第二十三話 ヴェル・コルン ※挿絵あり
「ま、魔王軍……!?」
王国特別審査官と名乗った男が、一転して魔族へと変貌した。その事実に、場にいた全員が息を呑んだ。
リスティアナの様子を伺うと、彼女もまた驚愕に目を見開き、言葉を失っている。彼女ですら知らなかったということは、アウグレイスたち調査団の総意ではない、単独の潜入だったということか。
「できるだけ穏便に済ませたかったんですがねぇ」
キューロスがリスティアナに短剣を向ける。
危険を察知した彼女は、アウグレイスの回復を中断し咄嗟にレイピアを構えた。
「グロウエン審査官! どういうことだ!」
その相貌や装備に僅かな名残があるためか、リスティアナはまだそれをグロウエンと呼んだ。
「いえいえ、私はキューロスと申します。グロウエン審査官なら、とっくの昔に私が殺しました」
キューロスはニヤニヤと卑俗な笑みを浮かべながら続けた。
「しかし、一回目の遠征で聖遺宝を見つけるなんて、あなた方は優秀だ。ありがたい。これは我々魔王軍が貰い受けますね」
細長い指が、村長の持つ杖を指差す。
「誰にも、渡すものか……」
村長が、折れんばかりの力で杖を握り締めた。
意識が杖に向いたその隙を、リスティアナは見逃さなかった。音もなく踏み込み、レイピアで刺突を繰り出す。
しかし、その一撃はキューロスの短剣に冷たく受け止められた。キィン!と硬質な音が室内に響く。
「なかなかいいですよ、リスティアナ・グラントーさん」
キューロスは手首の返しだけでレイピアを受け流すと、流れるような重心移動でもう一方の手にある短剣を振るった。
「くっ!」
リスティアナも反応したが、一瞬遅い。鋭い刃が彼女の腕と足を切り裂き、鮮血が散った。
彼女はふらつきながらもアウグレイスを庇うように下がり、震える手で再びレイピアを掲げる。肩で息をするその姿は痛々しく、早く止血しなければ命に関わるレベルだった。
「まったく。無駄な抵抗はやめていただきたい」
キューロスは、もはや満足に動けないリスティアナから興味を失ったように視線を外し、次はリューベルド先生を睨みつけた。
「まずは、私を傷つけたコボルトから片付けましょうか」
短剣の先が先生に向けられ、とてつもない速さでキューロスが肉薄する。
「やめろッ!!」
俺が叫ぶより、ルーヴェンの方が速かった。
疾風のごとき跳躍。ルーヴェンはキューロスの手首に、その牙を深く突き立てた。
「!?」
不意を突かれたキューロスが足を止める。だが、彼はすぐに忌々しげに表情を歪めると、噛みつかれた腕を力任せに振り、ルーヴェンを床に叩きつけた。
「ルーヴェン!!」
激しい衝撃に、ルーヴェンの口が手首から離れる。その体が床で無残に跳ねた。
「ただの犬が、調子に乗るな……!!」
キューロスは吐き捨て、その短剣をルーヴェンの体へ深々と突き立てた。
「!!」
逆上しそうになる心を抑え、俺はすぐさまスリングショットにどんぐりをつがえた。
《キャンドルフレア》と《森羅一矢》を同時発動。燃え盛る一弾が、キューロスの後頭部を正確に捉えた。
ボンッ!と鈍い爆発音がして、炎が弾ける。
「ぐわッ!」
「先生!」
キューロスがよろめいた隙に、リューベルド先生がアミュラと協力してルーヴェンを抱きかかえ、集会所の出口へと滑り込んだ。
先生、ルーヴェンを頼む……!
「……忌々しい下等生物が、よくも!!」
焦げた後頭部を押さえ、血走った目でこちらを睨みつけるキューロス。その殺気は、先ほどまでとは比較にならないほど膨れ上がっていた。
「殺す……! なぶり殺しにしてくれる!!」
「させんよ」
サイドテーブルの陰から、村長が静かに歩み出た。
「村長、ダメだ! 下がって!」
「ケイト殿……ラディを、頼む」
村長は力強い手で俺を後ろへ押しやった。
「ほう。聖遺宝を差し出す気になったか?」
キューロスの嘲笑を余所に、村長は杖を床に突いた。両手でそれを握り締め、腹の底から響くような声で詠唱を開始する。
「巡る命、母なる森よ。古の誓約を以て、我が肉体を器と成さん。ヴェル・コルン、大地の鼓動よ、芽吹きの咆哮を我に宿せ!」
杖から溢れ出したツタ状の光が、螺旋を描いて村長を包み込んでいく。その神々しい輝きに圧倒されながら、俺はラディを抱き寄せた。
「コボルトごときが、聖遺宝の力を引き出すだと!?」
キューロスもまた、光の圧力に押されて近寄ることができない。
「解放!!」
村長の叫びが轟くと同時に、視界が真っ白な光に染まった。
次の瞬間、村長の足元から爆発的な勢いで草木が芽吹く。それは一瞬で巨木へと成長し、家具を押し流し、集会所の壁を内側から突き破っていく。
「!!?」
俺たちの足元にも柔らかな草木が伸び、その波が優しく体を包み込んだ。
視界が瑞々しい緑に塗り潰され、俺たちは抗う術もなく、押し寄せる森の力によって外へと運び出される。
「村長ーー!」
光輝く村長の姿が、緑の奔流の向こうへと消えていった。
***
押し寄せた緑の奔流に呑み込まれ、俺はラディを抱えたまま集会所の外の坂を転がり落ちた。
「うわああああッ!」
地面に叩きつけられる。
そう覚悟して目を瞑った瞬間、柔らかな黄緑色の光が俺の体を包み込みフワリと浮き上がった。
そのまま、重力を忘れたような滑らかさで地面へと着地する。
「……助かった、のか?」
この温かくて優しい光には覚えがあった。慌ててポーチの中を探り、どんぐりを取り出す。
見れば、どんぐりの先から小さな芽が一本顔を出していた。
その新芽が呼吸をするように淡く点滅している。
「エルシー?」
どんぐりは何も答えてはくれない。
けれど、手のひらから伝わる確かな温もりが、彼女が守ってくれたのだと教えてくれている気がした。
ラディも無傷なようで、すぅすぅと寝息をたてている。
「グワァァァァァッ!!」
感傷に浸る間もなく、頭上の集会所から、鼓膜を震わせるような絶叫が響き渡った。
キューロスの声だ。俺はどんぐりをポーチへ入れ、土煙が舞う坂を駆け登る。
そこに広がっていたのは、信じられない光景だった。 集会所は内側から弾け飛ぶように破壊され、凄まじい土煙が視界を遮っている。
その中心部、無数の木が急成長して一本の大樹ができていて、その太い枝の一つがキューロスを捕らえて締め付けていた。
「ぐ、ぐぅぅぅ! 離せ! 離せええッ!」
枝とツタにぐるぐる巻きにされ、宙吊りにされたキューロスが、顔を真っ赤にして悶絶している。
やがて、ざあっと風が吹き抜けて土煙が収まっていくと、破壊された集会所の跡地にそれは鎮座していた。
深緑の剛毛に覆われた、巨大な狼の巨躯。
そしてその額からは立派な鹿の角が、神々しく天へと伸びている。
その瞳は、怒りを宿したように赤く、鋭く光り輝いていた。
「……あれが、村長なのか?」
穏やかだった村長の面影は、もうどこにもない。
けれど、どこかで見た覚えがある姿だった。
あれは、まさか……。
「森の、主様……?」
『そうだねー』
「うわっ!?」
不意に横から声をかけられ、飛び上がった。
いつの間にか、以前森で出会った主様がすぐ傍に立っていたのだ。
緑色の毛並みを持つ、不思議な鹿。
けれど、その姿はかつての神々しさは影を潜め、背丈も俺の肩ほどにまで小さくなっていた。
『あれに、力を持っていかれちゃったからねー』
「主様の力が……移ったっていうのか?」
『ケイト、ちょっといいかい?』
「え……?」
主様がカッと蹄を鳴らす。
その瞬間、世界から色が失われ、白黒の静止画へと変わった。あらゆる音と匂いが消え失せ、風に漂う土煙さえもが空中で静止している。
「え、ええっ……何これ!?」
混乱する俺をよそに、主様は飄々とした口調で語りかけてくる。
「いやぁ、魂の形が変わっているから君だってわからなかったよ。いや、同じようで同じじゃないのかな? まあ、どっちでもいいかー」
「沃森杖はこの地を十分に再生させた。もう役目は果たしたから、持って行きたければ持って行くといいよ。ノルフェルンもそう言っていたしね」
「ノルフェルン……?」
「五百年前に人間の勇者と一緒に戦ったエルフだよ。僕の主人で、杖の持ち主。ここを豊かな森にするために僕を遺して死んじゃったけどね」
「そうだったんだ……」
「僕も、もう次にバトンタッチしたから消えちゃうんだけど。その前に、昔のよしみで伝えておこうと思ってさ」
主様はどこか寂しげで、けれど晴れやかな表情を浮かべた。
「ケイト。聖遺宝を集めて魔族と戦うつもりなら、気をつけなよ。君の敵は、君の中にいるかもしれないから」
「俺の中に? どういう意味だよ」
「聖遺宝とか魔族とか関係なく生きていくのもいいと思うけどねー。まあ、君には無理そうかなー」
主様はぐねぐねと首を揺らし、少しだけ楽しそうに目を細めた。
「俺は……人間と魔族の戦いを、止めたいと思ってるよ」
「そっかー。じゃあ、頑張ってね」
再び蹄が鳴らされた。
一瞬で視界に色彩が戻り、止まっていた時間が動き出す。土煙の音と草木の匂いが、暴力的な勢いで押し寄せた。
「ぐぅぅぅ! 離せ、離せえええ!」
現実に引き戻された俺の耳に、キューロスの醜い叫びが届く。
けれど、隣にいたはずの主様の姿は、もうどこにもなかった。今のは、幻だったのか?
次にバトンタッチしたというのは、あの村長のことなのか。
俺の混乱を置き去りにして、聖獣と化した村長が動き出した。
瓦礫を踏み砕く重低音が響き、一歩、また一歩と、ツタに縛り付けられたキューロスへと歩み寄る。
「コボルト風情が調子に乗るなよ!! すぐにその喉元を切り裂いて」
虚勢を張るキューロスの言葉が終わる前に、村長は巨大なアゴを大きく開いた。
そして、叫ぶ間も与えずキューロスを枝ごと丸呑みにした。
口の中から、くぐもった断末魔のようなものが聞こえた気がした。
けれど村長は構わず、そのまま顎を動かす。ボリボリ、バリバリと、生々しい破壊音が森に響き渡った。
そのあまりの迫力と、残酷さに、俺はラディを強く抱きしめたまま、指一本動かすことができなかった。




