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33・幕間:黒い魔法石


――その頃

燭台の炎が揺れる室内で、ボドワン・シャリエはイライラと煙草を噛み潰した。

重厚なテーブルの上に置かれた灰皿には碌に吸わず捨てられた吸い殻が虚しく積み上がり、空になった魔法石の箱が静かに佇んでいる。

彼は奇妙な文字の描かれた筒のような魔法具を振り、それから力任せに床に投げ捨てた。ガンと鈍い音が室内に響く。


「ええいッ、遅い! あの石売りめ、阿漕な商売をしおって。まだ奴は来ないのか!?」


その声に、室内に控えた奴隷たち――猫族シス・熊族ドゥーズ・兎族エルの三人は皆ビクりと体を竦め、少しでも彼の視界から外れようと後退った。

彼等は一様に怯えた表情で息を殺し、その体には真新しい鞭の傷跡が赤々と残る。

シャリエの足元には彼らにとっての恐怖の象徴。彼は煙草を潰すと椅子から立ち上がり、それを拾い上げた。

途端、室内は無言の恐怖に支配され、シャリエのぎらついた瞳がこの場で最も弱い存在――エルを捉える。そして彼の眉が醜悪に吊り上がった。


「こうなったのも全てはエル、貴様のせいだ! 魔法石など持ってくるからこんなことになった! 金貨十枚が台無しだッ」

「そんな! 旦那様が箱を持って来いとっ」

「誰が口答えして良いと言った!」

「ひいっ」


バシンッ!


音を立ててシャリエの鞭が床を打つ。哀れな程に怯えたエルはその場に蹲り、許しを請う様に震えながら首を垂れる。その体にシャリエが無慈悲な一撃を加えようと振りかぶったその時、

開いていたドアの向こうで炎が揺らめき、音も無く、フードを被った二つの人影が現れた。


「――シャリエ氏、お取込み中でしょうか?」

「ッ!」


前に出た男は恭しく胸に手を当てて頭を下げる。客人を視界に認めたシャリエは振り被った手を止めて舌打ちをし、もはや奴隷には興味を失った様子で鞭を放り投げた。

彼が背を向けた瞬間、シスとドゥーズが素早く動き未だ立ち上がれずにいるエルを壁際まで連れて行く。

彼等の事などまるで見えていない様子のシャリエはまたドカリと椅子に腰を下ろし、尊大に足を組んだ。


「……待たせおって。石売り、後ろにいるのは誰だ?」

「私の上の人間です。お売りした隷属の魔石に不具合があったということで、詳細をお聞きしたいと同行いたしました」

「不具合だと!? 貴様らのせいで、金貨がフイになったんだ! 小娘に触られた程度で砕けるなど、とんだ粗悪品を掴ませおって!」


激昂したシャリエは口から唾を飛ばしながら、感情のままテーブルの上にあった箱をフードの男に投げ付けた。

石売りと呼ばれた男は微動だにしない。

代わりに、箱が彼に叩き付けられる前に速度を落とし、糸でも付いているかのような不自然な動きで男の手の中に収まった。

彼は箱を検分し、布張りの隙間に残った粉を指で掬うと目を見開く。


「……これが、砕けた隷属の魔法石ですか?」

「ああ、そうだッ。小娘が魔法を使ったのか知らないが、魔石は契約を破棄しない限り絶対壊れない筈じゃないのか?」

「その通り。絶対壊れない。その筈です」


シャリエの抗議にも男は平静を崩さない。それどころか、彼の怒りなど些末な事だとでもいうように男は視線を外し、シャリエを無視して共に現れたもう一人と小声で話し始めた。

その姿に唇を震わせたシャリエはドンと肘置きを殴りつける。


「なんなんだ貴様ら!? 一体、何をコソコソ話しているッ!」


静かな室内に彼の叫び声だけが虚しく響く。

そして、ようやく彼の存在を認めたかのように、石売りと呼ばれた男の後ろに居た人物が一歩踏み出しフードを脱いだ。

――紫色の長い髪。

前髪を横に分け、切れ長の瞳を魅力的に細めた美女が佇んでいる。


「お、女……?」


唐突に現れた美しい女性の姿に、シャリエは怒り狂っていた事も忘れてポカンと口を開けた。彼が現実を認識しきる前に、女は彼の前まで近づき、そのほっそりとした指をシャリエの顎にかける。


「ねえ、シャリエさん。失礼ですけど、貴方の記憶を私に少しだけ見せて貰えるかしら?」

「な、何? 私の記憶、だと? 貴様、何を言って、」

「大丈夫。少し痛いかもしれないけど――命までは取らないから」


不穏な言葉にようやく現状を認識したシャリエは慌てて椅子から立ち上がろうと尻を浮かす。

けれど、全ては遅く、女の髪は見る間に意思を持って動き出し、ロープのように彼を椅子に拘束した。

髪に見えていたソレは中程から黒く変色し、泥となって床にぼたぼたと滴っている。その姿は紛れもなく、人型はしていても魔獣そのもの。シャリエは手遅れとなった叫び声を上げた。


「――ヒィッ、ば、バケモノ!!! 奴隷共っ、何を見ているんだ! 今すぐ私を助けろ!」


暴れるシャリエの抵抗にも女の髪は鋼でできているかのようにびくともしない。

獣人たちは三人で抱き合い、部屋の隅で震えながら、どこか愉悦に満ちた目で彼の末路を見つめている。

シャリエは恐怖に染まった目で女に懇願した。


「た、助けてッ! お願いだっ、許してくれ!」

「貴方も大人でしょう? チクっとするだけだから我慢してね。あんまり動いたら、きっと痛くなっちゃうわ」


彼女はシャリエの命乞いを――まるで聞いていなかった。

ただ困ったように微笑んで、優美な白い指を彼の頭に這わせる。

両手の指が彼の頭に触れ、そして、魔法が発動した。

バチバチと紫色の火花が散り、燐光が弾ける。


「アバっ、ガ、ギ、があががあががががッ!」


シャリエはびちびちと魚のように体を跳ねさせ、声帯から生理的な鳴き声が漏れる。

獣人たちは声にならない悲鳴を上げ、部屋には激しい音が響く。

時間的にはほんの数秒。

解放されたシャリエは床にドッと倒れ、女は指を顎に当て首を傾げた。


「赤毛の女の子……ううん。髪を染めてる。本当は黒髪かしら? 石が壊れたのは彼女の魔法のせいみたい。これは、白と金の魔力――」

「クレイオ様、契約石は我らが神の加護を受けて作られています。もしかして、召喚があった光神の御使いでは?」

「聖女は私たちの神――カルエイザード様が『消した』とおっしゃっていたと思うのだけど」

「闇の神は少しばかり気紛れな所があります。それに、聖女に神は直接手を下せません。運良く生き残った可能性も……」


男の目には焦りがありありと浮かんでいる。彼女は男に向き直り、指揮官の表情で命令を下した。


「では、私が聖女の対処に向かいます。アルノー、私が失敗した場合に備え貴方は王都の計画を早めなさい。サンベーニュ王国は人類生存権最南端。王国を落し、我らが神への最初の供物とする計画に遅延は許されません」

「ハッ! 全ては闇の神にして我らが導きの神、カルエイザード様の為に!」


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