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入学初日の学校の授業が終わった。夕方、教会の宿舎の一室で、シャーリーマリーローズはリューナから刺繍の手解きを受けていた。

「これまで一度もお裁縫をなさったことがない割に、お上手です、シャーリーマリーローズ様」

 リューナのその言葉に、シャーリーマリーローズは涙が出そうなほど、ほっとした。途中、針で指を刺すなどのちょっとした失敗はあったのだけれど、本日リューナが掲げた目標『まっすぐに縫う』を達成することができた。

 リューナは出来上がった刺繍を机に置いて、紅茶を口にした。

「失礼ながら、ルース男爵家の事情は調べさせていただきました」

 シャーリーマリーローズはロン伯爵家のことを何も知らず、結婚を了承してしまったことを少し後悔していた。結婚を辞めたい訳ではないのだけれど。相手を知らなすぎたことを恥じていた。

(ユーティス様、伯爵様、リューナ様、こんなすごい一族とは知らなかった……)

「ルース男爵家には男子の後継ぎがいない。シャーリーマリーローズ様のお姉様お二人は、良い結婚相手を探しているものの、未だ縁談がまとまってはいない。このお二人は3代目ルーン男爵の血筋ではあるものの夫人の連れ子。5代目ルーン男爵の実子はシャーリーマリーローズ様のみ」

「はい」

「男爵家の後継ぎはおそらく裁判で決定されるでしょう。ご病気だったシャーリーマリーローズ様はまだ社交界に出ておられないので、ご病気が回復されていることを証明できなければ、裁判で負ける可能性があります」

「はい」

「ただし、シャーリーマリーローズ様とユーティス様が結婚され、我がロン伯爵家が後ろ盾になる事がわかれば、裁判員はシャーリーマリーローズ様を男爵家の跡継ぎに認めるでしょう」

 これをスラスラと話す自分より年下の少女、リューナに、シャーリーマリーローズは本当にすごい、と思った。

「ですから、これは、その先の話になります。ユーティス様は教会をお辞めになり、今の地位を捨ててしまわれる。今のユーティス様のお立場は一度辞めたら戻れるものではありません」

 その通りだ。ユーティスは今までの人生を捨てる賭けに出ている。ユーティスのあまりの熱心さに、シャーリーマリーローズも結婚を受け入れたのだけれど、ユーティスの選択をみんなが心配するのは、それはそうだと思う。

 リューナは続けた。

「男爵家の葡萄園と、葡萄酒の経営はかなり不調。男爵家の経営を建て直さなければ、ユーティス様、シャーリーマリーローズ様、お二人の将来は明るくない」

 シャーリーマリーローズは衝撃を受けた。知らなかった事実だった。本当なのだろうか。男爵家の経営がうまくいっているか、そうで無いか、ずっと塔にいたシャーリーマリーローズは知る由もなかった。

「ルース男爵家の経営が不調だなんて……知りませんでした……。ユーティス様は……我が家の不調を……ご存知なのでしょうか……?」

 絞り出すように、シャーリーマリーローズは言った。

「当然、ユーティス様ならば、ご存知でしょう」

 静かに、リューナは言った。リューナがユーティスのことを本当に敬愛していることを感じた。

(ユーティス様の選択ならば、それを支援する———伯爵様もそうおっしゃっていた。リューナ様も、私を指導して下さる。ユーティス様のために……?)

「ユーティス様であれば、きっと、経営の立て直しもできるはず。ですが、シャーリーマリーローズ様。貴方が立派な淑女になり、ユーティス様を支えて差し上げた方が、より良いはず。———そうでしょう?」

  シャーリーマリーローズは、きゅっと手を握りしめた。

 塔を出たばかりの自分が、立派な淑女になってユーティスを支えるなんて、できるのだろうか? 自分の気持ちだけで、ユーティスの結婚を受け入れてしまった。取り返しのつかないことをしてしまったのでは無いだろうか———。

「刺繍以外にも、令嬢の嗜みはあります。お茶会、パーティでのお作法。お洋服の着こなし。ダンスなども。シャーリーマリーローズ様。わたくしがお教えしますから、頑張っていただけますね?」

 シャーリーマリーローズには、はい、という声も、出せなかった。

 自分にできないことだらけで、頭がくらくらとした。



 リューナとのレッスンが終わった後、シャーリーマリーローズは教会の庭を歩いていた。夕方の空は向こうが少し茜色になっていた。大きな木の葉が風に揺れる。誰もいない静かな時だった。

 木の根本に、シャーリーマリーローズは座った。今日も本当に、情報の多い一日だった。

(学校…………食堂…………刺繍…………)

 その中でやはり1番の衝撃はリューナである。あんなに素晴らしいレディは見たことがなく、自分はそういうものにはなれない、と思い知らされたような気がする。自分のような、親にも愛されなかった者には身に纏うことはできない、圧倒的な、輝ける存在感。

 ———それでも、塔の壁に囲まれていない今の自分には、開放感はある。何処かを、何かを、目指すことができる。知りたいこともたくさんある。

(部屋へ戻って、お掃除でもしよう。リリは顔を見せてくれないかしら) 

 そこへ、教会の客人用の館へ足を運んでいたユーティスが通りかかった。そしてシャーリーマリーローズがそこにいるのに気づいた。

「学校はいかがでしたか?」

 そう尋ねる彼の顔は、少し暗かった。シャーリーマリーローズは立ち上がって答えた。

「———あの、リューナ様が、たくさん、教えてくださいました」

 シャーリーマリーローズは少し不安になった。ユーティスはなぜ、今日は笑っていないのだろう。

「なにか……問題がありましたか? 司祭様」

「ユーティスと。呼んでください」

 その声は少しだけ、苛立っているように聞こえた。けれど、ユーティスは自らの額に手を当て、ため息をついた。

「……すみません。司祭を降りるために、仕事を整理し始めたのですが———、これがなかなか目処がつきそうにありません。私は、すぐにでも、婚約を正式なものにしたいのですが」

 それを聞いて、シャーリーマリーローズは少し考えた。

「……その。私は……」

 うつむきがちになる。

「結婚する令嬢として、令嬢の嗜みを何も知りません。……ですから、」

 リューナから聞いたことが心に重くのしかかっている。

「もう一度、結婚のことを考え直してくださってもいいと思います。司祭をお辞めになることは無いのかも……」

 ユーティスは慌てた。

「リューナ様になにか言われましたか? いや、リューナ様があなたを傷つけるとは思えませんが……」

「リューナ様はとても素敵な方です! とても丁寧に刺繍を教えてくださいました。……ただ、私は、男爵家の経営がうまくいっていないこと、知らなくて」

 伯爵家の人たちはみな良い人だ。爵家のいざこざに巻き込むなんて、申し訳ない。そうシャーリーマリーローズは思った。

 ルース男爵家は経営状態が悪く、跡継ぎの男子もいない中、事故で夫妻が死亡。唯一の実子のシャーリーマリーローズは10年も塔に閉じ込められていたので、令嬢として失格。

 ———男爵家は、呪われている。 

「シャーリーマリーローズ様。男爵家の状況は……わかっています」

 ユーティスはシャーリーマリーローズに優しく話しかけた。

「それでも、あなたと出会い、私には見えたのです。あなたと一緒に、男爵家を素晴らしい家にできる未来が」

 シャーリーマリーローズはユーティスを見た。いつもの、包み込むような笑顔だった。

 なぜこの人は、この瞬間にその笑顔をくれるのだろう。あまりにも魅力的で、シャーリーマリーローズは目を奪われてしまう。

「白状しましょう。なぜ、あの時、その場でそう思い、決断できたのか」

 ユーティスは、言った。

「私には妖精のきらめきが見えます」

(えっ……!?)

 シャーリーマリーローズは予想外のことにびっくりした。妖精を見ることができる者は非常に稀だという。シャーリーマリーローズは妖精を見ることができるが、ユーティスも、そうなのか。

「シャーリーマリーローズ様が、妖精に愛されているのが、見えました。妖精に愛されるのは純粋な人間です。妖精に愛されている幼い子どもは見たことがありますが、あなたほどの年の女性で、妖精に愛されているものは見たことがない」

「……私が世間知らずの子どもだからでしょうか……!?」

 シャーリーマリーローズは恥ずかしくなった。

「そう、かもしれませんが……、まあ、それもきっかけのひとつです」

 ユーティスはシャーリーマリーローズの手を取った。

「あなたが、新しい世界に歩み出そうとしている気持ちが、同じく、新しい世界を見たいと思っている私の気持ちを動かしたのです」

 ユーティスを間近に見て、シャーリーマリーローズは赤面した。

 そうなのだ、リューナは美しい、けれど、ユーティスは、もっと、魅力的で。その紫の瞳を見てしまうと、心臓がどきどきとして、彼に逆らえなくなってしまいそうな……。

 ユーティスはシャーリーマリーローズに微笑んだ。

「私にはシャーリーマリーローズ様がいつも、妖精の煌めきを纏って輝いて見えています」

 シャーリーマリーローズは動揺しながら、ユーティスに言った。

「妖精たちは、私の友達です……」

 ユーティスはそれを聞いて、感激した。

「……! あなたにも、見えているのですか、妖精が」

「はい」

 その瞬間、リリが二人の前に現れた。きゃはきゃはと笑っている。リリの周りにきらめきが起こり、強い風が吹いた。妖精のいたずらだ。背中を押されたシャーリーマリーローズは、ユーティスの胸にぶつかってしまう。

 ユーティスはシャーリーマリーローズの背中に手を回した。

「ほらね。やっぱり、あなたは運命のひとだ」

 シャーリーマリーローズは胸がいっぱいで、どうしたらいいかわからなくなった。そのまま、ユーティスに抱きしめられてしまう。

「大丈夫です。私は、結構やり手なんです。教会の仕事を片付け、男爵家の経営を改革します。心配なさらないでください」

 そう囁くユーティスに、シャーリーマリーローズはうなづいた。ユーティスからは、甘い匂いがした。ほてりでどうにかなりそうな頭で、考えた。

 ユーティスを信じるしか無い。そして、自分がユーティスの負担にならないように、精一杯やっていくしかない。

(私は、司祭様と新しい未来を目指して行く———)

読んでくださってありがとうございます。

書き溜め分を全て投稿しましたので、次回からは一週間ごとに投稿する予定です。

次回投稿は、9月26日15時頃を目指します。

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