プロローグ 急な婚約破棄には逃げ一択
「スカーレット! 貴様との婚約を破棄する!」
王宮での舞踏会。今夜は王太子が王立学園を卒業した節目ということで、皆の前で挨拶をする段取りであった。
しかし、始まったのは突然の婚約破棄宣言。1人の令嬢を呼びつけて、集団監視の中『罪状』を読み上げる王太子。
曰く、他の生徒に対して学園でいじめを行った。
曰く、魔法試験にて推奨されている王国製の杖ではなく、他国の魔法具を使った。
曰く、聖女リリスに対して殺害を企てた。
「特に聖女に対しての殺害未遂は重罪である! 貴族としての身分を剥奪し、貴様は修道院へ送る。これは国王も了承済みだ!」
王太子は、傍の金髪の女――――リリスを目の前の女から守るかのように抱き込む。その腕をごく自然に受け入れて眉を下げるリリスは、小さな声で目の前に立つ赤髪の女に話しかける。
「……スカーレット様、どうかご自身の罪を認めてください。そして修道院にて、どうか……どうかこの国のために生きて、罪を償ってください」
「リリス、無理するな」
「殿下、大丈夫です。聖女として言わなくてはいけないことですから」
「リリス……やはり俺の婚約者は君が相応しい」
ドレスの袖を握りしめて涙を浮かべて話すリリスを、王太子はそっと抱きしめた。周囲の目など気にならないのか、今にも口づけをしそうな雰囲気である。しかし、他の貴族たちも2人の様子をうっとりと見つめているのだからこの国の王侯貴族たちは皆同族なのだろう。
ただ1人、髪と同じ紅のドレスに身を包んだスカーレットだけが他の貴族たちと違った様子を見せている。彼女の両手は強く握りこまれ、俯いた頭は震えている。しかし、眉間の皺と血走った目は、か弱い令嬢が泣く姿とは程遠い。聞いていた通り、ただの令嬢ではなさそうだ。
「スカーレット! 修道院へ送るだけで済んだのはリリスの温情があったからだ! 彼女の優しさに感謝し、今までの蛮行をここで謝罪しろ! おい、何してる。貴様の涙など見たくもない。早くこっちに――――」
「殿下?」
王太子の言い分に我慢の限界だったらしいスカーレットが一歩を踏み出したその時、王太子に異変が起こる。
スカーレットを睨みつけていた瞳は、反時計回りで周囲を見渡した。異常なのは、首から下は正面を向いたままであったことだ。首から上を通常の可動域を超えて動かそうとしている。いや、正確には動かされている。
「殿下! どうされたんですか?」
「リ、……リ……た、たた……た」
王太子の体はピクピクと痙攣しているが、愛しい女を腕に抱いたまま崩れ落ちることもなくその場で立っている。腕は硬直したかのようにリリスを抱いて離さない。顔は既に背後を向いていて、こちらから表情は見えない。あの状態ではまともに喋れはしないだろう。首元が衣装で隠れているため、遠くから見れば何かの芸をしているようだ。だが微かに聞こえる何かがちぎれるような、削れるような音。いつの間にか静まり返った場に響くその音は、芸にしては生々しすぎる。
リリスは自分の頭上から聞こえる音に畏怖したのか、男の腕から抜け出そうとする。しかしその柔らかく、か弱い腕ではどうすることもできないようだ。周囲に助けを求めるように視線を向けるが、どうやら遅かったらしい。
――――――王太子の首が落ちた。真っ赤な鮮血を吹き出しながら。
「い、いやあああああああ!?」
リリスの悲鳴を皮切りに、場が恐怖に支配される。当然だ。王太子の首が捻り切れたのだから。しかもひとりでに。
聖女様は、顔やドレスを赤く染めながら首なしの男から離れる。魔法を使って腕から抜け出し、学園で親しかったお仲間の胸へと飛び込んだ。どうやら治癒魔法が得意らしい聖女様は、この異常事態にお役目のことはすっかり頭から抜け落ちたらしい。首が落ちた王太子には、似合いなのかもしれないが。
「皆様落ち着いてください! まずは王太子殿下の御身体を……」
スカーレットが場を鎮めようと声を上げる。さすがは侯爵令嬢として、そして未来の王妃として教育されてきた女性、とでも言うべきか。誰よりも早く動揺を鎮めて、行動に出た。しかし、その行動は最善ではなかった。
「貴様、婚約破棄をされたことで殿下を殺害するとは!?」
「は? 何を馬鹿なことを……それよりも殿下を」
「近寄るな! 衛兵! こいつを捕らえろ!」
驚異的な威力の治癒魔法を使う聖女様に視線を向けるスカーレット。まずはその力で王太子の首がどうにか出来ないか試すものではないのか。腐っても王族。しかも王太子だ。それに聖女様は愛する相手ではなかったのか。顔を伏せて涙を零す聖女様は、眼鏡をかけた男に庇われ、ガタイのいい若い騎士の腕に納まっている。学園のおともだち。聖女様御一行のメンバーである。
「私がいつ殿下を殺害したと!? 貴方たちも見たでしょう! 私は何もしていない。魔法の痕跡もないのは学園を卒業したならわかるはず。呪いにしたって私はここ一年殿下に近づくことも、何かを送ったことでさえなかった。それは殿下の側にいた貴方たちが一番わかっているでしょう!?」
「構うな。拘束しろ」
「そもそも貴方たちになんの権限があって――――」
スカーレットが目の前の男たちに、そして周囲の貴族たちに訴えるが、彼らの瞳は既に重罪人を見る目だ。そのことにスカーレットも気づいたのだろう。目を吊り上げ、歯を食いしばる。その姿すらきっと婚約破棄された復讐で、王太子を殺害した悪女に見えているはずだ。苛烈だが、凛とした紅の令嬢のことなど彼らにはどうでもいい。ただ王国という枠組みで、貴族社会で、自分たちがやりたいように過ごせればいいのだから。たったひとりの無実かもしれない侯爵令嬢を庇う奴はここにはいない。
彼女は王太子の首が落ちた瞬間、逃げるべきだった。逃亡しても犯人として追われるだろうが、ここで捕まり処刑されるよりも希望が幾分かある。そして今から逃亡することはいかにスカーレットが優秀であろうとも簡単ではない。あの非現実的な瞬間に逃亡することが、スカーレットにとっての一番勝率が高い行動だった。
(逃げてくれた方がこっちとしてもやりやすかったんだがな)
「いっ……は、放しなさい!」
スカーレットを後ろから拘束して上から体重をかける。集まってきた衛兵たちには目線で助けは必要ないと言っておく。令嬢にしては強い力で抵抗してくるスカーレットだが、生憎この程度の力で放してやるほど弱くはない。しかし、彼女の体から魔力が溢れ出てくるのを見て首を抑える。
「……っぐ」
「ああ、悪い。でも大人しくしてくれると助かる」
勢いよく額を床に叩きつけられても大した悲鳴をあげることなく、こちらを睨みつけてくるスカーレット。その瞳には涙が浮かぶが、それは生理的なもので決して恐怖からのものなどではないだろう。ビリビリと伝わる殺気ともとれる迫力に、息が漏れる。
「ハッ……物語のヒロイン気取りよりもこっちの方が断然いい女だろ」
その言葉に怪訝な顔をするスカーレット。頭をしっかりと抑えながら彼女の耳に口を近づける。
「――――――――――――――――――――」
「……なぜ、それを」
唖然とするスカーレットの頭を軽く撫でる。もう殺気は飛んでこない。
「さーて、準備は整った。ここからが本番。――――仕事の時間だ」
ここまで苦労したのだ。首はしっかり頂いていくとしよう。なに、首を落とせば大抵なんとかなる。
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