44.エピローグ
青い空の下――
宝石のようにプリズム色に煌めく髪を靡かせた女性が、何も無い場所に立つかのように浮遊している。
その金色の瞳は慈愛に満ち、両の手から眩い白い光が零れ落ちる。
彼女を祝福するかのように、王国に無数の光の柱が立ち昇り、風が桃色の花弁を降らせていた。
あまりに幻想的な光景に、人々は我を忘れて跪く。
絶望に黒く染まった筈の王都は既に静けさを取り戻し、獣人も、人間も、皆一様に首を垂れている。
誰が最初にその言葉を発したのか、さざ波のように祈りの言葉が王都に響いた。
〈――聖女様〉
伝説の聖女様が降臨された、と。
崩れ落ちた神殿すら、新たな神話の始まりであるかのように、陽の光を受けて荘厳に輝いている。
ただ、二人の男だけが、立ち尽くしたまま、その光景を呆然と見つめていた。
「……これが本物の、御使いか」
「ハルカは、聖女になりたくないって、言っていた。なのにっ」
「ああ。そうだな。何もできなかったんだ、俺たちは」
ユイトは歯噛みをし、アディは手を爪が食い込むほどに握りしめた。視線の先の彼女はまるで見知らぬ誰かのようで、腹の部分が破れた濃緑の服は、彼等の無力さの証明のように肌が露出している。
そこが赤く抉れていたのは、ついさっきの事だった。
見上げる二人の前で、彼女の体から力が抜け、ゆっくりと後ろに倒れていく。その瞳は既に閉じられて、プリズムに光る髪の軌跡が空に煌めく。
二人は彼女の元に走った。
人波を掻き分け、瓦礫の上を越えて、落ちてきたその体を掻き抱く。ハルカの体は二人の腕に触れてようやく人であることを思い出したように重力を取り戻し、ふわりと漂っていた髪が下に垂れた。けれど、その髪色は未だ戻らぬまま。瞳は固く閉じられている。
ユイトは苦渋の表情でその頬を撫で、アディは彼女の手を握りしめた。その肌の温かさが、ハルカがまだ人間であると二人に感じさせてくれる。
――その時、広場に響いていた祈りの声が止んだ。
人で出来た壁が割れ、代わりに、夥しい馬の足音が近づいてくる。
それは、騎士だった。
王城から真っ直ぐに伸びた道を、煌びやかな白い鎧で武装した騎士たちが轡を並べ、隊列を組んで悠々とやって来る。
アディはそれを見て憎々しげに吐き捨てた。
「……臆病者共が。今頃になってご登場か」
神殿の前に騎士達が整列し、そして、殊更立派な金縁鎧を着た騎士が白馬の上から高らかに宣言した。
「下賤の者どもよ控えよ。我らは誉れ高きサンベーニュ王国騎士団である! 聖女様の尊き御身体は、我ら神の加護厚き王国騎士に預けてもらおう!」
*
一方その頃、世界の果てより更に果て。
闇の神と魔族の領域で、青髪の魔族――アルノーは、意識を失ったクレイオを抱え黒い石の床に跪いていた。
その角は折れ、右腕は焼かれたように中程から消失し、足を引きずっている。
けれど、それでも女の体だけは離していなかった。
角と尾を失い崩壊が始まりつつある彼女の白い肌を、彼は涙を流しながら強く抱き、そして叫んだ。
「闇の神よ! クレイオ様がッ。クレイオ様が貴方様の加護を失い、只人にっ。このままでは彼女は消滅してしまう。お願いします神よ。もう一度、そのご加護を!」
そう、口にする彼の頬から落ちた涙がクレイオの形の良い赤い唇にぽたりぽたりと落ちていく。
彼の前、その一段上に座った黒い男は、アルノーに視線だけを向けた。
「……好きにするがいい。私の泥など、吐いて捨てる程に溢れている。元々適性があったモノであれば、馴染みも良かろう」
闇の神と呼ばれた男の髪は長く、漆黒の髪は床と同化し、佇むそこには黒い泥が溜まって彼との境目も分からない。
白皙の美貌の男には生気という物が無かった。真っ白い顔には疲れが滲み、濃い紫色の瞳には諦観が宿っている。彼が長く細い指を動かすと、床にぽかりと泥の沼が湧きアルノーとクレイオが飲み込まれていく。
「……有難うございますっ。有難うございます。我らが神、カルエイザード様っ」
そう、感謝の言葉を残して二人の影はその場所から消えた。
闇の神の隣に控えていた灰色の髪をした魔族が、遠くを見るように呟く。
「クレイオ、彼女は我らの中で最も強かった。王国を落とし、魔族を増やし、今度こそ、貴方の心に平穏を齎すことができると思っていたのに……。我らは少数、このままでは」
その苦渋の滲む声にも、闇の声は興味を持った素振りも無い。
ただ、その前にある黒い水鏡を撫でた。
そこには創世神と、その依代となったハルカの姿が写っている。
「あの時の異世界人……。なぜ、今更になって人の世に干渉するのだ創世神よ。何が起ころうと手出しはしないと、そうあの時に言ったではないかッ」
叫び、頭を押さえて呻く。彼が苦しむと、その足元にある黒い泥も泡立ち、更に溢れていく。
彼が乱暴に水面を払う。水に映ったピンク色をした花弁が、黒の中で鮮やかに散って消えていった。
それを、彼は目を見開き唇を震わせながら見つめている。そして、自分の体を抱いて呟いた。
「――導きの花。お前は私の前から消えたのに、なぜアレだけは消えぬのだ。お前が居なければ、あの花に存在価値など無い。私が導ける者など、何も無いというのにっ」
そう、泥を何度も掻きむしる。
この場所に何度となく響き続けた慟哭は、嘆きの声は、今や物理的な淀みとなって彼から吹き出し続けている。その泥は大地に染み込み、世界に侵食する。神はそれを理解していた。侍従も、神の苦しみを己が取り除くことは不可能だと理解し、ただ佇んでいた。
黒い神は胸を押さえ、滴る泥を救い上げ、自嘲的に笑んだ。
「ああ……醜悪だな。もう何も考えたくない、見たくない、思い出したくない……。何千年封じられようと、この感情は消えはしなかった」
そして、彼が天を見上げ咆哮した。
「私がこの世界の神である限り死ねぬなら、世界よ――私と共に死んでくれ!」
ここで一章完結になりました。
最後まで読んでくださった皆様、お付き合いいただきありがとうございます!
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続きは構想中ですのでしばらくお待ちください。
次回連載再開まで週1、2目安で短編等を投稿していこうと思っております。
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