15.大事な話<後編>
朝起きた時、既に彼はいなかった。
いつも通り簡単なスープを作って、ユイトの分を多めに残しておく。きっと二食分にはなる筈だ。
(ここが日本だったら、冷蔵庫に作り置きとか、してあげたかったな……)
そう思ってしまうんだから、やっぱり私はこの世界の人間にはなりきれない。
狩りの時と同じように、腰にベルトを下げてナイフを差す。どっちも彼が作ってくれた物だ。
向こうの世界から持ってきたカバンを肩にかけて、私物はこれだけ。
いや――
「……押し花」
思い出してベッドの下を覗き込んだ。
彼がくれた花。
ピンク色の灯火草は光を失って、クリアファイルの中で静かな顔をしている。
これを見ていると、貰ったあの日のこと、一緒にご飯を食べたこと、魔法の練習、狩り、色んなことを思い出す。
私は緩くなってきた鼻をズッと啜った。
(どうしよう)
持っていきたいけど、これを見ていると気持ちが弱くなりそうだ。
座り込んだまま迷っていたら、背後でーー
部屋の扉が、開いた。
「――ハルカ」
「ぁ、ユイト……」
今は会いたくなかった。
このまま顔を合わせずに出て行こうと思ったのに。
彼は既に準備を整えた私の格好を見て、何かを決意したような顔で、ぎゅっと拳を握りしめた。
「――……待ってくれ。やっぱり、オレも一緒に行く」
「え!?」
「昨日、ハルカが帰るって聞いてから考えてたんだ」
「で、でも……。私は、一緒に来てくれたら凄く心強いよ? けど、ユイトの家はここでしょう?」
「別に、ここは家なんかじゃない。オレに家は無い。森に入って……運よく灯火草を見つけた。だから、ここに居た。それだけだ。問題はない」
真剣な表情は嘘には見えない。
俯いて、拳を震わせて。
吐き捨てるように呟いた言葉は、むしろ、この森になんていたくなかったみたいで……
事情を知らない私は、返す言葉を見つけられなかった。
(……ああ、そっか)
私、何日も一緒に居たのに、彼がなんでここに住んでるのかなんて、一度も聞いたことがなかったんだ。
魔獣が多い、灯火草の傍でしか人が生きられない森。
人間は住んでない、そう、聞いていたのに。
彼は私の前に同じように座って――
そして、遠くを見るように、ポツリと呟いた。
「――ずっと、ハルカに言えなかった事がある。オレは、元……奴隷だ。町から逃げて、ここにきた」
「ッ! ……そん、な……っ!」
愕然として、声が掠れる。
予想もしない告白。
弱弱しい彼の声に血の気が引いた
――奴隷
まさか、ユイトが?
現代の平和な時代、平和な場所に生まれた私には、そんな人がいる可能性自体、想像すらついていなかった。
ユイトは綺麗で、何でもできて。
なのに、変に遠慮がちな所があって……。
頭の中でピースが一つ一つ繋がっていく。
彼が続ける。
「この国で、獣人は奴隷だ。それに、この黒い、髪も……マトモな仕事は見つけられない」
「もしかして、黒髪が……差別、されてるの?」
「そうだ。あの黒い魔獣のせいで。黒髪は呪われてる、そう、皆が信じてる」
(……だから、彼は、私を助けてくれたんだ)
もし、私が何も知らずに森を出ていたら……
そして、人が居る場所に、辿り着いてしまっていたら?
それは、ラッキーなんかじゃなくて……。
――まるで、地面が遠くなったような感覚。
ゾクりと、教科書でしか知らない光景が脳裏に過る。
「オレはここにいたかった訳じゃない。森から、出られなかったんだ。でも……ハルカ。ハルカは、出ない訳にはいかない。帰る家が、あるんだろ?」
「……うん。帰りたい。帰りたいよっ」
「なら、オレが守る。ハルカを無事に家まで送り届ける。奴隷として生まれたオレには家族がいない。親も見たことが無い。だから、ハルカが羨ましい。戻れる家があるなら……戻るべきだ」
その言葉に涙がぼろぼろと零れてくる。
ユイトは、やさしい。
優し過ぎるよっ。
私が彼の立ち場だったら、そんなこと、きっと言えない。
私は私の事でいっぱいいっぱいだったのに、ユイトは私の事を心配してくれた。
「ごめっ……ユイト。私、昨日、ひどいこといった。家族がいるから、なんて」
「ハルカっ。そんなことない。オレには親なんて元々いない。だから、欲しいとも思わない。どういうものか、分からない。でも……家族といる人間を、見たことがある。凄く、幸せそうに見えた。だから、オレは、ハルカにも幸せでいてほしい」
彼の指が私の涙を拭う。その手は温かくて、優しくて、言葉が胸にじんわりと沁みていく。
(こんなに思ってくれてるのに……私、何も返せてないっ)
ダメだ。そんなの!
私は鼻を啜って、涙を勢いよく袖で拭った。
そうだ、めげてなんていられない!
立ち上がって、彼に手を伸ばす。
「ーーなら私も、ユイトを守る!」
「!」
「私はユイトより強くない。けど、同じ黒髪なら、私たちは家族に見えるかもしれない。一緒に戦うよ。誰に何を言われたって、絶対にユイトの味方をするっ。だから二人で森を出よう!」
見上げる彼の目が、丸く見開かれる。
新緑色の瞳から、ぽろりと透明な水滴が頬を伝って落ちた。
「ユイト?」
「……ありがとう、ハルカ。そうだな、一緒に行こう。二人なら、大丈夫だ」
言って、彼は私の手を掴んだ。
温かい、大きな手。
私はその手をぎゅっと握り返す。
森の外は、魔獣がいるここよりも、ずっと怖い場所なのかもしれない。
――でも、一人じゃない。
私たちならきっと大丈夫!
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