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第16話 首を落とせば大抵なんとかなる


 スカーレット・ズワールトは、これまでの人生の中で一番と言っていいほどに困惑していた。


(一体何なのよ、この状況は!?)


 王太子の王立学園の卒業を祝う舞踏会。煌びやかなはずの会場には、王太子の生首が転がり、血の海が出来ている。会場の貴族たちの視線は、王太子を殺したと思われているスカーレットと、スカーレットを捕らえるどころか庇うように前に立つ黒衣の騎士に集まった。


「さーて、準備は整った。ここからが本番。――――仕事の時間だ」


 そう言いながらスカーレットを立たせたのは、父であるズワールト侯爵家当主から急に送られてきた護衛騎士。男の中でも高い身長に、長い手足。黒い髪と瞳を持つ騎士は、パーティーが始まった時から端正な顔とそのスタイルで女の視線を集めていた。父が勝手に送ってきた人間であり、愛想笑いの1つもしないような男に、初対面からスカーレットは苛立ちを隠せなかった。

 ただでさえ、『卒業までに王太子との婚約を穏便に解消する』という目的を達成することが出来なかったのだ。自分への怒りで荒れていたスカーレットへ、薪を追加するようにやって来たのが目の前に立つ騎士だ。父がスカーレットの意思を無視して介入してきたと考えるのは自然だった。そんな父を見返してやると意気込んで来たスカーレットだったのだが。


(まさか殿下の首が落ちるなんて……そんなこと想定してないわよ!)


 婚約破棄を言い渡されたのはいい。想定していたことの1つだ。聖女との関係だって勿論知っている。ただ、何故こんな場所で言うのか。この国の王太子が婚約している女を放って違う女に現を抜かしていたことを広めてどういうつもりなのか。まさかそこまで馬鹿ではないと思っていたスカーレットだが、その期待は綺麗に裏切られた。


(殿下は何を考えているのか……彼女だって)


 聖女のリリスも学園でスカーレットにいじめられただとか、意地悪を言われたと大勢の生徒がいる場所で涙を流しながら宣うことはこれまでもあった。それをいつも理性的に、論理的に反論し、証拠を見せてきたスカーレットだ。今回だって、よっぽどのことがなければ自分だけで切り抜けられる自信はあった。


「おい! 貴様、どういうつもりだ! 殿下を殺した罪人を庇うなんて!」

「……あー、ちょっとタイミングが早かったか」

「貴様! 聞いているのか!? おい、誰かそいつも捕まえろ!」


 手袋を外した騎士の親指には指輪が嵌っていた。その指輪を見つめた騎士は、頭を掻きながら首を傾げた。綺麗にセットしてあった髪を崩して、ついでとばかりに首元も緩める。周囲を衛兵たちに囲まれようと、騎士は少しも動揺していなかった。


「ちょ、ちょっと貴方、何故そんなに落ち着いているのですか! 早く逃げてください。私を庇えば貴方まで罪を着せられますよ!?」

「あーはいはい。何にも心配しなくていいから。お嬢はそこで大人しくしてろよ」

「お、お嬢って……私のことですか!?」

「そーだけど。なに、副隊長さんとでも呼んだ方がいーか?」

「な!? それは止めてくださいっ!」


 「了解、お嬢」とスカーレットの頭に手を置いた騎士は、数回頭を軽く撫でる。セットされた髪型を崩さないように撫でる手は、女へのその行為を慣れている男のものだった。


(絶対に、碌な男じゃないわ! それに何で私のもう1つの名前を知ってるのよ!?)


『紅炎隊、副隊長のステラ。無事に仲間たちに会いたきゃ、大人しく私に守られてろ』


 先ほど押し倒された際に耳元で囁かれた言葉を思い出し、スカーレットは自分の右耳を手で押さえた。


「くっ、無駄にいい声なのがムカつくわ!」

「お嬢も結構余裕じゃねーか。よかったよかった。だけど私に惚れるのは止めてくれよ」

「はあ!? 何を言い出すのよ貴方!」

「私には好きな奴がいるし、ソルに睨まれんのもめんどくせーから。あいつ、相当嫉妬深いだろ。付き合ってもねーくせに」

「……なっ、あ、貴方本当に何者なのよ!?」


 紅炎隊のことだけでなく、スカーレットとソルの関係まで知っているような発言をする騎士。スカーレットは自分の顔が赤くなっているのを自覚しながら騎士に詰め寄る。無表情のままスカーレットを見下ろした騎士は、その漆黒の瞳を細めて言った。


「私は、キルテ。死神とも呼ばれる――――殺し屋だ」



 *



「し、死神だと!?」

「あの殺し屋の『死神』……本当に!?」

「おいおい、盗み聞きとは感心しねーな」


 スカーレットとの会話を聞いていた衛兵たちが叫ぶ。その声を皮切りに貴族たちの中から悲鳴が上がる。キルテは手元に視線を落としてから、ため息を吐いた。


「そんなに驚かなくてもいいじぇねーか。聞いたことあるだろ? 死神は武器も持たずに首を落とすって話。まさか本当に学園を卒業したばかりの小娘にあんな芸当が出来ると思うのかよ」

「こ、小娘ですって?」


 怒りで震えるスカーレットを無視して、キルテたちを囲む衛兵とその奥でこちらを睨む御一行を挑発する。


「おい、聖女様。なんであんたはそんなところでお姫様ごっこしてるんだよ。あんたそんなんでも聖女だろ。王太子の首くらい、繋げて見せろよ」

「は……? そ、そんなの無理です。わ、私には出来ません」

「リリス様! 下がってください。危険です」


 眼鏡の男とガタイの良い騎士風の男に庇われた聖女は、涙を流して震えている。キルテは、その姿を見て大袈裟に両手を叩いて笑った。


「は、は、は、はっ! どうやら聖女様はあの程度の怪我も治せないらしい。そんなんで何が聖女様だ。奇跡を起こす神聖な存在。高潔で徳の高い女なんだろう? ほうら、早く自分が聖女だって証明して見せてくれ」

「……あ、あんな状態で、治せるわけないじゃないですか! もう殿下は死んでしまっているんです! こ、殺したのは貴方なんでしょう!? 自分の罪を認めて、その場で跪きなさい! スカーレット様もです!」

「は? なんで私まで」

「そこの男は貴方を庇ってます! 貴方が雇った殺し屋なんじゃないですか!?」

「はあぁ?」


 矛を向けられたスカーレットが、眉を吊り上げる。彼女が口を開くよりも前に、キルテが前に出てそれとなく防ぐ。


「おいおいおい、聖女様。そこに転がる首はあんたの愛する男の首なんじゃねーのかよ。駆け寄ることも、治癒魔法を使うこともせずに死んでるって? そりゃあ随分と薄情なんじゃねーか。……ああ! もしかして玉の輿を狙って王太子に付きまとっていただけなのか」

「ち、違います! 本当に私は殿下を愛していたんです!」

「『愛していた』? 死体を愛せとは言わねーが、死んですぐに過去にされる男も憐れなもんだなあ。あんたらも思うだろう? これじゃあ聖女様じゃなくて悪女様じゃねーかって」

「言葉の綾です! 貴方さっきから何なんですか!? 殿下を殺したのは貴方でしょう!? 何で私が殺し屋に責められなきゃいけないんですか! もう、黙ってください!」

「だって第一王女の婚約相手にも付きまとっていたらしいじゃねーか。いやぁ、羨ましい限りだ。立場を放棄して、男漁りとは――」

「――――黙れって、言ってるでしょうっ!?」


 煽るキルテの言葉を遮ったのは、甲高い女の声だった。ピタリと口を閉じたキルテだけでなく、周囲の人間もその声の主に視線を送る。衛兵や貴族たちは、キルテたちを捕まえることよりも聖女の剣幕に意識を持っていかれている。そんな体たらくでいいのかと思いながらも、これも魔物化、転生した人間の影響でも受けているのかと疑いたくなるキルテである。


「あ、ち、違うの……これは、つい」

「つい、本音が出てしまったってか? 仮にも男爵令嬢だろ。丸わかりな安い挑発に乗るなよな。こっちとしては楽でいーけど」

「貴方、楽しんでたでしょう……」

「お嬢は口を閉じてろよ。そんで余計なこともすんな」


 拳を握って肩を震わせるスカーレットをそのままに、キルテは左手を見た。――正確には、左手親指に嵌めた指輪を。


「来たな」

「……今度は何よ」

「修道院の聖樹を燃やす合図がやっと来た」

「聖樹をも、燃やすですって!? え? なんでそんなことを……」


 キルテは、左手をヒラヒラと振ってスカーレットに見せた。親指に嵌った指輪が淡く光っている。リアが修道院で対の指輪へ魔力を送ったようだ。修道院に送った紅炎隊の連中は、無事に聖堂に侵入することが出来たらしい。帝国の連中と連絡を取るために別行動していたジェイドも問題なく合流できていれば良いのだが。

 

「あんたが惚れてる男が『全部燃やせばいいんだな!』っとか言って張り切って燃やしてんぞ、多分」

「……よくわからないけど、想像出来るのがなんか悔しいわ。貴方、ソルと仲が良いのね」

「安心しろ。私はあの男には微塵も興味はない。妬くことないぞ」

「や、ややっややや妬いてなんかないわよっ!?」


 顔を真っ赤に染めて騒ぐスカーレットの額を抑えたキルテは、周囲を警戒するように見渡す。聖女は御一行に慰められつつ、こちらを睨んでいる。睨むだけで動こうとしないのを見るに、聖女はキルテのことを詳しくは知らないのかもしれない。聖堂に侵入したことを知っていればもう少し違う反応があるはずだ。

 聖女は聖樹のことや誘拐、実験についてどこまで知っているのか。キルテはそんなことを考えながら、目を細めて周囲を見る。


(そろそろ貴族たちが持つ杖に異変があってもいいはずだが……)


「うわああああ!? な、なんだこれは!?」

「きゃあっ! つ、杖が燃えています! いやだ、だれかぁっ」

「何だ? 王国の杖が急に……」

「おい! 誰か水を――――」


 場に悲鳴が複数響き渡る。悲鳴を上げているのは王国の杖を持った貴族たちだ。彼らは身に着けていたホルダーからの突然の発火に、驚き慌てふためいている。どうやら聖樹から延焼した火炎系魔法と、聖樹に蓄積された魔物たちの魔力が逆流してきているようだ。

 杖から発せられた炎は、すぐに持ち主の体にまで広がっていく。周囲の人間が慌てて水系魔法を展開するが、消えるどことか炎の勢いが増すばかりだ。少人数だが、魔道具を取り出して火に焼かれる彼らを救おうとしている者もいる。魔道具を持っているのは、他国の人間だろう。服装を見る限り、帝国の者もいるようだ。

 キルテは周囲に気を配りつつ、飛び出そうとしたスカーレットの腕を掴む。


「ちょっと! 何で止めるのよ!?」

「行く必要はない。そもそもお嬢、魔道具を持っているのかよ」

「入る前に取り上げられたから、何も持ってないけど! 助けなくちゃ駄目でしょう!? そもそも貴方が聖樹を燃やすように指示したからこうなっているの!? もしそうなら、何で! 何のために!」

「――――この国を一度破壊するためだ」

「破、壊……?」


 唖然とするスカーレットの腕を引いてから、キルテはコートを脱いだ。そして脱いだそれをスカーレットの頭へ投げるようにして掛けてやる。


「ぶふっ――――急に何なのよ!?」

「掛けておけ。侯爵令嬢様が見るには、惨いだろ」


 悲鳴と絶叫。焼け落ちる肉片に、焦げた匂い。助けを求めて泣き叫ぶモノ。手を振り払われて逆上するモノ。少し前まで優雅にパーティーを楽しんでいた連中とは思えない有様だ。


「お嬢のその正義感、ってやつか? それには感心するが、これは今からお前が手を出してどうにか出来るレベルのもんじゃねーんだよ。お嬢の今夜の役目は、死なずにここから脱出して紅炎隊と合流することだ。それ以外は何もしなくていい。つーか、面倒だから何もすんな」

「……貴方、本当に何するつもりなのよ」


 悲鳴は段々と小さくなっていく。――――そして、その代わりに大きな魔力が会場に出現する。

 その魔力は、炎に焼かれて黒くなった肉片たちから発せられている。ぐるぐると肉片の中で魔力が巡る。骨が削れ、肉の引きちぎれる音が聞こえる。連鎖するように魔力が膨らみ、拡がり、そして今度は圧縮されて形を変えていく。

 ――――それらはまるで蛹から蝶が羽化するかのように、姿を変えて産声を上げた。


「ギギャアアアアアアアアア!」

「ウオオオオオオオン!」

「イーヒヒッヒ、ハッハハッハハハッヒヒ」

 

 姿かたちの異なる魔物が数十体、己の進化を悦ぶように雄たけびを上げる。その姿は人間らしい形を残しているモノから獣のようなモノ、無機物のような姿になっているモノもいる。


「……なに、あれ」

「魔物だよ。見慣れてんだろ、副隊長さん」

「だ、だって! に、人間が魔物になるなんてっ! 魔物狩りをしていても、見たことなんてないわよ!? ちゃんと説明して――」

「――――――あああああっ! 離して! 離しなさいっ」

「な、今度は何よ!?」


 叫ぶスカーレットを背後に庇いながら、キルテは悲鳴の発生源に目を遣る。そこにいたのは、魔物2体に両腕を掴まれている聖女だった。巨体に左右から引っ張られているせいで、聖女の体は宙に浮いている。魔物の大きな手で掴まれた細腕は折れ曲がり、皮膚は裂けて血が滴り落ちている。まるで子供同士が取り合うおもちゃのように左右から腕を引かれた聖女は、悲鳴を上げ続けた。

 

「リ、リスサマ……イッショ」

「オ、オレレ、オレノモノ、ニ、ナッテ」


 2体の魔物は、おそらく聖女の傍にいた眼鏡の男と騎士風の男なのだろう。魔物になってからも聖女に執着しているようだ。キルテは近寄って来る魔物どもの首を狩り取りながら、飛び出しそうなスカーレットを牽制しながら、聖女たちの様子も見逃さないようにその視界に集中した。


「っ、あ、貴方たちの、物に……なれ、ですって?」

「ズット、イッショ」

「ア、アアアイシテ、ウ」


 ――――――ボキリ、ブチリ。ビチャ。

 悲鳴の代わりに、生々しい音が会場に響く。既に血と恐怖で染まっている場に、聖女の体も沈んでいく。ちぎれた両腕を恍惚とした表情で喰らい、呑みこむ2体の魔物。舌で血を舐めとった魔物は、血の上に倒れる聖女の体に手を伸ばす。だが、何かを聞いたのか魔物の手が止まった。


「――――れ」

「アウ? リ、リス?」

「――なお、れ」

「ド、シイイタア?」

「なおれ、治れ……治れ、治れ、治れ!」


 瞬間、聖女の体が光に包まれる。魔力が迸り、魔素列が更新される。展開しているのは治癒魔法だ。凄まじい勢いで聖女の両腕が再生されていく。聖女は頭と顔を血に染め、震えながら上体を起こし、己を見下ろす魔物を鋭い眼光で睨みつける。


「……貴方たちにやれるものなんて、1つもないのよ」


 血をまき散らしながら叫んだ聖女は、完全に再生した両手を組んで2体の魔物をその碧眼で射抜いた。


「さっさと私の前から……この世界から消えなさい! ――――ピュリフィケーション!」


 聖女が今度は浄化魔法を展開する。魔物の足元に魔法陣が浮かび上がり、魔物の動きを縫い留める。そしてその魔法陣から白い光の柱が出現する。


「ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛!」

「ギヤアアアアアアア!?」


 2体の魔物は、強い光に呑み込まれていく。魔物は必死に聖女に手を伸ばすが、それに応えるものはいない。醜く変化してしまった顔を歪めながら、魔物の頬が濡れる。落ちる雫も全て光に吸い込まれるかの如く消えていく。

 ――――そして、ついに2体の魔物は跡形もなく消滅した。


「……浄化魔法、よね?」

「………………」


 背後のスカーレットの声に、キルテは目を細めた。魔物が消滅する一瞬前、魔物の体から魔力の塊が2つ飛び出した。東の森で見たものと同じだろう。飛び出した魔力の塊は、丸みを帯びていて(おたまじゃくし)のように尾を引いている。

 それは、一直線に聖女の元へと飛んでいき、胸に吸収される。そして、彼女自身の魔力として馴染んでいった。胸を抑えた聖女は両腕の肌を晒しており、全身が血で汚れている。血だまりで俯く姿は、森の中で見た貴族子女らしさからはほど遠い。


「――――成程な。そうやって魔物の魂を吸収しているから、杖が要らないのか」


 キルテの言葉に、聖女が顔を上げる。その表情は無表情に近く、男に笑顔を振りまいていた女とは思えないほどに生気がない。

 彼女から瘴気は見えない。それは、彼女の持つ魂の器が大きいからだろう。魂という動力源が大きい分、魂と体のズレが起きてもその莫大な魔力でどうにかしてしまえる。他の魔物の魂を吸収できるのであれば猶更だ。だがそれは、諸刃の剣。一度許容範囲を超えてしまえば、あとは暴走するだけではないのか。

 小さく口を開けた聖女は、掠れる声でキルテに問いかけた。

 

「………………貴方、何でこんなことを」

「聖女様は、この国の王族と貴族が魔物化する可能性のある人間だと知っているよな? 王国の杖が修道院の聖樹から作られたもので、魔法を使った時に出る瘴気を浄化するために手放せないことも。その聖樹に魔力を吸収させるために国内から、そして帝国から人を攫っていることもな」

「な!?」

「どういうことだ!?」

「まさか、帝国で頻発していた事件は全て――?」


 この場に残った数人の人間がキルテの言葉に騒めく。彼らの視線は、キルテではなく静かに佇む聖女へと注がれる。未だ残る魔物たちは、攻撃することなくその場で何かを待つかのように立っている。


「……私は、聖女ですから。お役目を果たす上で、それらのことは知っています」

「お役目、ね。……なあ、聖女様。あんた、随分と様子が違うがそっちが素か? もしそうなら、あんたが男たちを侍らしていたのもそのお役目を果たすためってことなのか?」


 聖女は、唇を噛みしめるように口を強く結ぶ。そして、両手を広げて魔力を放出した。先ほどの浄化魔法とは比べ程にならないほどの大きな魔力と規模だ。金色の髪が舞い上がり、紅い血が揺らめき飛び散る。


「貴方には関係のないことです」

「私はあんたの首を落としに来たんだ。関係は、あるだろう?」

「なら……貴方を消して、関係を無に帰します」


 聖女が両手を顔の前で組んで、目を閉じる。そして、紅の唇を震わせた。


「――――人間を喰らいなさい。そうすれば、貴方たちの魂は救われることでしょう」


 その言葉を号令に、周囲の魔物たちが一斉にキルテへ襲い掛かる。建物自体が震えて、天井のシャンデリアが激しく揺れる。

 キルテは、スカーレットの肩を抱き寄せて渡したコートを頭から被らせる。聖女は魔物たちの背を暫く見ていたが、キルテに攻撃することもなく踵を返して去っていく。


(追いかけたいが、この魔物を放っておくわけにはいかねーよな)


 キルテは、こちらを見て魔力を滾らせている魔物たちに舌を打った。すぐに片づけて聖女を追うことは難しそうだ。


「仕方ない。速攻で片付けて聖女を追う」

「ちょ、ちょっと! 私も――」

「いらん。お前はただ守られてろ」


 スカーレットの申し出を即座に切り捨てて、キルテは魔法を展開する。視界に入る魔素列を全て把握し、体の中で練った魔力をその隙間に叩き込む。侵入した魔力は魔物たちの細胞の中を犯し、爆発的に細胞を成長させる。


「――――爆ぜろ」


 視界に入れた魔物の首が音を立てて破裂する。床に落ちるよりも早く、後方に控えていた魔物がその首を蹴り飛ばす。首はキルテの顔の横、スカーレットの頭上を飛んでいった。スカーレットの息を呑む音が聞こえる。


「お嬢、そこから動くなよ」


 キルテは、魔力を巡らせ体を強化する。腰を落として踏み込む。ブーツに付いた装飾が金属音を響かせた。植物の蔦を全身に巻いたような魔物は、キルテに向かって鞭のように腕を振るう。蔦が伸びて縦横無尽に攻撃が飛んでくるが、キルテは視界で捉えたそれを両手で鷲掴みした。


「おい、知ってるか。植物は水をやりすぎるとダメなんだってな」


 キルテは休養中にリアから教わったことを魔物に喋りながら、両手から魔力を流し込んだ。干渉したキルテの魔力によって魔物の体が爆ぜていく。


「ピイイイイイェェェェッ」


 魔物がのたうち回る。暴れる蔦を避けながら、キルテは走る。迫る熊のような魔物の振るう腕を頭を下げて躱す。その勢いのまま魔物の股下をくぐったキルテは、バチリという音と僅かな青白い光を認識して顔を両腕で覆う。その次の瞬間には、キルテを電撃が襲った。


(――――シャツ一枚でも随分違うもんだな)


 ジェイドが用意したシャツはシンプルなものだったが、生地には魔法が組み込まれておりある程度の魔法攻撃も自動で防ぐと聞いてはいた。だが、効果はキルテが思っていたものよりも上々。

 キルテは、喉仏を隠すために巻いていたクラバットを外しながら口角を上げた。


「さて、初撃はジェイドのおかげで防げたが…………何の魚だよ、お前」

「ズモモオオオオオ!」


 キルテを丸呑みできそうなほど大きな口に、大きな図体。そして、長い髭を携えた魚。その下に人間の手足がついた魚人の魔物は、髭に溜めていた電気を咆哮とともに放った。逃げ場などないほどの大きさで迫る電撃を目の前にして、キルテは舌を打つ。


(さすがにこれを完全に防げはしねーな!)


 体に強化をもう一段階厚く施したキルテは、電撃から逃げるように踵を返した。背後で聞こえる音に、受けてから治癒魔法を施すしかないかと考えていた時。キルテの耳に突然女の声が入ってきた。


「死神キルテ! こっちよ!」


 声の方向を見ると、コートを肩に掛けたスカーレットが手を振っている。彼女は跪き、片手を床につけている。その手に展開されている魔素列を見たキルテは、スピードを上げて彼女の後ろへ滑るようにして回り込んだ。


「死ぬ前には治してやる。やるだけやってみろ」

「ふん! 舐めるんじゃないわよ!」


 もう片方の手を床に叩きつけながら叫んだスカーレットは、魔力を送りこむ。魔力の流れによって彼女の紅の髪が揺れる。


「オルタレーション!」


 スカーレットの魔力が床の大理石に干渉する。すると魔素列が更新されて床から壁が出現した。壁は2人を覆う幅と十分すぎる高さのものだ。電撃は轟音を立てて壁にぶち当たり、消滅した。

 壁に隠れたまま、キルテは周りに立ち込める煙を手で払う。壁を出したスカーレットは、電撃によって生じた煙にせき込んでいる。


「なかなかやるじゃねーか。お嬢のくせに」

「けほっ、けほ。くせに、とは何よ! 魔法具がなくたってこのくらい、出来るんだから! お荷物扱いは止めなさい。私はこれでも侯爵家の令嬢で、魔物狩り紅炎隊の副隊長なのよ!」

「そーか、そーか。じゃ、そんな令嬢副隊長様に1つ、頼みたいことがある」

「貴方、揶揄わないと気が済まないのかしら……まあ、いいわ。何よ?」


 眉を寄せるスカーレットに『頼みごと』を伝える。彼女は訝しみながらも承諾した。


「分かったけど、それをどうす――――」

「じゃ、頼んだ」

「さ、最後まで聞きなさいよっ。死神キルテ!」


 スカーレットの叫びを背中で受けて、キルテは壁から飛び出した。魚人の魔物は突っ込んでくるキルテに気づいて雄叫びを上げる。それと供に髭へ魔力が集まるのを視認して、自分の魔力を叩き込んでみる。


 (……やっぱり、魔力の通りが悪いな。相性の問題か?)


 少し魔物の魔力を乱しただけで、成長させるほどには干渉が出来ない。魔素列を読み違えているか、単に注ぐ魔力が足りていないのか。キルテは魚人魔物を治癒魔法では殺せないと判断して、次々と襲いかかる電撃を避けて走る。途中襲いかかってくる他の魔物を倒し、時に残っている人間を助ける。礼を受け取るのもそこそこに、ほとんど足を止めずに駆ける。

 帝国の人間らしき男が対峙している魔物を後ろから触り、魔力を叩き込んだところでスカーレットから声を掛けられる。


「死神キルテ! 完成したわっ。でもこれどうやって渡すのよー!?」

「よくやった。そこから動くな」

「なーにー!? 聞こえないわよ! もっと大きな声で喋りなさい!」


 魔物の体を盾にして電撃を防いだキルテは、スカーレットの言葉に顔を盛大に顰める。スカーレットがプルプルと震えながら支えている()()を取りに行くには、中央に陣取る魚人魔物とその他魔物たちを掻い潜っていかなくてはいけない。


「注意をどこかに引きつけられれば――」


 そこまで言って、キルテは腰に下げていたホルダーから卵ほどの大きさの球体を取り出す。


(存在をすっかり忘れてたな)


『キルテ! これを持っていけよ!』

『何だよこの球』

『僕たちが魔物狩りの際によく使う匂い玉です。魔物の注意を引くのに重宝しているんですよ』

『ぜひ使ってくれ! キルテの寝ている間に大量に作ったんだ!』


 紅炎隊の連中から渡された赤褐色の匂い玉を、キルテは人間がいない方向へ思い切り投げた。匂い玉は魔物の頭にぶつかり、中から紫がかった煙を吐き出した。その煙を思い切り被った魔物に、他の魔物たちが蜜に誘われる虫のように近づいていく。中央の魚人魔物も近寄りはしなくても、興味を引かれているようだ。


「……結構使えるな、この球。フンコロガシの糞みてーなのに」


 スカーレットもこの糞を使ったことはあるのだろうか、とキルテは考えながら魔物たちを掻い潜り走る。無事にスカーレットが隠れる壁まで帰ってきたキルテは、壁に立てかけるように置いてある()()を見た。


「コレ、貰ってくぞ」

「貴方が頼んだものなんだから、勿論いいけど。……でもこんな大きな柱をどうするのよ」


 スカーレットに魔法で作ってもらったのは、キルテの身長よりも高い長さの棒だ。太さは棒と言うには太いので、彼女が言うとおり柱と言った方が正しいかもしれない。

 そんな柱を持ち上げたキルテは、魔素列を確認しながら口を開いた。


「――――魚には串焼きだろ」

「は? ちょっと――」


 キルテは、柱を肩に担いで壁から飛び出した。視界へ入る魔物に干渉して倒しながら、加速する。匂い玉の煙に紛れながら魚人魔物に近づいたキルテは、床に這いつくばっていた蛙のような魔物を踏みつけて跳躍した。


「ゲココココオォッキ、キモチイイイイイィ!」

「変態かよ」


 踏みつけられて悦ぶ魔物の背は弾力があり、キルテの脚力とも合わさって体を天井近くまで跳躍させた。空中で体勢を整えながら、煙が広がる眼下を見る。キルテが跳びあがった高さにはまだ煙が広がっていないため、視界はそこそこ良好だ。電撃が発生している場所も把握できた。魚人魔物は上体を起こして髭に電撃を纏わせている。


「頭から尻まで通せば殺せるだろ。どこが尻かわからねーがな」


 そう言ってキルテは、担いでいた柱を投げ落とした。スカーレットの魔力で大理石から作られた柱は、凄まじい勢いで魚人魔物の口へと入っていった。


「――――グ、ゴゴゴオオオォッ!?」


 柱は魚人魔物の口から腹部らしき部分を貫通した。床へ突き刺さった柱にドロリとした緑色の体液が滴る。暫くの間痙攣していた魚人魔物だったが、やがてその震えも止まった。

 シャンデリアに掴まりそれを見ていたキルテだったが、魚人魔物の髭から発せられる光に手を離した。


「――――大人しく2枚に卸されてろ、この魚野郎」


 キルテは空中にて回転することで勢いをつけて、そのまま魚人魔物に向かってかかと落としをぶち込んだ。魔物の頭を潰しながら電撃を受けたキルテの体を、展開した防御魔法が守る。柱で2分されていた体の頭側半分が、キルテの攻撃によって潰れた。


「……綺麗に卸すのは難しいな」


 魚を卸したことのないキルテには、2つに体を分けることしか出来なかった。しかも半身は見事に潰れて肉片になっている。緑色の体液が広がる床に着地したキルテは、前髪を掻き上げながら周囲を見渡した。


「……この数ならいけそうだな。魔力も十分に残っていることだし」


 東の森の時のように治癒魔法を連発するとまた視界に異変が出るかもしれない。そういった考えもあって今日は治癒魔法の行使をそこそこに控えていた。自分に掛ける強化魔法はさほど魔力を使わないためそれを主軸に、最初以外は単発で治癒魔法を展開していたのだが。スカーレットの協力や紅炎隊の匂い玉のおかげで、想定していたよりも残っている魔力は多い。


「さっさと聖女を追わなくちゃいけねーからな。それに、聖女に聞きたいことも出来たし」


 キルテは、未だ匂いに釣られて同胞を貪る魔物たちを視界に収める。


「――――首を落とせば大抵なんとかなる。それでも立ち塞がるなら、叩き潰すまで。私は私らしく、自由に、ただ進むだけだ」


 ――――キルテはそう言って、その場にいる全ての魔物の首を落とした。

数多くの作品の中から選んで読んでくださり、ありがとうございます。

この話を読んだ感想や評価など「与えてやんよ」という方がいらっしゃいましたら、頂けると大変ありがたいです。小説を書く上での参考、糧にさせて頂きます。


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