第10話 奇跡を望むより、生き血を啜れ
ピチャリ、ピチャリと何かが滴り落ちる音がする。
キルテは、口の中に溜まった血を吐き出しながら重たい瞼を何とか持ち上げた。視界に映るのは聖堂の地下で見た橋。どうやらキルテは、あの後この場所に戻ってきてしまったらしい。
「お〜起きたか。さすがキルテちゃん。丈夫だな~」
掛けられた声に、キルテは体を起こそうとする。しかし、痛みと手足を拘束されているせいで殆ど体勢を変えられなかった。まるで目の前の男に跪いているかのような体勢に、キルテは体を痛みで震わせながら顔を上げた。
「……クソ、こんなところでお前の顔を見るなんて。最悪だ」
「はは、相変わらずひっどいな〜。ああ、そんなに動いちゃダメだよ。意識ないのに治癒魔法を維持できるのは流石だけど、魔力を抑える札も貼ってあるんだから」
キルテは胸の辺りに貼られた札を見た。札には何やら文字らしきものが書かれている。これが魔力の制限をしているらしい。道理で治るのが遅いわけだ。咄嗟に心臓の周りを強化しなければ即死だっただろう。強化の際に心臓の位置が多少ズレたのも運が良かった。しかし、痛みでまた意識を飛ばしそうになるくらいには重傷だ。そんな状態で見たい顔ではない。キルテは霞む頭で思ったことをそのまま口に出した。
「……お前、幼女を誑かす趣味があったんだな」
「え〜? この場面で言うことがそれ? もっと他に聞きたいことは無いの。例えば、何でこんな場所で拘束されているのか~とか。例えば、何で俺がここにいるのか~ってね」
キルテは、少し顔を後ろに傾けて手足を縛る木の枝を見る。札だけでなく、聖樹からも魔力を吸われているらしい。そちらに魔力が割かれるせいで、何とか死なない程度にしか治癒魔法を使えない。ヘラヘラといつも通り笑う髭面の男――――エンジに舌を打つ。
「……大方、お前の言うところの神とやらにとって邪魔になったからだろ。今回の依頼と、私の存在が」
「う〜ん、その通りなんだけど。可愛げがないな〜。もっとさ、裏切られたって顔くらいしてくれないと。フインキが出ないじゃん。フインキが」
目の前でしゃがみ込むエンジをキルテは睨みつける。しかし、カソック姿の男は飄々とした態度のまま肩をすくめて話を続ける。
「そう睨むなよ。俺だってお前をこんな目に遭わせるつもりじゃなかったんだぞ? ただ聖女を殺すだけなら手出しするつもりはなかったさ。でもなぁ、お前らは気づいちゃマズいものに気づいちまった。しかもお前に依頼を持ってきた男の存在が最悪だ。なぁんであんな大物がこんなタイミングでちょっかいをかけてくるのか。それもお前に。最初に依頼を断っておくべきだったぜ。気づかなかったんだよなぁ。外面はいいんだな~将軍殿は」
そしたらこんなことにならなかったのに、と言いながらエンジは指を鳴らして煙草に火をつける。煙を吐き出してからガシガシと頭を掻いたエンジは、煙草を挟んだ指でキルテを指した。
「お前、あの男が帝国で何て言われているか知ってるか? 冷酷無慈悲の鬼将軍だぞ。奴が通ったあとは血の海が出来るって噂だ」
「…………噂も当てにならねーな」
「あ、そういう感じ? へぇ、予想以上に仲良くなってんだなぁ、おじちゃん嬉しいよ。それ以上に残念だ。最初からお前が他人に興味を持ってくれたなら、こういう結末にはなっていなかっただろうになぁ」
横を向いて煙をくゆらすエンジを、キルテは口の中の血を吐き出してから見上げた。聖樹に魔力を吸われるせいで普段通りの魔力操作が出来ないキルテは、それでもエンジに対して噛みつくように言う。目の前の髭面に対してのキルテのスタンスは、己の死がちらついても変わらない。
「お前らの人形になる気はねーよ。今も、昔も」
「……妙に勘が良いよな、お前。教会のことも知らぬ存ぜぬで、知識と技術だけ盗んでいってさ。それが出来るほどお前が強かったからってのが一番の理由だけど。だからこそ、懐に入って弱みを作っておきたかったのに」
「クソだな」
「男も女も子供も、一切興味を持たね~んだもん。お前がこだわったのは強さだけだった。だから好きにさせてたのに。どんな心境の変化だよ。遅めの反抗期?」
まあ何でもいいけど、と立ち上がったエンジは、煙草を咥えて首にかけた十字架のネックレスを手に取り口元へ近づける。
「――――主よ、愚かな我らを憐れみたまえ」
その言葉に呼応してエンジに魔力が集まって来る。やがてその魔力は形を成して魔素列となる。大きな正方形の形になったそれと似たものを、キルテは既に森で見たことがあった。大きくなっていく正方形は橋の下に移動していく。
「はぁ、解除にも魔力を喰われるなんてめんどくさいよな。こう、鍵穴を作って鍵で開ける形に出来たらいいんだがなぁ。同じ形の正反対の結界を作って消滅させるって……昔ながらの方法だけど、これが一番失敗しねえんだよな。一部だけ消すのには便利だし」
「……何のための結界だ」
キルテは1人で頷くエンジに問いかけた。森で結界を解除した人物の所属を察して、これ以上ないほどに眉間の皴を深くする。
「はは、お察しの通り魔物だよ。正確には魔物と魔物になる前の人間と、人工的に作り出した魔物かな。聖樹はいまやただの魔力だけでは維持が出来なくてね。悪食になってるって言えば想像しやすいか? もう魔物の血がないと枯れてきちゃうんだよ」
「……だから首を」
「その通り! キルテが落とした首も橋の下にたくさん沈んでいるよ。普段は結界で封印して、本当の姿も見せないようにしてるんだ。だって修道院の子たちが血の池に浮かぶ生首を見たら驚いちゃうでしょ~」
俺ってば紳士だから、と腕を広げたエンジは片目を瞑った。それを無視してキルテは体内の魔力循環に集中する。エンジの言葉や態度にいちいち反応する余裕は、今のキルテにはない。早くこの状況から抜け出す必要があるのだから。
「あ、無視するなんて本当にひでえ奴だな。――――じゃ、こうしよう」
口を尖らせたエンジがパチリ指を鳴らす。すると橋の下からナニカが這いあがってくる気配と肉の潰れる音がする。それに自分の血以上に生臭いニオイが鼻について不快だ。
「お前はそのまま大人しく聖樹の養分として死んでくれなさそうだからさ。解体して肉にするか、魔物の糞にしたら手間が省けるだろ」
「悪趣味なクソ変態神父」
「はは、キルテちゃんは余裕がなくなると罵倒の言葉が単純になるよな~。あ、最期だし聞きたいことがあれば答えてやるし、言いたいことも聞いてやるよ? 冥途の土産と辞世のなんちゃらってやつだ」
口を吊り上げて笑うエンジは、膝をついてキルテの頭を掻き混ぜた。キルテはその手を払うように頭を振る。眩暈が酷くなるし、血が口から零れるが、じっとしていられないほどの不愉快さだ。触れられるだけで気色悪い。
「さ、わるな」
「……はぁ~あの将軍には甘えてたくせに俺には冷たいのな。これでも俺は命の恩人だろ」
「記憶を、改竄するな。お前は詐欺師で、私はその被害者だ」
「そうだっけ? ま、いいや。そんで、ほんとに何もないのか? ないならあいつらにすぐ襲わせるけど。命乞いとかすればおじちゃん、一応考えてやるよ?」
親指で背後を指すエンジの表情からは、何を考えているか読み取れない。そもそもキルテがエンジの考えていることを理解できた試しはこれまでもないのだ。考えるだけ無駄だ。今は、時間を少しでも稼ぐのが先決。
「…………あのガキは何だ。お前が何かしたのか」
「ああ、あの子ね。あれは未来の聖女候補だよ。お前も見たでしょ、あの手。覚醒後に部分的に魔物化できるようになった逸材でね。死神に恨みがあったみたいだから利用しただけ」
「なら、魔物化ってのは、どうして起こる」
キルテの問いに、エンジは腕を組んで首を傾げた。首元の十字架が揺れる。
「う~ん、簡単に言うとな、魔物化ってのは体が魂に引きずられて変化することを言うんだよ。お前も何となくわかってんだろ。魔物化する可能性のある人間はな、魂と体にズレがあるままこの世界に産み落とされた存在だ。魂から魔力と共に瘴気を生む存在とも言える。それは人間の体には適さない。俺らは、そういう存在を悪魔憑きとも呼んでる」
エンジは煙を吐き出して話を続ける。
「悪魔憑きが魔力を使って瘴気を生み出すと、人間の体の器が壊れる。んで、魂に合う形へと変態する現象が魔物化ってわけだ。魂に憑いた悪魔が人間を唆して魔物に変えるって言う奴もいる。それが進化なのか、退化なのかよくわからないが、憐れで可哀そうな生き物なんだよ。わかったか?」
「……あのガキや聖女は魔物化が遅い、もしくはそれを制御できる存在」
「その通り。あれらは魔物の中でも上位種ってわけだ。その分扱いづらいけど」
「お前らの目的はなんだ」
短くなった煙草を捨てたエンジは、キルテを見下ろしてため息を吐いた。
「…………お前みたいな存在を保護するのも目的の1つだったんだがなぁ。本当に惜しいことをしたよ。でも組織に所属している限り優先順位ってのは守らなきゃいかんのよ」
「どういう――」
「ああ、悪い。煙草も吸い終わっちまったし……時間だ」
エンジは立ち上がると、橋に視線を向けた。そこには全身を血に染めた魔物の群れ。橋をつたって登って来たらしい魔物は、荒い息のままキルテを見つめた。橋に登る魔物の数は絶え間なく増えていく。
「最後にアドバイスだが――――魔物は魔力の馴染んだ肉体が好物だ。それを喰らえば魂と器が安定することを本能的に理解しているんだよ。あとは孕ませて子孫繁栄を願う奴も出てくるかもな。どちらにせよ、治癒魔法でいじりまくった体なんて喉から手が出るほどの御馳走に見えるだろうなぁ。せいぜい気を付けろよ。今さらだがな」
「――――腹を裂かれて引きずり出された腸で首を絞められて死ね。そんで地獄に落ちて魔物の糞に生まれ変われ。糞野郎」
「ははは、それはお前に起こる可能性の高い未来だな。ま、苦しむ前に自死することをオススメするぞ。それと必死に頭を擦りつけて祈り、救いを求めるんだな。奇跡を願えば来世はきっとイイ人生が送れるはずだ。なんせ主は慈悲深く偉大だからな。お前みたいな人間も救ってくれるだろうさ」
じゃーな、と背中越しに手を振るエンジからは惜別の情など微塵も感じない。キルテとて、そんな感情を向けられたらエンジの顔を識別不能になるまで殴りたくなるだろう。
2人の関係は親と子、師と弟子のようなものとして扱われることがあった。キルテが放り込まれた先の人間が言ったり、エンジ自身がそういった雰囲気を出したり。それを見聞きするたびにキルテは馬鹿なんじゃないかと思っていた。
(こいつは私を実験動物や珍しい道具としか見なかった。最初っからな)
そのことを悲しむことはなかった。本能的にそれがわかっていたからこそ、心的距離を縮める機会もそれとなく避けてここまで来たのだ。むしろ自分の本能が優秀であることを再確認した。
「はは、さすが私。いい勘してるぜ。……けど、それを喜んでる場合じゃねーな」
エンジが去っても魔物たちは消えないし、キルテを縛る枝は解けない。四肢だけではなく、息を吸うだけで体中が痛んで仕方がない。口の中に広がる鉄の味はどれだけ吐き出してもなくならない。
キルテは縛られた両腕を後ろに吊られたままグッと前に身を倒した。全身の痛みと眩暈が襲うが、キルテは歯を食いしばって傾けた上半身をそのままに顔を上げた。魔物たちがすぐ目の前で口を開ける。落ちた涎が草を腐らせる。こいつらも慈悲の心とやらで最期の言葉を待っているのか? ご立派なものだ。
「どいつもこいつも……何度言わせれば気が済むんだ」
キルテは神の存在など、どうでもいい。実在しているのか、どんな姿なのか。知ったことではない。いるかもわからない、不確かな存在である神とやらに自分の命を、選択を委ねるのか? そんなもの、糞喰らえだ。糞以下だ。
「――――救いはいらねーよ。自分の未来は自分で切り開く。生き血を啜ってでもな」
魔力を変化させる魔物たちに向けて口角を最大限吊り上げた。煽るキルテに、魔物たちがいきり立つのを感じる。人間としての記憶が、少しでもあるのだろうか。
「ブオオオオオオオォ!!!!」
「チッ」
魔物の放った魔法がかすってちぎれた右腕に、舌を打って治癒魔法を展開する。腕が再生されると同時に今度は胴体を大きな爪で斬りつけられた。舞う血を無視して右手を動かす。ちぎられたお陰で拘束が外れている。四肢の1つが開放されたことで魔力の巡りが良くなったが、襲い掛かる魔物たちの手数の方が多い。キルテは手近にいた背の低い魔物の頭を掴むと、そのまま振り回して魔物たちを蹴散らす。出来た一瞬のうちに左の手首を落として再生する。意思を持つように動く聖樹の枝と、落とした左手からすぐに目線を逸らした。これで両腕が自由になった。しかし、キルテを襲う魔物は次々と湧いてくる。
「……は、そんなに私が喰いてーかよ」
キルテは視界に映る魔物全てを対象に、魔法を展開する。轟音と共に爆発した魔物の頭。視界がスッキリしたのも束の間、こみ上げる吐き気にキルテの視界はグラリと揺れる。攻撃すると自分の治癒が疎かになる。キルテは胸に貼られた札を破り捨てた。
治癒、爆破、治癒、切断、治癒、治癒、治癒……。再びちぎられた腕に、噛みつかれた腹に、斬り落とされた耳。段々と治癒だけに魔力を回さざるを得なくなる。熱を持つ視界に、既にただの肉片となったものを喰らう魔物の姿が映る。骨を狂ったようにしゃぶった後、音を立てて噛み砕く。それをキルテは芋虫のように地を這う姿で見上げた。他の魔物を殺してまでキルテの体だったものを手に入れようとしている。繋がれたままの脚からも魔力は吸われ続けている。それを吸って悦ぶように、葉が揺れた。
(――――魔力が足らない、このままでは治癒が追い付かなくて死ぬ。魔力が欲しい。何でもいい。魔力なら)
腹筋と脚の力だけで跳んだキルテは、近くにいた魔物の脚に嚙みついた。魔物が脚を振ったせいで聖樹に背中から叩きつけられる。
「――――ギャアアアアアァア!?」
「――ッ、んんぐ、んペッ。くっそマズい!」
叩きつけられた衝撃で摂った肉を外に出さないように口に力を入れる。飛びそうな意識を必死に掴みながら、咀嚼するたび吐きそうになるのを無理やり抑えて呑み込む。マズすぎてつい口が開いたが、肉は全て流し込んだ。
体の中で暴れる血と魔力を分解して己のものにするイメージだ。再生しろ、塗り替えろ、死にたくないのならば、成長しろ。
(…………動け。行動しないなら活路は開かない。助けを待ってても来はしない。誰かを呪うより、運命を嘆くより――――動け! 考えろ!)
両腕を再生する。慣れない魔力のせいか、想定していたものよりも爪が長く、血管が不自然なほどに浮かび上がっている。どこかで式を間違えたか。それでもいい。動けるなら、まだ思考できるなら。キルテはまだ負けてない。自由のままだ。
キルテは両腕で脚の拘束を引きちぎった。単純な腕力が桁違いだ。魔力を通さずとも聖樹の枝を引きちぎることができるとは。魔物の肉を喰った影響か。
(なんでもいい。これで手足は自由だ。はやく――――)
キルテが立ち上がろうとしたその瞬間、心臓が握り潰されているかのような痛みに襲われる。バクバクとあり得ない速度で心臓が鼓動する。揺れる視界にキルテはよろめく。
「…………ッう、なんだ、これ」
思わず座り込んだキルテの耳に金属音が聞こえる。顔を上げたキルテの目の前に立つのは、口の周りを血で濡らした魔物。そいつの背後には魔物の死体が積み重なっている。まだ生きている魔物たちはこちらを窺っているが、それだけだ。どうやらキルテが治癒している間に魔物間で力関係が決まったらしい。
「なんだよ、お前。随分と人間っぽい姿してんだな」
すらりとした体躯。兜と鎧を着込んだ人間にも見えるが、開いた口から見える鋭い歯と異様に長い舌、そしてそれらが兜と一体化している様子は、目の前の存在がただの人間ではないことを示している。
「アアァ……アアウ」
「何言ってんだか、わからねーよっ!」
キルテは魔法を展開して鎧の首をふき飛ばす。派手に飛んだわりには手ごたえのない兜に、キルテは眉をしかめて舌打ちをした。心臓はまだ異常なほど脈を打っているが、気にしている場合ではない。
「チッ首落としても意味ねーってか。めんどくせーな!」
飛んだ兜は首から伸びた影のようなもので繋がれていた。その影が伸縮して兜が再び首に乗る。位置を調節するかのように兜を動かした鎧は、腰に差していた剣を抜いた。
――――そして、その一瞬後にはキルテの両腕は斬り落とされた。
「――――――ッぐ!?」
飛び出しそうな悲鳴を呑み込んで、キルテはすぐさま魔法を展開する。腕を治しながら鎧を見上げる。警戒するキルテとは裏腹に、鎧は追撃をしてこなかった。なんとか再生した腕を構えてキルテは問いかける。
「お前は、誰だ?」
「………………」
鎧はキルテの問いに答えることなく再び剣を振り下ろした。キルテはそれを立ち上がりながら避ける。そして追撃する背後からの剣戟をかわしながら走った。しかし、橋にたどり着いたところで脚の腱を後ろから斬られた。ブチブチと嫌な音を聞きながらも、キルテは進む。既に治癒魔法すら上手く扱えない状態だとしても、立ち止まることはキルテの選択肢になかった。
「大人しくしてろよっ!」
脚を引きずりながら走るキルテの胸中にあるのは、この場をどう切り抜けるのか。こんなところで死ぬつもりはない。そのためには手段は選ばない。
(魔力、魔力がいる……!)
しかし走ることなく追って来る鎧は、キルテが噛み千切って呑み込むのでさえ苦労しそうだ。最悪それが原因で死ねる。そんな死因、キルテは御免だった。他の魔物は鎧が恐ろしいのか、キルテにすら近づかない。これでは魔力が尽きて死ぬ。
(クソッたれ! 魔力が尽きかけたのなんて、ガキの頃以来だぞ!)
「うぐぅ!?」
逃げるキルテの肩に痛みが走る。背後を見れば鎧が右腕を前方に伸ばしていた。その手に剣はない。欄干を咄嗟に掴んだキルテを見る鎧は、魔力から読み取れる感情が薄い。魔力操作が上手いのか、感情がないのか。弱いものを無駄に甚振る趣味がなさそうなのは、キルテにとって運が良いと言えるのだろうか。
背後からの衝撃で身を乗り出したキルテの右脚が崩れ落ちて、欄干から手が滑り離れる。不運でも、偶然でもない。キルテが弱かったから起こったことだ。下は魔物たちが潜む血の池。このまま落ちれば魔物に喰われて終わりだ。
「……ッ、落ちて魔物の餌なんて冗談じゃねえ!」
宙に投げ出されたキルテは、間一髪左手で欄干のへりを掴んだ。刺された肩とは反対側と言えど片手で体重を支えるには怪我をしすぎた。血と魔力も流しすぎている。下からは魔物たちがはしゃいで跳ねる水音が、上からは金属の擦れる音がする。どちらを選んでも簡単に死ぬことすら出来ないだろう。
キルテは脚をナニカが這う感触に、ハッとして下に目を向ける。
「おい! なんで出てくるんだよ。大人しくしてろって言っただろ!?」
「シュ、シュー」
怒鳴るキルテの首に巻き付くのは、シヨウの蛇だ。聖堂に入る前からキルテの左脚に巻き付いて隠れていたのだが、何故このタイミングで出て来たのか。キルテの言葉を無視して蛇は頬をチロチロと舐める。そして金の眼でジッとキルテを見つめた。
――――具現化魔法とは、文字通り魔力を具現化する魔法。
「シュシュー」
蛇は自らの頭をキルテの頬に擦り付けた。そしてそのままキルテの口元に首を持ってくる。視界に映る美しい金色の魔力。キルテは無意識に喉を鳴らした。
『――――魔力が足らない、このままでは治癒が追い付かなくて死ぬ。魔力が欲しい。何でもいい。魔力なら』
目を伏せて捧げられる極上の御馳走。キルテのために、キルテの命を繋ぐために捧げられたものだ。それをどうしようとも、キルテの自由だ。生き残るためならどんなこともする。それこそがキルテの求めた強さだったはずだ。今回だってそうだ。むしろ喜んで捧げられた命だ。キルテに迷う理由はない。そのはずだ。しかも相手は魔法で出来たものだ。何を迷う必要がある。
『傷もすぐに治せるのかもしれない。でもキルテさんが傷つくことに、痛い思いをすることに、僕が心を痛めるってことは覚えておいてね』
キルテの魔法知識は偏っている。だから具現化魔法で生まれたそれが消滅した時に痛みを感じるのか、術者に影響があるのかさえ知らない。もしかしたら教えられたかもしれないが、自分には関係ないと記憶から消した可能性を否定できない。キルテは自分で治すことが出来るのだから。他の人間の場合のことなんて、考えていなかった。連絡が取れなくなったのは、それだけのダメージを負ったからではないのか。
「…………ああ、クソ。どーしてくれんだよ」
迷う自分が弱いと思う。でもその弱さを与えた存在が、ひどく恋しく愛しい。自分に向けられたであろうこの感情を、あの時にかけられた言葉を今この場で理解させられるとは思わないだろう。文句も言いたくなる。
キルテは血の池に視線を向ける。魔物が蠢く姿に、聖樹の根らしきものが見える。根に宿る魔力をじっと見つめてから、キルテは蛇の鱗に顔を寄せた。そして血で真っ赤に染まった唇をそっと触れさせる。ピクリと鱗が跳ねる。驚いた様子の蛇に、笑いが込み上げてくる。蛇のくせして意外と感情がわかりやすい。こういうところはシヨウに似ているかもしれない。
「お前には得た情報を持ち帰ってもらわないといけねーからな。お前がどんな味すんのか、正直気になるが……今は味見してる余裕ねー。また今度だ」
「シャーッ!」
「私からのお願いだ。今日聞いたことをアイツに伝えてくれ。……んで、そうだな。1つ伝言も頼む」
キルテは右手で暴れる蛇の首を掴んだ。痛む肩に眉を寄せながらも、右腕を大きく振りかぶる。
「――――信じて待ってろ」
そして、思い切り振り下ろした。投げられた蛇は、弧を描いて橋の向こう側へ消えて行った。あれならここから脱出することができるだろう。
「……遅かったじゃねーか。待っててくれてたのか?」
こちらを見下ろす鎧に、キルテは口角を上げてそう言ってやった。随分と遅い到着だ。キルテは初めて鎧のことをしっかり見た。何となくだが、人間だった頃も仏頂面の無愛想だったような気がする。鎧の魔力自体は暗く冷たいものなのに、周りに漂う魔力は淡く暖かい。そのコントラストに目が惹かれた。
鎧が何も言わずに指をクイと上に曲げる。するとキルテの肩に刺さったままだった剣が浮いて鎧の手に納まった。元々痛みに鈍い体は、さらに感じられる感覚が狭くなっているらしい。
鎧は手にした剣をキルテに向けて構えた。微動だにしない剣先。もしかしたら手練れの騎士だったのかもしれない。
「……なあ、あんたは強さってなんだと思う? 自分が弱いと思ったことはあるか?」
そう尋ねた理由の半分は意識を逸らすため。もう半分は単純な興味だった。鎧は何も答えず、剣も動かないままだ。騎士という立場では、強さや弱さなど考えることはないのだろうか。
「じゃあ、守りたかった者はいたか?」
その問いに鎧の剣先がピクリと僅かに動く。一瞬後に御されたそれをキルテは見逃さなかった。しかし、すぐさま切先がまるでキルテに引き寄せられているかのように近づいてくる。どうやら地雷を踏んだらしい。鎧は何を、誰を守りたかったのだろうか。守れなかったのだろうか。魔物になった理由は? 今も昔の記憶があるのか? 何故ここで剣を振るっている?
キルテの脳裏に、様々な問いが浮かび上がる。
「悪いな」
――――瞳に剣先が突き刺さる一瞬前、キルテは欄干から手を離した。重力に従ってキルテの体は下に落ちていく。
「続きはまた今度だ」
(お前の周りを心配そうにつきまとっている魔力は、お前の守りたかった奴か?)
その問いは音になることなく、キルテの体と共に血の池に呑み込まれていった。
数多くの作品の中から選んで読んでくださり、ありがとうございます。
この話を読んだ感想や評価など「与えてやんよ」という方がいらっしゃいましたら、頂けると大変ありがたいです。小説を書く上での参考、糧にさせて頂きます。




