8 ダンスパーティに向けたレッスン 嘘つきな姉たちの襲来
そこは学校の建物の中で、最も広い部屋だった。優雅な円弧のある大きな窓が並ぶ。歩くとコツコツと音がする、大理石でできた床。そこに一台のピアノ。貴族の広間ほど華やかではないが、確かに学校の権威が表されている。しっかりとした造りの部屋だ。ここには女生徒が何人かいて、それぞれが手足を伸ばし、踊る動作を確認していた。
そう、この部屋はダンスホールである。シャーリーマリーローズは、生徒会長とダンスパーティで踊ることを命じられて、ダンスを習うことにした。シャーリーマリーローズは踊り方を知らない。幼い頃、父母の前で少し披露した記憶はあるのだけれど。大人のパーティは子供が入ることは許されていないので、子供の頃、パーティや踊りを目にしたこともなかった。
「社交界へのデビューは、だいたい14歳くらい。高等部へ上がった頃に行うことが多いです。わたくしはまだ11歳。こっそり覗かせてもらったことはあるのですが、パーティに参加したことはありません」
リューナがシャーリーマリーローズに話す。
「シャーリーマリーローズ様は、もうお年的には、パーティに参加される年齢ですね?」
「はい。今、16歳ですので……。遅いくらいですね」
シャーリーマリーローズは答えた。
同じくらいの年の子は、すでに高等部に所属しているし、ダンスパーティにも行くようになっている。彼らとの実力差はどれくらいだろう。努力して追いつかなければいけないが、2週間で同程度に踊れるようには、ならない。
「まず、基本的をお教えしようと思います」
リューナがそういって、ふわっと優雅に手を伸ばした。
(流石、リューナ様。たったそれだけで美しい)
シャーリーマリーローズは感動した。
「真似してください。柔らかく、指先まで美しく。目線も指先の少し先を追いかけます。よいですか? もう一度見せます」
再度手を伸ばすリューナの動作を、シャーリーマリーローズは凝視して観察する。
(指は……何かを掴みかけている途中ぐらいの折り方で……)
こうかな? と、自分の指を同じ形にしてみる。
(なんか違う……掴みすぎ?)
それを見てリューナが隣に立ち、同じ方向で手の形を示す。
「こうです」
なるほど、人差し指を少し伸ばすようだ。シャーリーマリーローズの手の形を確認すると、リューナが再度、優雅に腕を上へ伸ばす。真似してシャーリーマリーローズも手を上へ伸ばした。
「同じように、手を右上へ。今度は右下へ。———はい、次は左手で行います」
リューナの美しい動作を真似ていると、シャーリーマリーローズも素敵な令嬢に一歩近づいた感じがする。
「よくできています。この手、指先の優雅さを常に意識してください。ダンス以外でも、こうした動きができると優雅です。例えば、物を受け取るときはこうです」 リューナは両手を揃え、受け取る動作をして見せる。
「紅茶を飲む時、ティーカップに添える手はこうです」
シャーリーマリーローズは気がついた。リューナの美しい。艶やかで整えられた金色の髪や、薄ピンクの頬、キラキラな瞳、長いまつげ、整った顎……彼女は全身美しいのだけれど、こういった美しい所作がさらなる美しいオーラを生み出しているようだ。
(この所作ができたら、私も少しだけ美しくなれるのかしら……?)
シャーリーマリーローズは思った。リューナの動作を真似したい。
「……では、これを踏まえまして。令嬢の挨拶の動作を行います」
リューナはそういって、足を少し引き、ドレスのスカートを少しつまんで、腰を落とした。
「ゆっくりと、美しさを意識してください」
シャーリーマリーローズもリューナを真似て挨拶の動作をする。
「少し硬いです。流れる動き、リズムの緩急を持って」
何度か繰り返しているうちに、リューナが笑った。
「そう。お上手です! シャーリーマリーローズ様は刺繍も飲み込みが早かったですが、動作を真似るのもお上手。これだけのことをできない人も多いのです」
リューナに褒められて、シャーリーマリーローズは嬉しくなった。
「ありがとうございます。リューナ様の教え方がとてもわかりやすくて、習うのが楽しいです」
「いえ、私もお母様に習ったのをお伝えしているだけですから」
うふふ、とリューナは笑った。
(リューナ様のお母様もきっとお美しい人なんだろうなあ)
会ってみたい、とシャーリーマリーローズは思った。いつか会えるのだろうか。
シャーリーマリーローズも小さい頃母に習ったことを覚えている。
「お膝を合わせて座りましょう」
「食べる時にガチャガチャと音を立ててはいけません」
「歩くときも、なるべく音を立てず静かに」
時に厳しかったけれど、優しい声で、優しく抱きしめてくれた母。
そういえば、母も優雅な動作をしていた、と思い出した。
(あれは、生まれつきできたことではなくて、努力して身につけた物だったんだ)
シャーリーマリーローズは、自分も同じようになりたい、と思った。
———その時だった。
カツカツ、と音を立てて近づく足音に気づいて、シャーリーマリーローズは振り返った。
「あら、シャーリーマリーローズ。ご機嫌いかが?」
そこにはシャーリーマリーローズの、母違いの2人の姉がいた。
「お父様お母様が亡くなって以来、屋敷に帰って来ないものだから心配していましたのよ」
この人たちの表情はいつも大げさだ。言葉とは裏腹な思惑を感じてしまう。心配などしていないのだろう、とシャーリーマリーローズは思った
これまで数日、2人を食堂で遠目に見かけることはあっても、会話することは無かった。シャーリーマリーローズは初等部で授業を受ける。姉たちは高等部だ。学舎内ですれ違うこともなかった。それで、姉たちは接触して来ないのだとシャーリーマリーローズは思い始めていたところだった。
姉は言った。
「いくら、司祭様といい仲だからって、教会に泊り続けるなんて、少しお下品ではなくて?」
その言い回しに、シャーリーマリーローズは嫌悪感を覚えた。イヤな言い方だ。
けれども、そう言われても仕方ないことも分かってはいる。教会内でも、規律を問う声はある。ユーティスと客人用の宿舎ではなく、庭で会うようにしているのはそのためだ。
姉たちは、何も言えないシャーリーマリーローズを見て、にやりと笑ったようだった。そして、リューナにお辞儀をする。
「あらごめんなさい、リューナ様。家族の会話をお聞かせしてしまって。この子はとんでもなく世間知らずでしょう。姉として教えて差し上げたいことが、たくさんあります。でも、この子ったら、わがままで、自己中心的。帰っても来ないものですから。この子のできていないことは、私たちの恥。恥ずかしいですわ」
スラスラと、悪意の出てくる口。本当にすごい。シャーリーマリーローズには言い返す言葉が見つからない。シャーリーマリーローズはリューナがこの話をどう受け止めるのか、不安になってリューナを見た。
リューナは、いつも通りニコニコしている。いつも以上に———だろうか?
「いいえ、シャーリーマリーローズ様のお姉様方。あなた方がどう思っていらっしゃるかは、わかりました」
何か、少し言い含めがあるような口調だった。
それに気づいたのか気づかなかったのか、姉たちは言う。
「シャーリーマリーローズに指導してくださってありがとうございます、リューナ様。流石は伯爵家の至宝とも呼ばれる、リューナ様。美しい上に、お優しい」
「本当に。こんなに素晴らしい方の隣にいて、みっともないことに気づかないのかしら、シャーリーマリーローズ。リューナ様のご厚意に甘えすぎでしょう?」
口々に喋る姉たちを見て、シャーリーマリーローズは幼い頃のことを思い出した。
母が他界し、ひと月も経たない頃に現れた新しい母。彼女は父の従姉妹で、商人の家に嫁いで、2人の女の子を産んだが、夫に先立たれた。そして、その2人の娘を連れて、父と再婚した。
ある日。その新しい姉たち2人と、初めて子供達だけで過ごした。なんてことはない会話をして、部屋で読書をしていた気がする。
その後だ。彼女たちは新しい母に言った。
「シャーリーマリーローズはお外で遊びたくないのですって」
「読書が好きなんですって」
そんなことは言ったことはなかったので、シャーリーマリーローズはびっくりした。そして、それだけではなかった。新しい母は
「まあ……そうなの。近くみんなでピクニックに行こうと男爵様と話していたのだけれど、シャーリーマリーローズがお外がお嫌なら、私たちだけで参りましょう。シャーリーマリーローズには、お家で読書をする時間を差し上げましょう」
そう言って、シャーリーマリーローズだけを残して家族でピクニックに出かけて行った。
また、別の時に、シャーリーマリーローズがニンジンを食べているのを見た姉がこう言った。
「まあ、シャーリーマリーローズはお野菜が好きなのね」
「はい」
シャーリーマリーローズはなんの気無しに答えたのだけれど、その日の夕食の折に、新しい母は言った。
「シャーリーマリーローズはお野菜が好きなのですって。これからはシャーリーマリーローズにもっとお野菜を差し上げましょう」
その食卓には肉料理も並んでいたが、シャーリーマリーローズには肉料理は与えられず、野菜だけの食事だった。
そうやって、新しい母は一つ一つ、シャーリーマリーローズから奪っていった。シャーリーマリーローズは、彼女が来て半年も経った頃には、塔で1人で暮らすことになったのだった。亡くなった母と違って、この人は優しくない。許されて元に戻ることは無い。そう気づいた頃には、もう遅かった。まだシャーリーマリーローズが幼かったせいもある。何かを発言すると、曲解されて、何か奪われる。何も言えない。その恐怖で、何も言えなくなっていた。
姉たちも、そんな母のシャーリーマリーローズに対する仕打ちを見ながら、ずっと助けてくれなかった。どころか、いつもこちらを見てニヤニヤと笑っていた。
シャーリーマリーローズは、この2人の姉を敵だと認識している。
「そろそろ、お家に戻りなさい、シャーリーマリーローズ」
ニヤニヤしながら、姉が言った。
シャーリーマリーローズは怒りが込み上げる。きっと相手を睨むように真っ直ぐに見て、口を開いた。
「私は、お父様お継母様から学校へ行くことを許されていませんでした。お姉様たちもそれを知っていて、これまで助けては下さらなかったし、教えても下さらなかった」
「そ……、それは、あなたが、私たちが教えようとすると反発をするからでしょう!」
「そうよ、私たちはいつだって、あなたと仲良くしようと思っているのに」
姉たちが口々に嘘をつく。2人が言うのだから、勝てる、と思っているようだ。
その時、リューナがすっと手を挙げた。
「あら? それは、変ですね」
その優雅な動作と声に、圧倒される。
「わたくしは、シャーリーマリーローズ様ほど、熱心に学ばれる方を見たことがありません。あなた方の仰るシャーリーマリーローズ、という人。全く、同じ人物とは思えませんわ」
これを聞いて、姉たちは動揺したようだった。けれども、やはり姉たちだった。
「この子は、猫を被るのです!」
「そう、自分の目上の人間にだけ、媚びを売って」
「そうで無いものにはぞんざいな、そういう悪い癖があって」
「私たちは、司祭様や伯爵家の皆様がこの子に騙されているのが、申し訳ないのです」
姉たちは目にうっすらと涙を浮かべている。大層な嘘つき、演技派である。
けれど、リューナの発言に、シャーリーマリーローズは心強くなっていた。リューナや、ユーティスは、この人たちの言うことより、自分を信じてくれる。嬉しかった。
「お姉様方。私、お父様の爵位を継ぎます。決定するのは裁判員の皆様。そして、世間の皆様に認めていただけるよう、精一杯頑張ります。私が爵位を持ちましたら、その時は———」
(男爵家から追い出します)
そう、シャーリーマリーローズは思ったけれど、言葉にはしなかった。
代わりに、別の言葉にした。
「男爵家を、改革します」
シャーリーマリーローズは片足を下げ、リューナに習ったばかりの令嬢の挨拶のポーズを取った。
リューナがケラケラ、と笑った。
「あらいけない、悪い笑い方をしてしまったわ。シャーリーマリーローズ様、わたくし、あなたのこともっと好きになりそうです」
姉たち2人はお互いに顔を見合わせ、その場を去っていった。それを見送ったリューナはシャーリーマリーローズに言った。
「シャーリーマリーローズ様はお勉強ができて、努力家でもあるご様子なのに、なぜ、学校へ来られていなかったのか。ユーティス様にも伺いましたが、ご病気だったから、としか答えていただけず……少し疑問だったのです。失礼ながら、ご家族の方に問題があったのですね」
シャーリーマリーローズは、自分を縛っていた思いから解放された気がした。
「ずっと……、家族とうまくやれないのは、私が悪いからかもしれない、と自問自答していました」
良い子になったら、父が再び愛してくれるだろうか。継母や姉たちとも仲良くなれるだろうか。そんなことを思ったこともある。でも、良い子ってなんだろう。自分はどこが悪いのだろう。本当に、良い子になったら、塔を出られて、幸せになれる? ぐるぐるぐるぐる考えて考えた。
そんなことを考え出すと、怒りや悲しみや、絶望や、いろんな思いで動けなくなってしまうから。読書をして、塔の中を掃除して、妖精たちと過ごして、家族のことを忘れることに努めていた。
シャーリーマリーローズは、自分に宣言した。
「私が悪いと悩むのを、やめます」
読んでくださってありがとうございます




