第17話 前世の記憶は、毒にも薬にもならない
リリス・ラポームには、生まれた時から前世の記憶があった。
魔法のない、平和な国で生きた記憶だ。
前世でのリリスは、そんな世界で所謂良家と呼ばれるような家の長女として育った。
『貴方は器量が良くないのだから、殿方には従順に、言われたことだけをしっかりとこなしなさい。そうすれば女として、母として、いずれ貴方は幸せな人生を送れるだろうから』
幼少の頃から言い聞かされた母の言葉は、女の性格の形成に大きく影響を与えた。上の者には従順に、自分の気持ちは押し殺し、ただ花嫁修業という名の苦行を淡々とこなす。冷静に考えれば時代錯誤な思想だと言う人間がほとんどだろう。そんな生活を続けていた。
勉強するために大学へと進学したいと勇気を出して切り出した時も、結婚相手は自分で選びたいと頭を畳に擦りつけて申し出た時も、母は女の主張を受け入れることはなかった。一番身近にいる人間がこうなのだ。女は、自分の主張を押し殺し、人の命令を大人しく受け入れる人間になった。
そんな女が死んだのは、結婚式の前日のこと。母と結婚相手と共にいることに耐えられなくなり、こっそりと家を出たところでトラックに轢かれて死んだ。結婚式前夜に死んだと言えば涙を誘うかもしれないが、10も年上の男との結婚式。女にとってそこに憧れも、嬉しさもなかった。むしろ、やっと解放されると迫るトラックを前に動かなかったほどだ。母が嬉々として持ってきた見合い相手は、女とは違って容姿端麗で高収入の男。普通の人間なら物語のヒロインのように恋に落ちるのだろうが、女は違った。
『この男と私の何が違うのだろう』
綺麗な顔をして女を見下し、言葉にしなくとも蔑む男。彼と女に、それほどまでに差があるのだろうか。そこまでの扱いをされるほどに、女は劣っているのだろうか。
女は進学を考えるほどには勉強が好きであったし、学校での成績も良かった。一度学年のトップになった時、母が『女が男の上に立つものじゃない』という理由で成績表を破り捨てて女を詰ったため、それ以降は適度な成績を取るようにしていたのだが。それでも自分には才があると心の奥底では思っていたし、高学歴だと語る男に劣っているとも思わなかった。容姿だって確かに絶世の美女とは言えないが、周囲と比べても醜いものではない。実際に学生の頃、異性から告白されたこともあった。ただその男に興味と関心がわかなかったため、女はそれに首を振ったのだ。
しかし、そんな思いが女の口から出ることはない。ただ胸中で男を詰り、時にはその顔を殴った。勿論、それはただの妄想の産物に過ぎなかったのだが。
『リリス、お前は特別な存在なんだよ』
だからその言葉に、救われたと思ったのは自然な流れであった。
リリスとして異世界転生をしても、彼女の性格は変わらなかった。幼女にしては感情が薄いリリスは男爵家の者たちから気味悪がられ、避けられた。リリスもまた、やっと終わったと思っていた人生が、自分のあずかり知らぬところで再開していることに絶望していた。
かといって自分から死ぬ勇気も、やる気もない。5歳になったリリスは、奇異の目と憐みの目が煩わしくなって1人で屋敷を飛び出すことが増えた。いつの間にか勝手に帰って来るリリスを、男爵家の人間たちは放っていた。帰って来なくても良いと、思っていたに違いない。
誰とも喋らない生活が続けば、声帯も弱っていく。言語だけは、興味をそそられて勝手に本などで学んだので理解は出来ていたが、その行動もまた周囲に気味悪がられる理由となっていた。
『おい、お前みたいな子供がこんな廃れた教会跡に何の用だ?』
その男に会ったのは、廃れてあちこちがボロボロの教会。静かで誰も近寄らない、そして大変興味深いものが置いてあるその場所をリリスは気に入ってよく訪れていた。しかし、その日はリリスの他に1人の男が教会を訪れた。カソックを着た髭面の男は、鏡の前に座るリリスへ声を掛けた。
『………………』
『……お前、喋れねーのか。そんでもって前世持ち、だな?』
『……!!』
『おい、暴れるんじゃねーよ。俺はそれを回収に来たんだ。壊されたらこんな所まで来た意味なくなるだろうが』
逃げ出そうとしたリリスを男が抱き上げる。前世の記憶を持っていることを言い当てられたこと、そして久しぶりに感じた他人の体温に、リリスはパニックを起こして気を失った。
『お、目え覚めたか』
『………………』
『お前、ラポール家の子供か。なんでこんな所に1人でいるんだよ』
『…………………………』
『ま、想像はつくがな。大方、前世の平和ボケした幸せな記憶との差に癇癪起こしてんだろ。お前らがいた世界はこの世界と大分違うみたいだがな、来ちまったんだから諦めろよ』
『……い、あわせ……なんあ、ない』
リリスの言葉に、煙草を咥えた男が振り返った。その瞳が、愉悦に光る。
『……へえ、じゃあ今世では大出世だな』
『な……にが』
『お前が前世の記憶を持っているのには意味がある。前世ではお前は不幸な、言うなれば下位の存在だったかもしれねーが、今世では違う』
見上げるリリスに、男は口角を吊り上げて顎の髭を撫でた。
『おれは、エンジ。お前みたいな前世持ちを保護するのも仕事の1つでな。ついでにその鏡は対象の隠したい記憶を映し出す魔道具だ』
『ま、どうぐ』
『ああ、お前の生きた世界は魔法がなかったんだろう? この世界には魔法が存在する。そして魔物と呼ばれる生き物もな。そしてお前は、その魔物たちを導く者』
しゃがみ込んでリリスと目を合わせたエンジは、埃で汚れているだろう頭を撫でた。グラグラと頭を揺らされるが、リリスは拒まずにそれを受け入れた。
『お前、名前は?』
『…………リリス』
最近では誰も呼ばない自分の名を呟くようにエンジに伝えた。するとエンジはリリスの頭に手を置いたまま立ち上がって言った。
『リリス、お前は特別な存在なんだよ。その力があれば、お前を蔑む人間も、支配しようとする人間もお前に屈服する』
『う、そ』
『嘘じゃねーよ。信じられないなら……そうだな、約束をしよう。神に誓う、決して破ってはならない契約だ』
天井に開いた穴から太陽の光が差し込んで、影を作る。リリスには、エンジの顔がよく見えない。影の中で笑っているのか、嘲っているのかすらわからない。ただ光が眩しくて、目を細めた。
(どっちでも、いい)
『俺は、お前が特別な存在であることを周りの人間に証明してやる。その代わり、お前は俺の仕事に協力する。そういう契約だ』
その言葉に、リリスは頷いた。返事が早すぎたことを訝しんだのか、エンジが眉を寄せる。
『随分と聞き分けがいいな。こんなオッサンとの契約にホイホイ頷いていーのかよ』
『……うん』
『ふーん。ならいいけどよ』
別にエンジを信じたとか、恋に落ちたとか、そういうものじゃない。けれどリリスは……女は、その言葉がずっと欲しかったのだと思う。貴方は特別なのよ、と。ただその言葉だけが。
だから、エンジの瞳に情の欠片すら宿っていなかったとしても関係なかった。彼からこの世界の、この王国で起きている現象のことを聞いてもそれは変わらない。
リリスと同じように、記憶を覚えたまま新しい人生を送る人間は珍しいらしい。そうなるのは圧倒的に女性が多いらしく、ほとんどの場合聖女として魔物を浄化する役目を負うことも聞いた。そして、記憶を覚えていない魔物になる可能性のある人間――悪魔憑きを救えるのはリリスのような、聖女になれる人間のみであることも。
『君がリリスだな。噂には聞いていたが、素晴らしい魔法の腕だな』
『ありがとうございます。……殿下』
王立学園に入学して聖女として認められたリリスは、エンジからの頼みで王太子に近づいた。どうやらエンジと『教会』にとって、王太子の婚約者であるスカーレット・ズワールトの存在は邪魔らしい。王太子との婚約を破棄させたいと零したエンジに、リリスは前世で少しだけ読んだことのある話について話した。
『婚約破棄に、悪役令嬢の断罪ねえ……ま、それもまた一興か』
エンジはリリスに物語の中の聖女を演じて、王太子やその周りの人間の心を奪えと言った。お前の魂は、嫌でも悪魔憑きを惹きつける力があるから、と。
リリスは王太子たちへ笑顔を振りまき、頬を染めながら称賛を捧げ、時には涙を流してか弱さも演出した。
――――――快感だった。
男たちが、リリスの手のひらで面白いほどに転がり、踊っているのだ。あれほど女を見下した、忌諱していた、上に立つべき男たちが、リリスの思い通りに動くのだ。笑顔の仮面の裏でゾクゾクとした感覚に、リリスは病みつきになった。
それとは反対に、男たちに触れられることには吐き気を催した。自分から触れるのはまだいい。だが、相手から触れられるとその手を振り払いたくなる。その衝動を抑え込みながら、リリスは予定通りに王太子の心をスカーレットから奪った。これで何かのパーティーで婚約破棄を王太子の口から告げてもらえば仕事は終わりだ。エンジの話では、男爵令嬢のリリスは聖女という肩書で王太子と婚約することは可能だろうが、反対する者も必ずいるという。それならば身分を理由に、自ら身を引くと涙の1つを流してみせれば何も問題はないはずだった。
『あら、殿下。私がそちらのお嬢さんをいじめていたと? 証拠も用意せず、そんな声高に叫んで……王太子であらせられるのだから、もっと周りの目を気にするべきでは?』
スカーレット・ズワールトは、紅の髪と瞳がよく似合う苛烈な女性だった。
学園でどれだけ忌諱の目に晒されても、婚約者を男爵令嬢に奪われても、彼女は変わらなかった。
――――変わらず、美しいままだった。
『…………きれい』
『リリスさん?』
ある日、1人で魔法の練習をするスカーレットを遠くから見かけたことがあった。顔に汗を浮かべながら、この国の物ではない魔法具を持って魔力を振るう彼女の姿に、リリスは暫し見惚れたのだ。そんなリリスに、スカーレットが気づいて名を呼んだ。その顔には怒りも、嫉妬の感情もない。ただ純粋な疑問を乗せた少々間の抜けた顔。それでもなお、輝いて見えるスカーレットの口角が上がる。
『お暇なら、お相手してくださるかしら?』
『…………私で、良ければ』
リリスの返事に、スカーレットが微笑む。その笑顔に目を取られていたら、あっという間に時間は過ぎ去っていった。会話は特になかった。学園の授業でよく取り入れられる魔法決闘を何度か行っただけだ。それでも、それだけでも、リリスは楽しいと思ってしまった。実力の高い者との魔法のやり取りは、男を侍らすよりもずっとリリスの心を震わせた。
『貴方、本当に強いのね。日頃、試合できないのが残念だわ』
別れ際に言われた言葉が、ずっと頭から離れない。
その日以降も、スカーレットとリリスの関係は変わらない。リリスの傍にいるのは王太子と従者の男たち。スカーレットは、独りで。しかし、気高く背を伸ばして自分の道を歩いていた。
そんなスカーレットと学園行事で渋々隣に立つ王太子を見て、リリスは思ったのだ。
『――――あんな男には、勿体ないわ』
リリスがスカーレットへ向けていたのは、大きな憧憬と恋にも似た熱。そして少しの嫉妬だ。あんな風に生きてみたい。そう思ったリリスにとって、王太子がスカーレットの婚約者であることが許せなかった。あんな、男爵令嬢の色仕掛けにあっさりと屈するような男では駄目なのだ。
婚約破棄を必ず成功させなければと、リリスは以前にも増して王太子たちへの篭絡に力を入れた。途中でリリスの思惑がバレないように、王太子が改心してスカーレットの元へ行かないように。飽き性で女にだらしない王太子は、少しリリスが甘い顔を見せると調子に乗るので、他の男に近づいて嫉妬心を煽るのを忘れなかった。これで間違ってもスカーレットへその醜い欲が向かうことはないだろう。
『随分とあの侯爵令嬢に入れ込んでいるな』
『入れ込んでなんか、ないわ。ただ仕事をきっちりとこなしたいだけ。……それよりも、スカーレットが悪魔憑きではないっていうのは本当なの?』
『まあ、十中八九本当だろ。だから王宮からあの家を遠ざけたってのに、王太子の婚約者にするとはな。だが、逆にいい機会になったかもしれねーな』
王都の酒場のカウンターで煙をくゆらせたエンジに、リリスが顔を顰める。
『機会?』
『あ? 言ってなかったか? 教会の目的、つっても短期的な目的な。それはこの国の魔物化という事実を世界に公表することだ』
『……公表? なんでそんなことを』
エンジは、首に掛けた十字架を掲げて言った。
『全ては、主の御心のままに……ってやつだ』
エンジの考えは、リリスにとって理解できるものではなかった。理解しようとも思っていなかった。特別好いているわけでも、嫌っているわけでもない。けれどここまで様々な知識と経験を与えられた恩を返したいという感情はあった。
リリスはスカーレットを無事にこの国から脱出させると約束させて、『死神』の排除と婚約破棄宣言からの魔物化公表への協力に頷いた。この国の悪魔憑きが魔物として殺されようと、どうでも良かった。この国が崩壊したとしても構わなかった。
だから、死神が修道院にやって来た時も特に感情は波立たなかった。自分を殺しにやって来た殺し屋を邪魔だとは思っても、殺意や憎悪の感情を抱くことはなかったのに。
『彼女は結界の外から修道院の皆さんの元へ送り届けます。なので、聖女様もご心配なく。……結界の外には、魔物は出てこられませんから』
帝国の男の言葉に、リリスは一瞬息を止めた。
リリスの誘惑を振り払ったことにも驚いたが、それは王国の人間ではないのだからまだいい。しかし、まるで「結界の外に出られないお前は、魔物だ」と暗に言っている言葉に、愚かながらリリスはようやく気付いたのだ。
『私も、あいつらと同じ……醜いバケモノ、じゃないっ』
国がなくなれば、ただのスカーレットとリリスとして関係を築けるかもしれない。そんな甘い夢を見ていたリリスにとって、それは無意識に考えることを放棄していたことだった。
リリスは杖を使わずとも瘴気は出ないし、魔物化の症状が出たこともない。しかし、それもいつまで続くかわからない。
『じゃ、計画通りにな。ああ、そうだ。前祝いに、これやるよ。着けていく首飾り、悩んでただろ』
『……ええ』
死神を聖樹の贄にしたと言ったエンジに、婚約破棄からの流れを伝えられる。婚約破棄を宣言したところに、魔物を放つ。それを倒そうとして杖を振るった貴族たちもまた魔物になる。それを他国の人間に見せる。そういう流れだ。貴族たちの杖には、浄化をすると偽って細工を施してある。魔力を流せば、杖から今まで聖樹が溜めた瘴気を送るようにしたものだ。それで一気に彼らの魔物化は進む。
(なのに、魔物は現れず。代わりに死んだはずの死神が現れた)
リリスは、王宮の廊下をヒールの音を響かせながら歩く。
ここに来るまでに、人間は1人も見ていない。いるのは、魔物だけだ。
それらを無視して、リリスは重厚で煌びやかな装飾が施された扉に手を掛ける。
「――――よお、リリス。早かったな。ここ迷路みたいだが、迷わなかったか?」
「……殿下に王宮内を連れ回されたから」
「ははは! なるほど~。ちょっろい男だな」
王の威厳を示す玉座が置かれた部屋――玉座の間に似合わない光景が、リリスの目の前に広がっていた。
「ア……アア、ウアゥ」
「ああ、あんたのバカ息子のことを言ってるんだよ。王太子のくせして簡単に王宮を案内するとは――親も親なら子も子だな。あんたも俺の話にす~ぐ飛びついてきたもんな。永久の命が欲しくないか。そのための餌を教会が用意してやるってな」
玉座に座っている――いや、座らせられているのは王冠を被った骸骨の魔物だ。骨だけの体は王冠とマントを身に着けているが、そこに威厳は微塵も感じられない。胸の辺りには札が貼ってあり、魔物の動きを封じているようだ。
「……計画を守れと言ったのは貴方の方でしょう。どういうつもりなの」
「仕方ねーだろ。まさかキルテが生き延びて、侯爵家の護衛騎士として乗り込んで来るとは思わねーって」
死神の名に顔を歪めたのは、玉座の下の階段に座り込むエンジの後ろに控えて立つ子供だった。
「神父様……あいつは、自分に殺させてください」
「お前、ほんっとうにあいつのことが嫌いなんだな」
「あれは、母の仇です。それに恩のある神父様への態度…………許せません! 今からでもあいつの首を獲ってきます!」
「んんん~それでもいいんだけど。当初の計画とはズレちまったけど、目的自体は果たせそうだしな。教会の連絡では修道院と監獄の地下実験場も抑えられちまったみてーだし。帝国軍も動いてるみてーだし。俺は早くこの国から出たいんだよなあ」
「それなら、なぜ――――」
まだここにいるのかと問いかけようとしたリリスの体に、異変が起こる。体全体から力が、魔力が抜けていく。膝から崩れ落ちたリリスは、まるで許しを請う罪人のように赤い絨毯の上で跪いた。
「ああ。――――まだ全部の魔物を殺したわけじゃねえからな」
上段から落とされるエンジの言葉に、リリスは全てを悟った。胸元に着けた、エンジから渡された首飾りを触る。
(ああ……最初から、そのつもりだったのね)
エンジは初めから、リリスも魔物として処理するつもりだったのだ。後ろに控えている子供は、リリスの代わりだろう。随分とエンジを慕っているようだ。スカーレットに心を傾けていたリリスのことは、切り捨てるつもりで計画を練ったに違いない。ならば、スカーレットを無事にこの国から出すという約束も守る気などなかったのだろう。
(なら、死神が来たことは却ってよかったのかもしれないわね)
死神は、ずっとスカーレットを守る姿勢を崩さなかった。軽口は叩けども、彼女を危険から遠ざけるようにしていたのだ。彼女といれば、スカーレットがこの国で死ぬことはないだろう。ソル、という男がどんな人間かは、気になるけれども。
(彼女に相応しいか、見極められないのは残念ね)
「神父様、もうこの女を殺してもいいですか?」
「んあ? ……そうだな。残念だが、仕方がない。魔物は、全てこの国で処理しなくちゃだからな。お前の来世が輝かしいものであることを願っているよ」
「……心にもないことを」
「貴様! 神父様の御慈悲を無下にするとは! 今すぐにその心臓を貫いて地獄に送ってやる!」
エンジと子供の言葉に、リリスの心は動かない。片腕を魔物化させた子供には、少しの憐みを抱くけれど。それも彼女が自分で決めた道だ。前世の記憶を取り戻したのであろう彼女に、子供だったからなどという言い訳は通用しない。このままエンジと共に進んで彼女が幸せになるとは到底思えなかったが、リリスにとってはどうでも良いことだ。
(ああ、でも――――同胞でもある彼女に殺されるのは、悪くはないかもしれない)
迫る刃に、リリスは目を閉じた。
(願わくば――――今度は貴方と普通に……友達にでもなれる世界に生まれたい。叶うとは、思えないけれども)
前世の記憶なんて、いらない。ただの普通の人間として、一緒に笑えたのならどれだけ幸せなのだろう。記憶がなければ、そんな幸せを幸せとも思わない幸福を味わうことが出来るかもしれない。罪悪感も、劣等感もなく、ただ彼女を慕うことが出来るかもしれない。
(……結局、お母さんの言っていたことは何1つ合っていなかった)
それが証明されただけでも、今世の人生は無駄でなかった。微笑んだリリスの耳に、高い金属音が入ってくる。目を開けた先に見えるのは、子供が刃を振り上げたまま後ろに倒れていく姿。
そして、頭の中で何度も反芻した声が聞こえた。
「――――リリスさん!」
振り返ると、そこには汗を流して息を荒げるスカーレットの姿があった。後ろには、何かを投擲した様子の死神もいる。
「……スカーレット様」
「なんで! 諦めたようにそこで座ってるのよ! 貴方はそれでいいわけ!?」
「なにを――」
「貴方と話したことは、ほとんどないけれど! 貴方が陰で噂されるような男好きの悪女にはどうしても思えなかった! 一度ちゃんと話してみたいと思っていたけど、殿下たちが邪魔で機会がなかったし! 貴方にはやりたいことがあるみたいだったから!」
肩で息をしてよろめくスカーレットを、死神が支える。息を整えたスカーレットは、その紅の瞳の熱をリリスへ一心に注いでくる。
「婚約を破棄したら、こっそりと話をしてみようって! と、とととと、友達に! なろうって言おうと思っていたのに!」
「何故そこで照れる」
「だ、黙ってなさい! 死神キルテ!」
揶揄う死神に、顔を赤くしたスカーレットが叫ぶ。けれども視線は、リリスから外れない。
スカーレットは、真っ赤なヒールで床を叩き、紅の髪を靡かせて言った。
「――――リリスさん、貴方はどうしたいの!?」
「……っ」
スカーレットの言葉に、リリスは唇を噛みしめる。光を放って輝く紅が、滲んでいく。
「私は、ずっと……ずっと、貴方と友達になりたいって! 仲良くなれるはずだって! あの決闘をした時からそう思ってたの!」
リリスの頬が濡れる。目は熱を持ち、喉の奥から嗚咽が込み上げる。折角綺麗に化粧を施した顔も、きっと無残な状態になっているだろう。
「――――貴方自身の気持ちを教えて!」
それでも、スカーレットはリリスから視線を逸らさなかった。真っすぐに、ただリリスを見ていた。その視線に魔力が宿っているのではないかと思うくらい、射抜かれたリリスの鼓動は――心は、音を立てて震えている。
「わ、わたしは……」
(本当に? 本当に言っていいの?)
「……ほんとうは、」
(魔物となった人間たちを無感情に殺しておいて――この国の崩壊をどうでもいいと切り捨てた人間が、言っていいの……?)
「おい、聖女様」
スカーレットに怒られて黙っていた死神が、リリスに声を掛ける。驚いてリリスが見上げた彼女は、首を傾げて無表情に言った。
「お嬢から話は聞いたし、この状況から何となくあんたの葛藤は想像がつく。でも、あんたは十分強い人間だろ。今さら本音の1つや2つ零しても、それで誰かに批判されても、前に進める強さを持っているんじゃねーのか」
「コイツのことは気に喰わないけど、私も同意見だわ! まずは、貴方のことを教えて! それからどうするべきか、一緒に考えましょう!」
リリスは、両手で顔を覆った。手で押さえても、拭っても、涙は止まらない。流れ落ちる雫をそのままに、顔を上げたリリスは、唇を震わせて応えた。
「――――わたしっ、私も、貴方と! スカーレット様と! っぐ、友達にっ……なりたいと、ずっと思ってたのっ……!」
リリスの嗚咽交じりの言葉に、スカーレットは口角を上げて胸を張った。
「わかったわ! じゃあそこの似非神父を倒してここを出たら、一緒に茶でもしばきましょう! そういうことだから、彼女の首は諦めなさい! 死神キルテ!」
「……まあ、魔物化を他国の連中に知らせるってのは果たせたしな。シヨウには、後で謝るよ。魔物や聖女について、色々と聞けそうだしな」
リリスは、込み上げる嗚咽を必死に抑えながら2人のやり取りを聞いていた。
(ああ、本当に必要だったのは前世の記憶でも、特別な力でもない。――――自分の気持ちを伝えること、伝わるまで諦めないことだったんだ)
胸にストンと落ちたそれに、リリスは今世で初めて声を上げて泣いた。
数多くの作品の中から選んで読んでくださり、ありがとうございます。
この話を読んだ感想や評価など「与えてやんよ」という方がいらっしゃいましたら、頂けると大変ありがたいです。小説を書く上での参考、糧にさせて頂きます。




