第十六話 森の主
案内役は、俺とルーヴェン、リューベルド先生、それにダイチとアステラが務めることになった。
他のコボルトたちは、前の魔獣討伐での負傷が重いのもあるが、それ以上に、人間たちについて行くのを嫌がっているように見えた。
「率直に言うと、匂いです」
「匂い?」
理由を尋ねると、リューベルド先生が教えてくれた。
「あの人間たちからは、わずかに硫黄と金属が焦げたような匂いがします。私たちは、その匂いが苦手なのです」
「硫黄と金属が焦げる匂いか……」
俺にはまったく感じない。
本当に、コボルトにしか嗅ぎ取れないほど微かなものなのだろう。
隊列は、俺たちコラコルン村の案内役が先頭。
その後ろにアウグレイス、リスティアナ、エルディオ。
さらに屋根付きの荷車が三台続き、団員たちが四人一組で引いたり押したりしている。その後方を、数名の団員が固めていた。
『ああいう荷車って、馬が引くんじゃないのか?』
『普通はそうだな。だが、あれはあれで利点がある』
『へぇ』
理由はすぐにわかった。
廃遺跡までの道は、木の根や岩、小さな小川が点在していて、道幅が狭いどころか、そもそも「道」と呼べるものがほとんどない。
そんな場所では、団員たちは荷車をお神輿のように担ぎ上げて運んでいた。
馬がいたら、こうはいかないだろう。確かに理にかなっている。
「ケイトさん、少々よろしいですか?」
悪路を抜け、少し開けた場所に出た頃、エルディオが声をかけてきた。
「この村のコボルトたちは、とても温厚ですね。村の設備も文化的で、私が知っているコボルト像とはまったく違います」
「そうですね。この村のコボルトは、本当に優しくて、いい人たちばかりですよ」
そこにアウグレイスが会話に加わる。
「ベルト=フェルンで、この森にコボルトの村があると聞いた時は身構えたが……私の知るコボルトの巣窟とは、まるで別物だ」
「村の集会所には、浴槽付きの風呂場もありますよ」
「それは一度見てみたいものだな」
エルディオは手帳に何かを書き留めている。
調査団の人たちが、この村のコボルトを理解してくれている。それが、素直に嬉しかった。
家の様式、食事の内容、子コボルトたちの遊びなど話すたびに二人は興味津々で、時折質問も飛んでくる。
俺にわからないことはリューベルド先生に聞き、先生もまた、快く答えてくれた。
『……不味いな』
和気あいあいとした空気に、ルーヴェンの念話が水を差す。
『なんだよ』
『皆に、止まれと指示しろ』
『なんで――』
「うわぁぁッ!!」
隊列の後方から悲鳴が上がった。
続いて、団員たちのどよめきが広がる。
振り返ると、そこには――
とてつもなく巨大で、全身が淡い緑色に発光する鹿が立っていた。枝分かれした大きな角はそれだけでも二メートルはある。
「あ、あれは……セイルグリュン=グラフ。我々が主様と呼ぶものです」
リューベルド先生が、震える声で続ける。
「私も見るのは二度目ですが……ここまで、はっきりと姿を現されるとは……」
『あんたら、なんなんだ?』
ルーヴェンではない念話が、頭に直接響いた。これは――
「クッ……!」
リューベルド先生、ダイチ、アステラは耳を強く押さえ、その場にへたり込む。調査団員たちも皆、顔をしかめ、苦しそうに呻いていた。
「頭に……直接……!」
「なんだ……この感覚は……!」
ルーヴェンですら、苦痛に顔を歪めている。なのに、俺だけは何も感じていなかった。
『ここがどこだかわかってんの?』
再び念話。主様はかなり距離がある。俺が近づこうとしたとき、リューベルド先生がローブを掴んで止めた。
「ケイトさん……この音が、聞こえないのですか!?」
「音?」
「頭に直接、不快な雑音が響いています……きっと、主様によるもの……!」
雑音?
俺はまったくそんなものは感じないけど……。
もしかして主様の念話が原因かもしれない。皆が苦しそうだから早く止めてもらわないと。
『主様ー! それ、ちょっと止めてくれー!』
『ん? お前は……』
「うわぁぁぁ!!」
主様の威圧感と、雑音に耐えきれなくなった近くの団員の一人が、荷車から掌大の黒い石を取り出した。
「それは駄目だ!!」
エルディオの叫びも虚しく、黒い石は赤く光り、キューーーーッと甲高い音を発する。
団員は、それを主様へ向けて投げた。弧を描いた石は、主様の手前に落ち、次の瞬間、赤い線が走って爆発した。
「なにッ!?」
黒煙が視界を覆い、何も見えない。硫黄と金属の匂いが辺りに充満する。
「待って……ゲホッ……!鳴爆石は、使わないで下さい!」
咳き込みながら、エルディオが叫ぶ。
『そういうの、やめて欲しいんだけど』
ゴォッ、と風が吹き、煙が一気に晴れた。
主様は無傷だが、地面はえぐれ、草木は焼け焦げている。再び姿を現した主様は無傷のようだ。
『この森に、そんな物を持ち込むなんて……許せないよね』
主様の周囲に、緑色の光の玉が浮かぶ。それは意思を持つかのように、くるくると回転していた。
『スイコウダン』
光の玉が、団員たちに向かって飛ぶ。
「わぁぁぁッ!」
「やらせん!」
武器を手にしたアウグレイスとリスティアナが前に出る。
剣とレイピアで受け止めるが、勢いを殺しきれず、守った団員ごと後方へ弾き飛ばされた。その倒れた人々を緑の玉が押さえつける。
「ぐぅぅッ!」
光の玉から直接的なダメージは無いようだが、押さえつけられる苦しみでアウグレイスが呻いた。
『なかなかやるね。じゃあ……パワーアップ』
光の玉が、さらに大きくなる。これは不味い。
『待ってくれ! 戦うつもりはない!!』
『そっちが、先に仕掛けたよね?』
『いやいや、そっちが雑音攻撃したからだろ!』
『……雑音攻撃?』
光の玉が消え、アウグレイスたちの拘束も解ける。俺は主様の前に進み出た。
『そう。それで、こっちは反撃したんだ』
主様は首を傾げ、少し考えた。
『……そう言えば、昔も似たことを言われた気がする。それについては、ごめん』
『い、いえ……』
巨大な鹿に謝られて、思わず恐縮する。
『じゃあ、お前だけに聞く。その黒い石を、この森に持ち込んで何をするつもり?』
背後から、リューベルド先生たちが駆け寄ってくる。雑音はもうないようだが緊張した顔をしている。
「アウグレイスさん、この黒い石は何なんだ?」
「鳴爆石だ。港町で仕入れた。遺跡調査に使う」
「――なッ!」
アステラが声を荒げかけるのを、ダイチが制した。俺も思うところはあるが、今は堪える。
『遺跡調査のため、だって』
『ふぅん……でも、森には良くないから、もう使わないでね』
主様の言葉を伝える。
「……わかった」
アウグレイスが武器を下ろし、リスティアナも続く。
『じゃあ』
主様は軽く蹄を鳴らし、森の奥へと駆け去っていった。
張り詰めていた緊張が一気に解け、俺たちはしばらくその場で呆然と立ち尽くしていた。
***
皆がようやく落ち着いたところで、俺は鳴爆石について話を聞いた。
港町ベルト=フェルンのドワーフたちが、主に鉱山で鉱物を掘る際に使う鉱石で、魔力を込めると音を立て、数秒後に爆発する性質を持つらしい。出発前にリューベルド先生が言っていた硫黄や金属の焦げた匂いがするというのは、これの匂いだったようだ。
「あくまでも、硬い岩盤や大きな岩が調査の妨げになった場合に使うつもりでした」
エルディオがそう説明する。
「それを、あのような形で使用してしまい……本当に申し訳ありません」
そう言って、エルディオは深々と頭を下げた。その隣には、実際に主様へ鳴爆石を投げてしまった団員もいて、同じように頭を下げている。
「……こちらの失態だ。私からも謝罪する。この者の処分はこの調査が終わってからこちらで決定する」
アウグレイスもそう言って、村の案内役である俺たち一人ひとりに頭を下げた。
リューベルド先生は、この森に住む者にとって鳴爆石は恐怖そのものだ、と静かに語った。アウグレイスたちは、その言葉を黙って受け止め、頷く。
アステラだけは、まだ怒りが収まらない様子で調査団を睨みつけていたが、ダイチが隣でなだめていた。
『お主、よく話ができたな』
ルーヴェンが念話で声をかけてくる。
どうやらさっきの森の主は精霊に近い存在で、こちらからの発信がほとんど届かない相手なのだという。確かに、めちゃくちゃ軽い口調の鹿だったけどオーラは半端なかったな。
『たぶん、もふもふトークのおかげかな?』
『なんちゅうチートスキルだ』
ルーヴェンが、呆れたように笑った。
『それより、お前も動けなかったのか?ルーヴェン』
『この姿はあの音が大の苦手なようだ』
『……すっかり狼になっちゃって』
『誰のせいだ!!』
ルーヴェンのツッコミに声を出して笑ってしまった。




