第十八話 魂波制御鏡
ダイチが洗脳された時、アウグレイスやリスティアナ、エルディオには鏡は反応しなかったようだった。
もしかしたら人間には反応しないのかもしれない。その仮説を頼りに、慎重に祭壇に近づく。
万が一また鏡が起動してしまうと困るため、リューベルド先生には門の近くで待機してもらうことにした。
「こういう遺跡に安置されている道具には、説明書きが近くにあることが多いのですが……」
エルディオはまだ恐怖で足が震えていて座り込んでいたが、そう助言してくれた。俺は頷き、慎重に祭壇の周囲を調べ始める。鏡は祭壇に寝かせて置いてあるから覗き込まない限り映ることはない。
祭壇の台座に、装飾のような無数の切れ込みがある。
それはまるで、コボルトが必死に引っ掻き回してできた痕のように見えた。
『過去に、誰かがこれを止めようとしたのかもしれんな』
ルーヴェンも、同じことを考えたのだろう。
仲間が鏡に洗脳され、暴れ回るのを止めたくて、必死に引っ掻く姿を想像してしまい、胸が痛くなる。
台座の下の方に手を当てると、わずかな段差があった。よく見ると、そこには引き出しがある。
「引き出しがあった!」
「慎重に、開けてみてください」
手の震えを自覚しながら、俺は何とか重い引き出しを引き出した。
中に入っていたのは、ボロボロに朽ちた巻物だった。
「ボロボロの巻物がある」
「待ってください、僕が行きます」
エルディオがふらつきながらも身を起こし、こちらへ来て引き出しを覗き込む。エルディオは引き出しに入れたまま、慎重に巻物を広げていった。
「これは……魔族の文字です!」
「ま、魔族の!?」
さすがに魔族の文字は読めない。だが、せめてメモとして残せないかと思い、巻物の端に触れて念じてみる。
すると、目の前にズラズラと白い魔族文字が浮かび上がった。
何とかして読めれば――
【翻訳しますか】
「え!?」
翻訳機能あるの!?
あるなら、して下さい!!
次の瞬間、解読不能だった魔族文字が一気に意味を持ち始めた。
【亜人精神干渉装置(魂波制御鏡)運用仕様書】
本装置は、亜人族個体を戦闘用単位へ転換するための精神制御鏡である。
起動時、装置は対象の魂波長および血統情報を解析し、亜人族個体に対してのみ精神干渉処理を実行する。
人間族および近縁種に対しては反応しない。
干渉処理により、対象の高次思考領域は抑制され、判断・言語・計画機能は著しく低下する。
一方で、筋出力、反射速度、攻撃衝動は強制的に増幅される。
干渉後の個体は、周囲の人間族を敵性目標として認識し、排除行動を開始する。
排除行動中、対象は以下の制限状態に置かれる。
・恐怖反応の停止
・痛覚閾値の上昇
・疲労蓄積の抑制
排除行動は、次のいずれかの条件が成立するまで継続される。
一、周囲に人間族の反応が存在しなくなった場合。
一、対象個体の心臓機能が停止した場合。
本装置による精神干渉は不可逆的であり、外部からの刺激による干渉解除の工程は想定されていない。
「…………」
情報量と、その内容に言葉を失った。
意味がわからなくて、何度も、何度も読み返す。
途中でエルディオやリューベルド先生が声をかけてくれていたが、うまく反応できなかった。
『なんということだ』
白い文字が読めるルーヴェンが、絞り出すように呟く。
『これは……魔族の戦争兵器だ』
頭を殴られたような衝撃が走った。
魔族の……戦争兵器?
そんなものが、なぜ、この森に――
「ケイトさん!!」
至近距離で叫ばれ、はっと我に返る。
「エルディオ……」
「もしかして……読めるんですか……?」
真剣な目で見つめられ、答えに詰まっていると、エルディオの方が先に口を開いた。
「……実は、僕も少し読めるんです……」
「えッ!?」
「どうして魔族の兵器がここに……いえ、それより、止める方法が……」
エルディオは苦々しい表情で俯いた。
「なんて書いてあるんですか!?」
門の方から、リューベルド先生の声が飛んでくる。俺は、鏡が魔族の戦争兵器であり、亜人族を洗脳して人間族を襲わせる装置だということを伝えた。
先生は一瞬ショックを受けた顔をしたが、すぐに立て直す。
「それで! 止める方法は!?」
その問いに、俺は答えられなかった。
「周りに人間が居なくなるか、本人の心臓が停止するか。そのどちらかだ」
ルーヴェンが、代わりに淡々と告げる。
「え!? ルーヴェンくんが喋った!?」
エルディオが驚いていたが、今はそれどころじゃない。
「他に……他の方法は無いのかな!?」
「書いてあることが本当なら、無い」
「そんな……!」
「大丈夫です! ケイトさん! その条件なら、人間をダイチから遠ざければいい!」
「!!」
そうだ。
人間を全員殺せ、とは書いていない。
周囲に人間が居なくなればいいんだ。
「行きましょう!」
リューベルド先生の声に、俺とエルディオは同時に頷き、門へと駆け出した。
――絶対に、ダイチを元に戻す。
門をくぐり、階段を一気に駆け上がる。
異様に長く感じたが、ようやく外の空気が流れ込んできた。外の光は赤く、すでに日が傾いている。
「ダイチ!!」
地上で目にしたのは、夕暮れに赤く染まる森。倒れている数名の調査団員。そして、ダイチと戦っているリスティアナの姿だった。
「ケイト殿……」
廃遺跡の壁際には、負傷したアウグレイスが座り込んでいる。
「リスティアナがいなければ、私も死んでいた」
死――
じゃあ……あの倒れている団員たちは……。
「……治療します」
リューベルド先生がアウグレイスに歩み寄る。俺がその旨を伝えると、アウグレイスは無言で頷いた。
先生が杖を掲げ、呪文を唱える。負傷した足元に緑の光が集まり、ゆっくりと傷が塞がっていった。
「アステラはどうした?」
「……団員たちを追っていたコボルトを牽制し、団員を森の方へ逃がしに行った」
「そうか……」
俺とエルディオは、魂波制御鏡のこと、ダイチが洗脳されていること、周囲に人間が居なくなれば元に戻ることを説明した。
アウグレイスはしばらく考え込み――やがて決断する。
「分かった。ならば我々は、できるだけ遠くへ離れよう」
アステラが向かった方向へ、アウグレイス達も撤退することが決まった。
「で、でも……普通に追いかけてくるんじゃ……?」
エルディオが震えながらダイチの方を指差す。リスティアナはレイピアを手に、容赦なくダイチを突き刺していたが、荒れ狂うダイチの攻撃は止まらない。
彼女も限界ぎりぎりで、必死に爪を避け続けている。
「大丈夫! 俺たちが食い止める!」
リューベルド先生が俺を見て力強く頷いた。
『倒れている団員も、荷車に乗せて行けと伝えろ』
『え?』
『まだ、息はある』
『!?』
俺はすぐにアウグレイスに伝え、皆で慎重に倒れていた三人の団員を一台の荷車に乗せた。確かに、まだ息はある。リューベルド先生が回復魔法をかけた。
そのとき、森の奥からアステラが戻ってきた。
「みんなは、休憩を取った広場に待機させている!」
人間を、特に鳴爆石を使った団員を嫌っていたように見えたアステラが、率先して助けてくれた理由を尋ねると
「……ダイチを、人殺しにさせたくないから」
短く、そう返ってきた。俺も同じだ。
アウグレイスはアステラに礼を言い、エルディオと共に荷車を引き始める。
「ケイト殿、リューベルド殿、頼む!」
ガラガラと音を立てて離れていく荷車に気づき、ダイチがリスティアナから視線を外した。
狙いを荷車へ変え、飛びかかろうとした、その瞬間。
リューベルド先生が放った光の玉がダイチの眼前に浮かび、進路を塞ぐ。
「行け!」
俺の声に状況を察したリスティアナも、荷車の後ろに回って押し始めた。速度を上げた荷車は、あっという間に森の中へ消えていく。
よし……これで、ある程度距離を取れれば――
「あの……ケイトさん」
リューベルド先生が、気まずそうにこちらを見る。
「私、すっかり忘れてたというか……慣れすぎて違和感が無かったといいますか……」
嫌な予感がした。
「ケイトさんも……人間ですよね……」
俺自身も、忘れてた。




