第二十話 炎上
森を駆け抜け、視界が開けた瞬間に目に飛び込んできたのは、絶望的な光景だった。
燃え盛る炎と、天を汚すような黒煙。
平和だった村の境界を焼き払う熱気が、俺の頬を容赦なく襲う。
「……あぁ……」
喉の奥が引き攣れた。
あの優しかった木漏れ日の森が、新緑の匂いが、今は金属の焼けるような、鼻を刺す嫌な臭いに塗りつぶされている。
鳴爆石だ。
一度、森の中で嗅いだあの暴力的な破壊の匂い。
「これ……調査団が……っ!」
一歩、足を踏み出そうとしたが、あまりの火勢に思わず立ちすくむ。
「門は燃えていて危険なので、川の方へ向かいましょう!」
リューベルド先生の叫びで、弾かれたように走り出した。
村を流れる川の水門。その脇にある出入口へと急ぐ途中、最悪なことに調査団の一行と鉢合わせた。
「お前ら……ッ!!」
その姿が目に入った瞬間カッ頭に血が昇るのを感じた。
気づけば、一番近くにいた団員の胸ぐらを指が白くなるほどの力で掴んでいた。
「何のつもりだ!? 答えてみろよ! あそこには……あの村には、戦う意志なんてない奴らだっているんだぞ! それを、こんな……ッ!」
「ケ、ケイトさん! 落ち着いてください!」
エルディオが慌てて俺と団員の間に割り込み、必死に俺の腕を抑え込んだ。それでも俺の指は止まらず、団員の襟を締め上げる。
「落ち着いていられるかよ! 説明しろ、何でこんな真似をしたんだ!!」
俺の咆哮に、エルディオは悲痛な面持ちで首を振った。
「……我々が到着した時には、もう、この状態だったのです」
「え……?」
意外な返答に団員を掴んだ手が緩んだ。
エルディオは、震える声で事の経緯を語り始めた。
ダイチの暴走から逃れた後、アウグレイスは港町ベルト=フェルンに待機させていた別働隊へ、鳥を使って「魔族の洗脳を受けたコボルトに襲撃されている」という緊急連絡を送ったのだという。
その伝令を受け取った責任者、王国特別審査官グロウエン・カーヴェルは即座に部隊を動かした。
だが、その道中で巡回中の武装コボルトと遭遇。言葉が通じない焦燥感と、魔族への恐怖から、彼らはコボルトを敵対勢力と断定し、先制攻撃を仕掛けた。
逃げるコボルトを追跡した先が、この村だったのだ。
そして彼らは、村の門に躊躇なく鳴爆石を投げ込んだ。
「そんなことで……こんな、めちゃくちゃに……」
団員を掴んでいた手から力が抜けた。
周囲を見渡せば、団員たちは川からバケツで水を運び、燃え広がる木柵にかけていた。消火に当たる彼らの顔にも、悲痛な色が浮かんでいる。
「こんな事態になるとは……本当に、申し訳ありません!」
俯いたエルディオの手にも、水に濡れた木のバケツがあった。
俺は奥歯を噛み締め、乱れた呼吸を無理やり整える。怒りは消えない。だが、今ここでこいつらを責めても村の火は消えないんだ。
ダイチが元に戻ったことを手短に伝えると、エルディオは「良かった」と表情を明るくした。
「アウグレイスさんとリスティアナさんは、グロウエン審査官を追って中に入りました」
「わかった。俺たちも村の中へ!」
リューベルド先生、アステラ、ダイチが力強く頷く。俺たちは水門を抜け、火の粉の舞う村内へと飛び込んだ。
***
村の正面門付近は酷い有様だった。
丹精込めて手入れされていた木柵や茨の生垣が、黒い炭へと変わっていく。
それでも、中心部まではまだ火の手は完全には回っていない。
「……誰か争っているようですね」
村の中央にある広場へ近づくにつれ、コボルトたちの怒号と、金属がぶつかり合う音が響いてくる。
リューベルド先生が杖を握る手に力を込めた。俺もスリングショットを手に持つ。
広場に出た瞬間、視界に入ったのは地面に横たわり、血を流しているコボルトたちの姿だった。
その奥で、倒れた仲間たちを守るようにボロボロになりながら槍を構えるブルクナーとガルード。
「ブルクナー! ガルード!!」
「ケイト……!無事だったんだな!」
ガルードが安心した顔で俺の目を真っ直ぐ見た。
その背後、退屈そうに武器を弄ぶ二人の人間がいた。
一人は銀色の軽鎧を纏った黒髪の剣士。もう一人は、同じく軽鎧を身にまとった金髪の女性だ。手には鞭を携えている。
どちらも、調査団のマントは身につけていない。
「これは驚いた。コボルトの村に人間が?」
「俺はケイト! この村の客人だ!」
「客人ねぇ。俺はロクス。こっちはネア」
「今すぐ武器を下ろせ! この村の住人は人間に敵対する意思はない!」
「うーん……そう言われてもな。俺たちはただの雇われの身でさ。現場判断はできないんだよ」
「なら、雇い主と話をさせろ! どこにいる!?」
「悪いが、それは無理だ。グロウエン審査官殿に近づく者は排除しろと命じられている」
「くッ……!」
そのやり取りを見て、状況を悟ったダイチが、俺の前に出る。手には、大剣。
「交渉ができないなら……実力で突破する」
「ダイチ……!」
その瞳は、洗脳されていた時とはまるで違う。確かな意志を宿した、力強い目だった。
「……やるしかなさそうですね」
リューベルド先生とアステラも、武器を構える。
『どうする?』
ルーヴェンが念話で聞いてくる。
『……お前は消火と村人の安全確保を』
『我に戦えと言わんのか』
『奥の手はまだ見せたくない』
『……フン、了解した』
少し得意げに笑い、ルーヴェンは来た道を駆け戻っていく。切り札は伏せておきたいし、何より、村人たちが気がかりだ。
……どうか、みんな無事で。
「あら、ワンちゃん、逃げちゃった?」
金髪の女性――ネアが、くすくすと笑う。
「猛獣使いってわけじゃないのね」
鞭を指で弄びながら、余裕の表情。
「まずは、女の方を捕縛します!」
アステラが、捕縛用の重りの付いた投げ縄をネアの足元へ投げる。だが
パァン!
乾いた音と共に、ネアの鞭が投げ縄を叩き落とした。
「そんな武器使うんだ。私の知ってるコボルトとは、ずいぶん違うわね」
ネアが短く呪文を口にすると、鞭がバチバチと青白い電光を帯び始めた。
「はっ!」
ネアが地を蹴り、一気に間合いを詰めてくる。俺たちは即座に後方へ飛び退いたが、死角から迫った鞭の先が、俺の左足をかすめた。
「ぐ、ァッ……!」
直撃はしていないのに強烈な衝撃が全身を貫いた。
「ケイトさん!」
痺れと焼けるような痛みはあるが、幸い外傷はない。リューベルド先生が駆け寄り治癒魔法をかける。
「はァッ!」
再び、ネアが跳躍。
「グランド・ウォール!」
アステラが前に出て呪文を唱える。
直後、地面が激しく発光し、隆起。俺たちとネアを遮るように、分厚い土の壁がせり上がった。
「私が引きつけます! 先生とケイト殿は距離を!」
「え……!?ま、魔法?コボルトが…?」
ネアが、明らかに動揺して、数歩後退った。
「ねぇロクス! コボルトが魔法を使った!」
「それどころじゃねぇ!」
視線を向けると、ロクスはダイチと剣を交えていた。いや、正確には、ダイチが振り下ろす大剣を、ギリギリでかわし、あるいは剣で受け流している、と言った方がいい。
明らかに、押しているのはダイチの方だ。
「あらあら……」
ネアがそちらに気を取られた隙に俺とリューベルド先生は距離を取る。
「マキシマム・ロア! マナ・ブースト!」
リューベルド先生は俺に筋力強化の魔法を、アステラには魔力強化の魔法をかけた。
「森羅一矢!」
俺は《森羅一矢》を発動し、スリングショットでネアの急所に狙いを定める。
アステラは短い杖を取り出し、「フロスト・スピア」と呟いた。すると、杖の先端に氷が集まり、三十センチほどの、つらら状の氷槍が形成される。
「面白いわね。コボルトがそんな魔法も使うなんて」
ネアは鞭に纏わせた電気をバチバチと弾けさせながら、くすくすと笑った。
アステラは、そんなネアを鋭い眼差しで睨みつける。
「笑っていられるのは今のうちですよ」
その声は静かだったが、確かな怒気を孕んでいた。
アステラが静かに燃え上がっているのがわかる。




