部の剛毛に必死にしがみついた。まだ俺の存在には気づいていない。村長は依然として、赤く染まった瞳でダイチたちを睨みつけている。


『村長!! 村長!! 正気に戻ってくれ!!』


 俺はありったけの想いを込めて、その脳内へ直接念話を叩き込んだ。


『!!? 何者だッ……!?』

『ケイトだよ! 思い出してくれ、村長!』


『ケイト……?』


 村長が動きを止めた。


『村長?』


 通じたのか?と気を緩めた直後、視界が爆発的な緑色の光に包まれた。


「なんだッ!?」

 

 攻撃じゃ無い。暴力的なまでの怒りとは違う、どこか懐かしく温かい光。


 

 光が収まったとき、俺は静かな森の中に立っていた。


「……ここ、は?」


 混乱する俺の背後から「おーい」と穏やかな声が響く。  振り返ると、そこには見知らぬコボルトの男女が立っていた。

 返事をしようとしたが、喉が固まったように声が出ない。

 「はーい!」

 俺の足元から元気な声がした。見れば一人の小さな少年コボルトが、俺を通り抜けて二人の元へと駆けていく。


「帰りましょう、ワフデュス」


 女性の声に俺はハッとした。ワフデュス……それは、村長の名前だ。

 これは、村長の記憶……?


 光景が、万華鏡のようにキラキラと変わる。

 薄暗い部屋で、年老いたコボルトがベッドに伏せっていた。その横には、逞しく成長したワフデュス……村長が座っている。


「……人間にも魔族にも属さぬと決めた、この村を守ってくれるな……」

「わかってるよ、父さん」

「母さんのことは忘れてくれ。彼女の先祖は、代々魔王に仕える血筋だった……。あの方は……魔王の元へ戻ったのだ」


 村長の母親は、魔族側へ……?

 衝撃に揺れる俺の目の前で、また景色がキラキラと歪む。


 そこは集会所の村長の部屋だった。

 今の姿の村長が、一人で古い日記を読み耽っている。


沃森杖(ヴェル・コルン)を村に隠すことにした。あの遺跡は魔族と繋がりがある、念のためだ。そもそもこの杖は、ノルフェリス=ヴァルディアの血を引く者にしか扱えない。年々その血も薄くなり、魔力を持つ者も減ってきた。このまま杖が、二度と争いの場に出ないことを願うばかりだ』


 パタン、と日記が閉じられた。

 日記を置いた村長が、顔を上げないまま俺に語りかけてくる。


『のう、ケイト殿。このまま……何もなかったかのように、すべてを元に戻すのはどうだろうか。わしはただ穏やかにこの村の村長でありたいのだ』

『村長……。俺だってそうしたいよ。またみんなでどんぐりクッキーを作ったり、笑い合ったりしたい。でも……』

 

 さっきまで目の前で繰り広げられていた光景を思い出した。

 平和に暮らしていた村に突然敵が攻めてきて、家を焼き、何の罪もない村人たちを傷つける。あんな理不尽な暴力が、この世界のあちこちで起こっていることを知ってしまった。


『俺、戦争とか他人事だと思ってた。けど、平和に暮らしている人が傷つけられるのを目の前で見た。これが他の場所でも起こってると思うと、胸がざわつくんだ。……この杖にそれを止める力があるなら、俺はそれを使いたい。この村で起きたような悲劇を、もう誰にも味わわせたくないんだ』


 俺の言葉に村長がゆっくりと顔を上げた。その瞳にはかつてないほど穏やかな光が宿っていた。


『……そうかお主は自らの安寧よりも、他者の涙を拭うことを選ぶか』


 村長は立ち上がり俺の方へと向き合う。


『これを、預かってくれるか?』


 差し出された彼の手には、緑色に輝く沃森杖(ヴェル・コルン)が握られていた。


『うん。全部終わったら、必ず返しに来るよ。約束だ』

『ありがとう。ケイト殿……これからの旅に、森の加護があらんことを』


 俺が杖をしっかりと受け取った瞬間、目の眩むような緑の閃光が世界を塗り潰した。

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