第19話 恋だの愛だのほど軽いものはない
「リアさん! 大丈夫ですか」
「……は、はい。だ、大丈夫です。ハアハア……ま、まだ走れます」
修道院の地下。暗く長い通路にリアの荒い息が響く。
リアと紅炎隊の5人は無事に聖樹を燃やすことに成功し、現在は地上を目指して地下通路を走っているところだ。
「リア! 無理するな! お前に倒れられて困るのは俺たちなんだ。おぶってやるから、こっち来い」
「で、でもそれじゃあ、魔物の相手が出来ないんじゃ」
聖樹を燃やした後に、リアたちが遭遇したのは大量の魔物たち。修道服や囚人服らしいものを着たモノもいたため、実験で魔物化させられた人間たちの成れの果てなのだろう。次々と湧いてくる魔物たちにリアは、歯を食いしばった。
(こんなにも、多くの被害者が……)
「っ、リア! 避けろ!」
もしかしたら、自分もその1人になったかもしれない。そんなことを考えていたリアの目の前に、魔物の放った火炎魔法が迫る。その風圧と熱に、リアは両目を瞑ってしゃがみ込む。
(…………あれ、熱くない?)
攻撃を自分で避けられるとは思っていなかったリアは、自分の体に異変がないことに瞬く。そして、目の前に大きな背中があることに気づいた。
「ジ、ジノさん。あ、ありがとうございます。……すみません。アタシ、ボーっとしてしまって」
「…………」
ジノが構えているのは、魔道具である盾だ。ズワールト侯爵が用意したもので、キルテの交渉によって紅炎隊のメンバーが使うことになったのだ。
リアよりも頭2つ分以上高い位置から見下ろすジノは、何も言わない。リアがもう一度謝罪をしようとした時、ジノがしゃがみ込んだ。
――――そして、リアの体を抱き上げた。
「きゃ! ジノさん!? あの、これは」
「お~。リアねーちゃんが抱っこしてもらってる~」
「その方がいいでしょう。ジノ、よろしくお願いしますね。ヒーラーは守らなくては」
「あの死神なら、自分で特攻していきそうだが、な!」
「ははは! キルテならやりそうだ! しっかりと守ってやれよ、ジノ!」
「無論」
ジノの片腕に座るように抱き上げられたリアは、紅炎隊の面々から言われた言葉に口を塞いだ。確かに自分が危険な目に遭って他のメンバーに迷惑を掛けるよりは最初から守れる位置にいた方がいいはずだ。
リアは、抱き上げられたことで目線の高さが同じになったジノを見つめる。
「……ジノさん、ありがとうございます。よろしくお願いします!」
「ん」
短く返事したジノは片手に盾を、片腕にリアを抱えたまま走り出した。リアからしたらとんでもなく速く走っているのに、抱えられたリアにはほとんど振動は伝わってこない。リアもジノになるべく負担を掛けないようにしながら、タイミングを見て治癒魔法を展開する。
「ったく、キリがねえな!」
「監獄の方がどうなっているのか……考えたくありませんね」
クロザとシザの言う通り、魔物は途切れることなく出てくる。広くない通路の中で紅炎隊の面々が上手く連携して対処しているが、このままでは無事に外に出られるかわからない。出られたとしても、魔物も一緒に地上へ連れて行ってしまう。
(それじゃあ、ダメだ)
リアは、胸元にあるキルテから渡された指輪を握りしめた。そして彼女から言われた言葉を思い出す。
『この指輪には魔物たちの怨念が記憶されている。もし、聖樹を燃やしたことによって魔物たちに襲われたらこの指輪を使え。お前が持っていても問題ないのは確認済みだ』
『わかりました。……けど、これを魔物にどう使うんですか?』
『この部分を魔力を込めながら左に回せ。絶対に右には回すなよ。記憶を奪われるからな。あとは魔物に投げつけるだけでいい』
『ひえぇ、わかりました。絶対に間違えません!』
リアは、ジノの肩に手をついて後ろを振り返る。暗闇で狂ったようにリアたちを追いかける魔物たちの瞳が光る。どれだけの魔物が未だこの地下に潜んでいるのだろうか。リアは、口の中の唾液を飲みこんだ。
「左に、回しながら、魔力を流す」
「……リア?」
ジノに名前を呼ばれるが、リアは間違えて右に回さないようにと指輪に集中していたためその声に返事をすることはなかった。そのおかげで、方向を間違えることなく左に回すことが出来た。
カチリと鳴った指輪を握りしめたリアは、右腕を振りかぶった。
「――――そして、魔物に投げるっ!」
「っ、『全力で走れ』!」
リアが指輪を投げた瞬間、ジノの魔力の乗った言葉が通路に響く。その言葉を聞いた者たちが、動かす足に力を入れる。リアを抱いたジノもぐんと加速する。その勢いで体が揺れたリアは、ジノの首に掴まって彼の頭に顔を伏せた。
「ギュ、オオオオオオオオオオウ!!!!」
「アア、アア……ア、ア」
「ゲエェェェェッア、アアアアアゥ」
魔物たちの悲鳴が響き渡る。のたうち回っていたり、自死するモノもいる。キルテの言っていた通り、指輪に保管されていた怨念たちに犯された魔物は狂って自壊していく。
足を止めたジノの腕の上で、リアは安堵の息を吐いた。怨念は、上手い具合に魔物たちを対象に広がっている。これで自分たちは外に出られるし、魔物を外に出さないでいられそうだ。
そう思ったリアの額に、衝撃が走った。
「あ、いたあ!? え? ジ、ジノさん?」
リアの額を打ったのは、無表情のジノだった。彼は、瞬くリアをじっと見つめてから口を開いた。
「説明」
「え? あ、あのそれは」
「ジノ、それだけだとわからないですよ。『説明してから、行動に移せ』ということですよね」
シザの言葉に無言で頷くジノ。未だに呆けているリアに、クロザも補足する。
「お前なあ、合図なしじゃあ俺たちも巻き込まれかねなかっただろう。しかもそんな道具があんなら先に共有しておけよ」
「あれはキルテさんから渡された指輪、ですかね? 凄まじい威力です。巻き込まれたらひとたまりもなさそうですけど」
「す、すみません! 事前にちゃんと皆さんにお伝えするべきでした!!」
リアの言葉に、シザが「よろしい」と頷いた。他の面々にも頭を下げると皆笑ってそれを受け入れる。
「ジノさんも、あの、フォローありがとうございました」
「ん」
やはり、短く返事をしたジノにリアも微笑む。
(愛想はないけど、優しい人なんだよなあ。ジノさんも)
「…………姐さんは、今頃どうしているでしょうか」
無表情で頭を撫でるキルテを思い出して、リアはポツリと言葉を零した。王宮でも魔物たちが大量に発生しているに違いないのだ。しかも、王宮にいるのはキルテのみ。誰かを連れて行けという意見に、キルテは頷かなかった。それにソルもキルテなら1人の方が動きやすいだろうと同調したのがメンバー決めの決め手になったのだが。
(ソルさんは、副隊長さんを自分で助けに行きたいとは思わなかったのでしょうか)
俯きながらそんなことを考えるリアは、自分の頬を突かれて顔を上げる。
「ジノさん?」
「大丈夫」
真っすぐリアを見下ろす瞳と、変わらない表情。言うことだけ言って再び走り出したジノにリアは笑った。その言葉には魔力はこもっていなかったが、リアの心を浮上させた。
「そうですね! 姐さんならきっと大丈夫ですよね」
「もしかしたら既に仕事を終えて、俺たちを待ってるかもな!」
「なら、僕たちも急いでここを出なくてはいけませんね」
「はい!」
(姐さん、貴方の教えてくれた治癒魔法のおかげで、アタシは、皆さんの役に少しは立てているみたいです。……学ぶことは、まだまだあるようですが)
早くそのことをキルテに伝えたいと、リアは暗い通路の中でそう思った。
*
「第一王女との逢瀬は、愉しめましたか? 帝国将軍、シヨウ殿。いや…………帝国皇帝の腹違いの弟である――――イアン皇弟殿下?」
「……皇弟?」
玉座の間に現れたシヨウと、黒い大蛇。
シヨウに対してのエンジの問いかけに、キルテは目の前の男を見つめる。シヨウは、顔を上げてエンジの方へ視線を向ける。それに対して頬を吊り上げたエンジは、目も細めて語りだした。
「なんでも王女様は一度遠くから見た貴方の姿に一目惚れをしたのだとか。貴方のその痣でさえ、愛おしいのだと仰っていましてね。国王……ああ、元国王も娘の頼みを断れなかったらしいのですよ。なので我々が少しばかりの助言と婚約の場を整えたのですが……。今宵の王女も大層美しかったでしょう? ねえ、イアン殿下」
大袈裟に身振り手振りを加えながら喋るエンジ。キルテは、彼の話を聞きながら痛む体に眉を顰めて俯いた。今も治癒魔法を展開しているが、やはり魔力が足りない。特に酷いのは焼かれた背中だ。シャツは燃え、肌は爛れていることだろう。感覚が既に麻痺しているが、魔力を回しても治っている感じがしない。
(くそ、こんな時に……。もう少しまともな状態だったらシヨウの襟首掴んで問いただすのに)
痛むのは体だけではないのだと、キルテはもう知っていた。目を逸らすつもりもなかったし、簡単に引き下がるつもりもない。けれども、この状態で好きな男が他の女と逢瀬をしていたという話を聞かされたのだ。
(私だって、少しは傷つくぞ。……それに、皇弟殿下ってなんだよ)
つまり、シヨウというのは仮の姿。キルテが今まで接してきた男は、それこそ仮面を被った姿だったのだ。そして本来の姿であるイアンは、キルテと一生出会うはずのない存在。ではキルテが好きになったシヨウという男は、全てが嘘で作られた人物なのか。
(いや……それは違うだろ)
ヒトを動かすのは、『思い』だ。記憶をなくしていても、名前を変えて、身分を偽っていたとしても、変わらないものがある。そのことをキルテは既に知っていた。それを知るきっかけを与えたのは、今もキルテを離さず支える男なのだ。
(――――今は、それをわかっていればいい)
キルテはそう切り替えた。シヨウがどういう思いでキルテに関わっていたのか。勿論気にはなるが、大事なのはそこではない。キルテにとって大事なのは、自分がどうしたいか。いつだって自分のやりたいように、自由に生きていきたい。その思いはずっと変わらない。シヨウがどう思っていようとも、キルテはキルテの思いを真正面からぶつけるだけだ。
(まずは、この場をどうにかしねーとな。それに、リリスのことも含めて話すことがある)
キルテは、シヨウに声を掛けようと顔を上げた。しかし、開いた口からは何も発せられることはなかった。
(なんて顔、してんだよ――――)
キルテを見下ろすシヨウは、口を引き結んで眉を顰めている。瞳は金色に光り、魔力が巡っている。頬の痣からは魔力が溢れていて、まるで頬を伝って落ちる涙のようだ。
激怒しているようにも、哀しんでいるようにも見える。ただキルテの両腕を掴む手が、絶対に逃がさないと主張をしている。
「お~い、聞こえてますかね? 皇弟殿下――」
エンジが手を振りながらこちらを見る。それを無視したシヨウは、キルテの目を見つめたまま言った。
「――――リウ、時間を稼げ」
その声は、激情を無理やり押し殺したかのように冷たく、平坦だった。
「シュ、シャー!」
「うお!?」
「神父様!?」
シヨウの声に応えるように、黒蛇が絞めていた魔物をエンジに叩きつけてから近寄る。どうやら黒蛇の名はリウと言うらしい。
リウは、キルテとシヨウを囲むようにとぐろを巻く。全長は天井までの高さ以上にありそうな大蛇だ。囲まれたらエンジたちどころか、周囲のものは何も見えない。黒い体鱗が淡い青色に発光しているため完全な暗闇とは言えないが、キルテの目でなければ近くにいる人間の表情でさえよくわからないだろう。
リウが威嚇する音と、スカーレットがキルテを呼ぶ声が聞こえる。しかし、それらからキルテを引き離すかのように腕を引かれる。
――――目の前にいるのは、シヨウだけ。
2人隔絶されたような空間に、キルテはいつの間にか詰めていた息を吐く。その音に、シヨウの目が細められる。
「キルテさん、ごめん」
「なにが――――」
もしかして本当の身分についてに言っているのか。謝る必要はない。説明はさせるがな。
そう言ってやるつもりだったキルテの言葉は、シヨウに伝えることはできなかった。
――――シヨウの冷たい唇が、血で汚れたキルテの口を塞いだ。
「っ、んんう」
「…………ふ、――――くち、あけて」
その温度と柔らかさにキルテが気を取られている間に、シヨウが唇を離して呟いた。しかし、すぐさま塞がれて今度は入ってきた舌が口内を探っていく。シヨウの唇と舌が荒々しく、けれども丁寧に、執拗にキルテを貪る。唾液と息さえも呑み込むような口づけは、キルテに感じたことのない快楽を与えた。崩れ落ちそうになるキルテの足に、シヨウの膝が割って入り掴まれた腕と共に体を支えられる。
「ん、ンンッ……ふ」
「……ん」
触れたところから流れてくるのは、シヨウの魔力だ。口からだけではない。両腕を掴まれたところからも絶えず魔力が送られてくる。惜しみなく与えられるその魔力を、キルテは拒絶せずに全て受け入れる。空だったものが急速に満たされていく。その感覚に、キルテは体を震わせながらシヨウの首に手を回した。
(――――もっと、欲しい)
キルテの頭がその思いに侵食されていく。与えられた魔力に喰らいついて、貪っていく。あの夜、聖堂で見た金色の魔力。その大元とも言える魔力の味は、キルテにとって酷く甘く感じた。体中に魔力が巡る。魔法が、魔素列が、更新されていく。自然と治癒していく自分の体が、なおもシヨウを求めている。
――――今、シヨウの魂に触れている。キルテには、本能でそれがわかった。
「ん、はっ…………シヨウ?」
ちゅ、と音を立てて唇が離れる。互いを繋ぐ銀糸を見ながらキルテは、少しだけ息を乱してシヨウの名を呼んだ。
「……お前、なんつー顔してんだよ」
「…………うん。ごめん」
これも魔力を大量に送りこまれた影響だろうか。シヨウの中では濁流のような感情が渦巻いている。彼はそれを押し込めようと、閉じ込めようとして苦しんでいる。そのことを、キルテはハッキリと感じ取ることが出来た。
その姿を見て、感じて、キルテはたまらなくなった。
――――シヨウの顔を引き寄せて、唇を重ねる。
「ん……ッ、キルテさ――」
「言えよ」
腕を押されて顔を離したシヨウは、キルテの言葉に息を呑む。その様子に、シヨウの心臓に拳を置いた。
「何か、私に言いたいことがあるんじゃねーのかよ」
「それ、は」
「あんだけ魔力で伝えてくるくせに、与えるくせに、口には出せねーってか。ふざけんなよ」
痛みがなくなった腕を振り上げて、シヨウの胸を叩く。
「――――私に伝えることを諦めて、なかったことにしようとしてんじゃねーよ!」
「……っ」
くしゃりと顔を歪めるシヨウに、何度も拳を振り下ろす。頼むから、伝わってくれと。何かに祈るかのように、キルテは熱を持つ目に力を入れて叫んだ。
「強さには種類があるって言ったのはお前だろ! そう言ったお前が、それを私に教えたお前がっ……自分の気持ちを偽って、閉じ込めて、立ち止まるのか!?」
(――――ふざけるな!)
キルテの目から耐えきれず、涙が零れる。頬を伝うそれをそのままに、シヨウの胸倉を掴んで顔を近づける。
「――――私は、お前のことが好きだ! お前の本当の姿を知らないだとか、身分が違うだとかは、どーでもいい! 私はお前と一緒にいたい。お前のことをもっと知りたい。その体や魔力に触れていたい。理性でも、本能でも、お前が欲しい! それの何が悪い!?」
「……キルテさん」
シヨウのカサついた手が、頬を撫でて涙を拭う。その手に重ねるようにキルテは、自分の手を添えて指を絡める。いつかは自分から手放したものを、振り払われたものを、失いたくはなかった。
「お前の気持ちを……っ、ちゃんと私に教えろよ。1人で完結させてんじゃねーよ。人と関われって、私のことを強いって言ったお前がっ……私との繋がりを諦めてるんじゃねえっ」
止まらない涙に、キルテは目を閉じて顔を俯かせる。泣きたいわけではないのに、もっと怒って、責めて、言質を取ってやるつもりだったのに。勝手に溢れてくる涙と激情に、キルテは唇を噛みしめた。
新たに血が滲んだ唇を、シヨウの親指がなぞる。
「――――僕は、君のことを好きじゃないよ」
「……っ」
キルテは、シヨウの言葉にグッと喉を詰まらせた。微笑みながらそう応えるシヨウに、急速に血の気が下がっていく。俯いて見える床に、雫がどんどん落ちていく。
キルテが感じたものは、全て勘違いだったのか。ならば王女との逢瀬の意味は……。先ほどの口づけもただの救命行為で、そこには何の感情も乗っていなかったとでも言うのか。
「…………はは。君が僕の言葉に傷ついているのが、たまらなく嬉しい」
「なにを――――」
「僕はね、キルテさん」
ゆっくりと顔を上げたキルテは、自分を見つめる男に息を呑んだ。その金の瞳は、キルテを決して離さない。恍惚とした表情で、白い肌を少しばかり赤らめながらシヨウは言った。
「――――君を自分のものにして、未来永劫僕に縛り付けたい。その身を僕の色で染められたら、その魔力と魂を食べて、一緒になれたら。どんなに幸福だろか。自分以外に傷つけられて、君を失うのならば僕の手で傷つけたい。一緒に地獄へ落ちてしまいたい。……ずっと、そう思っていたんだ。この気持ちは、愛だの恋だのなんて甘いものじゃあない。だから、君が彼女たちを庇って死にそうになっているところを見たら……彼女たちを殺して、君を攫って、君を縛って……どこかへ消えようと思った」
その言葉にキルテは瞬く。その拍子に落ちた雫をシヨウが指で撫でて、そのまま口に含んだ。「ふふ、あまい」と唇を舐める男に、ゾクリと体が震える。
「キルテさんが言ったんだよ。お前の気持ちを教えろって。君はこんな僕を受け入れられるのかな。僕を好きだというくせに、殺し屋のくせに、他人を守って死にかける君に。それに僕が他の女と会っていたと聞いても何も言わないのにも苛立つ。……でも、もう僕の気持ちは伝えちゃったから。嫌われたって、逃げられたって、君を手放す気はないよ。本当ならじっくり逃げ場を塞いでから伝えようと思ったんだよ? けど、君が聖女の首を落とさずにあんなにボロボロになりながら戦うから、いけないん――」
キルテは、シヨウの口を離した片手で塞いだ。自分の言葉を遮られたシヨウは、目を細める。その視線に、キルテの体は震えて熱を持つ。視界に映る魔力がキルテを囲うように、縛るように、絡みついてくる。その魔力に目を奪われていたキルテを、シヨウが気に入らないとでも言いたげな目で見てくる。
――――ぴちゃり。
ハッとした時には音が鳴ってキルテの手が濡れる。驚いて反射的に逃げていく手を、シヨウはすぐに捕まえ絡めとり、そこにも唇を落とす。触れられた箇所に魔力と快感が走る。甘く痺れるかのようにキルテの体を侵すシヨウの魔力は、心臓を激しく動かし血流を加速させる。
「なっな、舐め――」
「僕の言葉なんか、聞きたくなくなっちゃった?」
「ちが、そーじゃねえけど、今はこんなことしてる場合じゃねーだろ。リリスたちもそのままにしておけな――」
「――そんなの知らないよ。もしそれで死んでも、彼女たちが弱いのが悪い。それに、言ったよね? 僕は君が他人のせいで傷つくくらいなら、自分で君を傷つけるって。もしかして、怖くなっちゃった?」
「だがら、ちが――」
「でも、もう絶対に逃がさないよ。君が嫌だと言っても、泣いて願っても、僕から離れることは許さない。もし、それでも逃げるって言うなら君の足を斬り落として、魔力を奪って、首輪をつけようか。大丈夫。2人きりになったら、また魔力をあげるから。それまでの――――」
言い募るシヨウに、キルテはもう片方の手で彼の頬を下から鷲掴みにした。再び妖しく光る金の目に、顎を上げて睨みつける。
「ふぎゅ、はなし――」
「――――だから! 違うって言ってんだろーがっ! 私の話を最後まで聞けよ、この変態野郎!」
叫んだキルテに、シヨウの金の目が瞬きをする。その間の抜けた表情に、キルテは勢いに任せて言葉を続ける。
「時間がねーから、簡潔に言うがな。いつ、私がお前の気持ちを拒絶、否定したんだよ。あ!? てめえが変態なのは最初っからじゃねーか。何ここに来てジメジメグダグタ言ってんだ。今はそんな状況じゃねーからなっ!!」
「キルテさ――」
「――――だから! これだけは言っておく。私は、お前から離れるつもりはない! そして自分の気持ちも行動も曲げるつもりはない! てめえのドロドロした感情なんて重くも怖くもねーよ。死神舐めんな!」
力の抜けたシヨウの手から自分の手を引き抜いて、呆けた面をする男の胸倉を掴む。その目へ焼き付けるように、その鼻に叩き込むように。キルテは魔力を迸らせながら叫んだ。
「私の道は私が決める! そのために私は強さを求めて来たんだ。救いも導きもいらねー! 私はお前が好きで、お前は私と離れたくない。そこに矛盾はあんのかよ。何か問題でもあんのかよ!?」
「な、ない……です」
「なら、その湿った面をなんとかして働け! まだ仕事は終わってねーんだよ。ここで怯える女や嬉しい攫って、だなんて言う女が良いならさっさと私の前から消えろ! 仕事の邪魔だ!」
「……うん、それは無理だね」
少しだけ険の取れた目に、胸倉から手を離してシヨウの胸を強く押す。ムカつくことにビクともしない体に舌を打ってから、キルテを見たままの瞳を指さした。
「話なら仕事が終わってからいくらでも聞いてやる! 私は逃げも隠れもしねー! けど! 私にはこんな所で乳繰り合う趣味はねーよ。変態じゃねーからな!」
「……キルテさんだってキスしてきたくせに」
「うるせえっ! 黙ってさっさとここから出せよ、激重執着ジメジメ変態野郎!」
「うん、ひどい呼称だなあ」
でもなんだか懐かしいや、と笑ったシヨウが周囲を囲ったままの体鱗に触れる。すると、視界を塞いでいたとぐろが解ける。キルテの目に映ったのは、防御魔法の魔素列。どうやら黒い大蛇は、防御魔法ですら展開出来るらしい。キルテたちだけでなく、リリスとスカーレットもその範囲に入っていることに鼻を鳴らした。
「フン! なんだかんだ言ってお前だって守ってんじゃねーか。つーか出来過ぎじゃねーか、お前の蛇」
「リウは子供の頃から育ててるから。……彼女たちのことは、まあ一応ね」
冷めた目で2人を見て笑うシヨウに、スカーレットが一瞬怯えて口を堅く結んだが、すぐに睨み上げる。キルテは、その光景にため息を吐いてからシヨウの頭を叩く。
「っ、痛い……何で叩くのキルテさん」
「うるせー、さっさと魔力を寄こせ。まだまだ有り余ってんだろ」
「大胆だね。見られながらキスしたいだなんて」
「な!? 手でいーんだよ、手で! 分かってて言ってんなお前!?」
「ふふ、顔が赤いよ。僕の口を塞いだのは照れ隠しだったんだね」
「は、はあ!? ちげえよっ! おい、ニヤニヤすんじゃねえ!」
ふざけたことを抜かす口に舌を打ってシヨウの手を握る。色々と言ったくせにすぐに与えられる魔力を吸収して、呆けているスカーレットと目を閉じたままのリリスの傍に膝まづく。
「し、死神キルテこの人は一体――」
「ただの魔力供給機だ。気にすんな」
「いや、さっき皇弟殿下って――」
「ただの変態だ。あまり近寄るなよ。殺されるかもしれねーからな。やらせねーが」
困惑するスカーレットと意識を失っているリリスをまとめて抱きしめる。そして、シヨウから渡された魔力を自分の中で練り上げてから治癒魔法を展開する。今回は、怪我を治すというよりも魔力供給をするものだ。
リリスの表情が穏やかになったのを確認してから、キルテは彼女の首元のネックレスを両手掴んで引きちぎる。魔物が死んだことでほとんど機能していなかったそれを適当に投げ捨ててから、立ち上がった。
「お嬢、悪いがもう少しここでリリスを頼む」
「それは、勿論いいけれど。……貴方、もう大丈夫なの? 怪我は、治ってるみたいだけど」
「ああ、問題ない」
そう言ったキルテは、リウの防御魔法で隔てられた向こう側を見た。レイがリウに対して攻撃をしかけているが、それを子供を相手するかのように捌く大蛇。実際レイの体は子供のものなので見た目はじゃれてくる子供と遊んでやっている蛇だ。容赦なく尾で攻撃もしているし、子供の方も罵詈雑言を吐き出しながら刃にした腕を振り回しているのだが。
「――お、やっと乳繰りタイム終わった?」
「乳繰り合ってなんかねーよ!」
「やっぱ、同族は惹かれるもんなんだなあ~。おもしろ。教会に報告しなきゃなあ」
「聞けよ!?」
暇そうに煙草を吹かしながら言ったエンジに、キルテが叫ぶ。エンジは魔物の骨に足を乗せて玉座に座っていた。煙を纏って眠そうな目でこちらを見る姿は、キルテにとって見慣れた姿だ。しかし、この状況でその姿を見せること自体が、エンジの異常性を表しているようだった。
どうやらエンジは攻撃をレイに任せて休憩中だったらしい。舐めやがって、と頬をひくつかせたキルテだったが、エンジが攻撃して来ていたらマズかったかもしれない。スカーレットとリリスは防御魔法の範囲にギリギリ入っている。けれども付近の魔力は薄く、一度は攻撃を防げぐけどその後は知らん。……というお粗末なものだったからだ。キルテたちの背後にいたことが幸いして、レイの攻撃は彼女たちの元には届かなかったはずだが。
「……同族、ね。その話をもっと詳しく聞きたいな」
「イアン殿下にそう仰っていただけるとは。嬉しい限りです。しかし、その時間はないんですよ。残念ながら、私も最後の仕事が残っているので」
「最後の仕事……?」
キルテの声に、エンジが笑いながら言う。
「言っただろう? 主は悪魔憑きの殲滅と、新たな人類の誕生をお望みだって。でもただ魔物になった元人間を殺すんじゃあ面白くないし、漏れがあるかもしれないだろう? それは神も望まない」
「おい、まさか――――」
立ち上がったエンジは、魔物の骨を砕いて階段を下りてくる。そして首元の十字架に口づけた。
「――――主よ、愚かな我らを憐れみたまえ」
その言葉に呼応するかのように、魔力が爆発的に溢れてエンジの足元に魔法陣が浮かび上がる。見たことのないそれは、大きく拡大していきすぐに玉座の間全体を吞み込んだ。そのまま陣は、止まることなく拡がっていく。もうどこまで拡大したかは視認できないが、勢いと含まれている魔力量を鑑みると王宮、いや王都全体を呑み込むことすら可能かもしれない。
しかし、魔法陣に触れても何も起こらない。訝しむキルテたちに、エンジが愉しそうに告げる。
「殿下は知っておられるだろうけど、これは転移陣だ。展開した範囲の好きな場所に、好きなものを転移させることが出来る。もちろん制限もあるし、馬鹿みたいに魔力を使うんだがなあ。お前たちが時間をくれたし、俺も早く帰りたくなったしな。丁度いいと思って用意したんだ」
両腕を広げたエンジは、宣言する。
「転移陣で、王都に魔物を送り込んだ。……早くしないと平民たちと、修道院にいるお仲間、そして潜り込んでいる帝国軍の者たちが次々に死ぬぞ?」
足元にもう1つの魔法陣を浮かべながら、息を呑む面々にエンジは予言した。
「さあ、数刻もしないうちに王国が魔物と死体で溢れかえるぞ。この王国は魔物の国となり、世界中から畏怖され、嫌悪されるだろう。――――この状況をどうひっくり返す? 魔人の卵たちよ。せいぜい我らの主の期待を裏切るなよ」
数多くの作品の中から選んで読んでくださり、ありがとうございます。
この話を読んだ感想や評価など「与えてやんよ」という方がいらっしゃいましたら、頂けると大変ありがたいです。小説を書く上での参考、糧にさせて頂きます。




