19.赤髪の剣士
「ぅ……ん……」
「ハルカっ! ハルカ! ッ良かった」
(ゆい……と?)
ぱちり、ぱちりと瞬きをする。歪んだ視界に徐々に彼の顔が像を結んでいった。
背中にゴワゴワとした感触。緩慢に起き上がると、体に掛かった布が床に落ちた。
(……あ、そっか。私、また気絶しちゃったのか)
少し頭はぼんやりしているけど、体は慢性的な疲れが取れてスッキリと軽い。
狭い室内。粗末だけど隙間が空いていない板の壁。ベッドサイドに置かれた蝋燭と水差しを見るに、たぶん、村の偉い人の家かどこかだろう。
ユイトの向こう、ドアの横にはあの時の男性が立っていた。
身長は180cmくらいかな。ユイトが大きすぎて低く見えるけど、ドアと比べると高めの身長。
赤い髪を後ろで一つに縛り、尾っぽみたいに腰まで長く垂らしている。
瞳は涼やかなアイスブルー。でもキツめの目付きと右目の大きな傷が歴戦の戦士を思わせた。
黒いシャツに皮のジャケット。そして、腰に大きめの剣を下げている。
(あれで、巨人を倒してくれたんだーー)
寝起き姿もどうかと思って慌てて髪を撫でつけようとした私を、ユイトがぎゅっと抱きしめた。
「もう丸一日も寝ていたんだっ。二度と……起きないかと」
「えっ!? ま、丸一日も!? ごめんね……ユイト、心配かけて」
いつもは倒れても半日だし、まさかそんなに寝てたなんて思わなかった。
私も彼の体に手を回してゆっくりと背中を撫でる。温かくて、血の通った逞しい体、いつもの彼だ。
一瞬、あの時の肉の感触が過って、思わず指先に力が入った。
「いたいところ、無い?」
「オレはハルカのおかげで元気だ」
泣きそうな笑顔。守れて良かったと思うと同時に、自分の無力さを思い知る。
あの時、私は何もできなかった。逃がされる事しかできなくて。
ううん。それもできずに彼の気持ちを無駄にして、二人で殺されるところだった。
(それに、私は、あの時、村の人たちを――)
ゾクリと背筋に嫌な汗が落ちる。間違いなく、私はユイトを守るために、村ごとあの怪物を消し去ろうとした。
あの人が、助けてくれなければ。
ユイトから手を離してドアの横に寄りかかる姿に視線を移す。彼のアイスブルーの左目と視線が合った。
「どうした。ハートフルな家族劇場は終わったのか?」
(うわー。感じ悪っ!)
確かに待たせちゃったかもしれないけど、肩を竦めて馬鹿にしたように鼻を鳴らした彼は、お世辞にも良い人そうには見えない。
でも、助けてくれた人には間違いないんだよね……。
「えっと、先日は助けてもらって有難うございます。その、おケガは……」
「気にするな。俺は傭兵として魔物を狩りに来ただけだからな。目の方も古傷だ。……それよりお前、」
そう、何か聞きかけた彼を遮って、バタンッと激しく扉が開け放たれた。
「おおっ。目が覚めましたか! 私は村長のゴーチェと申します。先日は村の者が失礼をいたしました。この村を救っていただいて、一体何とお礼を言ったらよいか!」
飛び込んできたのは白髪交じりの髪の毛に白い口髭を蓄えた男性。服装もこの村に来てから見た人たちより、ほんの少しだけ小奇麗だ。私は慌てて頭を下げた。
「えっと、ベッドを貸していただいて有難うございます。お礼の方は私ではなく、ユイトとこの方に……」
「ええ、ええ。傭兵殿には既に謝礼を渡しております。っと……こちらは、獣人、ですかな? いや。貴方様のご要望とあらば、やぶさかではございません」
じろりと横眼でユイトを見て片眉を上げたけど、咄嗟に笑顔を取り繕ったのはさすが責任者って感じだ。彼は胸に手を当て、軽くユイトに会釈をした。私も、不承不承だとしても礼を尽くしてくれたならうるさく言うつもりはない。
(けど、この恭しいカンジ、なーんか嫌な予感!)
バイト先で社員さんから大型連休中の出勤を打診される時のあの雰囲気、それを十倍にしたみたい。
ご遠慮したい所だけど、狭い部屋の出口は村長さんが塞いでいる。話が長くなりそうだし、げんなりした気持ちベッドに座ると、村長さんはガバッと両手を組んで床に膝を付いた。
「恐れながら、お忍びでいらした神殿の神官様かと存じます! どうか、我らの村に今一度、『奇跡の御業』を!」
「ひ、人違いですッ!!!」
思わず強めに否定してしまった。とんでもない単語がポンポン出てきた気がする。お忍び……はそう見える服装かもしれないけど、神殿? 神官? 全く心当たりなんかない。
なのに村長さんは瞳孔が開いてるんじゃないかってくらいに見つめてくるし、おじいちゃん位の男性が目の前で跪いてるのもコワイっ。
「あの、立ってください。私はただの一般人で」
「……ハッ。あれだけ派手に治癒魔法を使って、一般人は無理があるだろう」
呆れた声で赤い髪の人が割り込んできた。二対一は分が悪い。助けを求めてユイトを見ると、なんとも微妙そうな顔。でも私、イル様に召喚されただけで、奇跡の御業なんて心当たりはない。
「いやいや! 本当なんです! 私、治癒魔法なんて使ったの初めてだし、神殿にも行ったことないし、自分でもなんで使えたのかサッパリで」
「なんと。しかし、あの輝きは正に高位の神官様にしか扱えぬ奇跡」
「あの。奇跡と言われても。魔法って……練習すれば誰でも使えるんですよね?」
「……まさか、知らないで使ったとでも言うのか? ……いや。それで、あの昏倒か?」
赤髪の彼は怪訝そうな表情。一人でぶつぶつ呟いて納得するのは止めてほしい。ジロリと非難がましい目で見つめると彼が溜息を吐いた。
「治癒魔法は適性を持つ人間が少ない魔法だ。確かに神殿外にいないとは言わないが、殆どの適性者は使える事が分かった時点で神殿に召集される。
……本当に、関係者ではないのか?」
「本当の本当に違います!」
「私としては神殿の方でなくとも構いません! この村には大勢の怪我人がいるのです!」
「ぁ……っ」
ーーようやく思い出した。
そうだ。私はあの時ユイトに魔法を使って怪我を治した。けど、その前に彼が避難させた子どもとお母さんは? 他にも怪我をしている人は沢山いた。過った光景にぶわりと汗が噴き出す。
「あ、あのっ、狼に噛まれた人たちは無事ですか!?」
途端、部屋に流れる沈黙。
あれ? 私、妙な事でも言ったかな。怪我した人、いたよね?
私だけ幻覚でも見てた?
自信が無くなってた時、ユイトがぼそりと呟いた。
「……ハルカがオレを魔法で治してくれた時、近くに避難させていた人間も、全て、怪我が治っていた」
「え!!!!?」
全く知らなかった情報!
三人を見回すと彼らは皆知っていたのか「何を今更」とでも言いたげで。私としてはあの時は必死だったし、ユイトしか見えてなかったんだから、周りまで気が回らなかったのは仕方ないと思う。
でも、あの時の人たちは皆治ったのになんでこんな必死に?
私の疑問が分かったのか村長さんが話を続けた。
「ここイベドニ村は王国の南端……黒の森に最も近い場所にあります。このような村など、高貴な方は魔獣への生贄か何かと思っているのでしょう。王都に何度嘆願をしても騎士の派遣はされず、度重なる獣の襲撃で村人の中に傷を負っておらぬ者などおりません」
そう言って立ち上がり服の裾をまくったそこには、お腹に抉れた痕のような生々しいピンクの皮が張っていた。息を呑む私に村長が服を元に戻す。
「……あのような魔物まで現れて、我々はもう終わりかと、そう思った時に、奇跡が起きたのです」
――奇跡って
たぶん、あの光だろうなっていうのは分かる。無我夢中だったし、魔力を振り絞ったからとんでもなく派手なことになってたんだろう。
イル様の力だから、奇跡と言われても間違いないのかもしれない。けど――
私はあの時、奇跡どころか、村もあの怪物と一緒に吹き飛ばそうとした。
誰も知らないかもしれないけど、私の中に、その罪悪感は今も澱のように残ってる。
「……ユイト」
「オレは、ハルカが良いなら構わない」
彼が頷く。被っていたマントも無くなっちゃったし、本当は、あまり長居させたい場所じゃない。
けど、できる事があるなら、私はあの時の私の選択の償いをしなきゃいけないと思う。それが、実際には起こらなかったとしても。
だから、何でもない事みたいに応えてくれる彼に甘える事にした。
その分、後でいっぱいお礼をしよう。
私は改めて村長さんに向き直る。
「……もう一回使えるのか分からない。使えたとしても上手くできるか分からない。それでも、皆さんが良いと言ってくれるなら、全力を尽くしたいと思います」
見つめる村長さんの目がまた大きく見開かれる。
髭をわなわなと震わせて、独り言のように言葉が漏れた。
「金の、瞳……」
「どうかしましたか?」
「い……いや、すみません。あまりにも嬉しかったので貴方様が神の御使いのように見えて。変な事を申しました」
金の、瞳?
振り返ってユイトを見ると、彼も私と同じように首を傾げた。赤髪の人も特に反応してる気配はない。この部屋には窓もあるし、私の目は焦げ茶だから、きっと光の加減でそう見えたんだろう。
村長さんは泣きそうなほどの笑顔だし、なんか心酔しちゃった感じでコワイ。
「ハルカ様、私は怪我をした村人を広場に集めて参ります。お食事は隣の部屋にご用意しておりますので、ごゆっくりなさってください」
「あ、ありがとうございます。なるべくすぐ向かえるようにしますので」
「ああ、本当に慈悲深いお言葉ッ」
「その扱いは止めて下さいっ!」
もう一度跪きそうになる村長さんを止めて、なんとかドアの外に押し出した。
はぁ、とドアに凭れて大きなため息。三人になった部屋の中でユイトが心配そうに眉を下げた。
「……起きたばかりで、体は大丈夫か?」
「うん。たっぷり寝たから逆に疲れが取れたよ。元気いっぱいって感じ。武器強化なら慣れてるし、緊急事態でもなければ、魔法を暴発させたりもしないはず!」
「おい、ちょっと待てッ。お前、そんなに魔法を暴発させてるのか!?」
今まで黙っていた赤髪さんが声を上げた。
そういえば、この人なんでずっといるんだろう。何か話がありそうだったけど。
「別に、毎回暴発させてる訳じゃないし。たまーにやっちゃうだけで」
「そうだ。ハルカは上手くなってる。以前より失敗の回数は減った」
「ボケ二人がっ。治癒魔法は繊細なんだぞ。土壇場で使えたというのも信じ難いが、そんな状態で本当に大丈夫なのか?」
「じゃあ、見捨てていけって言うの?」
「ぐ……そうじゃないが」
見た目はキツイけど、この人、もしかして結構お人よしなのかな?
さっきから態度は荒いけど、心配はしてくれてるみたいだし、魔法の事にも詳しそう。そういえば、戦った時もかなり強そうな魔法を使ってたなぁ。
私はニンマリと笑いかける。嫌な予感でもしたのか彼が一歩後退った。
「そんなに言うなら、詳しい赤髪さんが教えてくれれば良いんじゃないですか?」
「……赤髪と言うな。お前も大して変わらないだろう」
「私?」
「そうだ。この色で治癒魔法を? 本当にどうかしてる」
吐き捨てた彼はあからさまな不機嫌顔。
そういえば髪の色を変えたのを忘れてたけど、言われてみれば今の色はけっこう彼と似てる。
魔法に髪色なんて関係あるんだろうか?
「ねぇ、『赤髪さん』って呼ばれるのが嫌なら名前教えてよ」
「……アーディエント」
むっつりと腕を組んだ横柄な態度で彼は答えた。
あーでぃえんと。ユイトも「ゆーうぃと」だっけ。この世界の人の名前は発音が難しい。舌を噛んじゃいそうだ。
「んー、じゃあアディね。よろしくアディ先生」
「誰が略して良いと言った! しかも、手伝うなんて一言も」
「だって呼びづらいんだもん。そんなに私の暴発が心配なら手伝ってくれてもいいでしょ?」
「――……ハァ。まあ、良い。俺もお前のその力に興味がある。勝手にしろ」
たっっっぷりと考えた後、アディは不満たっぷりに、了承してくれた。
よし! 言質取った!
ユイトはあまり人間が好きじゃないせいか、珍しく眉間に皺が寄ってる。でも、いつもみたいに私が軽く体を寄せると、ぱっと顔が明るくなって尻尾が跳ねた。
一緒に過ごす時間が長くなるほど、二人の間にいつもの何かが増えていく。これって、すごく嬉しい事だよね!
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