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第7話 焼いた餅はすぐに食べろ


「キルテさん! 7時の方向に2体だ」

「了解だ。任せろ」


 キルテとシヨウは、魔物を倒しながら森の中を駆けていた。

 シヨウの鼻を頼りに結界を目指しているのだが、その間ひっきりなしに魔物が襲いかかってくる。東の森へ数年ぶりに入ったキルテでもこれが異常なのはわかる。


「おい、そいつは自爆するぞ! 遠距離からなんとかしろ! 無理なら私がやる」

「なら頼んだ!」


 キルテはその目と経験から魔物の特質を、シヨウはその鼻で方向や数をとらえる。互いに指示を出しながら戦い続ける。それは阿吽の呼吸とは言えないものだったが、時間が過ぎるほどに互いの反応が良くなっているのをキルテは感じていた。


「うん、キルテさんがいると戦闘が楽だね」

「ハッ、将軍殿にそう言われると照れる、ね!」

「本当のことだよっ」


 襲ってくる数は少しずつ減ってきているように見えるが、全てに対応していてはジリ貧だ。とにかく結界の外へ出るために脚を動かす。


「大丈夫か30代! まだ走れるよな!?」

「ちょっと前まで目から血流してた子に言われたくないよ!」


 互いに軽口を叩く程度には余裕がある。相手をする魔物の数はさほど変わらないのに、1人で戦っていた時よりもよっぽど楽なことにキルテは驚いていた。キルテにとって誰かと共闘するというのはお荷物を背負って戦うのと同義であった。それがどうだ。相手がシヨウならば楽と思うどころか、楽しいとすら思っている。


(さすが帝国将軍、と言ったところか)


 むしろキルテよりも複数での戦闘に慣れているし、経験豊富なのだろう。シヨウの動きをキルテは目で追いながら、彼の技を盗むかのように記憶する。


 「キルテさん、手を! 結界まであと少しだ!」


 シヨウがキルテに手を伸ばす。まわりは瘴気で視界が悪い。キルテの視界にはまだ結界は見えない。差し伸べられた手を、キルテは迷うことなく掴んだ。シヨウの腕に引かれながら走る。迷いはなく、時折蛇行するようにしながらも結界をひたすら目指して脚を動かした。

 しばらくするとキルテも結界を視界に捉えた。それと同時にシヨウの隣に並ぶように速度を上げて、そのまま結界を目指す。魔物はもう相手をせずに、2人はただ手を繋いで走った。

 結界に飛び込むように走り抜ける。その数秒後には結界に魔物がぶち当たった。後続の魔物に、最初に結界へたどり着いた魔物が押しつぶされている。


「――――はぁ、どうやら本当に結界の外には出られないようだな」

「けほっ……ひとまず安心だね。はー、久しぶりに全力疾走したよ。三十路にはさすがにキツイ」

「その割にはまだ走れそうだな、将軍殿」

「死神殿には敵わないよ。僕よりも絶対足速いでしょ。手を繋いでたから加減してるってわかるよ」


 その言葉に2人して両者を繋ぐ手に視線を落とす。色白いシヨウと、さほど焼けてはいないがシヨウのそれよりも色の濃いキルテの手。キルテは、2つの手が繋がれていることに違和感を抱いた。先ほどまでの自分の行いに、自分の考えに、羞恥心すら湧いてくる。死地を抜け出して、夢から覚めた気分だ。


(なにが失いたくないだ。なにが共にいたい、だ。……それを望める立場じゃねーだろ)


 殺し屋として生きてきたキルテと、将軍として帝国を支えているであろうシヨウ。冷静に考えて共にいることなんて出来るわけがない。キルテの心の奥底に長らく沈められていた劣等感が、まるで大きな石が湖に落ちてきて浮かび上がったかのようだった。


「もう手を繋ぐ必要はねーだろ」

「……うん、そうだね」


 2人の手はゆっくりと離れていく。キルテは両手をシヨウに見えないよう握り合わせた。まだ握られた手の感覚が残っている。その体温を覚えている。キルテは手を開いて自分のそれを見下ろした。


(……きたねー手だな)


 治癒魔法でも治せないほど、幼少の頃についた傷だらけの手。大きさだってそこらの娘と比べれば随分デカいし、男の手と見間違えるほどに骨筋張っている。無理やりに成長させたせいか、関節が歪に曲がっている箇所もある。今ほどの精度で魔法を使えなかったせいだ。これも時間が過ぎていて治癒してもこの形状で固定されてしまう。

 キルテは頭を振ってから息を吐いた。今はそんなことを考えている場合ではない。


「……で、結局なんでお前はここにいるんだ」

「それは、」


 シヨウは言葉を止めて背後を振り返った。眉を顰めて手を鼻に当てるシヨウの様子に、キルテも警戒しながら目を向ける。結界の内側は未だ魔物たちがひしめき合って、こちらを見ている。

 まさか、あの中から何かが来るのか。

 キルテが視界に集中した瞬間、それは突然現れた。


「――――ごめんね、これしか貴方たちを救う方法がないの」


 眩い光がキルテの視界を焼く。結界越しでも強い存在感を放つそれは、魔物たちへと向けられる。見たことのない魔素列が忙しなく変化し、軌道を描いている。

 その中心にいるのは、金髪の少女。


「貴方たちの来世が幸せであらんことを――――ピュリフィケーション!」


 魔法が発動し、白い光でその場が支配される。魔物たちがその光に吞み込まれていく。破壊じゃない、存在丸ごと消滅しているのだ。


(浄化魔法! しかも、威力が桁違いだ)


 正直、キルテは聖女をそれほど警戒していなかった。どうせ貴族の娘らしく荒事に慣れていない甘ちゃんだと。首を落とせば、すぐに終わるだろうと。だが目の前で起こる光景に、キルテは嫌でもその考えを改めさせられた。

 あれほどまでにキルテたちが苦労した魔物を、たった1つの魔法で消滅させてしまったのだ。これほど大規模の魔法を展開してもなお溢れる魔力。普段は一切魔力を感知させなかったことと言い、その扱い方は手慣れている。その魔力と技術で治癒魔法を使われたら、首を落としても殺せないかもしれない。そもそも首を落とすことすら出来ないかもしれない。

 キルテは、そっと隣にいるシヨウを見た。彼は鼻を覆っていた手を下ろして聖女を見つめている。その表情は何かを思案しているようだった。


(シヨウは、聖女が本当に魔物だと思っているんだろうか……それとも)


 キルテは再び聖女に目を向ける。彼女は両手を祈るようにして組み、目を閉じている。その姿は聖女という肩書に相応しいものなのだろう。キルテが遊びでした祈りとは違う。

 そんな風に思った瞬間、キルテの視界に何かが映った。


(なんだ、あれは……魔物から出た何かが聖女の元に集まっている?)


 さらに深く見ようと、キルテが魔力を瞳に集中させる。しかしそうする前に、頬にドロリと生暖かいものが流れた。


「……っ!」

「キルテさん! 血が」

「…………問題ない」


 駆け寄るシヨウに掌を向けて、制止する。どうやらまた目から血が流れているらしい。キルテはそれ以上見ることを止めた。ここでまた動けなくなっては、呆れられる。すぐ近くにまだ聖女がいるのだ。ここで戦闘になる可能性は低くても、隙は見せたくない。


「――――あの、無事ですか! 私は聖女のリリスです! 誰かいるのであれば返事をしてください!」

「…………こちらは2人とも無事です」


 聖女の問いかけにシヨウが答える。聖女は未だ結界の中だ。瘴気が晴れて、結界の中にいる聖女の姿がはっきりと見えるようになる。


「良かったぁ! なら私と一緒にみんなの元に帰りましょう! 私が合流まで護衛します!」


 豊かな金髪を靡かせて笑う聖女。彼女は傷ひとつなくそこに立っていた。リボンのついたローブの下にレースがふんだんに使われたスカートを履いた彼女は、頭から靴先まで汚れひとつない。本当に森を歩いて魔物を相手していたのかと疑うくらいに、彼女は貴族令嬢としての美しさを保ったままであった。

 キルテは自分のものか、魔物のものかもわからない血の付いた頬を拭う。


「あの、キルテさんですか! 修道院の」

「…………ああ」

「リアさんが心配してました! 隣にいる偉丈夫の方も一緒に行きましょう!」


 仮面を外したままのシヨウをそう称した聖女は、彼に向かって花開くかのように笑いかけた。キルテはその甘く、明るい声をただ聞いていた。


「その恰好、帝国の方ですよね。もしかして帝国領から森に入ったんですか? 私、王太子殿下に頼んで帝国領まで送ってもらえるように頼んでみますよ! なのでそれまで私と一緒にいませんか?」

「……いや、それは申し訳ないので」

「遠慮しないでください! ここで会ったのも運命です。お名前を聞いてもいいですか!」


 結界の中でそう叫ぶ聖女は、どこかはしゃいでいる様子だ。それに、最初の問いかけ以降キルテには一切目線を寄こさない。名前を聞いた後もシヨウに対して質問を投げかけ続けている。その姿は男から見たら、自分に対して必死にアピールしてくる可愛らしい女性に見えるのだろう。キルテが見てきた娼婦たちのアピールよりも明るく、どこか雰囲気も軽くさっぱりとしている。貴族令嬢として、聖女として大事にされてきた女は、周りを焼くかのように光を放って笑っていた。


(このまま一緒に行くしかない……よな)


 ここで聖女の誘いを断る理由を、キルテは思いつかなかった。そもそもキルテは修道女として彼女たちと合流しないわけにはいかないし、シヨウだって仕事のために聖女の情報を得られるのならばついて行った方が都合いいかもしれない。


(仕事……聖女を殺すのだって、魔物かもしれないという疑いがあるからだ。もし、それが間違いだったなら? シヨウはそれを確かめて……そうじゃないと決まれば殺すなと私に言ってくるかもしれない)


 キルテは、快楽殺人犯ではない。聖女が魔物ではなく、シヨウが依頼を撤回するのであれば聖女を殺そうとは思わない。魔物でないのなら、帝国人の誘拐に関係がないのならば、彼女が殺される謂われはないだろう。

 向かい合う2人を見る。聖女の背は遠目から見てもシヨウの胸の高さ程しかなく、その骨格も華奢だ。体のパーツは細く脆そうなのに、頬や肌にはツヤとハリがあり貧弱さは感じさせない。体の凹凸もはっきりとしていて痩せているのに女性らしい肉付きだ。シヨウと並べると男女の違いをはっきりとさせて、けれどもそれがどこか『そうであるべき』姿だと主張しているようにも見える。


(私と隣り合っても、ああはならない)


 キルテの背は、さほどシヨウと変わらない。骨格もしっかりとして、筋肉で鎧を着ているような体だ。柔らかさなど、一切ない。顔は比率的には良いと言えるが、愛嬌がなく、鋭い印象だけを与える。殺し屋として、女として、決して好き勝手に扱われないように。キルテは自分の魔法で今の体を作り上げた。時には自ら骨を折り、肉を断った。

 それを後悔はしていない。強くなるためには、必要なことだった。その体は、キルテが強くなった証でもあった。


(それがどうして、こんなにも……惨めだなんて考えるんだよ)


 口の中で血の味が滲む。頬から伝って唇を濡らしたのだろう。いつの間にか噛んでいたらしい唇に、キルテは意識して体の力を抜いた。


(――――切り替えろ、今は仕事中だ。まだ、依頼は継続している)


「……おい、行くぞ」


 キルテは、シヨウを促した。未だ聖女はシヨウを見つめていたが、キルテが一緒に行くように促しているのに気づいてそのよく回る口を閉じた。非常に都合の良い目だ。さっきまでキルテの存在を視界にもいれてなかったくせに。


「おい、どうした。なんで突っ立ってる」


 キルテの呼びかけに、シヨウは何も言わなかった。そういえば最初の問いかけ以降、シヨウは何も喋っていない。何かあったのかと、キルテがシヨウに近づく。すると、キルテの腕はシヨウに掴まれた。


「おい本当になんなんだ、よ」

 

 ――――そして、そのまま強い力で彼の腕の中に抱き寄せられた。引かれた力とは裏腹にふわりと抱きしめられたキルテは、驚いた勢いでシヨウの背中に手を回してしまう。


「…………申し訳ありませんが、私たちは貴方と一緒には行けません」

「えっ、あの、それはどうして。それに、何で彼女を抱きしめてるんですか……?」

「見て、わかりませんか」


 キルテは近くで聞こえる堅いシヨウの声に、何度か瞬きする。どうしたのかと頭の片隅で疑問に思いながらも、今の状況に思考が滑る。キルテは、シヨウから香る匂いに無意識のうちに彼の首に擦り寄った。

 ピクリと肩を少し揺らしたシヨウは、しかしすぐにキルテの体をさらに抱き寄せて2人の隙間を埋めた。頭にも手を添えられて、位置を固定される。キルテはシヨウの脈を感じながら、黙って顔をそのまま埋めていた。


「…………私たちは恋人同士でして、彼女が帝国近くまで来ると知って居ても立ってもいられず……助けていただいて大変有難いですが、その……彼女とまだ離れがたくて。今を逃したら次いつ会えるかもわかりませんし。それに死ぬところだったのです。情けないことですが、彼女を失ってしまったかもと考えて震えが止まらないんです」

「そ、そうなんですね……」


 スラスラとシヨウから流れ出る設定をキルテは、大人しく聞いていた。心なしか聖女の声が萎びている。


「彼女は結界の外から修道院の皆さんの元へ送り届けます。なので、聖女様もご心配なく。……結界の外には、魔物は出てこられませんから」

「…………わかりました! では皆さんにもそう伝えますね!」


 笑顔で手を振りながら去っていく聖女の姿を、キルテはシヨウの腕の中から見送った。そして彼女の後姿が見えなくなってから、顔を上げて口を開いた。


「おい、シヨウ――」


 しかし、キルテの言葉は痛いくらいに抱きしめられたせいで途切れてしまう。シヨウはキルテの首筋に顔を埋めるようにして擦り寄って来る。さきほど似たようなことをしてしまったキルテは、それを拒めなかった。


「ほんとにどうしたんだよ……おま、え!?」


 キルテは首を柔らかい何かが這っている感触に、ひっくり返ったような声を出した。何かが、じゃない。この状況では答えは1つしかないだろう。キルテは皮膚を柔らかく食まれる感覚に、シヨウの服を強く握る。


(マジで何があったんだよ、こいつ!)


 急なシヨウの暴挙に、恐怖はなかった。しかし、理由もわからないキルテは混乱していた。ただシヨウの唇を受け入れて、縋りつくようにキルテを抱きしめる彼の背中を恐る恐る擦ってやる。

 ――――それが引き金になったのだろうか。


「ひ、うっ!? お、おい」


 シヨウはキルテの首から顔を上げたと思ったら、今度は頭に埋める。そしてすぅ、と息を吸いながら髪を梳かすように撫でた。耳にシヨウの鼻息が掛かる度に、キルテは何とも言い難い感覚を味わう。


「おい、シヨウ!」

「――――キルテさん」


 やっと口を開いたシヨウに、キルテは文句を呑み込んだ。その様子をじっと見つめていたシヨウの目は、見たことがないほど鈍い光を放っていた。顔の痣に魔力が巡っているのは勘違いだと思いたい。その目を見つめ返しながら、続く言葉を待っていたがシヨウは口を開かない。ため息を吐いたキルテは、そんなシヨウを自分から抱きしめて、背中を今度はしっかりと擦る。しばらくそのままでいると、シヨウが耳元でモゴモゴと何かを言う。


「なんだ? 聞こえねーぞ」

「…………った」

「だから、聞こえんって。もっとハッキリと言え」


 キルテがそう言うと、シヨウは数秒かけて息を吸い込む。そして吸った息を全て吐き出すかのように叫んだ。


「――――――クッッッソ、くさかったっ!」

「……は?」


 突然の大声に、キルテは呆ける。何が臭かったって?


「あの、あの聖女とかいう女。ほんっとに匂いが耐えられないほどに臭い! もう話しかけられてた時いかに息を吸わないでいられるかを考えてたけど、無理。もう今でも鼻にこびりついていそうなのが本当に嫌だ。上書きしなくちゃ。上書きして記憶を抹消したい。それに何か知らないけど僕にアピールしてくるし! ありえない。うん、本当にありえない。気持ち悪い!」


 「う、また思い出して気持ち悪くなってきた」と首に顔を埋めてくるシヨウに、キルテは口をぽかんと開けた。


(……シヨウにとって聖女の匂いはそこまで臭く感じてると? それで私を抱きしめているのは)


「つまり、聖女の匂いを私で上書きしていると……?」

「うん、そもそもキルテさんが隣にいなかったら絶対に気絶してた」

「そこまで……?」


 鼻が良いとは知っていたが、そこまで拒絶反応の出る匂いがあるのか。疑問に思うキルテに対してシヨウが説明する。


「うん、もうね生理的に無理。甘いものを沢山閉じ込めたような匂いと腐った肉の匂い、淀んだ泥水のような……もうとにかく受け付けない匂いだ。ここまでの匂いを嗅いだのも初めてだけど断言する。あれは無理。ぜったいに僕とは相容れない存在だ!」


 再びキルテの首元に顔を埋めたシヨウは、スゥウウウウウと息を吸う。普通に行動が変態的だ。いつものキルテなら変態死すべしと殴り倒していたはずだ。


(けど、うん……殴ろうと思わないのは、やっぱりそういうことなのか……?)


 そもそも何も言わず、何もせずに抱きしめられている時点で可笑しいだろう。キルテはただのか弱い娘ではないのだ。本気で嫌ならどうにかして抜け出している。突拍子もないシヨウに、キルテは冷静さを取り戻した。

 

 (共にいたいとは思った。でもそれはあくまでも同志のような……あくまでも愛だの恋だのとかではないと思ってたんだがな)


 聖女を拒絶して、キルテを求めて抱きしめる男。それを受け入れている時点で、少し…………かなり嬉しいと思っている時点で、キルテの気持ちは明確だ。客観視すればこんなに簡単なことなのに、うだうだと悩んでいたのだからやはり愛やら恋やらは恐ろしい。


(というか聖女に対しての感情って…………いや、これ以上考えるのはやめよう)


 気づきたくないことに気づいてしまったキルテは、頭を振ってその考えを飛ばした。振り返ると羞恥で死ねそうだ。


「というか、いつまで嗅いでるんだ」

「うん、もう少し…………ダメ?」

「……………………少しだけだぞ」


 頷いてしまった自分に、キルテは心の中で頭を抱えた。本当にどうしたんだキルテ! と自分の胸倉を掴んで問いただしたい気分だ。


(……可愛いなんて、思ってないぞ。こいつはこう見えても帝国の将軍で、30過ぎたオッサンだ。忘れんじゃねーぞ、キルテ!)


 そう、少し高い位置から覗き込みながら子供のように駄々をこねられたからといって、その事実は変わらないのだ。脳内で己に言い聞かせるキルテだったがきゅうっと力をこめて抱きしめられてそれも霧散してしまう。記憶を失っていた時にグダグダしてるのは性に合わないとか言ってたのは、一体どこのどいつだ。


「クソ、責任とれよお前」

「うん、この借りはちゃんと返すよ」

「…………変態め、気分が戻ったら少しは痛い目を見ろよ」

「なんで!?」


 「お前の方が鈍感男じゃねーか」と思うキルテだったが、ハッキリと想いを告げてないのは自分の方だ。こんな風に自分がなるとは思ってなかった。それこそ一生、関わりのないことだとすら思っていたのだ。人生どうになるかわからないものである。


(――――運のいいことに、こいつにとって私の匂いは本能的に好みらしいからな。使えるものは使わせてもらって……こいつを私のものにする)


 キルテは、とんでもなく切り替えが早かった。そして自分の欲に素直でもあった。だから当然とばかりに出した結論に、1人で納得したように頷いた。少し前まで隣を望める立場じゃないとか思っていたのはどこかへ放り捨てた。あれは初めての感情に混乱しただけだ。キルテは羞恥でどうにかなる前にその記憶も捨て去りたいと考えた。…………出来そうにないが。


「ふふ、キルテさんくすぐったいよ。それになんだかいい匂いがする。この匂いも僕、好きだな」

「…………黙って大人しく嗅いでろ変態。しばらく口を開くな」

「さっきから微妙にひどくない!?」


 キルテはシヨウの騒ぐ声を聴きながら、静かにその体を抱きしめ続けた。すると急にシヨウが何かに気づいたかのように顔を上げる。


「あ、そういえば懐にシャオビンをいれっぱなしだ」

「シャオビン?」

「焼いた餅だよ。こっちで言うとパンみたいなやつ」

「なんでパンを懐にいれてんだよ。絶対潰れてんだろ」


 「だって副官がねじ込んでくるから……」と言うシヨウに言いたいことはたくさんあったが、抱きしめられたまま聞くことでもないだろう。

 だから、キルテはこれだけ言った。


「焼いた餅はすぐに食べろ。――――早く呑み込んで自分のものにしないと、何になるかわからないからな」

「え、どういうこと?」


 キルテはシヨウの質問には答えなかった。

 少しは悩め、変態野郎。それで、キルテのことを考えていればいいのだ。

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