35.絶体絶命
(あの時、一瞬でも振り向くのが遅れてたら、間違いなく首が飛んでたっ)
たまたま彼女から香水のような匂いがしたから気付けただけだ。
ナイフを地面から引き抜いた女性は、構える私たちに警戒した様子も無く、ただその場で嫣然と微笑んでいる。
それだけでも威圧感は並じゃない。
細身の長身。この世界にSNSがあればインフルエンサー間違いなしのモデルみたいなスレンダー美人だ。彼女のピッタリとした黒い服もブラックコーデと言って差し支えないし、私の手の平ほどしか無さそうな小顔、切れ長の瞳は睫毛で風が起こせそう。
右で分けた紫色の膝までありそうなロングのストレートヘアだけが異世界人らしかった。
元の世界で見かけていたら、のんびり見惚れていられたんだけどね。
彼女の佇まいには隙が無い。
逃げだそうとしたら確実に背を裂かれる確信がある。闇雲に突っ込んでも同様だ。
だから私たちは動けない。私より圧倒的に強い二人ですら緊張しているのが空気で分かった。
佇んでいた彼女がおもむろにナイフを振って私に向かって首を傾げて見せた。
「あなた、毒にも耐性が有るのね。面白い体」
「……毒って、なんのこと?」
「ナイフにヒュドラの毒を塗っておいたの。念のために死ぬのを確認していこうと思ったんだけど、正解。貴方ったら全然苦しみもしないんだもの」
「ッ!?」
ころころと笑う彼女の足元。ナイフが突き刺さっていた場所には、土も上に落ちたサンドイッチもブスブスと紫色の煙を上げ泡を吹き出している。
あっさり言ってくれたけど、もしかして、私はああなる寸前だったってこと!?
首筋に手を当てると血の感触。毒耐性とか心当たりないし、なんだか気持ちが悪い。指先に魔力を集中して治癒魔法を発動っ!
淡い光。浅い傷は直ぐに治って私は指に付いた血を払った。
それだけなのに、彼女の目に剣呑な光が宿る。
「――やるじゃない。やっぱり、是が非でもこの場で死んでもらわなきゃ」
その言葉と同時、彼女のナイフが溶けて消える。
途端、空気が変わった。
世界に一枚フィルターがかかったように、空が、景色が禍々しい紫に染まり、ドーム型に黒い蜘蛛の巣が張り巡らされる。
湿った苔とダークチェリー、乾いたバラのような不思議な香り。首に刃が迫ったあの時に嗅いだ匂いが周囲に充満していく。
彼女の髪が重力に反し二股に分かれて浮き上がった。その先端には、この世界に来てから見慣れた泥が中程まで侵食して毛先から滴っている。
――そして、
額からは細い一本角。腰にはぬるりとした硬質の長い尻尾が現れる。
アディとユイトが私を庇って一歩前に出た。いつも余裕があるアディの顔は険しく、額に汗が伝っている。
「まさか、おとぎ話に出て来る魔族というやつか? 獣人とは似ても似つかんな」
「……これと一緒にされてるなら、オレは心外だ」
軽口を交わしながらも二人の目は彼女を見据えている。というより、そうでもしないと意識を保つのも難しのだろう。私は恐怖で一度下げでしまいそうになった手を再度構えた。
彼女の長い髪が変形し、禍々しく太い槍となってその手に握られる。
そして、殆ど瞬間移動のようなスピードで加速し、槍を振り抜いた。
「クッ! なんだこの速さは!?」
「動きが見えないッ!」
二人が何とか防いだ槍を彼女が引き戻す。私が間に挟まる様な隙は無い。もう一度、振りかぶる刹那に合わせ、今度は二人が彼女の前に迫る。
けれど、彼女は槍を手放し、髪で創られたそれが解ける。代わりに天に伸ばされた指先にバチバチと紫色の燐光が弾けた。
「我らが導きの神の名の元に! 来たれ裁きの槍――《轟雷滅撃》!」
その言葉の意味を認識する暇は無かった。ドンッと世界が揺れ、目を焼く光が炸裂する。遠くで二人の叫び声。私に着弾すると同時、魔法は糸がほつれるように解けて霧散する。
彼女は少しばかり目を見開いた後、眉間に皺を寄せた。
「聖女様には魔法もダメ……っと。やっぱり物理的に首を落さないといけないか」
彼女の言う通り、確かに私の体は何事も無い。ただ、殺されかけた事実に遅れて心臓が激しく鼓動を打った。
魔法を放つことを優先した彼女の体にはユイトとアディの刃が突き刺さっている。呆然とする二人の前でその体から黒い泥が溢れ、二本の刃に纏わりつく。二人は咄嗟に剣とナイフを引き抜いて後ろに飛び退き、私の前に立った。
「ックソ。不死身だとでも言うのか? ハルカ、お前は無事か!?」
「すまないっ。オレ達が離れたから!」
「私は大丈夫。よく分からないけどね。それより……」
彼女の角と尾が淡く発光している。私たちが立つ地面が彼女の真下から黒く染まり、みるみる泥が広がり溢れていく。その泥を吸収でもしているかのように角と尾が大きく、そして髪が翼のように肥大していく。香水のような匂いもどんどん強くなる。
彼女が囁く声が大きく響いた。
「私はクレイオ。闇の神の最初の眷属、七人の従者が一人。戦禍のクレイオ。低級な魔物ならまだしも、現代の人間の低級な魔法で傷を付けられると思わないでほしいわ」
それを聞いたアディの目が見開かれ、絶望が色濃く過る。
「闇の神の従者……最初の、七人? まさか神話級の、バケモノだと……?」
「別に信じなくても良いの。ただの事実だから。本気で消しに来てしまってごめんなさいね?」
クレイオと名乗った彼女の髪が閃く。再度超速の突進、そして、肥大した髪――黒い泥が無数の杭のように襲い掛かる。
アディは呆然としたまま動かない。ユイトが彼の足を思い切り蹴り飛ばした。
「避けろ赤髪ッ!」
私たちの頭上を掠めて長大な塊が通り過ぎる。彼女の藍色の瞳が動きの鈍いアディを捉える。私はその体に向けてナイフで思い切り上げた。
「させないッ」
輝くナイフの軌跡に沿って、彼女の腹から胸にかけて斜めに光の筋が撃ち込まれる。中半端な体勢の大振りだったけど、そもそも避ける意思が無かったクレイオは良い的だ。
(闇の神とか言ってたし、イル様の魔力なら利くと思ったよ!)
予想通り発揮した威力に私は笑みを浮かべる。けど、渾身の一撃でも致命傷を負わせた感じはしない。驚いてはいるけど、それだけだ。彼女はすぐに距離を取って今度は髪を地面に突き刺した。
「さすが聖女様。だからこそ、我らが神を再び封印される訳にはいかない! ここで確実に消させてもらうッ!」
声と共に地面が揺れる。漏れ出していた黒い泥が足元で蠢動する。
「ユイト、上だッ!!!」
立ち直ったアディが私の腕を取って指示を出す。次いでユイトが私の反対側の腕を取り、強化された身体能力で木の枝に飛び乗った。二人に抱えられて私は不安定な足場でたたらを踏む。同時、足元の泥から生えた黒い杭が地面を埋め尽くし、射出された。下からの全方位攻撃。避けたとはいっても一時しのぎ、杭は目の前に迫ってる。
――でも、
(この角度ならッ!!!!)
民家はナシ、人影ナシ、仲間の影もナシ!
視界オールグリーン! 私は両手を目の前に付き出した。
「いっけえぇぇぇぇぇぇええ!! イル様ビ————ムッッ!」
渾身の力で彼女の方向に向かって魔力を解き放つ。眩い光が視界を埋め尽くし、黒い杭が次々に蒸発して消えていく。
同時、枝に乗っていただけの私たちは反動で光を纏った弾丸となって反対方向――王都に向かって飛ばされる。意識の向こう側でバリンと何か薄いガラスを壊したような音。そして、破片の向こうから青い空が戻って来る。私はそれを見ながら、またいつものように意識を失った。
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