34.首輪を付けて
翌日、私たちは朝一で食料を買って町を後にした。
アディが言うには、一応お金を払ったとはいえシャリエ氏が逆恨みしてるとも限らないから早めにって事らしい。それには私も賛成だ。未だにあの気持ちが悪い粘着質な目が記憶にこびり付いてる。
ただ――
「……はぁ、はぁ。アディ、ごめん。もうそろそろ休憩させて」
「お前、その体力でよく生きて来れたな?」
「向こうの世界では標準だよ。そこまで歩く事なんて無かったし」
「ハルカ、オレの背に乗るか?」
「大丈夫。魔法で移動しなきゃいけない時はしかたないけど、歩きの時くらい自分で頑張るよ! ……休憩はほしいけど」
ユイトの耳がシュンとしちゃったけど、こればっかりは譲れない。それに、昨日あんなことがあったから彼の体の事を考えて今日は徒歩、って決めたのに、私が負担をかける訳にはいかないのだ。
治癒はしたけど、アディによれば、あれって体が綺麗になっても受けたダメージまでは消えないらしい。
実際、ユイトは朝までぐっすり眠ってた。
空模様は曇り時々晴れ。
私たちはレディルボードの町から王都までのなだらかな街道を通り、既に村を一つか二つ越えたところだ。
もう三時間は歩いたかな……。二人は元気そうだけど、私はもうへとへと。半分引きずりながら歩く爪先が、馬車の轍に時々引っかかって躓きそうになる。
ちょうど周りに人家が無くなってきた頃、ようやくアディが立ち止まった。
「ここまで来れば、そろそろ大丈夫だろう」
「~っ助かったぁ! 追いかけて来たりしてないよね?」
「ああ。元々、金は相場に色を付けて払ったからな。無いとは思うが念のために出てきただけだ」
「本当、イヤリング買ってもらってて助かったよ。無一文はマズいし、次に魔獣が出たら私も意識して稼がなきゃね」
グッと力こぶを作って見せるとアディが吹き出す。
「っハルカ……お前、枝で魔獣狩りするつもりか?」
「そ、そろそろ安定したし、ナイフ使っても大丈夫だよ!」
ほら! と、腰に差したナイフに魔力を通して見せると、キッチリと成功。なんなら枝で慣れたから、葉っぱにも石にもできるようになりました。
ナイフをしまって、適当に拾った石に魔力を込めてぽすっとアディに投げる。光ってるだけの石は簡単にキャッチされて投げ返された。
「わっととと!」
スロースイングで弧を描いて戻って来る小石をわたわたと追いかける。気持ちでは取ってるんだけど、体は追いつかず、指の先に触れて落ちた石は地面に転がって光を失った。アディがニヤニヤと目を細める。
「これは頼もしそうだな?」
「疲れてただけですーっ! もう、休んでいいなら休むからねっ。ユイトも座ろ!」
私は街道の側、居心地が良さそうな木の根元に座り込んで隣を叩いた。彼は少し迷ったみたいだけど、隣に座ってくれる。
アディは肩を竦め、立ったまま周囲を軽く見回した。
「俺は周辺を確認してくる。お前らはそこで待ってろ。戻ったら朝食にするぞ」
「朝早かったし、軽くお腹に入れただけで出てきちゃったもんね」
草の上で足を思いっきり延ばしながら腕もぎゅっと上に伸びをする。アディは魔法を使ってあっという間に飛んで行ってしまった。のどかに見えるけどここは異世界。油断してるといつ襲われるか分からない。
けど、常に気を張ってるのも疲れるんだよね。私は長く息を吐いた。頭上には枝が伸びて葉擦れの音が気持ちいい。
今日は朝から元気が無いユイトが私に体を寄せた。
「ハルカ……」
「昨日言ったけど、謝るのはナシだよ?」
「それは、分かってる。でも、銀貨五十枚なんて大金、」
「だから、それはイル様に貰っただけだし本当に気にしないで」
「そういう訳にはいかない。オレはハルカに買われた。だからハルカの奴隷だッ!」
「はいっ!?」
とんでもない発言が飛び出して私は思わず彼と反対側に思い切り体を引いた。物理的にもドン引きというやつである。
(ユイト、まさか昨日からその認識だったの!?)
彼は真剣な表情で新緑の瞳がギラギラと光っている。私が退いた分だけユイトが距離を詰める。
彼がおもむろに私の足を取って大きな手でゆっくりと撫でた。
私は目の前で始まった異常事態に奇妙な体勢のまま硬直する。
足を持ったままのユイトがジッと私の目を見つめた。
「奴隷のオレがいるんだ。ちゃんと使ってほしい」
「つ、つかう??」
彼が頷く。えっと、これは、もしかして背中に乗るの断ったから怒られてるのかな?
いや。それっておかしいよね。な、なんでそんなことに?
疑問符が解消される暇も無いまま、彼が次の言葉を吐き出す。
「王都に着いたら首輪を買ってくほしい。そうすれば、オレはハルカの物だって分かる」
――首輪ッ!?
とんでもない単語の連続に私は口をパクパクと動かした。
首輪? 首輪ってあれ、お散歩用の?
頭の中に元の世界で見た犬用のそれが過る。
目の前には日に焼けた肌の整った顔。濃い緑がかった黒い耳、同じ色の短い髪の毛。キラキラ光る宝石の目は少し垂れ気味で可愛らしさがある。その逞しい筋肉質な首に、アレが――
「ひゃあぁああああああっ」
「は、ハルカ?」
ナシ! この妄想ナシ!
妙な叫び声を上げた私は脳内に生成されたとんでもない画像を追い出すのに必死だった。茹ダコみたいに熱くなった顔を必死で両手で隠す。
頭の中がぐちゃぐちゃだ。現実の認識が上手くいかない。
片足は浮いてて心もとないし、この角度だとユイトにスカートの中見えちゃうんじゃないかとか、余計な事が気になってくる。いや、というか何で私は足を持たれてるの!?
気付いた瞬間、私は蹴る勢いで足を持つ彼の手を振り払った。
「しないッ。私、しないから! ゆ、ユイトを買ったつもりも無いし、首輪買う予定も無いっ。そういうの私の世界だと法律違反だから! 世界のナントカそういうアレで決まってるので、無理ですっ。絶っ対ダメッ!!!」
取り返した足を抱えて必死で叫ぶ。
そんな趣味が全く無いとは言わないし、正直ちょっとえっちだなーとは思うけど、それを現実世界に持ち出すほど私は社会性を捨ててないっ。
既に変な妄想をしたせいで直視しづらくなった彼の体をぎゅっと押し返す。ビクともしないユイトに苦戦していると、バコンッと鈍い音が響いた。
同時にユイトの体が離れて、私は音の方を見上げる。
逆光の中にアディが鬼の形相で立っていた。
「――おい。人が仕事をしている間に何をしているんだ、この駄犬は」
「オレはハルカに買われたからハルカの物だという話をしてただけだ」
負けじと言い返すユイトは全くめげてないみたいで、アディを睨み返す。私はようやく表れた助っ人の姿に慌てて立ち上がり、彼の後ろに隠れた。アディが頭を振って溜息を吐く。
「はぁ……。ハルカ、お前にそのつもりはあるのか?」
「無いです! ありませんっ。断固拒否です!」
「ならこの話は終わりだ。駄犬は大人しく自活の道を模索しろ」
「……ハルカはオレが要らないのか?」
尻尾がくるんと丸まってしょんぼりと肩を落とす姿を見ると、どうしても「いいよ」とか言ってしまいたくなる。けど、今はそういう場合じゃない。心を――半分だけ鬼にして、彼の隣に膝を付いた。
「えーっとね、その、要るとか要らないとかじゃなくて、私はユイトに自分で選んだ自由な人生を歩いてほしいなって思うの。急に言われても難しいかもしれないんだけど。でも、私が大神殿に行きたいのは変わらないし、できれば一緒についてきてほしいっていうのも変わってないからっ」
それはそれで、ちょっと私にとって虫が良い話なんだけど。
でも、彼が途中で自分がやりたいことを見つけたら、別々の道を歩くことになっても仕方ないとは思う。寂しいけどね。
私の拙い説明が通じたのか、ユイトは静かに頷いた。
「……分かった。努力する」
「私もユイトが自分の好きな事とか見つけられるように努力するから。ね! 一緒に頑張ろうっ」
言って彼の手をぎゅっと握る。
もしかしたらこれは、悪い事だと思いながらお金で解決してしまった私の責任なのかもしれない。
だって、彼はきっと奴隷と逃げていた時の森での生活以外を知らないから、私の……ごにょごにょにって発想になるんだと思うし。
気持ちは理解するけど、現代日本人の私としては絶対NG。
そういえば、私、小学校の時私は学校の先生になりたいって思ってたんだよね。うん。時間がある限りユイトにちゃん教えていこう!
むんっ、と気合一発。ようやくいつもの調子に戻って来た。
「おい、ハルカ。少し向こうに行け」
「あ、ごめん。アディも座るよね」
促されて少し間を空けて座り直す。私とユイトの間に彼が挟まった形だ。さりげない気遣いがありがたい。
彼が魔法袋からパンとベーコン、チーズを順々に取り出して、ナイフで切れ目を入れたパンに挟んで配っていく。
真っ先に貰ったユイトはもう落ち着いたみたいで、すぐにパンにかぶりついていた。
(これ、食べ物で気を逸らす作戦だぁ。アディ、策士!)
簡易サンドイッチをくれる彼に「分かってますよ?」的な視線を返すと、彼がニヤリと笑った。
「いただきまーすっ」
私もサンドイッチにかぶりつく。小麦とベーコンの良い匂い、
――がすると思ったんだけど。
なんだろう。ベーコンでもチーズでもパンでもない強い香りが後ろからして、そちらを振り向く。
美女だ。
振り向いたそこ、至近距離に長い髪を垂らした美女の顔と、ギラリと光る短剣の切っ先が――
「!?」
迫るそれを私は咄嗟にアディの方に倒れこむ形で回避した。
「――痛ぅッ!」
首の薄皮が裂ける感触。血がぱたぱたと宙に散っていく。でも、命は無事。これだけなら安い物だ。
ユイトが真っ先に反応して、私を掴んだアディごと後ろに引きずって飛び退った。
パンが地面に落ちて、私がいた場所に追撃の刃が突き刺さる。
アディも剣を抜いて構える。私も二人に遅れてナイフを抜いた。
突然現れた紫色の髪の女性は、切れ長の藍色の瞳を興味深げに細める。
「ふぅん? 確実に殺したと思ったんだけど。異世界の聖女様って感覚が鋭いのかしら」
明かな殺意。人生で初めて向けられる人間からの明確なその意思に背筋が凍るのを感じた。
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