10 脱出 そして教会へ帰還する道
林に隠れながら、シャーリーマリーローズは歩いた。少し離れた先の道には、時折荷物を引いた馬車などが通ったけれど、こちらに気づく者は無かった。
シャーリーマリーローズは、頭の中にこの国の地図を思い浮かべる。王国の東側は山に囲まれ、西側に海がある。いくつか川が流れているが、大きい河は3本。今シャーリーマリーローズがいる近くの川は、それなりに大きく、物流にも使われているようなので、この3つの河のうちのどれかだろう。この国の川は概ね、山のある東から、西の方へ流れてゆく。そして、その河の近くに集落や、街がある。
太陽の位置からすると、今は昼過ぎくらいだろうか。影は河から見てこちらへ向き、垂直方向に伸びている。
(おおよその東西南北は、わかる)
眠っていたのはどれくらいの時間だろう。良くて、今日の朝眠って、昼過ぎまで眠っていたくらい。一日以上眠っていた可能性もあるが、今は希望的に考えたい。
連れ拐われたのが今朝だとしたら、今いる場所は、教会から馬車で昼までに移動できる場所だということになる。姉たちの従兄弟の商人の男が持つ倉庫に閉じ込められていたのだから、ここが男爵家の領地の中である可能性も高い。男爵家の領地内だとすると、馬で半日の範囲内だ。
徒歩で教会まで戻るのにはどれくらい時間がかかるだろう。2日? 3日? ———それぐらいなら、頑張って歩いて戻ることができるかもしれない。何も危険には出逢わない、という前提であれば。
(だめ、希望はあるって考えなくちゃ)
シャーリーマリーローズは1人、首を振る。林の中に風が吹いた。キラキラとした光がシャーリーマリーローズの歩く方向へ走っていく。
(妖精たちも導いてくれてる)
そうして歩くうちに、進む先に集落があるのが見えた。
ここでも、シャーリーマリーローズは考える。
(助けを求めるべきか、この集落は通り過ぎるべきか)
シャーリーマリーローズの衣服は貴族としては地味な物だ。掃除をするつもりで、持っている服でも質素なものを着ていたのもある。もう少し大きな街であれば、目立つこともないだろうけれど、あれぐらいの集落、農民たちの着る服の中では目立ってしまうだろう、とシャーリーマリーローズは思った。
木々の中を歩いてゆく。集落に近づくと、農民が畑で作業しているのが見えた。
葡萄畑のようだ。支柱がずらりと並んでいて、そうとわかる。春に差し掛かっているものの、まだ肌寒い時期なので、その蔓には葉がついていない。
シャーリーマリーローズは気づかれないように隠れながら進む。その時、犬の鳴き声がした。吠えながら、近づいてくる。
(私に気づいて吠えてる⁉︎)
シャーリーマリーローズはその場にしゃがみ込んで隠れた。
「ウォルト、何かいるのか?」
子供の声だった。飼い主だろうか。犬の声がこちらに近付いて来る。
「———あっ、あんたは……⁉︎」
(見つかった……!)
戸惑いながら、シャーリーマリーローズは顔を上げた。そこには、少し汚れたシャツと半ズボンを履いた、少年がいた。年の頃は学校の初等部の生徒で1番幼い子ぐらい、だろうか。彼の周りにキラキラと妖精が集まっているのも、シャーリーマリーローズにはわかった。
少年はシャーリーマリーローズを指差しながら、言った。
「キラキラしてる……!? 大人なのにキラキラしてる人、初めて見た!」
心底驚いた、といった表情だった。
(キラキラ……妖精たちのこと⁉︎)
シャーリーマリーローズも、驚いた。この少年にも妖精が見えるということか。
「あんた、どこの人? この辺の人じゃないだろ。そんな格好してるの街の人たちだ」
シャーリーマリーローズは、少し迷いながら、答えた。
「わ……、悪い人に、連れ去られて、そこから逃げてきたの。ここは、どこ?」
「連れ去り⁉︎ 逃げて来たのか……、えっと、ここは———ブルズ村」
それを聞いて、シャーリーマリーローズは嬉しくなった。
「ブルズ……! ここは、ルース男爵家の領地なのね⁉︎」
「そうだよ」
つまり、自分の家の領地である。希望が見えた。———だけれども、自分がその男爵家の人間だとは言わない方が良い気がした。どこに、姉たちの味方をする人間がいるかもわからない。再度捕まってしまうのは嫌だ。
シャーリーマリーローズは、立ち上がって少年に尋ねた。
「街に戻りたいのだけれど、どう行ったらいいか教えて欲しいの」
少年は、少し考えて話した。
「うーん、街は河沿いの街道をあっちに行けばあるんだけど、結構遠いよ? 俺、荷馬車に乗せてもらって行ったことあるけど、朝出て、着いたら昼過ぎだった。女の人が歩くの大変そう」
シャーリーマリーローズが思っていた通りだった。街までの距離はそんなものだろう。あとは、目立ってしまうこの服をなんとかできたら、歩くのに少し大変な距離でも、街道を歩いて行くのだけれど……。
「父ちゃんに頼んで、街まで送ってもらおうか?」
少年は言った。シャーリーマリーローズが答えるより早く、少年は動き出す。
「ちょっと待ってて、そこに父ちゃんいるから! 呼んでくる!」
彼は葡萄畑の方へ走って行った。先ほど見た、作業している農民は、彼の親らしい。
シャーリーマリーローズはここで待って良いのか、迷った。
(あの子は妖精に好かれている子だから、きっと良い子……だけど、信じていいのかな?)
妖精たちは気まぐれだ。教会でシャーリーマリーローズが捕らわれた時には、妖精たちは何もしなかった。必ず助けてくれる存在ではない。リリは倉庫で縄を解いてくれた時に姿を見せてくれたが、彼女が1日に何度も現れたことはないので、今また現れるとは思えない。
それでも何となく、今いる林の中にいる妖精たちが穏やかな気配をしている気がして、シャーリーマリーローズは警戒しながらもそこに留まって、少年の姿を目で追いつづけた。
少年が走っていくのに犬もついていく。父親と思われる男が気づいて振り返った。何かを会話している。そして、すぐに2人と犬はこちらへ歩いてくる。
少年の父はシャーリーマリーローズを見ると、言った。
「拐われたって? 大変な目に遭ったね」
優しそうな穏やかな声だと、シャーリーマリーローズは思った。
「困った人を助けると、死んだ時天国に行けるそうだ。俺は、善行を積んでおくことにしてる。街まで送ろう」
荷台にシャーリーマリーローズと少年を乗せた馬車は、ゆっくりと、けれど歩くよりはずっと早く進んでいく。シャーリーマリーローズは農民の外套を借りて羽織っていた。これで、遠目には服が目立たない。
馬の手綱を引く少年の父はエイム、少年はサムと名乗った。彼らは葡萄と小麦、豆などを栽培する農家なのだという。
「今、父ちゃんがやってんのはさ、剪定ってやつ。去年いっぱい伸びた葡萄の枝をさ、冬の間に減らすんだ。切る枝と、切っちゃダメな枝があるんだってさ。だからなんか、ベテラン? じゃないとわかんない難しー作業だってさ」
荷馬車に揺られながら、サムは得意気に葡萄栽培の話をしてくれた。シャーリーマリーローズは自分が、日頃農民が何をしているのか知らないことに気がついた。
「葡萄が勝手に毎年成ってくれるわけではないのですね」
「そりゃそーだよ、小麦も豆も、世話してやらなきゃ、上手く実らない。って父ちゃんいつも言ってる」
「冬の間に外で作業するなんて……指が凍えそう」
「うん。なんか、葡萄って、当たりの年と外れの年で儲けがすごい違うけど、当たるとすごく儲かるんだって。んで、きついけど、葡萄やるんだって」
そうしてできた葡萄は、潰して、ワインにする。ワインは教会にも許された飲み物であるため、贅沢に当たらずに飲める、日常の飲み物だ。シャーリーマリーローズは塔の中で与えられずにいたのだけれど、教会でお祝いのあった日などに夕食に添えられていたものを初めて口にした。
「ワインを飲んだ日は何か心がふわっとして、幸せに眠れるような気がします。皆さんのおかげでワインが飲めることに感謝します」
シャーリーマリーローズがそう言うと、サムは嬉しそうに笑った。
「えへへ。おれはまだワイン飲んだことないけど、早く大きくなってワインを飲みたい。葡萄も上手に剪定して、父ちゃんの役に立つんだ!」
こんな風に働いてくれている農民もいるのに、男爵家の経営状態は良くない、と言う。
「外れの年もある、ということですが、最近、不作などがあったのですか?」
シャーリーマリーローズはサムに聞いてみた。すると、サムの表情が曇った。
「あー、知らない? 去年は酷かったみたいだよ。全然、葡萄の収穫できなかったって。その前の年もあんまり良くなくて……。でも、父ちゃんは今年こそ豊作になるって言ってる! 悪いことはそんなに続かないって!」
サムは強気に言った。悪いことは続かない———シャーリーマリーローズは、そうは思えなかった。何年も塔に閉じ込められていて、今も、酷い目に遭っているから。
ただ、塔から出られて、ユーティスに出逢い、拐われて閉じ込められても、この善人の親子に出逢えた。だとしたら、未来に希望は、あるのかもしれない。
「そうですね……、きっと未来に、いいことがある。私も信じたい」
去年、一昨年の天候が悪く、男爵家の経営が悪くなったのだろうか。それならば、今年の天候次第で、持ち直すことが可能だろうか?
だとしても、何か違和感がある。姉たちの従兄弟の商人の男、その持ち物であろう倉庫。隠すように、金貨が入った箱。たくさんの高級品。あの倉庫自体、あの男の何らかの悪事を詰め込んだ物のような……。
(教会は人々に清貧を説く。お母様も贅沢をなさらなかった。———でも、継母様とお父様は……)
無事に教会に戻ることができたら。自分が男爵の地位に就くことができたら、父と継母による経営の実態を調べないといけない。シャーリーマリーローズはそう思った。
その時、向こうから来る荷馬車の男がエイムに声をかけた。
「おーい、エイム。これから街へ行くのか?」
エイムは馬を止める。
「おう。知り合いの街で働いてる子を、送ってくとこさ」
「へえ、そうか」
「そっちは?」
「街で嫁さんのスカーフを買ってきた。誕生日なんだ」
「おっ、いいな」
「じゃあな」
相手の男の馬車は、行き去った。知り合いの農民といったところだろうか。
「母さんにスカーフ、買ってやりてえなあ」
ぽつり、とエイムは言った。しかし、首を振る。
「今年こそ、葡萄が豊作になるぞ。そしたら、サムにもいいもん買ってやっからよ!」
「やったー!」
父の言葉に無邪気に喜ぶサムを見て、シャーリーマリーローズは胸が痛くなった。彼らの暮らしを豊かにするには、自分はどうしたら良いのだろう。
(お姉様たちの嫌がらせに負ける訳にはいかない)
ユーティスと2人で、この領地、領民を豊かにしたい。
シャーリーマリーローズを乗せた荷馬車は再び走り出した。遠くに城門が見える。街まで、あと少しだ。
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