15 男爵家の後継を決める裁判
七人の裁判官が並んでいた。厳かな雰囲気の部屋だ。部屋にはシャーリーマリーローズとユーティス、ロン伯爵、シャーリーマリーローズの姉パリスとセレーナ、それから男爵家の執事もいた。
中央に座る裁判長が文書を読み上げる。
「審議の結果、シャーリーマリーローズにルース男爵位を与える」
短い判決文だった。
ユーティスが立ち上がった。シャーリーマリーローズも一緒に立ち上がる。
ついに決まった。シャーリーマリーローズが男爵となったのだ。シャーリーマリーローズは胸がいっぱいになった。ここまで色々なことがありすぎた。けれど、ユーティスのおかげでここまで来られた。
「おめでとうございます」
ユーティスはシャーリーマリーローズの肩を抱擁して、すぐ離れた。
「ありがとうございます」
シャーリーマリーローズは周囲のみんなにお辞儀をした。シャーリーマリーローズの姉たちの姿が見えた。顔は青白く、暗くなっていて、何も言葉が出ない様子だ。
少し前に、シャーリーマリーローズの連れ去りについての裁判は終わっている。加担した、姉たちの従姉妹の商人の男も含め、シャーリーマリーローズは彼らに厳罰を求めなかった。よって、罰金刑となった。
彼らに対する怒りはある。また、連れ去り以外にも、2人には、10年の間塔に閉じ込められているのを無視され続けたり、嘘の噂を流されたりと言ったこともされている。けれども、それについては、父と継母の教育でそのように育ったのだろうと思う。父と継母が悪い。そして父と継母には天罰かのような死が訪れた。
姉2人に関しては学校にも貴族社会にも2人の居場所は無く、男爵位もシャーリーマリーローズの物となった。もうこれからは家の中で好きにさせることは無いし、充分な罰だとシャーリーマリーローズは思った。商人の男に関しては、今後男爵家との取り引きにペナルティを与えるつもりである。
シャーリーマリーローズとユーティスに、ロン伯爵が話しかけた。
「これで、あとはお前が司祭を降り、結婚式をするだけだな」
「ご助力に本当に感謝します」
ユーティスは答える。
「私の仕事は、ほとんどの引き継ぎが終わっています。シャーリーマリーローズ様の居場所も確保できましたので、近く教会を出ます」
「うん」
伯爵はいつものように力強い眼差しで笑った。
「それから、男爵家の経営状況も改善していかなければならないぞ」
ユーティスとシャーリーマリーローズは目を合わせ、うなづいた。男爵家の経営状態は悪い。父と継母がそうしたのだろう。けれども、ユーティスもいる。2人で、男爵家を改善できるはずだと信じている。
裁判所を出たその足で、ユーティスとシャーリーマリーローズは男爵家へ向かった。
シャーリーマリーローズにとって、2ヶ月ぶりの実家だった。馬車から降り、視界に入って来たのは10年を過ごした塔だ。この屋敷に帰るのは心が重い。良い思い出はほとんどないからだ。ふと、シャーリーマリーローズは思った。
(お母様のお部屋はどうなったのかしら……。きっと、もう片付けられてしまったでしょうね)
「お帰りなさいませ、シャーリーマリーローズ様」
屋敷の前には執事が立っていた。この執事も父と継母が死んでからはシャーリーマリーローズの味方をしてくれたけれど、父と継母が存命中はシャーリーマリーローズを、主人に言われるまま塔に閉じ込めていた人物でもある。
シャーリーマリーローズは言った。
「この屋敷の、全ての使用人を集めてください」
ユーティスはシャーリーマリーローズの後ろに立っていた。彼がいてくれることは本当に心強かった。少し振り返って顔を見ると、彼は言った。
「あなたの心のままに」
シャーリーマリーローズは、うなづいた。
教会は本当に、居心地が良かった。教会では、侍女がいて甲斐甲斐しく世話を焼いてくれたのではない。毎日ご馳走が並んだのでもない。ふかふかのベッドがあったわけでも、暖かい暖炉が部屋にあったわけでもない。それでも、安心できた。もう、塔で過ごさなくて良い。誰かからの悪意を感じずに過ごせる。
ずっと教会で暮らしたいぐらいだけれども、教会はずっと暮らして良い場所では無い。シャーリーマリーローズは男爵になったからには、男爵家で暮らさねばならない。新たな試練が生まれて、シャーリーマリーローズは気が重かった。
しばらくすると、玄関広間に屋敷で働く者たちが全て集まった。執事に侍女、料理人、護衛の兵、全てだ。集まった者たちは皆、それぞれの表情をしている。暗い表情の者もいれば、ニコニコとしている者もある。
「お帰りなさいませ、シャーリーマリーローズ様。何なりとお申し付けくださいませ! お紅茶を淹れましょうか? シャーリーマリーローズ様のために最高級の茶葉をご用意しました!」
侍女のうちの1人が捲し立てるように話す。
「お疲れではありませんか? シャーリーマリーローズ様、私はマッサージが得意です」
別の侍女も進み出た。シャーリーマリーローズは怒りが込み上げる。
(私が塔に10年いたことを知っていて、なんて調子のいい人たち)
それで機嫌がが取れると思ったのだろうか。
「下がりなさい、お前たち」
執事が侍女たちを叱りつけるように言った。
シャーリーマリーローズは、並んだ者たちに宣言する。
「この屋敷の使用人、全員を解雇します」
全員が、その解雇通告に息を呑んだ。
「申し訳ないけれど、誰1人、残しません。退職金を払いますから、受けっとって、屋敷を出て行って下さい」
この屋敷で働く者、15名ほど。全てを即日解雇してしまうとこれまで通りのこの屋敷の運営は不可能だ。それはわかっていた。けれども、この屋敷の使用人たちと一緒に暮らすことはできない。そう、シャーリーマリーローズは思った。
新しい働き手を探す。それも時間がかかるかもしれないけれど、しばらくは質素に自分でできることをして暮らそう。そう考えた。
「感謝いたします、シャーリーマリーローズ様」
執事が頭を垂れて言った。
「私どもを罰することもできるはずです。退職金、ありがたく頂戴します」
この人はずっと罪悪感を抱えながら父と継母に仕えていたようだと、シャーリーマリーローズは思った。全て父と継母が悪い。悪い主人の下で働き続けたことに多少の同情はする。
「これまで、ありがとうございました」
シャーリーマリーローズは屋敷で働く者たちへ最後の言葉をかけた。
静かな男爵邸の中を、シャーリーマリーローズとユーティスは歩いた。広間は相変わらず金の装飾がギラギラとして趣味が悪い。父の部屋、継母の部屋、パリスセリーナの部屋はチラリと覗いて、気分が悪くなったのですぐに出た。どの部屋も装飾華美で贅沢をしているのが一目でわかった。
「父と継母の家具は全て売り払います」
そうシャーリーマリーローズが言うと、ユーティスも同意した。
「それがいいでしょうね」
男爵家の経営状態は良くない。それなのに、自分たちの贅沢は手放さなかった。父と継母のことが心底許せなかった。
ユーティスとシャーリーマリーローズは屋敷の1番奥の部屋にたどり着いた。そこは昔、母の部屋として使われていた場所。シャーリーマリーローズの記憶の中にも僅かにあった。この扉の向こうに、母の笑顔があった。
中がどうなっているのか、少し不安になりながら、意を決してシャーリーマリーローズは扉を開けた。
中には様々な物が置かれていた。たくさんの木箱、古い椅子、机。物置になっていたようだ。いくつもの物の奥に、シャーリーマリーローズは目が止まった。
「あの奥にあるの、お母様の机です!」
行く手を遮る物を片付けながら、シャーリーマリーローズは想い出の机に辿り着く。埃をかぶっているが、確かに見覚えのある机だった。母がこの机で書き物をしている姿を思い出す。机の引き出しを開けると、ペンとインク壺、ノートが入っていた。シャーリーマリーローズはこのノートをめくってみる。
———今日、シャーリーマリーローズが立って歩いた。この子の笑顔だけが私の心の支え。この子の幸せを神様に祈ります。———
———シャーリーマリーローズの手はなんて小さくて可愛らしいのだろう。この子の手は奇跡、私を幸せな気持ちにしてくれる———
———シャーリーマリーローズが転んで泣いてしまった。お庭の段差は危ない。でも、段差を無くすのではなく、注意することを学ばせよう。本当は段差の方をなくしたいけれど!———
シャーリーマリーローズの母の日記だ。めくるページに幼いシャーリーマリーローズのことばかり書いてある。シャーリーマリーローズはこれを読んで、泣き出してしまった。
人間の誰からも愛されないのかと思っていた塔の中での暮らし。でも、母は自分を愛していてくれたはず、そう信じていた。それは心の支えだった。そしてそれは、幻想ではなく、本物だったのだ。
ユーティスはシャーリーマリーローズの肩をそっと、抱きしめた。
しばらく泣いて、シャーリーマリーローズは涙を拭いた。
「この部屋、お掃除します。金ピカの家具も全部売り払って、お屋敷を綺麗にするのを当面の目標にします」
ユーティスは笑った。
「お掃除が好きですね。———でも、手伝いの者もなく、重いものも多いですから、決して無理なさらないでください。私も数日後には、教会を辞めます。そしたら一緒にお手伝いしましょう。いずれ、私もここに住みますから」
「そうでした! どの部屋を私の部屋、ユーティス様の部屋にしたら良いのかしら……」
ユーティスに答えながら、シャーリーマリーローズはふと気がつく。
(ユーティス様と一緒にこの屋敷で暮らす……⁉︎)
2人は婚約しており、結婚は確定しているので当たり前なのだけれど、その当たり前のことにシャーリーマリーローズは驚いた。
(毎日ドキドキして息ができなくならないかしら……⁉︎)
「そうですね、片付けながら、考えて行きましょう。まずはやはり、使用人を雇うところから始めないといけません」
「はい」
「とりあえず、この部屋を一旦出ましょう。埃が多くて……、次に入る時にはマスクをしないと」
ユーティスは苦笑いをした。確かに、会話をすると埃の舞う部屋の状況だった。この部屋を近いうちに綺麗にする。シャーリーマリーローズはそう心に誓った。
この部屋は屋敷の奥、北側にある。子供の頃には気が付かなかったのだけれど、これは父に冷遇されていたということなのかもしれない。愛する妻の部屋ならば、南の部屋、父の部屋の近くに作ったのではないだろうか……。思い出の部屋ではあるものの、これから共に力を合わせて進んでいくユーティスとシャーリーマリーローズの部屋には相応しくないかもしれない。
(塔の中にあった本たちをここへ移して、書庫にするのが良いかもしれないわ)
そう、シャーリーマリーローズは思った。
シャーリーマリーローズとユーティスは2人並んで、今度は調理場へ入った。調理人を解雇してしまったため、食事も自分で用意する必要がある。しばらくは街でパンやスープを買って来てそれで済ませば良いかと考えていたものの、調理場にパンぐらいはあるかもしれないと思ったのだ。
けれども、調理場に入って2人は驚いた。そこには美味しそうな良い匂いが漂っており、たくさんの料理が並んでいた。
「これは……、あなたの帰還に合わせて、盛大に準備されていたようですね」
「……そのようですね」
2人では食べ切れないほどの量のご馳走だった。焼き上がった鶏の姿焼き、肉が多く野菜が少し入ったシチュー、甘い果実に、焼き菓子、などなど。
(これと同じ様な料理をお父様たちが喜んで食べていたのだわ、きっと)
少し申し訳なさもあった。料理人に作ってもらった、せっかくの料理を無駄にしてしまう。
そう思っていると、外から人の声がするのに2人は気づいた。
「おーい、誰かおらんのかー? おーい」
大きな男の声だ。門番も解雇してしまったので、対応する者はいない。
「私が出ます。あなたはここにいてください」
ユーティスがそう言って調理場を出た。シャーリーマリーローズは扉の陰から様子を見守っていたのだけれど、そこに見えた人物は知っている者だった。
「ドース修道士」
ユーティスが、大きな修道士の名前を呼んだ。
「おお、これは、司祭様!」
ドースもユーティスに気づいて声を上げる。シャーリーマリーローズもそこへ出てゆくことにした。
「シャーリーマリーローズ様が男爵になって、司祭様も教会を辞め、結婚なさるって聞きました。そんで、俺は、そんなら俺も教会を辞めて、お二人の下で働きたいと思って参りました」
大きな声で、ニコニコとしながら、ドースは言った。ユーティスはドースのその言葉を受けて、少し驚いた様子だった。
「あなたは修道士として優れている。修道士を辞めることはないのでは……」
けれどもドースはユーティスとシャーリーマリーローズ、2人を見て言った。
「司祭様には俺が兵隊にならずに済んだ御恩がある。それから、シャーリーマリーローズ様の、貴族の令嬢なのに危機を自ら脱出するその度量に惚れました。一生お二人にお仕えしたい」
ユーティスとシャーリーマリーローズは顔を合わせた。
「ドース様が男爵家を手伝ってくださるなら、心強いです」
そう、シャーリーマリーローズは言った。ユーティスはうなづいた。
「そうですね。———わかりました。これから、この男爵家を立ち直らせるには苦難もあるかもしれませんが、一緒に苦難に立ち向かってくださるのならば、有難いです」
「……苦難……? ですか?」
ドースはキョトンとした。シャーリーマリーローズは申し訳ない気持ちもありつつ、告げた。
「実は先ほど、この屋敷の使用人を全て解雇したところです」
「そりゃあ大変だ! こりゃ、お手伝いのしがいがありそうですね!」
ドースはガハハと笑った。シャーリーマリーローズは言った。
「そうだ、まずはたくさんのお料理を食べてもらう手伝いをお願いしましょう」
「それはいいですね」
ユーティスも笑った。
3人は調理場に入り、料理を囲んで、食事を始めた。
「久しぶりの肉です。うまい、けど、まあ、俺は豆が1番の好物だが」
肉を豪快に食べながら、ドースは言った。
「私もお肉は久しぶりです。なるほど、こんな味でしたね」
10年ぶりのシチューの肉を食べながらシャーリーマリーローズも話す。
「トマトのスープが出るだけでちょっぴり嬉しくなりますけれど、そこにお肉まで入っているなんて、贅沢がすぎます」
「ワインもありますね。飲みますか?」
ユーティスがワインのボトルを掲げながら言った。
「ワインは素晴らしい神様からのご褒美です」
シャーリーマリーローズは答えた。
「今日はご褒美の日です。いただきましょう!」
読んでくださってありがとうございます
次回、最終回です
11月28日(金)15時ごろに更新の予定です




