31.ユイト<後編>
前編:12時頃公開 後編:20時頃公開
ユイトを取り返す! そう決意したら、こんな所でぼやぼやしてる暇なんて無い。こうしてる間にも彼がどんな目に遭わされてるか分からないんだから、すぐに助けに行かないと!
私は腰のナイフを確認し、腕でぐいっと涙を拭って隣のアディを見上げた。
「アディ……私のワガママに巻き込んで申し訳ないんだけど、できれば一緒に付いて来てほしい。私だけじゃ人を攫う様な人と対等に話し合いができるか分からない。アディの知識を借りたいの」
私は彼の「逃亡奴隷」って言葉が示す境遇すら分からなかった。銀貨の袋を持っていたって、この国での価値も物の相場も、交渉方法だって何も分からない。そんなんじゃダメだ。
ユイトを助けたい。
ううん。私が彼を守ると言って連れ出したんだから、絶対に助けなきゃいけない!
目を丸くするアディの瞳から視線を離さない。逃さないと決意して言葉を重ねる。
「お願い! 私が依頼したのは王都までの道案内だけ。こんな契約外だって事はちゃんと分かってる。対価が必要なら後でどうにかする。ユイトを助けるには貴方の助けが必要なの。私を手伝って、アディ!」
足がぎゅっと強く床を踏みしめる。握った指が手の平に食い込んだ。そして――
先に視線を逸らした彼が息を吐いた。
「……ハルカ。お前、もしかしてバカ犬にも同じような事を言ったのか?」
「え? どうだろう。ユイトにはずっとお世話になってるし、もしかしたら言ったかもしれないけど」
もう長いこと一緒にいるような気がするし、あまり細かい事は覚えてない。首を傾げる私に彼はジト目で肩を竦める。
「……まあ良い。お前の言いたいことは分かった」
「じゃあ!」
「営業時間を気にしてやる必要は無い。今直ぐに乗り込むぞ!」
アディの頼もしい声。絡まった視線で頷き合う。私は革袋を握りしめ、彼は窓の外の静まり返った町並みを睨み付けた。
月灯りが石畳に淡い光を落している。
店の外に掲げたランプを回収しようとしていた従業員らしき人が、私達の人影を認めてこちらを振り向いた。
――昼間に見た、シスに怒号を上げていた人だ。
彼は不審そうに目を細め、口を開いた。
「夜分遅く、どのようなご用件でしょうか?」
「私、ユイトを返してもらいに来たんです」
「ユイト?」
「この店の主人に会いたい。要件は既に分かっている筈だ」
アディの堂々とした態度に気圧されたように、彼は視線を彷徨わせ店の奥に引っ込んで行く。それからすぐ、彼の代わりに出てきた兎耳のメイドさんに導かれ、私達は店の奥に入った。
長い廊下。等間隔に設置されて燭台に光が灯っている。
この世界に来てから、こんなに蝋燭を見たのは初めてだ。もしかしたら、かなり裕福な店なのかもしれない。
おっかなびっくり、アディの服の裾を掴みながら歩く。何か言いたそうな顔をはされたけど、何も言われてないので私はオッケーとみなすっ!
だって、知らない家、暗いし狭くて長い廊下、燭台だけがぼんやりと灯った屋内はちらちらと炎に影が揺らめいてオバケが出る洋館そのものだ。普通に怖い。
案内された部屋に入ると、既にそこには立派な服を着て髭を蓄えた男の人が待っていた。
「お待ちしておりました、お嬢様方。私はこの町で麦の商いをしておりますボドワン・シャリエと申します。宜しければ是非ご贔屓に」
差し出された手に私は後退る。アディが前に出ると、シャリエ氏はニッコリと業務用の笑顔をたたえたまま、その手を引っ込めた。この手の表情にはイヤって程に見覚えがある。――笑顔の奥に本心を隠し、表に晒さない為の仮面だ。
彼は、私たちに椅子を勧め、向かい側に腰かけた。私とアディも同じように布張りの椅子に腰かける。シャリエ氏は取り出した煙草を殊更ゆっくりと吹かして見せた。
「お嬢様は私の奴隷を購入したいと、そう、お伺いしております」
「な、……痛ッ」
何でその事を、と口走りそうになった私の脇腹をアディが強めの力で小突く。私の抗議の視線を華麗にスルーして、彼は鷹揚に指を組んだ。
「ああ、話が早くて幸いだ。件の奴隷はここに居るんだろうな?」
「ええ、勿論。エル、アレを連れて来させろ」
「かしこまりました、旦那様」
兎耳の彼女が退出してしばらく、あのシスと呼ばれた人と、別の大柄な――たぶん熊の獣人らしき人に連行されて、見慣れた黒い耳の彼が姿を現した。腕を掴まれてぐったりとして、彼の日焼けた肌には黒い痣が見える。
「(ユイトっ)」
私は叫びそうになる声を必死で押し殺した。
隣のアディは横目でそれを確認すると、平静な表情でシャリエ氏に向き直る。
「随分と痛めつけたみたいだな。これでは当分使い物にならん。多少は割り引いてもらう必要がありそうだ」
「いえ、後に残るような傷はつけておりません。品質に問題はないでしょう」
シャリエ氏の顔色は変わらない。ニコニコとしたまま、淡々と煙草をふかしている。私はこの空気だけで既に具合が悪くなりそうだ。アディが続ける。
「銀貨二十だ。荷運びにしか使えん奴隷なら、これで十分だろう」
「身体強化持ちですから。そんな金額では困りますな」
「それでも三十だ。あの様子では本当に期待できるかも怪しい。こちらとしてはもっと下げても良いんだぞ」
「殺生な事を。実の所アレはウチから脱走していたのです。奴隷の教育は店の義務でして」
「そちらの都合は俺には関係ないな」
「……それは、どうでしょう?」
自信ありげなシャリエ氏が指を鳴らすと、エルと呼ばれた兎耳の人が黒い箱とその上に乗せられた鞭を持って来た。その存在感は十分で、思わず私の喉が悲鳴を上げる。
それを確認したシャリエ氏は不気味に眉を吊り上げて、指を一本掲げて見せた。
「私が提示するのは金貨十枚です」
「――論外だ」
「いえ、そちらにとっても悪い話では無い筈です。私は疑っているのですよ。そちらのお嬢様が、この奴隷と共謀して逃亡を図ったのではないかと」
その粘着質な言葉に、私は思わず身を乗り出した。
「は!? 私、そんなことっ」
「お嬢様は奴隷と随分と親しげな様子だったとか。逃亡の手助けは資産の収奪、王国法で裁かれるべき罪でございます。しかし、私も貴族様と問題を起こしたい訳ではない。お互いに利のある取引でしょう?」
勝ちを確信した顔。私は奥歯を噛んだ。
どこからかは分からないけど、あの人は私達を監視してたんだ。
その上で、明らかに無茶な要求を通そうとしてる。
あの鞭は脅し? 私が断ったら、ユイトを――ッ!?
頭の中がカッと熱くなる。そんな私を愉快そうにシャリエ氏が見つめていた。
「貴方がどこぞの貴族様ということは把握しております。その髪飾り、お衣装、全て金貨が必要なほどの値打ちものではございませんか。お気に入りの奴隷くらい……安い物でしょう?」
その猫なで声にイライラする。ユイトは奴隷じゃないし、お金で買えるものじゃない。私達の関係を気持ち悪い目で見られるのも嫌悪感が走る。
金貨が必要なら幾らあげたって構わない。でも、私は格好がそう見えるだけで今日交換した銀貨で全財産だ。
私が渋ってるとでも思ったのか、シャリエ氏は机の上に置かせた黒い箱を開く。
すると中から箱よりなお黒く禍々しい石が姿を現した。
「もし、また逃がそうと思っているのなら無駄な事です。この隷属の魔法石がある限り、奴隷は逃げられない。私が契約を破棄して欲しいのなら、金貨を! 金貨をお支払いいただきましょうっ」
最早欲望を隠さないシャリエ氏は目をギラつかせ、私の目の前に黒い石が差し出される。魔獣の泥を押し込んで固めたような漆黒の石。見ているだけで飲み込まれそうな色に手が伸びる。指に触れた感触は冷たく、固く、侵食されそうなナニカの悍ましい気配を感じた。
シャリエ氏の勝ち誇るように歪んだ笑顔が蝋燭の炎に不気味に揺れている。
(こんな契約があるからユイトが!)
この石さえなければ。
――そう、思った瞬間、指先から白い光が迸り、金の燐光が弾けた。
隷属の魔法石は粉々に砕け散り、灰色に変色した粉が私達の間に儚く落ちていく。
私は呆然とその粉を見つめ、アディが顔色を変える。
勝ちを確信してたシャリエ氏は顔を引きつらせ、慌てて空になった箱を引き寄せた。
「そ、そんな……! 隷属の石は、契約が破棄されない限り絶対に壊れない筈ッ」
悲鳴のような叫びに室内にいる全ての獣人の視線が私に集まる。
その蜘蛛の糸を掴むような視線に私はビクりと背中を震わせ、アディが私から革袋を取り上げて机に投げつけた。ジャリンと重い音が部屋に響く。
「銀貨五十枚。隷属契約が切れた獣人を置いておいても報復されるのがオチだ。こいつは買っていくぞ」
アディは私の手を引いて立ち上がり、「退け」と低い声でシスともう一人に冷たく吐き捨てる。
そして、解放されて膝を付いたユイトの頬を強く張った。呻き声と共に意識を取り戻した彼が緩慢に目を開く。
「おい、帰るぞバカ犬。その図体を俺に背負わせる気か?」
「ぁ……赤髪?」
「ユイトっ。ちょっと色々あって、とにかく帰れるから。お願い、一緒に歩いてっ」
弱弱しく立ち上がる彼に肩を貸す。反対側をアディが支え、一緒に歩き出す。獣人たちは動かない。シャリエ氏だけが苦々しい声で吐き捨てた。
「良い主人に買って貰ったじゃないかユーウィト」
「彼の名前はユーウィトなんかじゃない。ユイトです」
私はハッキリと宣言して、ユイトの肩を支えながら部屋を出た。
さっき走って来た石畳の道を今度はゆっくりと歩きながら戻る。
「すまない……オレの為に」
力無く呟く彼に、私は首を振った。
「ユイトってね、私の国の言葉だと、結ぶって字に人――結人って書くの。
ユイトは、異世界から召喚されて何もできなかった私をこの世界に結びつけてくれた人。だから、もっと胸を張って。お金なんかよりずっとユイトの方が大切だよ」
組んだ肩を寄せて、掴んだ体にぎゅっと力を入れる。
彼はただ体を震わせて、ぽろぽろと月明かりに煌めく涙を溢していた。
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