7 生徒会長に埃をかぶせてしまう ユーティスのあせり
シャーリーマリーローズは学舎の階段を箒で掃いていた。広い階段だ。しっかりとした平らな造り。塔の中の階段は幅も1人分で、石が凸凹していたので、掃除の勝手が違う。
(楽々お掃除ができちゃう)
それでも、掃除をし始めると妖精たちが遊びにやってくる。周りがチカチカと光り出した。リリの周りには、リリ以外にも妖精が何人かいるらしい。小さい頃、リリが教えてくれた。
「人型になると、人間に捕まっちゃうかもしれない。人間には時々、あたしたちが見える個体がいるからね。他の子たちは、人のいる所では人型にならないの」
「リリは捕まっちゃうのが怖くないの?」
幼いシャーリーマリーローズがリリに聞いた。
「あたしは怖くない。他の子たちより、強いの」
ふふふふ、とリリは笑った。彼女はいつも強気な感じで笑っている。シャーリーマリーローズは思った。
「妖精を、捕まえようとする人間がいるのね……」
「……そういうのともちょっと違うけど、ね」
言葉を濁して、リリは宙に消えた。
彼女は、彼女を見ることができる自分の視界からも消えるのだから、人間が妖精を捕まえるなんて不可能じゃ無いかしら。そうシャーリーマリーローズは考える。でも、妖精たちが捕まることを恐れているのなら、人間に捕まった妖精が存在するのだろうか。
(塔にあった文献には、そういう話は無かったな)
シャーリーマリーローズは箒で集めたチリを塵取りに収めた。それを持って外へ移動しようと歩き出す。
角を曲がったところで———、
ドンっ
何かにぶつかった。集めた埃が、宙に舞う。シャーリーマリーローズは、バランスを崩して床に膝をついた。ぶつかったのは、1人の男子生徒だった。背が高い。高等部の生徒だ。この生徒には見覚えがある。
(確か———生徒会長の……)
公爵家の子息だ。
身分の高い者にぶつかって埃を浴びせたのに気がついて、シャーリーマリーローズは血の気が引いた。
「すっ……すみません、すみません!」
生徒会長は何が起こったか察したらしい。無言で服の埃を払った。
「君は———、噂の男爵家の引きこもり令嬢か。こんなところで何をしている」
冷たい声だ。シャーリーマリーローズは頭を下げる。
「すみません。階段を掃除をしていました。不注意でした」
「———掃除? 先生から罰を命じられたのか。愚図な女」
「いえ、掃除がしたかったので、掃除していただけですが……」
言葉を返してから、シャーリーマリーローズは気づいた。
(愚図な女って言われた気がする……⁉︎)
不注意だった。掃除をしていたので、1人で過ごしていた時の癖で、誰もいないかのように動いてしまったけれど、ここは学校だった。自分が悪かったのだが、そこまで言わなくてもよいのに、とシャーリーマリーローズは思った。
「掃除を……したかった……?」
生徒会長は、思い切り眉をしかめながらシャーリーマリーローズを見下げた。しばらくそうした後、不意に腰を折り、シャーリーマリーローズの顔の近くに顔を持ってきて、睨む。
「お前、司祭様と婚約をする予定らしいな」
すごまれたシャーリーマリーローズは、一歩下がった。すると生徒会長が一歩、間を詰める。
「司祭様がお前のどこを気に入ったのか。———それとも、男爵家を手に入れたかっただけか。男爵家が不良債権だと言うことは知っているだろうに」
シャーリーマリーローズは逃げ出したくなった。背後は壁。前には生徒会長。彼を押し除けないと逃げられそうにない。それで、なんとか思いを言葉にしようと口を開いた。
「……司祭様は、男爵家の経営を建て直す、とおっしゃいました。新しいことに挑戦をしたいと」
それを聞いた生徒会長が、身を引いた。
「———ほう? ……建て直せる、とお考えか」
その隙に、シャーリーマリーローズは生徒会長の横を通って追い詰められた壁の側から逃れようとした。ところが、生徒会長に腕を掴まれてしまう。
「まだ、ぶつかられた事に謝罪が足りないと思うのだが?」
(謝罪ならしたのに……⁉︎)
シャーリーマリーローズは怖くなった。初めて遭った、暴力だった。体が強張る。
「そうだ、こうしよう」
生徒会長はシャーリーマリーローズの腕を掴んだまま、言った。
「2週間後にダンスパーティがある。お前をパートナーに指名しよう」
(ダンスパーティ⁉︎)
なぜ、この流れでそう言われるのか、全くわからなかった。
「私……踊ったことなんて無いです……!」
少し震えながら、シャーリーマリーローズは言った。生徒会長はバカにしたように、笑った。
「踊ったことが無い⁉︎ ……くく、それは大変だな! 精々練習しろ。2週間後が楽しみだ!」
掴んでいたシャーリーマリーローズの腕を離し、そのまま生徒会長は歩き去って行った。
シャーリーマリーローズは呆然とした。
ダンスパーティと言うのは貴族の社交の場である。そして、ダンスパーティはお見合い会といった側面もある。そこでパートナーとして踊ると言うことは、結婚の相手候補である、と言う仄めかしにもなる。
(ユーティス様とも踊ったことがないし、私とユーティス様のことも知ってる人が私を誘うってどう言うことなの……⁉︎)
生徒会長のあの嫌な言い方からして、とてもお見合いを申し込まれた感じには受け取れない。ひょっとすると……
(私がみんなの前で踊れなくて恥をかくのを狙って———⁉︎)
ダンスパーティまで2週間だと、彼は言った。時間がない。なんとか踊ることを回避できないか、考えるけれど良案は浮かばない。
(私は子供の頃からずっと病気してたことになってる。体調はもう大丈夫ってみんなに認めてもらわないといけないんだから、病気で休む……みたいな事はできない)
2週間後で、ダンスを習得できる?
ユーティスやリューナに頼る他ないのだろうか。
夕刻。食事の前の時間に、教会の庭でユーティスと会うのが日課になっていた。
シャーリーマリーローズは、今日あったことをユーティスに話した。
「———ダンスパーティ、ですか……!」
ユーティスは困った顔をした。
「生徒会長がそんなことを言い出すとは……驚きました。彼は確かに、若く立場のある貴族として、時に少し強引なくらいに生徒たちを牽引しているのですが……」
「私がぶつかってしまったせいです、申し訳ありません」
シャーリーマリーローズは頭を下げた。ダンスパーティで上手く振る舞えないことで、伯爵家にも迷惑をかけてしまうかもしれない。
「いいえ、私が掃除をお願いした場所が良くなかった。よりによって、生徒会長と揉め事が起こるとは思いませんでした」
伯爵家にとっても、生徒会長は公爵家の子息であり上位の貴族になる。ユーティスにとって、生徒会長は気安く意見することのできない人物だ。
「———彼は、あなたに接触しようとしてそこに居た可能性もありますね……」
「えっ?」
「我が伯爵家は、伯爵である兄が隣国との諍いを納め、事業を成功させ、国王からの覚えも良く、勢力を拡大しています。ですから、公爵家からは少し警戒されているのです。私があなたと結婚して男爵家に入ることに探りを入れようと言うことなのかも……」
ユーティスは少し怖い顔をしている。それは、司祭として人々の前に立つ時の彼のように。その表情のユーティスは、何かと戦っているのだろうか。
シャーリーマリーローズには、まだ世の中の人たちがよくわからない。
継母のように恐ろしい人、その娘のひどい姉たち、自分を裏切った父。それに逆らえなかったけれども、シャーリーマリーローズに同情した執事。
ユーティスも何の目的で結婚を申し込んできたのかわからなかったし、敵か味方か、判断できなかった。リューナも悪意が無いのは感じるが、それもどうなのだろう。今はただ、直感的に、ユーティスのことを信じてみようと思っているだけだ。
様々な本にもあった。人は対立する。戦を起こす。みんな自分の側にいる人間のことしか信じられないか、自分以外の誰も信じていないのかもしれない。
(私はずっと、亡くなったお母様と、リリだけは私の味方……だと信じてきた)
ユーティスには信じる者がいるのだろうか。家族? それとも修道士なのだから、神様?
(司祭様は私のこと、どれくらい信じてくれるのだろう)
自分自身が、ユーティスのことを信じよう、と思っているだけで、心から信じられていないことにも、シャーリーマリーローズは気づく。まだまだ、ユーティスを知らない。なぜ、司祭としての彼を冷たいと感じるのかわからない。ただ、
(もっと知りたい)
そう思う。
生徒会長の件は、伯爵家と公爵家の対立の中にある出来事なのかもしれない。そこにシャーリーマリーローズも巻き込まれているのだろうか。でも、恐れて隠れるだけの自分にはなりたくない。
「司祭様、私、ダンスを練習します。パーティで、上手に踊れなくても……、できるだけのことをして、みんなに今の私を認めてもらいたいのです」
ユーティスは、首を振った。
「あなたの初めてのダンスの相手は、私であるべきでしょう?」
怒っているようだった。シャーリーマリーローズはそんな風に言われると思っていなかったので、びっくりした。
「こういった、横槍が入るのが怖かったから、早く正式に婚約したかったのです」
結婚は男女の意思のみでは成立せず、両家の家族の了承も必要である。男爵家には、本家の血筋の者はもうシャーリーマリーローズと姉たちしか残っていない。よって、婚約を決めるのは、シャーリーマリーローズの気持ち一つで可能である。
もっとも、男爵家に相応しくない縁談は、城の者、事業の関係者からよく思われないだろう。けれど、伯爵の弟であるユーティスは、おそらく男爵家にとって悪くない相手であるはずだ。シャーリーマリーローズは執事に結婚を了承したことを伝えたが、執事は「お嬢様のお心のままに」と答えただけだった。
一方、伯爵の弟であるユーティスの結婚には、伯爵の了承が必要だ。
伯爵とシャーリーマリーローズは森での遭遇で、顔を合わせたことはあるものの、正式な顔合わせではなかった。そこで、ユーティスは伯爵に挨拶をする機会を儲けるつもりでいるのだが、伯爵は今、国王より命じられた任務で城を不在にしていると言う。
ユーティスはシャーリーマリーローズと歩きながら言った。
「生徒会長、公爵家の子息とダンスパーティで踊る、と言うことは、注目を集めます。彼にはまだ婚約者がいません。よって、その候補になりたい令嬢たちの注目の的。嫉妬も集めてしまうかもしれません」
(嫉妬……? 私もう、ユーティス様と結婚することになっていて、そういう噂も広まっているのに?)
シャーリーマリーローズには貴族の令嬢たちの気持ちもよくわからない。彼女たちの恋人でも、結婚の決まった相手でもない人———この場合生徒会長だ、その人と踊ると、嫉妬されるのだろうか。
けれど、だとすると、それこそが生徒会長の狙いなのかもしれない。シャーリーマリーローズが女性たちから嫌われるように仕向けているのかも。
「そして、もう一方。あなたをパーティで見初める者が現れるかも……」
ユーティスは不安そうな顔をする。シャーリーマリーローズにはピンとこない。
学校では、リューナが常に横にいていろんなことを取りなしてくれるのだけれど、他の生徒たちとはあまり会話できていない。初等部の生徒たちよりシャーリーマリーローズの方がいくつか年上で、年齢差もあるし、少し、遠巻きにされているような気配を感じる。
自分のことを気に入る人が現れるなんて、あり得るのだろうか。
ユーティスは続けた。
「男爵家の相続人で、あなたと結婚すると男爵家の実権を得られる、と気づく者が現れるかもしれません」
シャーリーマリーローズは、はっとした。そういえば、そうだった。
貴族社会は長男が家を継ぐ。例外的に階級が低い爵位を次男以下に与えられることもあるが、次男以下の男子は未婚のまま家に残るか、修道院に入る、軍隊に入る、などして独立を求められることが多い。
そういった、未婚のままに終わる予定の男子にとって、シャーリーマリーローズとの結婚は好都合だと言える。爵位はシャーリーマリーローズにあるものの、結婚でき、子孫を残すことも可能で、男爵家を実質取り仕切ることもできるのだ。
シャーリーマリーローズは、リューナに言われたことを思い出した。
「———でも、我が男爵家は事業が上手くいっていないので、私との結婚は、条件が良い訳では無いのでは……?」
ユーティスは苦虫を噛み潰したような顔をして答える。
「それは……もっと良い条件の相手を探すことのできる、地位ある家の者ならばそうなのですが。仮に……落ちぶれようと、男爵という位には価値があります」
ユーティスは今、力を持ちつつある伯爵家の者なので、シャーリーマリーローズと結婚するよりもっと良い条件の相手がいるかもしれない。
しかしながら、それよりも身分の低い者たちにとっては、男爵家に婿に入ることは良い話、ということか。
「例えば、貴族の仲間入りをしたい大商人、など……。私たちが早く正式に婚約をしないと、あなたの存在に気づく者たちもそろそろ現れ出すはず」
ユーティスは何かに焦っているようだったが、シャーリーマリーローズは思った。
「……でも、私はもう司祭様と結婚することに決めましたし、他の方の申し込みがもし仮にあったとしても、関係無い話だと思います」
「……シャーリーマリーローズ様。私は不安です。あなたはまだ、塔の外の世界に出られたばかりなのに。学校に刺繍に……ダンスまで」
ユーティスは立ち止まった。
「あなたに負担をかけすぎている。疲れたあなたが、私との結婚を拒んでも仕方ないと思ってしまうほどに……」
シャーリーマリーローズはそれを聞いて、首を振った。
「いいえ、そんなことはありません。少し大変ですけれど、毎日いろんな経験が出来て、本当に楽しいのです」
それは本心だった。
「初めて教会で眠った夜……眠って起きたら、また塔の中で1人で目覚めたら、と思うと怖くて少ししか眠れませんでした。塔から出られたのは夢なんじゃ無いかしらと思って。でも。この頃は良く眠れます。眠る前に、明日は何が起こるのかと、ワクワクもします」
2人は見つめあった。
「塔から出られても、疎まれている姉たちのいる男爵家にいて、こんな楽しい気持ちになれるとはとても思えません。司祭様……ユーティス様が、ここへ連れてきてくださったから、私は今、とても幸せです」
ユーティスがシャーリーマリーローズに手を伸ばしかけて、その手を戻した。
「今、抱きしめたいのですが……どうにも、この場所でそれをすると、教会中の噂になってしまうので、できません」
とても悔しそうに言った。シャーリーマリーローズは赤くなる。
「は……はい……」
仕方なく、2人は歩いた。たくさん歩いた。一緒に歩くことが、こんなに幸せな気持ちになるのか、と、シャーリーマリーローズは思った。
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