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 10年余りを1人で過ごした小さな塔から、外へ一歩踏み出したその瞬間。強い風が吹いた。シャーリーマリーローズの周囲をくるりと周り、空へ走っていく。

 風の妖精の祝福のいたずらだ。シャーリーマリーローズは自分の栗色の髪を触って、妖精たちが三つ編みを施してくれたことに気づいた。

『シャーリーマリーローズ、これまで何も選べなかったあんたに、たくさんの選択肢が現れる。好きに選んだらいいよ。あんたの人生だもの』

 妖精の声が聞こえる。ずっと側にいてくれた大切な友達だけれど、彼女が声を掛けてくれることは稀だ。

「好きに選ぶって……何を?」

 シャーリーマリーローズは妖精たちに問いかけたが、妖精たちはそれには答えなかった。笑いながら飛び去っていく。

 今まで、人と接する機会を与えられず、外に出ることも叶わず、塔の中で過ごしてきた彼女には未だ、『自由』ということが、どういうものなのかわからない。

 『自由』は、不意にやってきた。

 シャーリーマリーローズを塔に閉じ込めていた父と継母が、旅行中に亡くなったのだ。

 


 執事の男に案内されて、シャーリーマリーローズは屋敷の大広間に入った。

 装飾の施された大きな窓。火の焚かれた暖炉。明るくて暖かい部屋。壁の中央には大きな肖像画。初代男爵の姿絵だと、小さい頃に聞いた。そう、この部屋は小さい頃の記憶の中にある。けれど、家具が違う。

 金の足の生えた大きなソファーには刺繍の入ったクッション。その前に置かれたテーブルも細かな彫りの入ったものだ。

(昔ここにあったのは、もっと分厚い剛健なテーブルだった気がする) 

 シャーリーマリーローズは居心地の悪さを感じながら、ソファーに腰掛けた。

 幼い頃、父と母と一緒にこの部屋で過ごした。あの頃は毎日はしゃいで、笑っていた気がする。

 忘れようとしていた幸せだった頃のことを思い出して、泣きそうになったその時、ドアがコンコン、とノックされた。執事が応じると侍女がお辞儀した。

「カイウス教会より司祭が参りました」

 部屋へ入って来たのは薄い灰色の教会服を着た、ヒョロリと背の高い若い男だ。羽織には刺繍が入っており、高い階級の修道士であることがわかる。ふわっと弧を描く銀色の髪に、紫の瞳。珍しい色だ。

「カイウス教会の第6司教、ユーティスと申します」

 柔らかな通った声で自己紹介すると、シャーリーマリーローズの前へやってくる。

「あなたは、男爵のご令嬢? 初めてお目にかかります。男爵から、幼少からずっとご病気のお嬢様がおられると伺っていましたが……ご調子はいかがでしょうか。お父様の突然の事故、私も驚きました。しかし、人生にはこのようなこともあるのでしょう。死は私たちの側にいつもある」

 ユーティスのその綺麗な声を、シャーリーマリーローズはじっと聞いていた。

 途中、違和感はあったのだが、会話に全く慣れていないシャーリーマリーローズには、どこでこちらの意見を述べたら良いのかわからない。相手が喋り終わった、と思った彼女は、口を開いた。

「私は、ずっと病気をしていることになっているのですね」

 ユーティスが訝しげな顔になる。

 シャーリーマリーローズは、これまでの不満が爆発しそうな自分を感じながら、できる限り、冷静に喋り始めた。こんな風にこの人に話すことではないかもしれない。けれど、もう感情は溢れ出しそうで止まらない。

「私が6歳の頃、母が病で死にました。その2ヶ月後に、父は再婚をしたのです。相手は父の従姉妹に当たる女性です。この人は以前別の家に嫁ぎ、2人の娘を持っていましたが夫に先立たれ、娘を連れて父と再婚しました。新しい母と姉2人は、私のことを嫌っていました。それで、城の片隅の塔に私を閉じ込めたのです。今日に至るまで10年、私は塔から出たことがありませんでした」

「10年の間……一度も?」

 ユーティスは信じられない、という顔をする。シャーリーマリーローズは立ち上がって大きな窓の前へゆき、そこから見える塔を指差した。

「あの塔です」

 ユーティスも、塔を見ると、振り返って執事に問いただした。

「事実ですか?」

 執事はぎゅっと拳を握りしめながら、頷いた。

「奥様がお嬢様をあの塔へ閉じ込めていました。お食事の差し入れやお着物の取り替えも最小限、私たちが塔に入るのはそれらを受け渡すその時だけ」

「男爵ご夫婦ともあろう方がその様な……虐待、か!」

「旦那様は奥様の言いなりになっておられた。私どもも、逆らうことができず……。お許しくださいお嬢様。旦那様が亡くなられた今、せめて、お嬢様を塔からお出ししたかった」

 シャーリーマリーローズは蒼白な顔をした執事を見た。

「……私を塔から出してこの部屋へ連れて来たのは、お姉様のご指示ではなかったの?」

「私の独断でございます」

 ———その時、ドアの向こうが騒がしくなった。

「お父様とお母様が亡くなったなんて、本当なの!?」

「司祭様とシャーリーマリーローズが中に⁉︎ どうなっているの」

 広間に登場したのはシャーリーマリーローズの義姉たちだった。2人は学生の制服を着ている。知らせを受けて学校から戻った様だった。

「セバスチャン、何をしているの? シャーリーマリーローズを早くお部屋へ連れて行って」

「そ、そうよ、ご病気が悪くなったらいけないでしょ!」

 2人は慌てた顔で執事に指示をしたが、執事は首を振った。

「お嬢様、旦那様がお亡くなりになりました。この男爵家には跡取りとなる男性がおられません。どなたが後継ぎに相応しいか、裁判で決まるまではどなたも私どもの主人ではありません」

 シャーリーマリーローズは塔の中で読んだ本のことを思い出した。貴族社会では後継ぎ争いはよくあること。子供の死亡率の高いこと、男たちは武芸に励み、戦争で命を落とすことから、爵位を持つ父親が死んだ時に後継ぎの男子が無いことがしばしばあった。この国では男の後継が無い場合のみ、娘が一代限りで爵位を継ぐことが許されているのだ。

(私が男爵になれる可能性があるってこと……?)

「シャーリーマリーローズ様のお血筋が、1番爵位に近い」

 執事はそう告げた。

 そのことに気づいた姉たちの顔色も、さっと変わった。

「裁判ですって⁉︎ そんなことする必要があって? シャーリーマリーローズはご病気がちで、学校にも行かれていない、社交界でのマナーもご存知無いでしょう。男爵家を取り仕切る能力が無いことはわかっています」

「そうよ。私たちは男爵お父様の実の子ではないけれど、お母様は、先代男爵の弟の子。男爵様の従姉妹です。つまり、私たちも男爵家の血筋の者」

「男爵家の後継に相応しいのは私たちです」

 姉たちはキッとシャーリーマリーローズを睨みつけた。

 シャーリーマリーローズは、姉たちの姿をじっと見つめ返す。

(顔を合わせるのは10年ぶり。記憶にある、いじわるな表情のまま大きくなられたのね)

 シャーリーマリーローズの横をふっと風が通り過ぎた。窓は閉じられている。妖精たちのいたずらだ。

(妖精たち……私を応援してくれるの?)

「いいえ、私が男爵になります」  

 シャーリーマリーローズは、そう宣言した。

 両者が対立する中、ユーティスが動いた。

「なるほど、面白い場面に遭遇しました。どちらが男爵の後継者に相応しいか……、そちらの執事の言った通り、裁判で判決が出るまでわかりませんね」

 これを聞いた姉たちは再び怒りを爆発させ、ユーティスに詰め寄る。

「司祭様、私たちは子供の頃から日曜日にはカイウス教会でお祈りを捧げ、教会の改修にもご寄付をして」

「そうですわ、カイウス教会の柱の一つは、私たちの寄贈のものですのよ」

「カイウス教会は、私たちの味方、そうでしょう⁉︎」

 ユーティスは姉たちの怒りを受けても、堂々とした表情だ。

「お二人は学校に行かれ、一定の学力と社交力が評価されている」

「ええそうよ」

「一方で、シャーリーマリーローズ様は、学校に行かれておらず、社会の評価はゼロ———どころか、マイナスでしょうね。裁判では血筋か、人柄か、どちらを重要視されるかはわかりませんが、」

 ユーティスはシャーリーマリーローズへ視線を向けた。

(この司教もきっと姉たちの味方になる)

 シャーリーマリーローズは考える。 

 どうせ、人は誰も自分の味方ではない。自分の味方は妖精たちだけ。いいのだ。男爵になれなくても、自由にさえしてもらえたら、どこででも、森の中ででも、1人で生きていく。

 でも、この人たちに打ち勝つチャンスがあるのなら。戦ってみたい。

 ユーティスは、睨むように彼を見るシャーリーマリーローズの前まで歩み寄った。そして、片膝を床につける。

「シャーリーマリーローズ様、私と結婚しませんか?」

 その場にいる誰もが、司祭の言葉を聞き取っていながら、理解が追いつかなかった。

「……えっ……?」

 シャーリーマリーローズも、あまりに急な申し込みに、言葉がでない。

 膝をついたまま、司祭ユーティスは言った。

「私は伯爵家の三男坊です。家督を継ぐ権利も財産もなく、修道院に所属しています。私が司祭を辞め、あなたと結婚すれば、伯爵家は男爵家の親戚として力を貸してくれるでしょう。男爵の地位はあなたに、男爵家の運営は私がいたしましょう」

口をあんぐりと開けたままこれを聞いていた姉たちは、はっと気づいてこちらへ駆け寄った。

「シャーリーマリーローズと結婚なんて……⁉︎ その子は世間知らずのお馬鹿さんですよ⁉︎ 司祭様、それならば、私と結婚して男爵家を支えてください」

「そうです、私と、結婚してください。私はダンスも成績優秀で、殿方への持て成しも心得ております!」

「私の方がウエストが細いし、目も大きくて素敵だとよく言われますのよ⁉︎」

 姉たちは口々にユーティスの気を引こうとしたが、ユーティスは静かに立ち上がると、シャーリーマリーローズを見つめた。

「私の直感は外れたことがありません。シャーリーマリーローズ様、貴方は私の運命の人です」

 ———物語の中に出てくる王子のようだ。そう、シャーリーマリーローズは思った。王子が突然現れ、姫がプロポーズをその場ですぐ承諾する場面を、シャーリーマリーローズは疑問に思っていた。なぜ、姫は知らない王子を受け入れるのだろう? その人を信じていいのだろうか? そうだ、本で、夫に裏切られた婦人の物語もたくさん読んだこともある。

(お母様が亡くなって2ヶ月で新しい妻を迎えたお父様も、お母様を裏切った様なもの。……そしてお父様は私のことも裏切った)

 出会ったばかりの者を、人を信じるなんて、とんでもない。

 でも、もしかしたら、これはチャンスなのかもしれない。シャーリーマリーローズにはあまりにも後ろ盾が無い。世の中のこともよくわからないまま、男爵の後継者を決める裁判を戦うのは不安でいっぱいだ。

(……そうだとしても、やっぱり結婚なんて……)

 シャーリーマリーローズは思いをめぐらせたが、この問題はすぐに答えの出るようなものでは無かった。   

 父、継母の死。突然の塔での生活の終わり。いや、本当に自分は塔に戻らなくても良いのだろうか?

 それでも、よくわからない男と結婚するくらいならば、塔の生活の方がましかもしれない。

 いやいやしかし、姉たちが塔での暮らしをこれまでのように、維持するかどうかも怪しい。一日2回の食事も与えてくれるかどうか……

「シャーリーマリーローズ様、直ぐに返事をするのは難しいかもしれません」

 ユーティスは言った。

「しばらく、我が教会にいらっしゃいませんか。教会は、聖なる場所です。いかなる加害も致しません。そこで、考える時間をお持ちになっては?」

 シャーリーマリーローズは、その提案は確かに良さそうだと思った。教会だ、司教だからと言って無条件に信じるものではない、とも思っているけれど。教会はこの家よりも開かれた場所で面子もあるだろう。姉たちは、下手すると自分を殺したいと思っていそうだ。

(お父様と継母も、塔で私が死ぬことを、うっすら望んでいたのではないかと思う)

 どちらも、危険なら、外に行ってみたい。その興味も強かった。

 シャーリーマリーローズはユーティスに答えた。

「わかりました。教会に行きます。よろしくお願いします」

「はい。ではご案内しましょう」

 にっこり、とユーティスは笑った。

 シャーリーマリーローズは日々、塔の中で、そこにあるたくさんの書物の全てを読んでいた。世界の様々な事象をそこから学んでいたものの、目の前の人の表情の読み方はわからない。この人は心の中で何を思っているのだろうか。

 本当に自分との出会いを何らかの好機、運命と思っているのか、それとも、騙して誰かにいいように物事を運ぼうとしているのか。

 今日という日の情報が多すぎて、シャーリーマリーローズの頭は破裂しそうだ。

 姉たちも動揺して今どう動くべきか、判断しかねている様だった。


 ユーティスに促されて、シャーリーマリーローズは広間を出た。途中、視線の合った執事は深々と謝罪するようなお辞儀をした。

 教会から来た馬車にシャーリーマリーローズを乗せた後、ユーティスは

「少しだけ待っていてください。執事に伝えることがあります」

 と言って馬車を離れ、しばらくすると戻って来た。

 何を話したのだろう? そういえば、司祭は何をしに男爵家へ訪れたのか?

(死者が出た家に祈りを捧げに来たのかな? 私たち家族は死者への追悼どころでは無かったな。教会へ行こう。ひどい親たちだったけれど、まだ年老いていないのに急逝したことには追悼しよう)

 混乱する心を沈めようと深呼吸するシャーリーマリーローズを乗せて、ユーティスの馬車は教会へと走り出した。

読んでくださってありがとうございます


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