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第11話 約束は忘れていても、刻まれているもの


 キルテの意識は、誰かが言い争う声によって浮上した。


「なんでいつも俺を無視するんだよ!? こんなにもお前を愛しているのに!」

「……ウチはツケでは女を買えないんだよ。客じゃない男を相手する理由はないね。あんたがイイ男なら話は別だけど、その顔じゃ……ねえ」

「何だと!? こっちが下に出てやればっ……娼婦のくせに生意気だぞ!」

「はいはい。その娼婦にすら相手にされないんだから、帰ってママのおっぱいでもしゃぶってな」

「ああ!?」


(……ここは、どこだ? 私は橋から落ちたはずだよな)


 キルテは、暗い路地で会話する男女を見る。どうやら2人は娼婦とその客らしい。泣きほくろのある女の方は顔を顰めて客をあしらっているが、男は今にも逆上して殴りかかりそうだ。どこにでもクソはいるもんだな、と口元に手を当てたキルテは目を見開いて自身の手を見下ろす。触った感覚がないのだ。両手を握り合わせてみるがやはり感触がない。服装もいつの間にか修道服から仕事着に替わっている。それに心なしか体が透けているように見える。キルテは眉間にシワを寄せて、そばにある苔の生えた壁に触れてみた。


「……ゴーストかよ。私、死んだのか?」


 壁に手が埋まっている光景に、キルテは口を引きつらせた。覚えているのは橋から落ちた後に聖樹の根から発されている魔力の元まで泳ごうとしたところまでだ。最後に見た眩い光のせいで気を失ったのかもしれないが、そのまま死んだとは思いたくない。これが夢なら早く目を覚まさなければいけないのだが。


「っ、何すんだい!」

「言ってわからねーなら、体に言い聞かせなきゃな。どうせ男を悦ばせることしか能のない人間なんだ。構ってやるだけ有難いと思えよ」

「やめ、離しなっ」


(……チッ、やっぱり魔法は使えないか)


 かざした手を下ろしてキルテは走った。今のキルテに干渉できるかはわからないが、あの男をそのままにしておくことは出来ない。虫唾が走って吐きそうだ。

 しかし、キルテが2人の間に割り込むよりも先に男の背中に蹴りを入れた人間がいた。


「ぐお!? な、なんだ!? このガキ、何しやがるんだ!!」

「――――おい、クソ野郎。そのくっせー口を閉じろ。ただでさえ汚い空気がより汚れんだろうが」


 倒れた男を見下ろすのは10歳にもなっていないであろう子供。黒髪の短髪に黒い瞳。簡素なシャツとズボンを身にまとった子供だった。


「ッ、ちょっとアンタ! なんで出てくるんだい。夜は大人しくしてろって女将さんに言われてんだろ」

「でも姐さん困ってんだろ。それに私はこういう人間が嫌いだ。だから蹴った」

「あたしも嫌いだけどね! あんたはまだ子供なんだから寝てな! 背が伸びないよ!」

「私の父親は2メートル越えだったらしいからな。私もそのくらいにはなるだろうから必要ない。そんで館の皆を肩車してやるんだ」

「いつも話半分で聞いてるくせに、こんな時だけ母親の惚気話を持ち出すんじゃないよ! あと、アンタの気持ちは嬉しいけどね! 2メートルの人間の肩車を喜ぶ女はいないよ! 考え直しな!」


 女の背に庇われた子供は、女の言葉に首を傾げる。


「……母さんは、楽しみだって言ってたけど」

「それはアンタの母親が可笑しいんだよ! 馬鹿言ってないで早く中に入りな!」

「まだこいつをゴミ箱に捨てられてない」

「馬鹿! ばっちいんだから触るんじゃないよ! 脚だからいいってもんじゃない!」

「おい、人が黙ってれば……ふざけてんのか。女のくせに!」


 女に取り押さえられる子供は、気にすることなく男を蹴ろうと脚を上げている。男の方は顔を真っ赤にして立ち上がった。それらを見ていたキルテは、頬を引きつらせた。記憶にはないが、既視感があるのは気のせいだと思いたい。無理だろうが。


(あの子供は……そういうことか?)


 キルテが顎に手を当てて考えていると、新たな人間の気配を感じた。


「――――何騒いでるんだい。この馬鹿どもが」

「っ、いってえ! 何すんだよ、ばあさん」

「こんな時間に騒ぎを起こすお前が悪い」

「騒ぎを起こしてんのは私じゃねーよ。このゴミだ!」


 子供の頭に拳骨を落としたのは、煙管を持った老女。その顔と髪色は重ねた年を隠すことなく表しているが、ピシャリと伸びた背と彼女の持つ雰囲気が老いをそこまで感じさせない。頭を抱えて噛みつく子供を子猫のようにあしらった老女は、男へ視線を向けた。


「おい、あんた。ウチに何の用だい? 客だって言うんなら、こっちも仕事させてもらうが……金もなくただ女を漁りに来たゴミなら帰んな」

「ああ!? このババア、それが客に対する態度か!」

「だがら、金のない奴は客じゃないって言ってるんだ。まったく、顔だけじゃなく頭まで悪いのかい」

「てめえ! 痛い目にあいてえのか――」

「それとも、あんたの職場に行ってあんたがやっている事をバラした方がいいかい? おたくの従業員は盗んだ金で女を買って、それが尽きたら金も落とさず女に付きまとう屑だってね」

「な!?」


 何でそれを、と目を見開く男に、老女は煙を吐き出してから言った。


「ウチには色んな情報も入って来るんでね。あんたが職場でやったことも、娼館の女だけじゃなく近所の若い女と浮気しているのも知っているさ。奥さんだって薄々気づいているようだが……あんたが言えないなら私が全部ぶちまけてやろうか?」

「っ、それは、やめてくれ!」

「じゃあ、さっさとここから去るんだね。もたもたしてたら、大声であんたの秘密を喋っちまうかもしれないよ」


 その言葉を聞いた男は、悪態をつきながら走り去っていく。老女はその背中を見てため息をつきながら不貞腐れている子供を見下ろした。


「――――ガキが一丁前に女を守ろうとしてんじゃないよ。あんたの仕事は良く寝て、黙って大人に守られていることだ」

「……私はそんなに弱くない」

「あんたの存在自体が誰かの弱みになるってことをいい加減に自覚しな。そこらの子供よりも丈夫なのは知っているが、それだけだろ。ゴミのあしらい方も知らないんだから。サラ、あんたもゴミはもっと上手くあしらいな」

「……はい、ごめんよ。女将さん」


 項垂れる女――サラと、未だ不機嫌なままの子供を、老女は呆れたように眉を下げて見つめた。その光景をただ見ていたキルテは、突然降ってきた声に弾かれるように顔を上げた。


「キルテ! 女将さんを困らせるのはそのくらいにして、早く帰ってきて」

「――――母さん! 危ないからもっと下がって!」

「大丈夫よ。このくらい。でも湯たんぽがどっかに行っちゃったから寒くて眠れないの」

「わかった、わかったから。大人しくベッドに入ってろよ」


 最上階の窓から身を乗り出す女の姿に、キルテの視線は釘付けになった。風に靡く長い茶髪。琥珀色の瞳はいたずらを思いついた子供の様に細められている。肌は月明りの下でもわかるように青白く、肩幅は狭くひどく華奢だ。その雰囲気はどことなくリアに似ている気もする。キルテが見つめていると、ふと女の視線が子供から外れる。そして女の視線は、キルテのそれと重なった。


(――――見えているのか?)


 すぐに逸らされた視線に、気のせいかとキルテは首を傾げる。ここは夢か、幻想か。はたまた走馬灯か。キルテは自分の記憶にない目の前の人物たちをジッと見つめた。特に、慌てたように建物に入って行く子供――――キルテと呼ばれた子供を見た。


「……記憶喪失は初めてじゃなかった、ってことかよ」


 意味が分からない、と頭を抱えるキルテを嘲笑うかのように、空間が歪む。子供の姿が見えなくなると、景色がページをめくったかのように切り替わる。

 キルテは、幼少期の自身の記憶を見なくてはこの場から出られないことを悟って、再び頭を抱える。キルテをここに閉じ込めた存在の意図はわからない。この()()が正しいものかもわからない。けれど、修道院での記憶がない時の自分の行動と同様に、それが今のキルテにとって単純にイイモノと言えないであろうことは容易に想像できた。

 キルテはため息を呑み込んで、切り替わる場面に身を任せた。



 *



「母さん、ちゃんと寝てろ」

「えーでも私、キルテと恋バナしたーい」

「恋バナじゃなくてただの惚気話だろ。しかも一方的な」

「ひどーい! 確かにあの人は私のこと好きじゃなかったけど、優しくしてくれたもん! 現にこーんな可愛い娘も授かったし!」

「はいはい、寝ないなら食事を摂れよ。ほら、あーん」

「あーん……んん、おいし」

「そりゃ良かったな」


 場面をいくつか転々として、わかったことがある。まずキルテと呼ばれる子供は、丈夫な体を持ち、大人顔負けの力を持っていること。――ここでの力は腕力や脚力のことを指す。そして、子供は病弱な母親と共に娼館の最上階で暮らしていること。その母親との関係は良好だということ。


(見ていて痒くなるくらいだ)


 子供の姿がもう少し大きければ、妙な勘違いを生みそうなほどの仲である。キルテはこの時点で既に頭を抱えた。さらに自分の父親らしき存在について、延々と母親の口から惚気られるのも地味にキツイ。子供が何食わぬ顔で聞き流しているのも解せなかった。それに、好きじゃなかったってなんだ。キルテには理解が出来なかった。


(ガキの頃って、こんなんだったのか? 全部作り話でしたって言われた方が納得いくぞ)


 しかし、そんな作り話をキルテに見せてどうするのかとも思う。キルテにとっては路地裏で孤児をしていたのが最も古い記憶だ。それ以前のことは全く覚えていない。知ろうともしなかった。そんな余裕はなかったとも言う。余裕が出来てからは、他人のことなんてどうでもいいと思っていたし、自分の強さに執着していたのだ。自分に家族がいたかもしれないなんて、夢にも見なかった。


「キルテ、ここにいたのかい。ちょっと力仕事を手伝って欲しいんだが」

「わかった。どこだ?」

「厨房だ。サラがいるから聞きな」

「ん。母さん、早く寝ろよ」

「わかったわよ。キルテも無理はしないでね」


 ドアを開けた老女と入れ替わるように部屋を出る子供。場面が切り替わるのと同時に、老女の潜めた声がキルテに届く。


「……ミラ、あんたはこれからどうするつもりなんだい」


 答えを聞く前に場面が完全に切り替わる。今度は老女が誰かと口論しているのを階段の影から子供が聞き耳を立てているらしい。


「だから、そんな女はいないって言ってるんだ。何回言わせるんだい」

「――――治癒魔法を使う女はここにはいないと?」

「魔法を使える奴だっていないさ。ここは娼館だ。魔法が使えるならこんな所、さっさと出ていくだろ」

「……また来る」

「だから! もう来るなって言ってんだよ! 時間と手間だけかかせやがって、このクソ神父が」


 口論の相手を確かめるために身を乗り出そうとしたが、一定の範囲からは出られなかった。どうやら子供の視界内でしか行動が出来ないらしい。そのため男がどんな人物なのか確認できなかった。


「――――ごめんなさい、女将さん」

「何に対しての謝罪だい。それは」


 再び場面が切り替わる。

 寝室でベッドに横たわったミラは、椅子に座ってベッドに頭を伏せて眠る子供の頭を撫でながら老女を見上げた。また随分と痩せたように見える。


「まだこの子がお腹にいた時に、拾ってもらって、世話も焼いてくれて。なのに、今面倒ごとに巻き込んでいる」

「……あんたの面倒を見てるのは、あんたがここの娘たちを元気にしてみせるって豪語したからだ。自分だって身重だったくせに、私は身体的にも、精神的にも元気が有り余ってるんですってな。最初はただのアホかと思ったが、事実あんたが来てからあいつらは元気になった」


 その対価を払っているだけさ、と言う老女に、ミラは苦笑する。


「そんなことも言ったね。でも今では体は全然言うこと聞いてくれないし、皆を元気にもしてあげられない。これじゃ、対価とは言えないでしょ」

「……ミラ、あんた今何を考えてるんだい。まさかその子を置いて、あいつらについていくつもりじゃないだろうね」


 その問いに、ミラは微笑んだだけで答えはしなかった。キルテはその表情に、眉を顰める。あいつらとは、いったい何者か。治癒魔法を使える女とは。

 ――――場面が、切り替わる。


「――――母さん?」

「ゴホッ、ケホ、……キルテ」

「何してんだよ。窓なんか開け放って!」

「コホ、だって雪が見たかったんだもの」


 窓を開けて外を眺めるミラに子供が駆け寄る。素早くベッドに寝かせて布団でグルグルと巻いた子供は、窓を閉めてから両手を腰に当ててミラを見下ろした。


「おい、最近は本当に調子が良くないんだから、少しは我慢しろよ。言ってくれれば準備して外に連れて行くのに、余計なことさせんな」

「……なんか、その言い方あの人に似てる」

「あの人って……母さんの好きな人?」

「あなたの父親よ」


 子供は口を尖らせて「同じことじゃねーか」と言った。自分の父親というよりも、母が好きな人という印象の方が強いのだろう。子供と一緒に惚気を聞いていたキルテは、そう思った。子供に惚気話を聞かせるのは一般的とは言えないだろうが、ミラは子供の前では親の顔をしていたように思える。恋バナとやらをする時も、女としてのドロドロとした感情を出したことは一度もなかった。彼女の語る恋は、いつだって過去の思い出であり、さっぱりとしたものだった。


(親の顔なんて、私は知らないはずなのにな)


「そんなに好きなら、なんで一緒にいないんだよ」

「うーん、あの人は私のことを好きじゃなかったしねえ」

「……それで母さんは、よかったわけ」


 ポソリと問いかけた子供に、ミラは目を細めて笑いかけた。


「うん、私ね。あの人と会った時、この人の子供を産むんだって直感したの。あ、私はこの人のことを好きになるんだって。でも彼は同じ思いを返してくれないとも思った。でもそれでいいと思ったの。彼は凄い人だから、縛り付けたいとも思わなかった」

「……意味わかんねー」

「ふふ、そうね。キルテは冷たく見えて優しいし、強いから。それに結構欲張りよね。……母さんはね、これだけでいいって思ったの。これだけでいい。このキラキラを手に入れられたらそれで満足だって」

「…………やっぱり意味わかんねー」


 布団に顔を埋める子供の髪を、ミラが優しく撫でる。俯いたせいで髪がミラの表情を覆い隠す。キルテには、その柔らかな髪が何故か堅牢な檻に見えた。


「――――わからなくて、いいの。キルテ、あなたは自由に生きて。誰かに用意された道じゃなく、あなたが望んだ道を、あなたの力で、生きていきなさい。そのために、強くならなきゃダメよ」

「……母さん?」


 子供が顔を上げた時には、いつも通りの笑みを浮かべたミラがいた。

 ――――場面が、変わる。


「――――ミラ、キルテ。今すぐここから出る準備をして」

「姐さん? 急にどうしたんだよ」


 最小限の音だけを立てて部屋に入ってきたサラは、視線を合わせないままに大きめの鞄と上着を取り出した。その表情は布を頭から被っているせいでわからないが、声は今まで聞いたことがないほどに堅い。


「質問は後。キルテ、アンタも手伝いな。ミラを着替えさせてやって。外はまだ冷え込む。時間はないけど倒れられたら元も子もないからね」

「――――奴らが来たのね」


 その言葉に、サラの手が止まる。子供は2人を交互に見ながら、ベッドに近づいた。


「母さん、奴らって何だよ」

「――――女将さんは?」


 子供の問いを無視して投げかけられた言葉に、サラは唇を噛みしめ俯いた。


「っ、この対価は、来世で取り立ててやる、って」

「…………そう、そっか。女将さんらしいや」

「だから、アンタはここから早く出なきゃいけないのよ。――――もう時間がない」


 そう言って鞄を肩にかけて立ち上がったサラに、子供が息を飲む。


「姐さん、その怪我――」

「……このくらい、大したことないわ。あいつら、ただの娼婦だと侮ってたから、腕を噛んで逃げ出したんだけどね。ここまで来るまでに少しヘマをしちゃった」


 笑うサラの頬は、殴られたのか腫れていた。口元は血が滲み、脇腹を抑えるようにして立っている。ピチャリ、と床が鳴く。子供は詳細がわからなくとも、サラの命が削られていっていることに気づいたのだろう。治療をしようとベッドのわきにある救急箱を手に取った。しかし、それをサラが止める。


「いい。時間がもったいない。早くここを出るわよ」

「何言ってるんだよ、姐さん。母さんも、黙ってないで姐さんを説得してくれ!」

「駄目よ。説得したって聞かない。ミラも、早くして。奴ら魔力を検知するって言ってた。女将さんが時間稼ぎしてくれているうちにその検知範囲から逃げないと」


 そうサラが言った瞬間、部屋に魔力が満ちる。その範囲は部屋だけに留まらず、建物全体にまで広がっていった。その魔法を、キルテは良く知っていた。


「――――ミラ! 何してるの!?」

「私は一緒には行けない。サラ、あなたはキルテを連れてここを出て」


 叫ぶサラの怪我はすっかり綺麗に治っていた。子供はミラが使った魔法を理解していないのか、それともその発言を理解できないのか、その場で固まっていた。

 キルテの見たところ展開された魔法は、この建物を余裕で覆いつくす。おそらく下にいるであろう対象もサラ同様に治癒されていることだろう。それほどまでに大規模な魔法。つまり、敵にもその魔力反応は必ず伝わっている。


「っ、そんなこと、そんなこと出来るわけないでしょう!?」

「――――お願いよ、サラ。私は、最期くらい自分がやりたいようにしたいの。ここで逃げることを選択したら、私が望んだ未来は来ない。それを私は確信しているの」

「ミラ、なんで。なんで、アンタはそう…………」

「ごめんなさい。――――その傷を治してあげた対価よ。頼まれてくれるわよね」


 サラは、頭に被った布を引き下げて俯いた。そしてその布で顔を拭うと、堅く引き結んだ口をゆっくりと開いた。その瞳は赤く、頬にはいくつも筋が出来ている。


「――――これは、アンタの……友人の頼みだから聞くのよ。勝手に治したことを、勝手に押し付ける奴に払う対価はないわ」

「うん。――――ありがとう、サラ」


 サラにそう言ってから、ミラは子供の手を引いた。手を掴まれた子供は、その手を離されないように強く握り返す。


「母さん、ここに残るってどういうことだよ。母さんが残るなら、私も」

「ダメよ」

「っ、なんで――」

「キルテ、あなたは弱い」


 ミラの言葉に、子供が目を見開く。その反応に、表情を変えることなく言葉を続ける。


「あなたがいては、足手まといなの」

「かあさ、」

「だってあなたには私を守れるほどの力がないから。自由に選択する強さがないから」


 それは、子供にとってはどんな罵詈雑言よりも胸を刺す言葉だったのだろう。言葉の代わりに、黒い瞳から涙が零れ落ちる。


「だから、私の選択を止められない自分の弱さを憎みなさい。その弱さが嫌ならば、強くなりなさい。自由に、あなたが思うように選択したいのならば、強く、逞しく、どんな手段を選んでも生き残りなさい。これは母さんからの、あなたに守ってもらいたい約束よ」

 

 ミラは、嗚咽を飲みこみ涙を流す子供を抱きしめた。ミラの服を握り込む子供は、絞り出すかのように母親に縋る。


「っ、母さんの、言う通りだ。私は、弱い。……でも! それでも、母さんと最期まで一緒にいたい! 母さんは、違うのかよ!? 私のことも手放すのかよ!?」

「……キルテ、アンタ」


 子供の言葉に、部屋の外を窺っていたサラが振り向く。子供がそんなことを言うとは思っていなかったのだろう。子供はキルテから見てもクソガキで、どこか冷めた目で世界を見ているませた子供だったからだ。そこにいたのは父親と同様に、一緒にいなくてもいいのだと母親に手を放されることを恐れるただの子供だった。


「愛しているから、手放すの。あなたの幸せが私の幸せなのよ。……って言うと自己満足の戯言に聞こえるけどね。これは本心。私は、いつだってあなたのことを想っている。あなたが心から笑える未来を夢見てる。そのためにはキルテが嫌だって言っても私は私の信じる道を選ぶわ」

「かあさん、」

「でも、言うこと聞いてくれないなら仕方ないわね」

「なに、を」

「――――全部忘れてもらうわ」


 ミラは、子供の頭を抱えるように強くそのまだ小さな体を抱きしめた。

 ――――そして、魔力が再び巡る。


「――――オブリビオン」

「母さん、いや、だ。かあさ」


 ミラから放たれた魔法が子供にかかる。顔を上げた子供は、母親の瞳を見つめる。魔法に抗うように顔を歪める子供だったが、その体からは力が抜けていく。ついに目を閉じた子供の頬を撫でながら、ミラは呟いた。


「……私も、キルテと離れたくない。共にいる選択が出来ない、弱い母親でごめんね」


 目元を拭ったミラは、ドアの前に立っているサラに目を向けた。


「サラ、ここから出たらキルテをどこかに捨てて」

「それは、どういう」

「修道院はダメ。奴らの庭だから。なるべく治安が悪い所にこの子を届けて欲しいの。あなたも傍にいてはダメ」

「そ、そんなことしたら、キルテは死ぬわよ!?」


 叫ぶサラに、ミラは笑った。こんな場面なのに、穏やかに柔らかな表情で腕の中の子供を見下ろす。


「――――この子は強いから。大丈夫」

「ア、アンタのそういう所、意味わかんないし気持ち悪い!」

「そう言いながらお願いを聞いてくれるサラが大好きよ」

「あたしは、大嫌いよ! そんなこと言いながら、あたしが傷つくことを平気でやるアンタなんか、だ、だいっきらいなんだから!」

「うん、ありがとう。――――キルテをよろしくね」

「っ、ほんとに……アンタはもう! 人の気持ちも考えずに、自分勝手なんだからっ。――――任せなさい」


 ミラから子供を受け取ったサラは、子供を背負ってその上から自身ごと大きな布で覆った。そして、振り返ることなく部屋を出て行った。


「サラ、頼むわよ。…………キルテ、どうか、どうか」


 ミラはドアの外を見て、手を伸ばす。その手は何も掴むことなくミラの胸に抱かれた。そのまま顔を埋めるように背を丸めたミラから小さな声が零れる。


「…………行かないで」


 その言葉を拾ったキルテは、そっとミラが座るベッドに近寄る。そして触れられないその華奢な背中に手を添える。


「……あんたのことは、今でも思い出せない。おそらく、あの魔法は記憶を奪うのではなく、脳から消去するものなんだろう。今この記憶が見れているのは、魂に刻まれているからなのか。それとも全てが嘘なのか」


 いくら場面を移動しようと、キルテにとっては覚えがない記憶だ。しかし、それにしては今のキルテの指針になっている要素が多すぎる。キルテが強さに拘る理由や、初対面のリアに既視感を抱いたのも。あれほどにエンジに嫌悪感を抱いたのだって。


「正直、あんたの考えていることや選択は理解できない。もっと違う選択肢があんたにはあったんじゃないかとも思う。何かに囚われているようにも見える。だけど、そう思うのは今の私がそれなりに強いからだろう」


 キルテは、ミラがどんな人生を歩んできたのかを知らない。あくまで見ていたのは母親としての数年間の姿でしかない。しかも子供の前でのミラのことしか知らないのだ。


「――――優しいんですね。殺し屋なのに」


 キルテはその言葉を聞いた瞬間、飛び跳ねるようにベッドから離れる。その声はこの空間で聞きなれたものであったのに、語られる単語と口調は聞き馴染みがない。正確に言えば、現実世界ではキルテにとって慣れた言葉であったが、この世界で出るのは可笑しい。


「お前、誰だ」


 キルテは、顔を上げてこちらを見るミラに問いかけた。最初に感じた視線は気のせいではなかったらしい。ならばこの空間は幻想で、ミラはキルテを閉じ込めた敵ということなのか。


(いや、そもそもこいつ()()なのか? ミラの皮を被っているだけか?)


 ミラという人間が存在していたのか、それとも作られたものなのか。そもそもキルテが今ここにいる理由は何か。頭の中でグルグルと考えていると、女は眉を下げて口を開いた。


「……そんなに警戒しなくても、あなたを害するつもりはありませんよ。ここから出られるかはあなた次第ですが」


 女は顔を上げてキルテに微笑みかけた。その姿はミラのものであったが、先ほどまでと違い表情はやや固い。愛想笑いというやつだろう、とそれすら普段しないキルテは思う。


「もう一度聞く。お前は誰だ。そしてここは何だ」

「私に明確な名前はありません。しいて言うのであれば、聖樹に宿る魔力の残滓。この空間は、そうですね。あなたの魂を知るために作り出した世界、とでも言っておきましょうか」


 表情を変えずそう語る女に、キルテは質問を続ける。


「なぜ私のことを知る必要がある。ここから出してくれるのか」

「……あなたが託すべき人間かを確かめるためです。答えによってはあなたをここから出します」

「託す? 何をだ」

「それを今あなたに言うつもりはありません」


 きっぱりとそう言った女にキルテは舌を打つ。


「ち、面倒だな。お前は私に何を望む。ここから出るにはどうすればいい」

「……私の話に乗ると?」

「お前が言い出したんだろ。嘘なのか」

「いえ。ただ、あなたの記憶の大部分は殺し屋としてのものでしたので」


 首を振る女にキルテは鼻を鳴らす。確かに数か月前のキルテなら女の言うことに耳を貸さず、干渉できずともこの空間で暴れるくらいはしただろう。

 女はキルテの記憶を覗くことが出来るらしい。それもキルテ自身が忘れている記憶すら勝手に見ることが出来るのだから可笑しなことだ。


「……私があなたに望むのは、聖樹を燃やすこと。これはあなたの目的を考えれば問題ないでしょう」

「そうだな。で、そのために必要なものはなんだ」


 女がなぜ聖樹を燃やしたいのか、という質問はしない。託したいものとやらと同様、答えを貰えないと判断したからだ。


「意思の強さ、魂の強さとも言えるかもしれません。現実のあなたの体は今、ボロボロです。現時点で意識が戻っても、魔法を展開する暇もなく息絶えるほどに。それでも生きているのはあなたの魂が頑丈で、私がここであなたの魂を保護してるから。魂を修復、強化すればおそらく治癒魔法を使うことも出来るでしょう」


 そう言った女は、ベッドから降りてキルテの目の前に立つ。キルテは頭ひとつ分低い女を見下ろした。


「その方法は」

「……今からあなたを聖樹の根源へと落とします。そこは謂わば魔力の塊。その魔力を吸収して自らの魂の糧にしてください。そうすればあなたは意識を取り戻すでしょう。私はその案内係、ここはその入り口とでも思ってもらえば」

「根を目指したのは間違いじゃなかったみたいだな」

「ええ、あなたが自分から落ちてきたので回収も楽でした。体の方も今は保護されていますが、時間はあまりありません」

「なら、さっさとやってくれ。私はここで死ぬわけにも、死ぬつもりもないからな」


 向き合ったままそう言えば、女は言いづらそうに数回口を開いては閉じるを繰り返す。だが決心したのか、口を開いてゆっくりと話し始めた。


「……根源には魔力だけではなく、魔物たちの怨念とも言える負の感情も宿っています。常人なら触れるだけでも発狂して死ぬほどのものです。ここは安全地とでも言うべき場所。……あなたがここに留まるというのであれば、私はそれを許容します」


 少し俯きながらそう言う女。彼女はキルテを案じているらしい。女の話が正しければキルテが今無事なのもこの女のおかげだ。まあ現実の体が無事といえる状態かはわからないが。

 女の真の目的だってわからない。彼女を完全に信じているわけではない。けれど――――。


「あんたがどういう考えであろうと、私はここから出ると決めている。そのためにどんな目に遭おうとも、それを超えていける強さを、私は欲しい」


 キルテの言葉に、女は目を見開く。そして両手で顔を覆うと、俯いた。数秒そのままでいた女は、ゆっくりと顔を上げる。そこには涙はなく、琥珀色の瞳はしっかりとキルテを見つめていた。


「……あなたを見つけるために、あなたの魂の記憶を辿ってきました。ここはその最深部。核とでも言える場所です。あなたにとっては忘れた記憶みたいですが、この記憶は今のあなたを形作る大事な記憶なのですね」

「そうみたいだな。もっとも、何も覚えてねーから実感はないが。……ミラは本当に私の母親なのか」

「あなたの幼少期の記憶から見れば、そうでしょう。私は彼女の体を間借りしているだけで、あなたと話す意外は何もしていません」

「……そうか」


 キルテは、小さく息を吐いた。それは安堵だったのか。キルテにもわからなかった。あれがキルテの幼いころの記憶であるというのであれば、母親はキルテにとって大事な人間だったのだろう。記憶が戻ったわけではないため、第三者の視点からそう思うだけだ。しかしそんな人間の存在がいたという事実に、キルテはどこかむず痒い感覚だった。


(私は母親のことを守れるだけの力がなかった。そのことが強さを求める理由になったのか)


 そう考えて、キルテは思い出した存在について尋ねた。


「……そういえばあの鎧の魔物はあんたの騎士か?」

「いえ、違います。むしろ彼は私のことを憎んでいるでしょう」

「へえ、そいつの主人を殺しでもしたか」


 キルテが何気なく放った言葉に、女は黙り込んだ。眉を寄せて俯く姿に、頭を掻く。キルテは女の上手い慰め方など知らない。そんな場合でもないのだが。


(勘がイイのも考え物だな)


「……ま、どーでもいいが。早いところ根源とやらまで案内してくれるか」

「…………はい」


 女は顔を上げてから返事をすると、両手を胸の前で組んだ。そして祈るように両手を顔の高さまで上げてキルテを見た。


「――――ご武運を」

「ああ、保護してくれたこと感謝する。聖樹はきっちり燃やしてやるから安心しろ」


 先ほどよりも柔らかな女の笑みを最後に、キルテの意識は再び落ちることになった。意識が完全に落ちる前に、女の小さな声が聞こえる。


「あなたの娘さんは強いですね。……ミラさん」

数多くの作品の中から選んで読んでくださり、ありがとうございます。

この話を読んだ感想や評価など「与えてやんよ」という方がいらっしゃいましたら、頂けると大変ありがたいです。小説を書く上での参考、糧にさせて頂きます。


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