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  ユーティスと2人、馬車に揺られてやって来たのは、穏やかな景色の森だった。

歩くことができそうな草原の奥に、小さな川が流れている。嬉しくなってシャーリーマリーローズは小走りに川の近くへ行った。幼い頃の遠い記憶、母とこんな感じの森に行ったことを思い出す。母が花冠を作ってくれた。

 それから母は、妖精たちと友達になる秘密の歌を教えてくれた。


———小鳥が鳴いたなぜ鳴いた 一人ぼっちで鳴いた 二人で鳴いた 風を切って鳴いた 雨に濡れて鳴いた 甘い果実見つけてみんなで鳴いた———


 母の一族に伝わる秘密の歌だと母は言った。

 誰にも内緒よ? と母は笑った。

 母は貴族の令嬢として、身だしなみに厳しく、掃除や洗濯、繕い物も自分でできるようにと教えてくれた。厳しいだけでなく優しかった。失敗しても優しく抱きしめてくれた。

 母が病気で天国へ旅立ち、家に義理の母が現れ、塔で暮らすように言われたシャーリーマリーローズは、一人きりの塔で母に教わったことを繰り返していた。

 掃除や洗濯をしながら、歌を歌っていた。すると、周りでチカチカと光りが飛び跳ねるのに気がついた。

(もしかして妖精……? お母様、本当にこの歌で妖精とお友達になれるの?)

 ある日、寂しくて少し泣きべそをかいていたシャーリーマリーローズ。彼女の前に、1人の妖精がその姿を見せた。

 初めて姿を現した妖精はこう言った。

『私はリリ』

 びっくりしたシャーリーマリーローズは妖精の姿を凝視した。仔リスくらいに小さくて、背中には金の縁取りの水色の羽根。蝶々の様な綺麗な羽だ。可愛らしい水色のドレスは膝までの長さで、スラっとした足には虹色の靴を履いている。妖精は箒を持つシャーリーマリーローズの手の上に座って、言った。

『あなたの名前は?』

『……シャーリーマリーローズ!』

 興奮しながらシャーリーマリーローズは妖精に答えた。

『長い名前ね!』

 ケタケタと笑いながら、妖精はシャーリーマリーローズの周りを羽ばたいた。キラキラと光っている。シャーリーマリーローズが笑顔になったのを見て、妖精は消えた。

 妖精は気まぐれ。いつもそばにいるような気配はするけれど、1日に2、3度ほどしか姿を現さない。3日現れないこともある。それでも、シャーリーマリーローズは気配を感じるだけで嬉しかった。塔の中で10年を1人で過ごしていて、挫けなかったのは、妖精たちのおかげだった。

 妖精の存在は色んな文献に出てくるけれど、その姿をはっきり見ることが出来る者は稀有だという。自分に妖精の友達がいることは誰にも秘密にしよう、とシャーリーマリーローズは思っていた。妖精たちだけが、自分の友達だから。母に言われた通り、歌も秘密だ。


 今日も、自分の近くにリリがいるような気配はある。森にはたくさんの妖精たちがはしゃいでいる。あちこちキラキラ、チカチカしている。シャーリーマリーローズもとてもワクワクしていた。

「川の水、触ってみたいです」

 シャーリーマリーローズは川のそばに腰を降ろした。

「この時期とても冷たい水ですよ」

 ユーティスは言った。

 シャーリーマリーローズは膝をついて、水の中へ手を差し伸べる。

「冷たい……!」

 興奮して頬はピンク色だ。

 それを見て、ユーティスも川の水へ手を入れた。

「うん、冬の掃除のバケツの水ぐらい冷たい。……でも、これは気持ちがいい冷たさです」

「わかります! 雑巾を絞る時はちょっと辛いです」

「……お掃除、されるのですか?」

「はい。お母様に習いました。レディは家事の全てをできなければならないと。それで、塔の中を綺麗に掃除するのを日課にしていました」

(掃除をすると妖精たちも喜んでお手伝いをしてくれるし楽しいんだけれど、冬は水が冷たくて手が悴んでしまうのだよね)

 何故かはわからないけれど、妖精は家事が好きなのだった。ふと、シャーリーマリーローズは気がついた。一昨日、急に塔を出られてから、家事をしていない。妖精たちと遊びたい。

「あの、司祭様、私、帰ったら……」

 振り返ってユーティスの方を見ると、ユーティスは

「ユーティス、と呼んでください」

  と言った。

「……ユ……」

 呼んでみようかとして、シャーリーマリーローズは急に恥ずかしさを覚えた。

 男女が2人きりで散歩しているこの状況は、まるで

(あれ? これって……デートしているみたい⁉︎)

 今の今まで、そんなつもりは無かった。単純に、今までできなかったから、外を散歩してみたかっただけだ。

 けれど、ユーティスからは結婚を申し込まれているのだ。これは、彼からしたらデートではないか。まずい。まずい。結婚を決心したつもりは無い。

「司祭様、私、帰って、掃除がしたいです!」

「はい? えっ、掃除……?? ですか? まだ、来たばかりですよ?」

「洗い物でも良いです、……塔を出てから家事をしていないので、心が落ち着かないのです」

「わかりました。帰ったら、教会の掃除をしていただけますか?」

(今すぐ帰って掃除したい……!)

 ユーティスは混乱しているシャーリーマリーローズの腕に、そっと触れた。

「大丈夫ですか?」

 シャーリーマリーローズはびっくりして後ろへ下がった。そこは、河岸。バランスが崩れる。ユーティスがシャーリーマリーローズの腕を掴んで引き寄せた。2人、勢いで草わらに倒れ込む。

「ご……ごめんなさい!!」

 シャーリーマリーローズはまだ慌てていた。ユーティスがそのままシャーリーマリーローズを抑え込んだからだ。

 シャーリーマリーローズの顔面は真っ赤だった。10年を1人で過ごしたシャーリーマリーローズは、その間、人に触れられたことはなかった。

(司祭様が密着している……⁉︎ 落ち着いて、落ち着きなさい、私の心臓‼︎)

 ユーティスの銀の髪、紫の瞳が目の前にある。目が合って、ユーティスがビクッと震えた。その目を閉じる。

 そのまましばらくして———ユーティスは身を起こした。

「立てますか? 川辺から離れましょう」

 シャーリーマリーローズはなんと言ってよいかもわからず、コクコク、とうなづいた。そろりと動いて、四つん這いで川から離れる。

 ふと気づくと、近くに妖精の気配があった。リリがシャーリーマリーローズを見てニヤニヤしている。そしてクルクル回っている。

(なんではしゃいでるのリリ?)

 リリを見たシャーリーマリーローズは少し興奮が収まるのを感じた。息ができる。チラリとユーティスの方を見ると、神聖なる司祭が立っている、と感じた。

(びっくりした……、さっき、司祭様が、司祭様じゃないみたいに感じた) 

 シャーリーマリーローズは立ち上がった。

 母が男爵家に嫁いだのは18歳の時。それよりも早く結婚する女性もいる。親の決めた相手と結婚するのが当然の社会だが、親も多少、娘の気持ちに配慮しながら相手を選ぶところもある。多くの女性、その両親が、シャーリーマリーローズの年には結婚相手を探し始めている。

 学校へ行き女性としてのマナーを学び、社交界に出る。パーティで男性からダンスの相手に選ばれ、結婚を申し込まれる。

 それら何も経験していないどころか、男性と会話すらしていないシャーリーマリーローズには、結婚、恋愛……何もわからない。

(そういえば、司祭様は、男性、なんだ……)

 自分の中で、わかっていたようでわかっていなかったことに、シャーリーマリーローズは気づいた。

(修道士って結婚しない男の人だから、恋愛もしないのだと思ってた)

 考えるほどに、わからなくもなる。 

(恋愛ってなんだろう? 司祭様は私とどうして結婚したいの?)

 その時。急に風が吹いた。妖精のいたずらだ。

 ハッとして、シャーリーマリーローズは周りに注意を向けた。

 森の奥の方を、妖精たちが警戒している。

(何かよくないことが起こる気がする)

 シャーリーマリーローズはユーティスを見た。

「司祭様、馬車へ戻りましょう」

「急に風が強くなりましたね、仕方ない」

 風で舞い上がる服を押さえながらユーティスはうなづいた。2人は馬車の方に歩き出した。馬車の止まった道に差し掛かるころ、森から馬に乗った男たちが出てくるのが見えた。

「あれは……」

 ユーティスも気づいて、男たちの方を見た。

「誰か狩りから戻ってくる様です。挨拶をした方が良さそうだ」

 貴族たちの馬は森を出て馬車道へやって来た。

 先陣の男が2人の馬車の手前で馬を止めた。

「これは……司祭、ユーティス様ではないですか」

 男は馬を降り、ユーティスに頭を下げた。

「ボルスさん……!」

 ユーティスの視線の先は後から来る馬、そこに乗った貴族の男だった。

(お知り合いの貴族の方?)

 貴族の男性をじっと見るのは令嬢としてはしたない。シャーリーマリーローズは馬の上をあまり見ないようにした。薄い緑色で、ロープの装飾がされた上着。上品な服を着ている様だ。彼は身分が高そうだと思った。

「ユーティスか! 女性連れとは、どういったことだ?」

 シャーリーマリーローズはドキッとした。

(男女連れって、やっぱりデートだと思われてしまう……⁉︎ )

 ユーティスは相手に、言った。

「こちらは、フォーク男爵家の令嬢、シャーリーマリーローズ様です。兄上」

(今、兄って、言ったかしら⁉︎)

 この貴族はユーティスの兄なのか。ユーティスは自身を伯爵家の人間だと言っていた。

 ユーティスの兄は、馬から降りた。

「フォーク男爵が亡くなった話は先ほど聞いた。突然の事、お悔やみ申し上げます。ご夫妻が同時に事故に遭われたとか?」

「はい」

 シャーリーマリーローズは咄嗟に言葉が出ず、答えたのはユーティスだ。

「ここで逢ったのもご縁でしょうから、何か力になれることがあればおっしゃってください」

 硬くて、社交的な言い方に聞こえた。シャーリーマリーローズはただただ頭を下げた。ユーティスの兄弟らしいが、ユーティスより強そうな声だと感じる。

 ユーティスは、兄に言った。

「兄上。私は、シャーリーマリーローズ様に結婚を申し込みました」

 びっくりして、シャーリーマリーローズはユーティスを見た。

「まだ了承いただいていませんが、結婚が叶えば、修道士を辞め、男爵家へ入ろうと考えています」

「ほう……!」

 驚くユーティスの兄を、シャーリーマリーローズは見てしまった。少し日焼けした筋肉質の肌。硬そうな赤毛。ユーティスとは似ていない。見てはいけないと、慌てて視線を下げた。

(結婚の申し込みのことを家族に話してる。どうしよう)

 結婚を了承していないのに、こうして2人だけで出歩いているところを見られてしまったのはよくないのではないだろうか。

「男爵家の令嬢か……。お前がそれでよいのなら、そうだな、それは良縁かもしれないな。確か、ご姉妹2人を社交界でお見かけした様な気がするが、どちらだったか」

「どちらでもありません。そのお二人は男爵夫人の連れ子。シャーリーマリーローズ嬢は男爵の唯一のお子様で、これまでご病気で学校や社交界へ出られずにいたのです」

 シャーリーマリーローズはまた頭が混乱しそうだった。けれど、重要な内容だと思って、2人の会話を聞き漏らさないように音に集中した。

「結婚の了承を得られていないのは、亡くなった男爵に反対されていたのか?」

「いいえ。亡くなられてから、初めてお会いして、結婚を申し込みました」

「では誰が反対を?」

「シャーリーマリーローズ様ご本人が了承してくださっておりません」

 2人が自分を見ている気配を感じてシャーリーマリーローズは固まってしまった。

(結婚の申込を承諾していないのに、森へ2人で歩いていたのは、やっぱりおかしいんだ)

「御令嬢、弟はこれまで女性とは無縁で結婚する気などないかと思っていたのだ。浮気するような者では無いし、若くして司祭にまでなった優れた者だ。心配するようなことは何もありませんよ」    

 シャーリーマリーローズは追い込まれていた。

 ユーティスが悪い人だとは思えない。けれども、塔の中に10年も閉じ込められていたので、誰も信じられない気持ちもある。

 でもやっぱり、これは人生に一度きりのチャンスかもしれないとも思う。 

(お姉様たちが男爵家を継いだら、きっと私には居場所が無くなる)

 その上、

(ユーティス様の結婚の申し込みを断ったら、伯爵家の方々を敵に回すことになってしまうかも……)

 シャーリーマリーローズの様子を見たユーティスが兄に言った。

「兄上、シャーリーマリーローズ様は、数日前、初めて屋敷を出たばかりなのです。まずは、世の中を見学させて差し上げたいと思っております。この件のこと、改めましてまた、伯爵家へお話をしに参ります」

 ユーティスの兄はそれを聞いて、うなづいた。

「教会を出るという選択に、少し驚きはあるが……お前がその道を選ぶのならば、私は支援しよう。お前にはこれまで充分に、私の力になってもらったからな」

「もちろん、これからも兄上のお役に立てるように振る舞います」

 兄と弟だとユーティスは言ったけれど、主従の関係のようだ、とシャーリーマリーローズは思った。おそらく、兄は伯爵家の後継ぎか、伯爵、なのだろう。

(司祭様は私と結婚して男爵家に入って、伯爵家の役に立つ、というのが目的なんだ)

 ユーティスと結婚したら、シャーリーマリーローズもこの伯爵家に従うことになるのだろう。接した感じ、強く優しく立派な兄に見えるけれど。

(ユーティスとこの人を、信じていいの……?)

 ユーティスの兄とその配下と思われる男たちは、馬に乗り去っていった。

 ここで会ったのは……偶然なんだろうか? シャーリーマリーローズは疑問に思った。 

「驚かせてしまいましたね。兄は、伯爵家の頭領です。このあたりの森は伯爵家の所領、兄は狩りをしていたようですね」

「お兄様は、伯爵様、なのですね……」

「似てないでしょう? 母違いです」

 さらりと言うユーティスに、シャーリーマリーローズはびっくりした。

「……そう、なのですね」

 ユーティスは伯爵家に生まれ、けれど、跡継ぎの兄とは母が違う弟。修道院に入って、若くして司祭の地位に就いた。修道院では勉強もできたのだろう。自分の身の回りを自分ですると言うし、掃除の冷たい水も知っていて、クッキーも自分で作ったと言っていた。

(司祭様は、苦労なさってる方……)

 2人は馬車に乗り、森を離れることにした。風が強い。これから雨も降るのかもしれない。ガタガタと揺れる馬車の中で、シャーリーマリーローズは自分の人生の可能性を妄想した。

 ユーティスの結婚の申し込みを断ったら、自分は男爵にはなれないだろう。そしたら、母の残した財産を持ってどこかで小さな店を開く。それも良さそうだけれど、商売の何もわからないし、やっぱり誰かに手伝ってもらわないと不可能かもしれない。世の中のこともわからない。不安なことだらけだ。

 ユーティスを信じてよいのか、わからないけれど、妖精たちは彼を警戒していないようだ。だったら、ユーティスを、信じて頼るべきなのだろうか。彼は、学校へも入れてくれると言っている。


 教会の近くで、馬車は止まった。先に馬車から降りたユーティスが、シャーリーマリーローズに手を差し出す。その手を取って、シャーリーマリーローズも馬車から降りた。

 不意に、強い風が止んだ。

 キラキラと周りが光っている。妖精のいたずらだ。

「ユーティス様……。私、あなたの結婚のお申し出、お受けします」

 ユーティスを見上げるシャーリーマリーローズの瞳が瞬いた。

 自分の意思で、未来を掴みに行く。ユーティスのことを信じる。決意があった。 ユーティスは破顔した。シャーリーマリーローズの手を引き寄せ、そのまま抱きしめる。

 ユーティスの腕の中で、シャーリーマリーローズは感じたことのない気持ちでいっぱいになった。ずっと孤独だった心が、いっぱいになったみたいな。

 なんでこんなに幸せな感じがするのだろう。 

 心臓がドキドキして止まらなかった。

読んでくださってありがとうございます

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