第9話 懐かしい顔には注意せよ
監獄からの手紙を受け取った翌日。キルテはようやく来たチャンスに内心ほっとしていた。
(まさかまたあのクソが来るとは)
割り振られた仕事をこなしつつ今後について考えていたキルテは、聞こえてきた声にすぐさま中庭へと向かった。そこにいたのは、赤髪の貴族の男とその従者らしき男だった。修道院にある中庭には野菜が植えてあり、決して優美とは言えない場所だが修道女にとってはとても大事な場所である。そんな場所で地団太を踏んでいる男をキルテは木に隠れるように観察する。
「全くなぜこの私が参加できないんだ! こんなにも! 優秀な! 私だぞ!?」
「坊ちゃま、お、落ち着いてください。今年は王太子殿下も聖女様もいらっしゃいますし……」
「仕方がないとでも言うのか! この僕が選ばれなかったことが、仕方ないとお前ごときが判断するのか!?」
「も、申し訳ございません」
従者らしき人間を足蹴にしている男に、キルテは見覚えがあった。まだ記憶を失っていた時、幼女相手に怒鳴っていたクソだ。今度は従者を甚振っているらしい。記憶が戻ってから見てもクソである。おそらくクソが言っているのは例の大会についてだろう。どうやら大会参加者には選ばれなかったらしい。
「チッ、今日やっと杖の浄化が終わったから私の実力を証明しようとしたのに……修道院長が不在とは」
「こうなったら帰ってくるまで待つぞ。部屋を用意させろ」と言い放ったクソに、従者は走ってこの場を去って行った。その姿を見送りもせず鼻を鳴らしたクソは、足元に視線を落とす。そして、土から出ている葉を踏みつけた。
「クソクソクソ! 私の実力を認めない愚か者ばかりだ! あの目! あの口! 絶対に許さないぞ。今に見てろよ、教会の犬風情が!」
何度も踏みつけたそれは、緑の葉が散って白い実が砕ける。クソがクソと悪態をつく姿に、キルテは自己紹介か? とため息をつきながら木からそっと離れた。
「父上に言って王都では暮らせないようにするか。それとも殺し屋に依頼でもするか――――」
「――――しょうもない理由で殺し屋を使うんじゃねーよ」
「あ? い!? あ、あぅう……」
いつかと同じようにクソの背後から首を絞めて意識を落とす。そしてクソを大根の残骸の横に適当に寝かせる。これで大根に当たっていたクソが足を滑らせて、頭を打って気を失ったと見えるはずだ。…………多分。
「さて、杖は……これか」
クソの腰についたホルダーから杖を抜き取ったキルテは、代わりに自分が持っていたものを空いたそこに差し込んだ。リアに頼んで作ってもらった杖もどきは見た目だけはそれらしい。キルテの目にはただの棒切れにしか見えないが、少しの間騙すには十分だろう。それにキルテの勘だが、クソは魔法師として大したことがなさそうだ。さきほどの話を思い出しても、それは間違っていない気がする。
キルテは奪った杖を持ったまま、誰にも会わないように注意しながら自室へと戻ってきた。そして自分の指を嚙み切る。プツリと滲み出てきた赤玉をそのままに、片手で杖を構えると呪文を唱えた。
「ヒール」
魔力が杖に吸われ、魔法が展開する。淡い光が指の周りに降って傷を治していく。その様子をじっと見ていたキルテは、首を傾げた。
(なにか、いつもと違うような……呪文を使うのは久しぶりだからか?)
キルテは普段呪文を唱えることなく治癒魔法を使用している。その方が自由に魔法を展開できるからだ。それで問題なく魔法を使えるようになったのは、キルテの目が特異であるからだろう。何度か本当に死にそうになりながらもキルテは己の中での「公式」とでもいうべきものを確立した。まあそれはキルテの目があるから使用できるものなので、公式とは言えないかもしれないのだが。
「チ、これじゃわからねーか。……仕方ねーな。――ッフン」
「ププププピッポ!?」
キルテは左腕を自らへし折った。鈍い音が部屋に響く。眠気眼でこちらを見ていたププちゃんは、その音とキルテの暴挙に羽を震えさせて悲鳴を上げた。そのままこちらに突進してくる体を右手で押しとどめる。
「あー待て待て。来るんじゃねーよ、邪魔だから」
「プピー!」
「いや、誰にやられたって自分で折ったんだよ。見てなかったのかバカどり」
「ププププッピピピピ!!!」
「はいはい、ちゃんと治しますよ」
なんで自分は鳥と会話をしているのか、と顔を顰めながらキルテは再び杖を構えた。そしてさきほどよりも集中して杖を見遣る。
「ヒール」
魔法が展開する。キルテの魔力が杖に送られる。杖が魔法を展開する――――。
「ここか」
キルテは魔力の出力を数段上げた。しかし杖に込める魔力をいくら上げても展開する魔法の出力は変わらない。むしろ微かに小さくなっている。治癒魔法は問題なく展開している。だが杖に与える魔力と展開される魔法の規模が釣り合わない。
「薄められている……いや、他の何かに魔力が使われている? それとも杖には展開する魔法のパターンが固定されているのか」
魔法の出力が終わっても治りきっていない腕を見たキルテは、杖を下ろして自分で魔法を展開する。いつも通り綺麗に治った腕を見ながらキルテは、腕を組んで床に置いた杖を見下ろした。何度か体を左右に傾けながら唸ったキルテは、頭を掻いてため息をついた。
「…………こうしてても埒が明かねーな」
キルテは、自分の頭脳が平凡の域を出ないことに、ここ数ヶ月で気づかされた。過去を振り返っても大抵その目と魔法と腕力でどうにかしてきたキルテである。自分が一応所属する組織やそこの人間について何も考えずに殺しをしてきた人間であるのだ。馬鹿でもないし、阿呆でもないと思っているが、頭を使って考察やらをするのは得意じゃない。ここで自分1人頭を抱えて唸っているのは非効率的だ。
キルテは、立ち上がるとベッドに敷かれていたシーツを剥ぎ取った。
「ま、情報は多い方がいいだろ」
*
『…………で、キルテさんは自分で自分を痛めつけたってわけなんだね。それも沢山』
「……なんで、お前が怒ってんだよ。情報は多い方が答えに近づけるだろーが」
夜、やっとキルテの呼びかけに応じたシヨウは、途中から無言のまま説明を聞き、今平坦な声でキルテを責めている。言葉には直接出されていないが、蛇の雰囲気でシヨウが怒っていることとキルテの行いを責めているのは伝わってきた。
『はぁ…………今ここで理解させるのは骨が折れそうだし、僕も君の姿を直接見れない状態では言いたくない。君に危険な仕事を頼んでいる立場で言えることじゃないかもしれない。傷もすぐに治せるのかもしれない。でもキルテさんが傷つくことに、痛い思いをすることに、僕が心を痛めるってことは覚えておいてね』
「よくわからんが……わかった」
「それ、わかってないじゃん」と言うシヨウの言葉が存外穏やかだったため、キルテは小さく息を吐いた。どうやら説教は回避したらしい。キルテは妙に出てきた汗を拭ってから、話を続けた。
「……んん、それでだ。杖にいくら魔力を送っても、展開される魔法がある一定以上には効果が上がらないってことは確実だと私は思っている」
『うん、そうだね。問題はその理由だ。一般的に杖は使用者の補助的な役目を果たす道具で、むしろ使用者の魔力を増大させて、時には意思が存在するかのように使用者を支えると言われている』
「意思が宿る、ねえ」
『この場合、キルテさんが勝手に杖を奪って魔法を使ったから杖の意思で魔法を抑えたっていう風にも考えられる』
なるほど、確かに杖に意思が宿っているのであればそう考えても不思議じゃない。蛇の尻尾を追いかけるように右に左に跳びはねるププちゃんを見ながら思う。
『けど、そう考えると大会で見た王国貴族の杖の印象とは随分とかけ離れている』
「どういうことだ」
『彼らの多くは魔法の展開に失敗してこう言うんだ。役に立たない棒切れ、浄化が完璧ではなかったか……ってね』
「浄化?」
聞き覚えのある言葉に、キルテは「そういえば」と頷いた。あれは単なる言い訳ではなかったのかもしれない。
「杖を奪った男も言ってたな。杖の浄化が終わったって……」
『浄化が必要な状態とは一体どんな状態か。普通に考えれば瘴気を払う時に使うけど、その対象が杖ってのが可笑しい。今、杖に瘴気や異常は見られる?』
「いや、特に異常はないが……」
『キルテさんの目で見てそうなら、今は正常な状態なんだろう。それは杖の浄化が終わったばかりで、使用したのがキルテさんだったから』
「貴族が使うと、瘴気が溜まる……だから定期的に浄化をする必要がある?」
『おそらくね。王族も同様なんじゃないかな。とにかく、僕の印象では王国で使われている杖に忠誠心があるとも、それを捧げられる貴族がいるとも思えない』
そこは同意だ、とキルテは再度頷いた。キルテの知っているこの国の王族貴族は皆揃ってクソばかりである。否定できる情報が1つもないことに、王国に住む人間として嘆いた方がいいのかもしれない。
蛇がププちゃんをあやすかのように尾を振る。それを嬉々として追いかけてはひとりで転がる姿を見て、呆れながらキルテはため息をつく。
『杖に魔力を抑えられたのでなければ、他のことに魔力が割かれていると考えるのが自然だ』
「その他のことってのが浄化に関係すると?」
『うん、まず彼らが魔物と同等の魔力……つまり瘴気を生み出す魔力を持っていると仮定しよう。その場合ただの杖ならば魔法を使うたび瘴気が溢れてくる。そうなれば周囲の人間は当然不審に思うだろう。なぜ人間であるはずの彼らから瘴気が溢れ出てくるのか、ってね』
「瘴気を抑えるために、杖に浄化魔法を仕込んだってことか?」
『あるいは杖自体に自浄効果があるのかも。杖に魔法が仕込まれていたらキルテさんは気づくでしょ?』
確かにそうだな、とキルテは頷いた。魔法が組み込まれていれば、展開した時に気づいたはずだ。それがないということは、杖の特質が魔力を吸って瘴気を浄化するというものなのだろう。見たことのないものだと、キルテはその力の特質を推測するしかない。それはキルテの得意とするところではないのだ。キルテは自分とターゲットの体で集めた情報を元に、経験則で魔素列などを判断しているだけなのだから。
蛇の体の下でジタバタと暴れるププちゃんを片手で救出する。自分から腹の下に潜っておいて何故出れなくなってるんだ。アホか。アホだったな。
「だが、自浄作用があるのに杖の浄化が必要なのはなぜだ?」
『おそらく、杖自身の浄化だけでは間に合わないんだろう。だから外からも浄化する必要がある』
「で、ここの修道院に持ち込まれて浄化するってことか。……なあ、聖女が杖を使っていなかったのって自分で浄化魔法を使えるからじゃねーのか」
『うん、そうかも。魔物が浄化魔法を使えるっていうのは矛盾しているけど、それが出来るからこそ聖女なのかもしれないね』
ややこしいな、とキルテは片手で頭を抑えながらこれまでの考察をまとめる。もう片方の手では、アイツが悪いとでもいうかのように鳴くアホの突撃を堰き止める。自業自得だろ。大人しくしてろ。
「あーつまり、杖には自浄作用があり奴らの瘴気を浄化している。しかしそれにも限度があり、杖を浄化する必要が出たらここに持ち込まれる。聖女は自分で浄化できるから本当は杖もいらない。ってことで合ってるか」
『うん、大丈夫。あとは何で修道院に持ち込まれるのかってところだけど……やっぱりキルテさんが言っていた聖樹が怪しいよね。これも大会で聞いたことなんだけど、自分の実力不足を誤魔化すために言ったんだとしか当時は思わなかったから』
「聖樹に関することか?」
『うん、王国には始まりの樹があるって。その力は強大でそれを使えばお前らに勝つのはわけないってね』
「じゃあ最初からやれよ」
『ふふ、そうだよね。そんな風に言うのに使ってないってことはただの言い訳だと思ったんだよ。始まりの樹もただの御伽噺に出てくるものだと思ってたし』
「……ああ、何か聞いたことあんなって思ったら子供が読むような絵本に出てくるやつか」
『うん、そう。キルテさんも知ってるんだ? 王国ではポピュラーなのかな』
エンジに連れ回された時、読んだ記憶がある。確か始まりの樹というのはこの世界で初めて魔力を宿したもので、その樹から溢れ出た魔力が空気中に溶け込んで他の生物にも宿るようになった、という話だった気がする。魔法師の誕生についてわかりやすく描かれた絵本だったはずだ。
「その始まりの樹が聖樹だと?」
『可能性はある。始まりの樹には周囲の魔力を吸収して自身の魔力に変換するという記述のある本もあるしね。それなら瘴気を吸収して浄化するっていうのもそれに当てはまるだろう』
「やっぱり聖樹を調べるのが一番早いか。聖樹が貴族たちを人間たらしめているのであれば、それをどうにかすればあるいは……」
だが、魔物なのは本当に王族と貴族だけなのか。いや、そもそもそいつらを魔物だと処分したとして王国は国として機能するのか。
黙ってしまったキルテに、シヨウは殊更柔らかい声で言った。
『キルテさん、今回のことは帝国からの依頼だ。最初は誘拐事件の解決と聖女の殺害だけで、王国そのものを今すぐどうにかしようという意図はなかった。でも、今はもうその段階ではない。王族と貴族、そして庶子なんかを合わせればどれほどの潜在的魔物がいるのか。血で受け継がれるものならその範囲はどれだけ広いかわからない。王国だけで起こっていることかもわからない。……帝国は自国に降りかかるであろう厄災の成長を黙って見てるほど甘くない。キルテさんが今回の仕事で何をしても、しなくても結果はそう変わらないよ』
まだ指輪の約束は有効だよ、とシヨウは最後にそう言った。暗に依頼を放り出してここから抜け出しても良いと言っているのだろう。シヨウは記憶を失っていた時も、キルテに逃げ道を用意していた。けれどもその決断をキルテ自身に委ねてくるところが、好きだなと自然にそう思った。
「――――救いはいらない。逃げもしない。受けた依頼はきっちりとこなす。私は死神とよばれた殺し屋だぞ。今さら狩り取る魂の数で何かを言うほど、私はまっとうではない。それに、この国が魔物だらけになるのをただ見ているのも目覚めが悪い」
『…………うん、キルテさんならそう言うと思った』
じゃあ聖樹を調べてもらわなければね、と軽い調子で言うシヨウにキルテは口を緩めた。ププッ! といつの間にか元気になったププちゃんも羽根を上げて蛇の尾をつつく。遊んだり、泣いたり、笑ったり。忙しい奴である。逆にシヨウの蛇はププちゃんの行動にも差して反応せず、好きにさせている。声はシヨウのものだが、喋っている間も蛇自身の意識は無くならないはずだ。邪険にしている様子もないので、少なくとも嫌ってはいないだろうし、どちらかと言うとアホな子を見守る大人にも見える。両者の差は生んだ者の歳の差故か、性質なのか。あまり良い結論にならなそうな疑問を、キルテは頭を振って消した。
「ふ、そうだな。運のいいことに大会の日、私は留守番を仰せつかった。おそらく聖女たちに私を近づけたくないんだろ。その数日前から修道院も手薄になる。調べるには丁度いいだろ」
『うん、わかった。キルテさんの目で見れば詳しくわかることも多いだろうね。……でも、無理は絶対にしないでね』
「ああ、わかってる」
「ピピプ!」
『ああ、ププちゃんがいれば安心だね。ちゃんとキルテさんを見張っててね』
「ププ!」
「なんでお前まで会話できるんだよ」
『えー? それは、まあ、ぼ、僕だってププちゃんの親みたいなものですし。……な、なーんてね』
「ふっ、そーだな。私が母親で、お前が父親か?」
「プッピ~?」
揶揄うようにそう言ってやれば、蛇は途端に黙り込んだ。室内に奇妙な沈黙が落ちて、キルテは頭を掻く。選択を間違えたか。心なしか蛇も焦っているように見える。主の感情が反映されているのだろうか。それならよっぽど動揺したのか、キルテの言葉に。
「おい、変なこと言って悪かったな。深い意味はない。気にするな」
『え、う、うん。こっちこそ変な空気にしてごめんね』
他意はありまくりだが、キルテはそう言って話を終えた。表情が見えないと攻めるにも攻めづらい。ここは引いた方がいいだろう。体を揺らしては尾で支えられている奴もいることだし。はしゃいで眠くなるとは本当にお子様じゃないか。
「じゃ、また大会の日に報告する。朝ならお前も時間があるか?」
『なくても作るよ。――――またね、キルテさん。もう遅い、ゆっくり休むんだよ』
「ああ、お前もな。お休み」
キルテは喋らなくなった蛇と、既に半分夢の中のププちゃんを抱えてベッドに潜った。大会までそう日がない。しっかり休んでおかなければ、見えるものも見えない。
「……父親は、なかったか。まあでも親って言いだしたのはあっちだしな。後で顔を見た状態でまた言ってやろ」
「ププゥ……」
寝息を漏らす体を軽く撫でながら、キルテも眠りについた。体温などほとんどないはずの体が妙に暖かくて、その夜はよく眠れたのであった。
*
「さて、そろそろ行くか」
大会前日。キルテは夜、皆が寝静まった頃に行動を開始した。皆と言っても今修道院にいるのは数人の修道女だけだ。修道院長含めた多くの修道女は数日前、大会会場へ向けて出発している。リアもそのうちの1人だ。彼女は出発する前に「姐さん、無理しないでくださいね」と念押ししてから出て行った。まったく揃いも揃ってキルテを何だと思っているのか。
「私は出来ることをやってるだけだ。無理なんてしてない」
「プッピ~?」
キルテは既に壊れているドアをそっと開けて部屋を出る。キルテの言葉に疑いの声を上げるププちゃんも一緒だ。顔に当たる羽がくすぐったい。キルテは肩に乗っていたププちゃんを抱えると、音もなく走る。宿舎を出てやって来たのは聖堂。そっと扉に手をかけて押すと、軋む音を響かせながら開く。どうやら鍵がかかっていないらしい。キルテは眉を寄せる。
「……はぁ、迷っている時間はねーよな」
キルテは扉の隙間に身を滑らせるようにして中に侵入した。そして迷いなく進むと、奥にあるもう1つの扉を開ける。開けた先には地下に続く階段があった。月明りが入ってきている聖堂内とは違い、ここから先は暗くキルテの目にも何も見えない。
「ライト」
小さく呟いた呪文に、宙に光の玉が現れ浮かび上がる。練習した甲斐あって丁度いい明るさだ。キルテはふっと息を軽く吐いてから、首元の布を引き上げようとした。しかし、宙をかいた手にそのまま拳を握る。
「プ?」
「何でもない。――――行くぞ」
光を頼りに階段を下りていく。ここに来たのは2回目だが、初めて来た時は壁に掛けられた蠟燭の灯りを頼りに下りたはずだ。ここ数日は人数も少ないため、夜の祈りは行われていない。そのため蝋燭自体も用意されていないのだろう。階段の終わりが見えてくると、奥の空間から青白い光が漏れているのが見える。
階段を下りきったキルテは、石で作られたアーチ状の仕切りをくぐり魔法で出した光を消した。
「改めて見ると、すげー空間だな」
細く長い階段を抜けると、そこにあるのは広大な空間。その中心で青白く発光している大木が聖樹だ。聖樹がある地とキルテが立っている場所は地続きにはなっておらず、中央に構える石畳の橋でそれを繋いでいる。キルテは気配を探りつつ、橋に足をかけた。
「これ、下に何かあるのか?」
橋の下を覗くとそこには水が流れている。しかし、その奥にはまだ何かがあるようにも見える。上から何かで覆っているような感覚だ。
「無理やりに壊すことは出来そうだが……」
魔素列の隙間に魔力を叩きこめば覆っている結界らしきものを壊せそうだが、それを修復することはキルテには不可能だし、何かの罠であれば面倒だ。キルテはそのまま橋を渡ることにした。橋を渡り草木が生い茂る地を踏みしめてキルテは上を見上げる。
「随分デケーな」
確かに長い階段だったが、ここまで大きな樹の入る空間が修道院の地下に出来るものなのだろうか。キルテは周囲を見渡した後、再び樹を見上げる。
「魔力が満ちていてわかりづらいな……この空間自体、何かしらの魔法で守られていそうだが」
一番大きな魔力を感じるのはやはり目の前の聖樹だ。葉は生い茂り、幹は太く強風くらいではびくともしなそうだ。青白い光は聖樹全体に見えるが、微かに揺れる枝から宙に弾けるように光が零れる。
「プププピ!」
「あ、おい!」
キルテが注意深く聖樹を見ていると、抱えられていたププちゃんが抜け出して羽をばたつかせる。止めるキルテの手を掻い潜ったププちゃんは、ふらつきながらも無事聖樹の枝に止まった。
「プップ~」
「はぁ、変に度胸があるよな、お前」
キルテは頭を掻きながらも聖樹に近づく。パッと見ただけだと本当に大きな樹にしか見えない。しかし、キルテの目に映る無数の魔力がただの樹であることを否定している。聖樹に溜まった魔力のほとんどは修道女のものだろう。その魔力を循環し、自分のエネルギーとして変換している。キルテは宙に浮く光の中に見知った魔力を見て、その光をそっと両手で囲んだ。その光はキルテの手を擦り抜けて、腰の辺りでクルクルと回る。
「……杖に反応しているのか?」
杖を取り出したキルテは、周囲の光がそれに集まる様子を見て目を細めた。そして軽く杖を振って小さく唱える。
「ライト」
魔法によって生み出された光源とは別に、杖から光の筋が生まれる。その筋は青白く光り、宙に真っすぐの線を描いている。光の筋が指すもの――――聖樹をキルテは見つめる。地上では見えなかった杖と聖樹を繋ぐ魔力のラインがキルテの目に映る。そのラインはキルテが持っている杖にただ繋がっているのではない。聖樹から幾重もの光の筋が伸びている。その筋は途中で宙に溶けているようにも見えるが、注意深く見れば上に向かって筋が伸びているのが確認できた。
「杖と聖樹を繋ぐ魔力ライン、か。聖樹に溜められた魔力を杖に送り、杖が浄化をする。杖に送られた瘴気は聖樹に吸収されて浄化される。それが繰り返し行われる魔力浄化循環装置、ってところか」
幾筋もの光の線をキルテは見つめる。聖樹からの魔力と上から送られてくる魔力の質は全く違うものだ。地上からの魔力は瘴気が混じったもの、聖樹からのものは何の特質もないただ純粋なエネルギーとしての魔力に見える。聖樹から送る魔力が多いため、聖樹は青白く光り神聖さすら感じさせるが、これが本当の姿なのだろうか。
「だがこれで王国の杖が単なる魔道具ではないことがわかった。……あとはこのラインを断てば奴らの本当の姿が見れるはずだ。これで魔物として首を落とせる」
「プププ」
気が済んだのか自分から戻ってきたププちゃんは、キルテの肩に乗った。そして腹が減ったとでも言うかのようにキルテの髪の毛を啄む。それを止めることなく好きにさせたままのキルテは、一度も触れることなく聖樹に背を向けた。触れてしまえば、今ある均衡がすぐにでも崩れてしまいそうな気がしたのだ。
(記憶を失う前の私なら、『魔物』の首を落とすために問答無用で燃やしてたな)
でも、今のキルテはターゲットの首を取れればそれで良いとは言い切れない。今聖樹を燃やしてしまえば、王国内で魔物が大量発生してしまう可能性が高い。そんな事態になれば何人が死ぬだろうか。自分の強さを証明できれば、より強くなれるのであれば良い。弱い奴が、生き残れない奴が悪いのだ。そんな風に切り捨てて進むことに、躊躇する自分がいる。切り捨ててきたものの中に、キルテの知らない強さが隠れていたのではないか。自分にはない強さを持つ人間がいるのではないか。そう考えてしまう自分がいる。
「――――弱くなったな」
「プピ?」
擦りつけられる体を押し返したキルテは、後ろを振り返ることなく青白く光る空間から抜け出した。
*
キルテは階段を上り、何事もなく聖堂から出た。月明りの下、虫の音も聞こえない中、宿舎を目指して歩く。考えるのはこれからどうするか。聖樹を燃やしてしまえばおそらく杖への魔力供給が断たれて貴族たちに異変が起こる。しかし、誘拐された者の所在が未だわかっていない。
(もう少し調べる必要がある。また明日、いやもう今日か。地下を調べよう)
既にここ数日で修道院の敷地内は調べ済みだ。あとはあの地下に隠し通路や部屋などがないかを調べなくてはいけない。今調べても良かったが、連日夜にコソコソと調べ、鍵当番が来た時には起きてドアを内側から全力で抑えているのだ。寝不足なのは否めない。早いところベッドに潜って少しでも睡眠時間を確保するべきだ。
(そう、わかっているんだがな)
聖樹の前で過った思考に、キルテは未だ囚われていた。シヨウが、帝国がどういった風に潜在的魔物を処理するのか。そもそもどうやってその存在を見分けるのか。王国の民が今まで通りに生活することは出来るのか。
(無理、だろうな。少なくとも魔法師たちは拘束されるか、殺されるか。……何にせよ王族と貴族が処理されれば元通りなんて無理な話だ)
だがこのまま潜在的魔物をそのままにすることも王国に住む人間、そして他の国の人間たちにとって脅威だ。今は修道女や攫ってきた人間、そして監獄内の人間で収まっているが、それだけでは魔力を補えなくなったら? 人間として生きることを奴らが辞めたら? 人間を餌として飼うようになったら? そうなれば国同士の戦争では済まない。新たな種族の誕生と同時に種族間の戦争の幕が開けるのか。そこから築かれるのは種が絶滅するまでの長い殺戮の歴史かもしれない。
(ただの殺し屋が考えることじゃないな……でも、そうなってしまった世界に自由はあるのか?)
キルテは、快楽殺人者でなければ破壊衝動を持つ人間でもない。ただ自分の意思を虐げられることなく、自由に選択して生きていける強さが欲しいだけだ。そのために子供の頃からターゲットの首をいくつも落としてきた。
(考えてみれば私が殺してきたのは王国の貴族ばかりだな……もしかして)
キルテがそう考えた時、近くに気配があることに気が付いた。ハッと顔を上げたキルテは、周囲を探るように見る。気配は薄いが、潜めているわけではなさそうだ。
「お前は離れてろ」
「プゥ」
「いい子だから言うことを聞け」
嫌がるププちゃんを下ろして手を振る。こいつの存在は見られない方がいいだろう。キルテはププちゃんの気配が十分離れたことを確認してから宿舎の傍の木に近づいた。
「……お前、何でこんな時間にこんなところにいんだよ」
「お姉ちゃん、また会ったね」
木の上でこちらを見下ろしているのは、クソに泣かされていた孤児院の子供だった。子供は寝間着姿だったが、いつかと違って傷はなく、髪も綺麗に整えられていた。月明りに照らされた姿からは、ボールを追って駆ける様子は想像しづらい。どちらかというと室内で人形遊びをしてそうな雰囲気だ。
(いや、もっと――――)
キルテが違和感を掴む前に子供が口を開く。口角を上げる様子は無邪気な子供の様だ。
「あのね! 今日は月が綺麗だったから抜け出してここに上ったんだけど……」
「……下りれなくなったと?」
「えへへ? お姉ちゃんがここを通ってくれて良かった!」
助けて! と無邪気に言う姿は、脚にしがみつかれた時と同じに見える。その笑顔は一般的に愛嬌があるというのだろう。キルテは持っていないものだ。聖女のように男にとってはつい手を貸してやりたくなる庇護欲そそる顔だった。女で、そういったことに興味が薄いキルテにとってもまあ別にいいかと思わせるような何かがあった。
「はぁ、受け止めてやるから自分で飛び降りろ」
「うん、ありがとう。お姉ちゃん」
キルテは木の下で腕を軽く開いたが、動かない子供に眉を顰める。ビビったか。
「おい、いつまでそうしてるつもりだ。下りないなら私は帰るぞ」
「――――ねえ、お姉ちゃんは良い人、だよね」
唐突にそう言った子供に、キルテは視線を逸らして頭を掻いた。良い人ってのは、何を指しているのか。キルテにはわからない。だが、誰かにとって都合の良い人間になるつもりはなかった。
キルテは、息を吐いてから口を開く。
「私は別に良い人じゃねーよ。ただ自分のやりたいように生きているだけの人間だ。正義なんてどーでもいい。そんな人間だ。……そういう人間の元には飛び込めねーっつうならそこで一晩明かせ」
「……ううん、安心した! それなら間違って顔を蹴っちゃっても大丈夫だよね」
「いや、それはヤメロ」
え~? と笑う子供はやはりどこか大人びた印象も与える。この数週間で何か、あったのだろうか。キルテは頭の片隅でそう考えたが、何もなくても勝手に成長する時期だと頭を振った。それに変化したというのであればキルテの方だろう。数か月前の自分は、今ここで手を伸ばしている姿を想像できただろうか。
(無理だろうな。ここに来る前の私なら、気配に気づいても子供だとわかった時点で無視して帰っていた)
『強ければすごいの?』
子供が言った言葉を思い出す。強さとは何か。弱さとはどんなものなのか。
キルテは、あの時に答えられなかったことを今もグダグダと考えている。最近はこんなことばかりだ。これもシヨウに出会ったせいというのか。
(……煩わしいが、悪くは無い。変な気持ちだ)
「ほんとに大丈夫? 落とさない?」
「お前の体重くらい何ともねーから早く飛べ」
「……うん、わかった」
キルテの言葉にようやく決心をつけたのか、子供が幹の上で立ち上がる。そして、両手を胸の前で組んでから飛び降りた。その小さな体を受け止めるために、キルテは落下地点へと数歩足を動かす。重力に従って落ちる体をキルテは前から抱くように受け止めた。フワリと香る甘い匂いに一瞬、どこかで嗅いだものに似ていると考える。だが、その答えを脳がはじきだすよりも先に体が異変を訴えた。
――――胸のあたりが酷く熱い。チャラリとキルテとの間で十字架が揺れて音を立てた。そこに埋められた石が紅の光を放ってキルテの視界を未知の魔素列で侵食する。
「お、まえ――――」
「お姉ちゃんが悪い人で良かった。神父様の言った通りだった」
キルテはせり上がる液体を吐き出しながら、己の体を見下ろした。
――――キルテの体は、腕の中の子供の手によって突き破られていた。
「か、はっ……うおぇ」
「心臓を貫かれてすぐに死なないなんて、死神の名は伊達じゃないね」
子供が腕を引いた反動でキルテは崩れ落ちた。一緒に倒れるよりも早く離れた子供は、無表情でこちらを見下ろしている。子供の腕は右側だけ下半分が変形していた。蟷螂のような刃についた赤い血が、月明りで妖しく光る。
「完全に治癒されると困るんだ。魅惑の札も多少は効いたみたいだし、これも貼っておこうかな」
子供は右腕を振って、刃を消すと血が滴る手で上着のポケットから何かを取り出した。それを地に倒れたまま見ていたキルテは、冷えた脚に手を添える。体を捩って動こうとするが、子供が取り出した長方形の紙を避けることすら出来ない。
「お姉ちゃん、まるで芋虫みたいだね。どう? 自分が弱者になった感想は」
「おま、え……誰だ」
霞む視界にまともに吸えもしない呼吸。キルテは自分の脚を掴んだまま子供を睨みつけた。だが目の前で虫の息の人間に睨まれても脅威ではないのだろう。子供はキルテの前にしゃがみ込んで、キルテの目を覗き込んだ。
「――――お前に死よりも辛い苦痛を与えてやりたい人間だよ」
子供の目が紅く光る。縦に割れた瞳孔が影の中で踊る。
キルテの意識は、その光を視界に収めたのを最後にブラックアウトした。
数多くの作品の中から選んで読んでくださり、ありがとうございます。
この話を読んだ感想や評価など「与えてやんよ」という方がいらっしゃいましたら、頂けると大変ありがたいです。小説を書く上での参考、糧にさせて頂きます。




