第2話 変態の話には耳を貸すな
――――働くとは、神から与えられた試練である。
そう言った人間がいた。
「旦那様……旦那様!」
「…………なんだ、こんな夜更けに騒々しい! 貴様の仕事は主人の眠りを妨げることなのか!?」
本当に神とやらが試練として人間に働くことを課しているのであれば、神は我々人間に見合った対価を渡さなければいけない。
「も、申し訳ございません。しかし、緊急事態でして」
「ええい、なんだと言うんだ」
「屋敷の倉庫が、その……も、燃えています」
「…………なんだと!?」
与えられた試練を乗り越えられない人間には、罰が与えられなければいけない。それは愚かな我々人間の裁量で、どうにか出来るものであってはいけない。
「くそ! 本当に燃えてるじゃないか! おい、早く火をなんとかしろ! なぜまだここにいるんだ、この役立たずめ!」
「……は、はい。しかし、あそこまで火が回っていれば中のものは」
「言い訳などいらん! 貴様の命を捨ててでも商品をなんとかしろ! このままでは折角の商売が全部台無しだ!」
神から与えられた地位や権力は、対価だ。ならばそれを持つものはそれに見合った働きをしなければいけない。そうであるはずだ。
「教会に助けを求めますか。魔法を使える者がいるかもしれません」
「ならん! そんなことをしたら商品のことも気づかれるかもしれんだろうが! そうしたら奴らのことだ、自分たちにも利益を寄越せと脅してくるに違いない」
神が仕事と対価を与えるのであれば、神が環境を整えて教育を施すべきだ。神が定めた枠組から逸脱するものは、神自ら排除するべきだ。
「いいから水だ! とにかく水を集めて火を消せ! 全員叩き起こしてなんとかしろ! 火を消すまで屋敷に入るな!」
「わ、わかりました」
気高く有能であるべき神がこの世に存在しているのであれば、人にはそれぞれに才能とそれを成長させる試練が与えられているはずだ。
「チッ……あと少しで売りに出す予定だったのに……これではせっかく帝国から攫ってきた苦労が水の泡だ」
――――しかし残念なことに、この世の神とやらに人間を育てる才はなかったらしい。あるいはその存在すらない。もしくは神という言葉だけが力を持っているだけということか。
一般的には悪行で、非生産的な仕事をしている者がここにいる。それこそ、その証明と言えるのではないだろうか。
(――――こんなことを考えても意味はない。少なくとも今は)
右手でコートのフードと口を覆う布を触る。音もなく息を吐いてから、ドアを叩いた。
「今度はなんだ!? 火を消すまで帰ってくるなと――――」
部屋の中から男の怒声が返ってくる。しかし、それを遮るようにドアを蹴り破った。
「なっ!? なんだ貴様は!?」
寝巻き姿の男は、こちらを見て喚く。部屋の奥、窓の前に立つ姿はまるで脂肪の塊のようだ。火種としてよく燃えそうでもある。
そんなことを思いながら、唯一晒されたままの瞳を細めて男を見た。
「お前を殺すように依頼された者だ」
「……こ、殺し屋だと!? ちっ! 誰の仕業だ!?」
「それは答えられない。守秘義務というやつだ」
クソっと悪態をつきながら後ずさる男は、キョロキョロと忙しなく視線を動かす。無駄に装飾されたベッド、赤い光が漏れるベランダ、そして目の前に立つ殺し屋。少しの逡巡ののちに、男がベッドに近づこうと一歩足を踏み出した。裸足と床が擦れる音を聞いたと同時に、魔法を展開する。
「ぐ!? なぜ動かない!?」
男は右足だけを前に出した状態で、ピタリと動きを止めた。動いているのは汚い唾を吐き出す口と目だけ。煩い口に魔法をかけても良かったのだが、聞きたいことがあった。だからわざと口を塞がずに魔法を使って動きだけを止めたのだ。
殺し屋は男に近づいた。品のない香が鼻につく。
「……子供を攫う理由はなんだ?」
喚く声を無視して問えば、男の口が閉じる。しかし、すぐに分厚い唇が音を立てて動き出した。
「…………攫う? なんのことだね」
「倉庫の中身のことだ。こっからでもよく燃えてるのが見えんだろ。あそこにある商品について聞いてる」
「貴様……中身を見たのか?」
「随分と珍しいものを見せてもらったよ。さすが帝国。この国では見かけないものばかりだったな」
依頼内容と直接は関係ないが、男爵である目の前の男について調べるうちにわかった事実。
――――男は帝国領で子供を攫い、それを売ろうとしている。
「この国に奴隷制度はないはずだが」
「……ふん、他の貴族もやっていることだ。珍しくもない」
「帝国領で攫う馬鹿は初めて見た」
「馬鹿だって? それは違うな。私が馬鹿なんじゃない。そこに目をつけられない連中と、それを見ないふりする人間たちが馬鹿なのだ!」
この国で貴族が裏で法を犯すのは、日常茶飯事。王族がそれを咎めることも、罰することもない。法で裁かれないのだから、皆裏で手を回して対処する。そんな背景もあり、殺し屋稼業は儲かっているとも言えるのだが。
「ふん、殺し屋のくせして正義を語るのか?」
「いや? 単に気になっただけだ。帝国に手を出して生きていられると考える理由がな」
正義を語る殺し屋なんて、狂った人間に違いない。
少なくとも自分はそうじゃないという認識なので、男の訝しむ顔を笑ってやった。
「帝国なんぞ、ただ領土が広いだけの国だろう。それに魔法後進国だ。我々王国貴族が使える基本魔法すら碌に扱えないと言うじゃないか。そんな国をどう警戒しろと?」
未だ不自然な格好のまま口だけを動かす男は、目の前の殺し屋を呆れたように見上げた。
(随分とまー呑気なもんだな。帝国について何もわかっちゃいねーぞ、こいつ)
「何か裏があるなら確認するつもりだったが……その必要もなさそうだ」
「は? どういう――――」
黒い手袋を嵌めた右手を男の口の高さに掲げ、そのまま宙で口をなぞるように横へと動かした。
「んんん!?」
「無理に喋ろうとすると口が裂けるぞ。今は仮縫いの状態だからな」
「んむーーーーー!!!」
男の唇は上下を縫い合わせたかのように、開かない。暗い室内ではわかりづらいが、唇から伸びた皮膚が糸のように分厚い肉を縫い合わせている。もごもごと口を動かそうとする男の唇は、皮膚が伸びて汚い舌を覗かせている。
「拷問するのは趣味じゃないんだが……でも、たまにはそーいうのも悪くないかもな」
目を細めてそう言ってやれば、男の顔は途端に血の気を失ったように青くなった。
「わ、わうひゃった。ひ、ひのひだひぇあ」
「今さら命乞いされても。お前の首を持って帰るのは仕事だしな」
腰のベルトに引っかけていた大きな袋を男の目の前に投げる。
男の視線がその軌道を追って、少しした後に目が見開かれた。
「……あ、まひゃか、ひ、しにがみ?」
「そー呼ばれることもあるな」
――――死神。それはこの国の貴族間で噂される殺し屋のこと。全身を黒衣で包み、武器は持たず、その代わりに大きな黒い袋を持っている。武器も、杖も持たないのに、狙われた者は何も出来ずに首を狩り取られ、その大きな袋に入れられて依頼者の元に届けられる――――という噂だ。
「ひゃめろ、ひゃめてふっ、く、れ」
「無理するな。大人しくしてればすぐに終わるさ」
「か、かえ、か、ねをひゃる! おんにゃ、ほひゃる。あ、だかあ」
「金も女も間に合ってるんだが……そんなに言うなら――――そこの女に聞いてみよう」
無理に喋ろうとしたせいで赤く染まった口を開いて命乞いをする男。
そいつの訴えにひとつ頷いた殺し屋が指さした先にいたのは、まだ15にもなっていないであろう銀髪の少女。趣味の悪いベッドの上で微動だにせず座る子供だ。
「この女にお前を殺すか、生かすかを決めてもらおう」
「な、なんで、こひつに」
「私は快楽殺人犯ではない。仕事だからやっているだけで、ターゲットに殺される理由がないと判断すれば無理に殺すことはしない」
殺し屋はそう言って、腰からとあるものを取り出した。そしてベッドに近づいて、虚ろな瞳で宙を見る少女の手に握らせる。白いネグリジェを着た少女は殺し屋を見ることはなく、しかし手にしたものの感触を確かめるかのように両手を動かした。
「お、おい、は、はやくいえ! い、いか、いかすと!」
「…………」
男が少女に向かって血をまき散らしながら叫ぶ。少女はピクリと肩を震わせたが、それ以外に反応らしい反応はない。
「これは倉庫で見つけた帝国製の魔道具でな。僅かな魔力で起動する便利な魔法武器だ。この国ではまずお目にかかれない代物なんだが、この男はその価値を全くわかっていないようだ。……お前の魔力でも十分に殺せる。なに、簡単だ。目の前の男にそれを向けて引き金を引くだけだ。それを良しとしないのならそうだな、横にいる殺し屋を代わりに撃てばいい」
ほっそりと長い少女の指を引き金にかけるように握らせてやる。端正な顔に感情は宿らず、手入れされているのにどこか翳りを見せる髪は外からの僅かな光で妖しく光る。
拒絶する様子も、怯える様子すらない。思考が伴っていない弱い子供。
「っつ、おま、えがきれいな、服をきて、しょ、食事ができ、たのはだえのおかげだ!?」
「…………」
「ほ、他の誰よりも、いい暮らしをさせてやっただ、ろう!?」
「…………」
「――――さっきまでお前も愉しんでいただろうがあ!?」
その言葉に、少女の瞳が見開かれる。次いで身体を震わせた。男の口から飛んだ赤が、少女のネグリジェを染める。手元の銃は震えるが、取り落す様子はない。美しい碧眼に涙は見られず、口は開くどころか堅く閉じられている。
しかし、その碧に激情が宿ったのを殺し屋は認めた。
「――――強いものは生き残り、弱いものは死ぬ」
突然話し始めた殺し屋に、少女の肩がまた小さく震える。
それを気にすることなく殺し屋は話を続けた。
「強者は初めから強者なわけじゃない。だが諦め、思考を放棄し、選択できず動けない奴は弱者のままだ。お前はそれでいいのか? 他者から与えられるのはただのきっかけに過ぎない。真に変わりたいのなら自分で進むしかない。――――お前は、どうしたい」
少女は殺し屋を見上げた。目は見開かれて、口は少しばかり開いている。まるでそんなことは考えたことがなかったと言いたげな表情だ。手を震わせながら、それを抑えようと両の手に力が入れられる。
そして、その銃身を男に向けて構えた。
「お、おい!? 私を、ほ、ほんとうに殺す気か!? あんなに可愛がってや、やったのに!」
「…………おまえに、されて嬉しかったことなんて、ない。綺麗な服も、豪華な食事も……この部屋でのことも、全部、全部、なくなってしまえば良いと思ってた」
少女が顔を歪めて言う。
自分に銃を向けられたことが信じられなかったのか、男が目を見開いた。そして慌てたように口を開いた。
「そ、そうだ。お前にも、金をやる。他に、欲しいものがあれば、なんでもやる。だ、だからっ」
「…………なんでも?」
「ああ! なんでもやるから生かすと言え!」
男が血と唾をまき散らしながら叫んだ。生き残れるかもしれないという希望。それを必死に掴もうと叫ぶ男。
彼は叫ぶことしかできないし、していない。何とも滑稽で、つまらない姿だ。
「じゃあ、一緒に攫われてきた子供が欲しい。倉庫に入れられた子供全員だ」
少女の答えに対して、男の目玉がギョロリと動いた。
体が動かない以上実際に見えはしないだろうが、室内に漏れる赤い光を見れば少女の要求を叶えるのが難しいことは明確だ。
男は途端に小さな声で少女に言った。
「そ、それは……み、見えるだろ。もうあの炎じゃ、生きてる奴なんていない」
「貴族なら魔法でどうにか出来るんじゃなかったのか。前にも言っていたよな。帝国の人間と違って我々は魔法の神に愛されていると」
「あ……い、今は杖が――――そう、杖がないからだ! 今ちょうど浄化に出しているところで」
「魔道具がなくちゃ魔法が使えない三流」
男の言葉を遮った声は、温度を持たず。しかし、それがかえって男の息を止めさせた。
「帝国の魔法師をそう馬鹿にしたのは、誰だ」
「お、王国の杖は聖なる力が込められた特別なものだっ。そ、それを役立たずな武器などと一緒にするな」
「その役に立たない武器から逃げられないのは、誰なんだよ」
「ぐっ…………だが、私を殺せば客から恨みを買うことになるぞ! すでに前金を払った連中だ。金を返せと言ってくるに違いない。それに金を返すべき私を殺せば、殺したお前だって無事ではいられない。殺された方がまだいいと思えるような目に遭うんだぞ!」
男の言っていることは、ただのハッタリというわけではないだろう。
それは少女もわかっているはず。ここで男を殺したところで、またひどい目に遭うかもしれない。そんな恐怖からか、もしくは怒りからか、彼女の震えが増す。
「――――また諦めるのか」
今まで黙っていた殺し屋の言葉に、少女と男の意識がこちらを向く。
「自分の置かれた状況を、他人に繋がれた鎖を、仕方がないと諦めるのか」
手を掲げて男の顔の前で左から右へと宙をなぞるように動かした。
「自分の尊厳を、自由を、他人に明け渡す。そんなもの、ただの家畜に過ぎない」
「おい! そいつだっ! 私じゃなくてそいつを殺せ!」
男が自由になった口をさらに大きく開いて吠えた。身体も何かを払うかのように震えさせる。
少女はそんな男に銃を向けたまま、しかしその照準はブレて定まらない。
「手足を縛られ、毛を刈られ、出荷され、喰われる。何もしないなら、何も考えないのならば、家畜らしく大人しくしてろ。自分が世界で一番不幸だなんて顔を晒さず、ただ飯を食ってクソして寝てろ」
「……っ」
「そ、それを、よ、ヨコセ。そいつをこ、殺ス!!!」
男の右腕が振り上げられて、ベッドの上に膝をつける。
少女が唇を噛んで、男の頭に銃を向けた。
「――――ヨコセエ゛エ゛エ゛エ゛エ゛エ゛!!!」
「お前は家畜か? それとも人間か?」
「……っ、お、れは」
「ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛!」
男が目と口を真っ赤に染めながら少女に襲い掛かった。手足をばたつかせて少女に飛び掛かる男は、まるで獣のようだ。部屋に吠え声が響き、宙に血が舞う。赤黒く輝くそれが音を立てて、白を染めていく。
殺し屋は動かない。少女の顔が赤く染まったのをただ見ていた。男の腕が少女の持つ銃へと伸ばされる。
――――そして鳴り響く銃声。
「――――額に1発。いい腕だ。殺し屋でもやるか?」
ベッドの上で肩を大きく揺らして息をしていたのは、銃を握ったままの少女。必死に息を整えようと、深呼吸を繰り返す細い体。息を吸いながらベッドの下に落ちた男を見た少女は、顔を拭っても落ちない赤に眉を寄せた。
反動にもブレることなく、狙い通りに撃ちぬいた先ほどの姿を反芻して、本当に筋は良さそうだと殺し屋は考える。
(それにこの年の女にしては体幹と力がある――――)
そこまで考えて、もう一度ベッドに座る少女を見る。
長い髪に隠れているが、しっかりとした骨格。柔らかいというよりも細い腕。低くもないが、少女にしては太い声。
(――――なるほどな。随分とイイ趣味したクソだったらしい)
殺し屋は、こちらを見上げる美しい碧に口角を上げた。
殺しの後の方が美しく見えるのは、殺し屋の目が悪いのか。それともこれこそが人間という生物の輝きだという証明なのか。
殺し屋は、ある程度落ち着いたらしい子供に問いかけた。
「私のことも殺すか?」
「…………あんたを殺す気はない。殺し屋になるつもりも、ない。もう何も奪われたくないし、何も奪いたくない。結局、守りたかったものも、失った。……ただ、強くなりたい。そう、思うだけだ」
「そうか。なら私は依頼分の首だけ持って帰るとしよう。その銃は好きにしろ。私には必要のないものだからな」
殺し屋が腕を振ると、既に息のない男の首が転がる。それを拾い上げて袋に詰めると、壊した扉を踏みつけて部屋から出ようとする。
だが、ふと思い出したことに背後を振り返った。振り返るとは思わなかったのか、子供の肩が跳ねる。
「あーどこやったっけか。こっちか? ねーな。ならここか……ねーな?」
殺し屋はコートのポケットを探るが、出てきたのは真っ赤に染まったハンカチといくつかの紙に包まれた飴玉。それらを放り投げてコートの前を開くと今度はズボンのポケットに手を入れる。
「お、おいどうした……」
「なんだこの骨。いらん。いや、探してるもんが見つからんくて。あとは……あったあった」
コートの裏ポケットから取り出した紙切れを殺し屋は投げる。それを両手でキャッチした子供は、手の中のものをジッと見た。
「……BAR、ANGELOS?」
「もし殺したい人間がいたらそこに依頼を持ってこい。――報酬はしっかり頂くが確実に首をお届けいたします。今なら特急便も承ります。時間指定も承りますが、急な変更はイラついて半殺しになりますのでご了承ください」
「どんな売り文句だよ。……まあ貰えるなら貰っとくけど」
店のカードを珍しげに触る子供の姿を見て、殺し屋はもう1つ思い出した。
「――――ああ、そうだ。倉庫の中の商品だが、今頃近くの森で迷子になってるかもしれないな。なんせ動かないなら殺すと銃を向けたもんだから、一斉に逃げ出してね」
「え、それって……」
お前なら今から追いかければ追いつけるかもな、と付け足す。
すると銃を持った子供は、目を見開いた後にくしゃりと顔を顰め、そして笑った。瞬きで流れた涙も美しさを感じさせるが、儚さはない。人形のように無機質な表情ではなく、どこか悪ガキのような雰囲気すら感じる。
「……一応、礼を言っておく。ありがとう、死神の旦那」
「礼はいらん。報酬もないし、未来の依頼人に種を撒いた方が好都合なだけだ」
「そういうもん? ならそういうもんだと思っとく。あ、それと1つ聞いていい?」
「ああ、なんだ」
軽口を叩く子供に殺し屋は、口を覆う布を引き上げながら先を促した。
「あんたさ、シャツのボタンかけ間違えてるし、ズボンからシャツはみ出てるし、寝癖もすごいけど……今回も特急便だったわけ?」
子供が指さした先を辿った殺し屋は、自分の身体を見下ろした。触ると確かにボタンはかけ間違えてるし、1つ足りない。いつの間にか脱げていたフードと左後頭部にある寝癖も確認すると、表情を変えずに子供へ視線を戻す。
「いや、通常どおりだが」
「え、でもその恰好はどう見ても朝起きて慌てて飛び出てきたって感じじゃん。急な変更にイラついてボタン吹き飛ばしたんじゃないの?」
「いや、朝はコーヒーとパン、新聞を片手にわりとゆっくりしてきたが」
「じゃあなんでそんな、あわてんぼうスタイルなわけ!?」
「つーかほぼほぼ夜勤だし」
「ああ、暗殺はそんなイメージだわ……ってそうじゃなくて! じゃあそれがあんたのスタンダードなわけ!?」
「だから言ったろ。通常通りだって」
「あ、ありえない……まさかいつもそんなんじゃないよね? ちがうよね? 今日がたまたまだよね? …………目え逸らしてんじゃん! 殺し屋のくせにちょっとカッコイイと思ったらコートの下がコレって……」
なんか変に俺がダメージを喰らってんだけど!? と叫ぶ子供は、大分元気そうである。あれだけ叫ぶことが出来るなら、森まですぐにたどり着けるだろう。
殺し屋は宙を見ながら、目を逸らし続けた。十数年逸らし続けてるので慣れたもんだ。
「あーもう! 決めた! 絶対あんたにイイ服着せて、超カッコいいスタイリングしてやる!」
「そうか。だが断る」
「それも断る! 今あんたのひっでえ恰好見て、自分は綺麗なもんが好きなんだってことがわかった。自分を着飾るのはあんま好きじゃないけど、他人を着飾りたいっていう欲はあるみたいだって……それに気づけたならここでのことも紙切れ一枚分は悪くない。……って思えるようにこれから行動することにする」
最後は自分に言い聞かせるようにそう言った子供は、空を斬るような勢いで殺し屋を指さした。
「そんでいつかあんたのそのダッサイ恰好をどうにかしに行くから覚悟しておけよ。死神の旦那!」
「――――やれるもんなら、やってみろ」
なんせ筋金入りなんでな、と後ろ手に手を振って殺し屋は部屋を出ていく。
(神を信じてない私が死神、ね。それに私の恰好をどうにかすると言い出すとは)
可笑しなことだと思いながら、未だ主人の命令をこなそうと奮闘する使用人たちを避けて走る。
黒い袋を背負った殺し屋は、闇に紛れるように屋敷から姿を消した。
*
王都のとある酒場。
雨で濡れた外套を脱ぎながら、1人の人間がドアを開けた。
大衆酒場というよりも隠れ家的たたずまいの店には、今日も他の客はいない。片手で数えられるほどしか置いていない席に、カウンターテーブル。閑散とした店内は薄暗く、紫煙が漂っている。
「お〜キルテかあ。お疲れしゃん」
出迎えたのは黒いカソックを着た髭面の男。カウンターテーブルに片頬をつけて、こちらを見ている。どうやら暇を持て余していたらしい。テーブルには酒瓶とグラスが散乱し、灰皿には山が出来ている。顔色は普段と変わらないが、店内に充満する煙と臭いが酷い。
周りの煙を払うように手を振った客――――キルテは眉をひそめた。
「相変わらずくっせーな、この店」
「ええ〜こいつらの良さがわからないなんて、キルテもまだお子様だな〜。俺を見習ってお前も嗜むくらいすればいいのに」
「神父気取りの変態に習うことなんてない」
「相変わらずひっどいな。エンジおじさん泣いちゃうよ」
シクシクと煙草を挟んだ左手で泣き真似をするエンジに、キルテはさらに眉間のシワを深くした。いい年した人間がやってもただ気持ち悪いだけである。
キルテは泣き真似には何も言わず、黒い袋をテーブルに投げた。中で肉の潰れた音がするが、知ったことではない。
「おいおいおい、丁寧に扱えよ。依頼人に文句言われんのはこっちなんだぞ〜」
「私は首を狩って来るだけだ。そもそも首を飾るわけでもねーんだからそこまで気にする必要ないだろ」
「は~これだから首狩り職人は。いいか? 俺たちの仕事はただの殺し屋稼業じゃあない。これは神から与えられた神聖な仕事でな――」
「帰る。報酬はいつも通りに」
変態の長話に付き合うつもりのないキルテは、外套に手をかけた。少しの間雨宿りでもしようと思っていたが、エンジの妄想に付き合うくらいなら雨の中走った方が百倍マシだ。
「待て待て待て。キルテちゃん、ちょっと待ってくれ」
「キモイ」
「あ~マジで待って。仕事! 仕事の話なんだってば。お前が望んでた、100人目のターゲットの話だ」
キルテは振り返ってエンジを見た。髭のついた顎を掻いたエンジは、肩をすくめて人差し指を立てる。
「ここんところ仕事詰めすぎなんで、俺としては休んでほしいくらいなんだけど。お前との契約もあるし、久しぶりに大仕事みたいなんでな」
「……内容は」
「詳しくはお前にしか話さないとさ。でも報酬は莫大。ありゃ、ただもんじゃないな。お前を指定してやってきた依頼人だ。死神じゃなく、お前をな」
死神の噂を聞いて依頼に来る人間は多い。しかし、その中で実際にキルテのことを知っているもの、仕事ぶりを知るものはほぼいない。今回の依頼人はある程度キルテのことについて調べて来たということだろう。
「奥の部屋だ。ここ数日、毎日通ってたんだよ。お前が忙しいって言ったら、じゃあここで待ってるってな」
「無駄話をする前にそれを言え」
「え~無駄話ってひどい。キルテが無事に帰ってきて嬉しかったからちょっと忘れただけです~」
「キッショ」
「ひどいな~」
おじさん傷ついちゃうな~と言うエンジは、首を傾げながら笑った。その軽薄な笑みは昔から変わらない。出会った時からこの男はいつだって軽い調子でキルテに構ってきた。しかし、踏み込みすぎず一定の距離を取っているようにも思える。そうでなければ、キルテはこの仕事をとっくにやめていたかもしれない。
『もし、100人の首を持ってきたら組織から君を開放する。これは神の前で誓う契約だ。破ることは決してないし――――破れば罰が与えられるよ』
(いや、そんなことをしたらこいつは私を殺そうとしたか。そうじゃなくともそのまま見逃すことはないだろう)
エンジに拾われた時、交わされた契約。キルテが自由になるためには100人分の首を挙げる必要があった。その記念すべき100人目のターゲットを持ってきた依頼人がやって来たと言うのだ。
この仕事を始めて十数年、キルテはこの時をずっと望んでいた。
「別にこのまま組織にいてもいいんだぞ」
2階へと向かおうとしたキルテの背に、静かな声が掛かる。振り返れば、ドアを見つめて煙を吹かすエンジがいた。目を伏せて落とした灰が赤く光る。外の雨はさらに勢いを増して、吐き出す息の音をかき消した。
「そんなことが起きたら――――お前の言う神とやらを殺すか、死ぬしかないな」
「おい、そりゃいくらお前でも聞き逃せん……って急に投げんなよ! 危ないじゃねえか! アッこの野郎、待てってお前はガキか!?」
キルテはびしょ濡れの外套をエンジに投げつけて、その場を離れる。外套で隠れてエンジの表情は見えない。ただ声音から考えて、本気で怒っているわけではないのだろう。
(父親代わりのつもりか。あの似非神父)
距離をとってもまだ鼻を衝く臭いとドアを叩く雨音が、妙にキルテの胸を騒めかせる。
2人の関係はあくまで契約があるから成立しているもので、個人的な付き合いが深いわけではない。確かに幼少の頃は身の回りの世話を焼いてもらったり、魔法について教えてもらったことはあった。けれどそれも最低限だった。キルテはこれ以上借りを作るのは嫌だったし、エンジもお努めをするのにクソガキは邪魔だと思っていたに違いない。それを今さら情が湧いたとでも言うのか。それともただ道具として殺し屋のキルテを手放したくないのか。
(……いや、今は依頼の方に集中しよう)
キルテは、濡れた前髪をかきあげた。あと少しで達成すると最近は仕事を詰めすぎていたが、次の依頼で本当に最後になるかもしれないのだ。ここで気を引き締めないで、どうするのか。そんなことを考えながら薄暗い中階段を上るといくつかの部屋が見える。今回依頼人が通されたのは2階の奥の部屋。他の部屋に比べると段違いに置いてある物が良い部屋だ。調度品はもちろんのこと、敷かれた魔法も、だ。
「それだけの依頼ということなんだろうが……さて、どんな依頼人なんだか」
キルテは部屋に入ろうとして、ドアが手のひら一枚分開いていることに気が付いた。ドアを見ると魔法は発動されていないらしい。
『…………ああ、やっぱりこれも違う』
部屋の中から漏れ聞こえる声に、キルテはドアに顔を寄せた。隙間から見えるのは1人の男。こちらに背を向けて立っているため顔は見えない。しかし、随分と背の高い人間だ。キルテも女にしては高身長だが、それよりも拳ひとつ分は高いだろう。黒い髪を後ろでまとめていて、その髪は背中の中ほどまで伸びている。
『…………下は煙草と酒の臭いでわからなかったけど、ここは薄すぎるんだよな。でも、やっぱりいいなぁ』
(臭いについては同意だが……何のことだ?)
キルテは頷きながらドアに手をかける。ここで盗み見ても時間の無駄だ。依頼人はドアを完全に閉めると防音魔法が展開されることを知っているのか。わざとならば中でやましいことはしてないという意思表示なのか。聞かれてもどうとでもなるという自信か。それとも単なるうっかりか。
(まあ、面倒な解除作業をしなくて済んだから理由はどうでもいいか)
そう結論付けてキルテはドアを押す。
――――しかし、すぐにその判断を後悔した。
「スンスンスン……やっぱりいい匂いだなぁ。この冷たさの中にある花のような、果物のような匂い。いや、鉄の中にある綿の匂い? とにかく僕にドンピシャな匂い。回収できたのがこのハンカチだけなのが惜しい惜しい。スウウッ、それも血痕付。この血も魔法痕が匂うのも最っ高。なんだろこれ、嗅いだ感じあの屋敷に充満していた匂いと同じなんだけど。命を奪っているのにも関わらず、漂う生命力! 矛盾しているのに美しい。いや! 矛盾しているからこそ美しい! あの部屋に丸一日いたもんなぁ。はぁ、幸せだった。フンフンフン…………そうだ今回上質なサンプルを採れたらあの香りを再現しよう! そうすればあの匂いといつでも一緒………フフ。よし、そうと決まれば店主に他の部屋も嗅いで良いか確認を……いや、それよりも死神が誰を殺しに行ったのか聞いた方がいいか。じゃあ早速、下に行って――――」
キルテが目にしたのは、顔の半分を黒い仮面で覆った男が、見覚えのある血だらけのハンカチの匂いで興奮して早口で独り言を呟く姿。
男は振り返ったまま、動きを止めている。どうやらキルテがいたのを今まで気づいてなかったらしい。それほど興奮していたのか。キルテの血付きハンカチに鼻を埋めて。
「………………み、見た?」
「バッチリ」
男が口元を引くつかせながら問いかけてくる。
それにキルテは笑顔で親指を立ててやった。
「――――変態死すべし、慈悲はない」
そして、そのまま横にして首の前で腕を引いた。顔に最大限の侮蔑を張り付けて。
「……イ、イヤアアアアアアアアアッ!?」
「お前が叫ぶのかよ。変態仮面。てめえが加害者で、私が被害者だろ」
「れ、冷静! あっ、ち、違うんだ! これはそういうんじゃなくて」
「変態は皆そう言う。私は詳しいんだ」
「えっそれって君も変態って」
「ちげえ。てめえ自分の立場わかってんのか。変態匂いフェチキモカスクソ仮面」
「め、めっちゃ怒ってらっしゃる。せ、説明! 説明させてください!」
(――――1匹出ると無限に湧く変態を駆逐しない時点で、この世にいるという人知を超えた優れた存在の神様とやらも変態だ。変態に違いない。変態であるべきだ。そうでないと正気のまま変態を無数に生まれさせ、育てて飼っているなんて――――いや、それこそ変態で。つまりは神=変態という式が出来るわけで)
キルテは、混乱していた。
続きを読んでくださりありがとうございます!




