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朝からずっとニコニコしているユーティスが、シャーリーマリーローズに聞いた。
「今日は初等部入学の学年をを決める試験の予定ですが……、再度確認しますが、学校で学ばなくても、構いませんよ? 私が個人的にお教えできることはお教えしますし」
それを聞いたシャーリーマリーローズは、首を振った。
「学校に、入りたいです」
ユーティスは少し残念そうな顔をしながら、それなら……と、廊下を指差した。
「あちらの部屋で、試験管が待っています。入る動作から見られていますから、ご注意ください。紙に書かれた問題を筆記で解くものと、口頭での質問が行われます」
「はい」
この教会は広い。聖堂と、修道士たちの宿舎、客人のための館があり、木のたち並ぶ広い庭を挟んで、向こうに学校がある。シャーリーマリーローズがここへ来て過ごしているのは客人用の部屋だ。いくつか並ぶ客人用の部屋の、1番奥の部屋を試験の部屋として準備しているとユーティスは言う。
学校では修道士たちが先生となり、生徒たちに指導をしている。試験官もおそらく修道士なのだろう。
「ケイン、入ります」
ユーティスは奥の部屋の扉をノックして、ドアを開けた。
シャーリーマリーローズは一礼し、緊張しながら、部屋へ入った。
「初めまして、シャーリーマリーローズ様。私はケインと申します。本日の試験を担当させていただきます」
部屋の中の修道士が立ち上がって挨拶をした。若い男だ。年齢はユーティスと同じくらい、だろうか。赤茶の髪で爽やかな顔立ちだが、少しいらだった様な表情をしている。
「よろしくお願いします」
「聞きましたよ、ユーティス。こちらの令嬢と結婚して、教会を辞めるそうですね?」
ユーティスははは、と笑った。
「もう噂が広まっていますか」
「そりゃあ、あなたは大人気だ。この教会の人間はあなたの行動全て、見てますから。……で、がっかりしてます」
「おや? 私の位が開くのを待っている人たちがいると思っていましたが」
「ご冗談、少なくとも俺は、面倒の多い司祭なんて立ち位置に就きたくない。ずっと、あなたの下でよかったのに」
学校へ入ることで頭がいっぱいだったシャーリーマリーローズは、このやりとりに動揺した。
(結婚の話がもう広まっている……⁉︎)
「大丈夫ですよ、慣れるものです。誰が司祭になろうと、あなたが司祭になろうと、司祭には皆さんの力添えがあるので、ほんの少し頑張ればよいだけです」
「いや、だから、みんなあんただから協力してるんだろうに」
「そうだ、あなたにクッキーの焼き方を伝授しましょうか。私はクッキーで人気を買ったんです」
「それも含めてなんだろうけど、そうじゃなくて」
ケインはユーティスが司祭を辞めることを引き止めたいと思っている様だった。シャーリーマリーローズは、ユーティスの人気に感心した。
「なんだって、学校にも来ていなかった様な令嬢を選ぶんですか……」
ケインの言葉に、シャーリーマリーローズは少し嫌な感じがした。
(それはそう。ユーティス様は、私が男爵家の後継者になれる者でなかったら、結婚する気になんてならなかった筈。私は、世の中貴族の令嬢たちよりずっと、教養が無い)
ユーティスはちらり、とシャーリーマリーローズを見た後に言った。
「試験を始めましょう。シャーリーマリーローズ様の価値は、学力で決まるものではありませんが……、初めての試験に挑まれるお気持ちが素晴らしいと、私は思います」
自分の価値、それが、男爵家の地位や財産以外にあるのかどうか、シャーリーマリーローズには自信が無い。でも、今は、前へ進みたい。色んなことを学んでみたい。ユーティスがいてくれて、心強い、と思った。
シャーリーマリーローズの試験に望む机の前に、ケインが座っていた。離れた後ろにはユーティスが控えている。
渡された問題を見る前にシャーリーマリーローズは深呼吸した。色んな本を読んだけれど、学校へ通う者たちがどれほどの知識を持っているのかわからない。自分は何年生に入れてもらえるだろうか。1年生でも構わない。入学を許されるのならば。字も上手く書けるか少し不安ではあるので、できるだけのことをしよう、そう心に思いながら、問題を読み始めた。
ーーけれど、その問題の内容に、シャーリーマリーローズは少し驚いた。先日ユーティスに渡された問題と、同じような問題が続いていた。
問)ひとつ50ゼネのりんごを3つ、ひとつ40ゼネのパンを5つ買いました。1000ゼネを支払うとお釣りはいくらですか。
問)およそ100年前に起こった3つの隣国との戦争に勝利し、我が国の初めての王となった人物の名前を答えなさい。
問)ハース地方での生活を綴った「西国春物語」の作者の名前を答えなさい。
問)サイカ油の原料となるのは、サイカ草のどの部分か。
花・茎・葉・根・種子
全部で10問ほど。どれも簡単だったので、嬉しくなりながらシャーリーマリーローズはサラサラと筆を走らせた。やっぱり書いた字は拙かったが、なんとか読める字には書けた、と思った。
全ての回答ができたところで、シャーリーマリーローズは顔を上げた。
「できました」
ケインは怪訝そうな顔だ。
「早いですね……」
シャーリーマリーローズが回答した紙を取り上げて、採点を始める。
全ての問題に、正解のチェックがついた。
「これは……」
ケインは驚いている。
「ええと、学校には来られていなかった様ですが、家庭教師などに習っていたのでしょうか?」
シャーリーマリーローズは首を振った。
「いいえ、家庭教師には習っていません」
ユーティスが立ち上がった。
「筆記の結果はいかがでしたか?」
ケインはユーティスにシャーリーマリーローズの回答の書かれた用紙を渡す。
「全問正解。素晴らしい」
ユーティスはシャーリーマリーローズに言った。
シャーリーマリーローズは、答えに自信があったので、自分の文字がきちんと伝わったことが嬉しかった。
「試験を続けましょう。少し難しい問題も必要でしょうね」
ユーティスは再び、後ろに控えた。ケインはうなづいて、少し考える顔をした。
「では、私から問題を出します」
シャーリーマリーローズは筆記試験に全問正解できたことにほっとしながら、再度気を引き締めた。
「18年前のことです。その年には雨が少なく、作物の収量が大きく減った。国がこの時に行った政策を知っていますか?」
ケインの問いかけに、シャーリーマリーローズは飢饉のことを頭の中の情報庫から引っ張り出した。
(18年前ということは国王陛下就任3年目の飢饉)
「農民の税を3分の2に下げました。それから、新たに教会を三つ設立して飢えている者に食事を分け与えました」
「その通りです。その頃、王妃殿下の発案され、国民食となったお料理があります」
「ジャガイモの薄焼きですね」
「———それでは、十日で一割の利息の発生する金銭の借用で、50000ゼネを借り入れた時、30日後に返済する金額は?」
「66550ゼネです」
ケインはうーん、と唸った。
「間違いましたか……?」
シャーリーマリーローズが心配になって聞くと、ケインはいやいや、と手を振った。
「全て正解です。これだけできるならば最上学年……いや、高等部の授業にも着いてこられる……? うーん、こんなのは初めてです。ユーティス様、どうお考えですか?」
ユーティスが立ち上がってケインの横へ歩み寄る。
シャーリーマリーローズは正解を貰えたこと、最上学年、という言葉に嬉しくなった。
ユーティスは言った。
「本で学んだ事は答えられるのですね。一体どれほどの本を読み込んだのか、そしてそれを記憶できているのか……、そうですね、知識は初等部の学力を超えているかもしれません」
けれど、ユーティスはこう言った。
「高等部への編入は難しいでしょう」
ケインはユーティスを見た。
「学力はお認めになっているのに……ですか?」
「学力だけで初等部卒業は認められません。マナーや、女性であれば、裁縫、舞踏などの実技も必要です」
「……マナーの授業は、学校では週に一度あるだけで、あまり重視はされていません。それらは各自が家の者に習うか、指導者に習うかしています。貴族の家の者は当然、それぐらいの年には身につけている技術でもあります」
それを聞いて、シャーリーマリーローズも気づいた。
(私、習い事を全くしていないわ)
「シャーリーマリーローズ様は習い事されていないので、それを習得されてから、高等部へ上がった方がよろしいでしょう」
そうユーティスに言われて、シャーリーマリーローズは頷いた。
「はい」
(裁縫やダンス、私にできるかしら……)
どうやら学力は一定認めてもらえたようでほっとしたが、自分が令嬢として必要な技術を持っていないことに気づいたシャーリーマリーローズは、焦った。それでも、気持ちを落ち着けようと努力した。
(でも、学校へ入れる。一つ一つ、できることをしていこう)
「———では、シャーリーマリーローズ様。初等部4年のクラスへの編入を許可いたします」
ユーティスがそう告げ、ケインも頷いた。
翌日。シャーリーマリーローズは初めて学校で学ぶことになった。
教室には十数人の生徒が座っている。シャーリーマリーローズよりいくつか幼い子供たちだ。皆、身なりが整っている。ユーティスはここに集まっているのは貴族の子、大商人の子であると教えてくれた。生徒たちはシャーリーマリーローズが自分達より年上であることに興味深々といった顔だ。
「学校が初めてらしいよ」
「本当に? あの年で?」
「病気してたらしいって話」
「ルース男爵夫妻、ちょっと前に一緒に亡くなったばかりだって」
「なんか不気味」
こそこそと話す声がシャーリーマリーローズにも聞こえている。教壇に立つケインが咳払いをした。
「静かに。ルース男爵家令嬢、シャーリーマリーローズ様が今日からこのクラスで学ばれます」
シャーリーマリーローズはぺこりとお辞儀をした。
「よろしくお願いします」
「では、そちらにお座りください」
ケインが空席を指差し、シャーリーマリーローズは着席した。教室の左後ろだ。生徒達の後ろ姿が見える。みんな本を机の上に置いていて、ケインの指示でそれを開いた。
(これが学校の教室……!)
シャーリーマリーローズは感動していた。生徒達から少し、気になることを言われていたけれど、そんなことよりも、ここに居ることが嬉しくてたまらなかった。
シャーリーマリーローズも、みんなと同じように本を開いた。昨日ユーティスに学校で使う本を渡されて、すでに一度読んでいた。
「神学、星について学びます。リューナ様、教科書の音読をお願いします」
ケインに指示されて立ち上がったのは、金色の髪の少女だった。整えられた緩やかなウェーブの髪、後ろで一部をきれいに編み込みしている。薄紫のドレスの生地には優雅なフリル、手にかかる上品な袖。世の中の色々な人にまだ出会っていないシャーリーマリーローズでも、上流の貴族の子供だとわかった。
「夜の空には星が輝いています。この星たちは太陽のように空を移動をします———」
彼女が教科書を読み上げる声に、シャーリーマリーローズはうっとりとした。
(声も美しい……‼︎)
シャーリーマリーローズだけでなく、クラスの誰もが、彼女、リューナの音読する姿に魅了されていた。
(学校にはこんな凄い方がいらっしゃるの……⁉︎)
「はい、ありがとうございます。……では、シャーリーマリーローズ様」
ケインに突然指名されて、シャーリーマリーローズは慌てて返事した。
「はい」
ケインが黒板に、チョークで点をいくつか描いた。
「この星座、名前をご存知でしょうか」
シャーリーマリーローズは立ち上がって答える。
「獅子座です」
「正解です。ありがとうございます」
ほっとしながらシャーリーマリーローズは座った。
ふと、リューナがこちらを見ているのに気がついた。吸い込まれそうな水色の輝く瞳。目が合って、リューナは穏やかに笑った。
(美しい……‼︎)
あまりの美しさに、シャーリーマリーローズは本当にびっくりした。
シャーリーマリーローズの初めての授業が終わった。理解することはできた。生徒の名前も、指名されていた人の事は覚えることができた。
(本で学んだことについては大丈夫)
———胸を撫で下ろしていると、シャーリーマリーローズの前にリューナがやって来た。
「シャーリーマリーローズ様。ユーティス様とご婚約される、と父から聞きました」
えっ、とシャーリーマリーローズは驚いた。生徒たちにまで、その話が伝わっているのだろうか。
リューナの横にいた女生徒が身を乗り出した。
「本当ですか? リューナ様。彼女が、司祭様と……⁉︎」
リューナはそれに構わずに、シャーリーマリーローズの手を取った。
「わたくし、ロン伯爵家のリューナと申します。ユーティス様はわたくしの父の弟、わたくしの叔父です。よろしくどうぞ、シャーリーマリーローズ様」
触れられた手の柔らかさ、近くで見てもキラキラの髪と瞳。シャーリーマリーローズはドキドキが止まらなかった。
(ユーティス様の姪に当たる、先日森で会った伯爵様のご令嬢……!)
この綺麗な方が親戚になるということだ。シャーリーマリーローズは緊張して何と話したら良いのかわからなくなった。ただただ、
「よ……よろしく願いします……!」
と、答えるのに精一杯だった。
読んでくださってありがとうございます
次回は9月19日15時頃に投稿予定です