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タイトル未定2024/11/18 17:52

『結婚目前で捨てられたけどおかげさまで幸せです』に出てくる、チャールズ・パーカー君のお話です。

「傷口を抉るなよ」

 

 夜更の酒場でカウンターに突っ伏したチャールズは、慰めの言葉を掛けられてイライラしていた。

 彼はこの日失恋し、もやもやした気持ちを持て余して飲んだくれているのである。

 まあまあ、と背中をさすって宥める手を払いのけて、チャールズは叫んだ。


「僕だってアイラの事が、学生の時から好きだったんだ!」


 チャールズ・パーカーは南岸地区行政省文書管理室に勤務する22歳、難関の文官採用試験に一発合格した秀才である。裕福な男爵家の次男で、いささか線は細いものの整った顔立ちをしており、さぞかし女性にモテるだろうと思いきや、少しばかり難のある性格のせいで今だに恋人がいない。そればかりか女性とお付き合いした事もない。

 そんなチャールズだったが、人並みに恋はしていた。学生時代の同級生で職場も同じの女性を密かに想っていたが、好意を伝える事も出来ないまま職場の上司に攫われてしまった。

 今日はその彼女と上司の結婚式で、チャールズは同僚として招かれていた。もちろん彼女には幸せになって欲しい。溶けそうに甘いふたりの姿を見て心が痛んだ。辛すぎる。

 彼は初めての失恋にやりきれなくなって、ふらふらと酒場に吸い寄せられて、そしてやけ酒を飲んでいたのだった。



 重い頭をやっとのことで持ち上げなんとか上半身を起こしたチャールズは、見覚えのない部屋に眉を顰めた。

 結婚式の後、ひとりで酒場に向かったのは覚えている。誰かと一緒になって、かなり飲んだ事も覚えている。その後は自宅へ帰らなかったのか?

 目覚めたのは見知らぬ部屋で、明らかに誰かの家のようだ。ここは一体どこなんだ?思い出そうとしているとドアがノックされた。


「あ、目が覚めた?スープ作ったんだけど飲める?二日酔いには効果覿面よ」


 そう言いながら入ってきたのは、化粧けの無い顔に、赤い髪を後ろでひとつに纏めた若い女だった。

 チャールズは慌てて掛け布団に潜り込み、ひとつ咳払いをすると、冷静を装って問いかけた。


「聞きたいことは山程あるが。まず、ここはどこだ?お前は誰だ?何故僕はここにいる?」

「まあまあ、まずはスープよ。貴方に必要なのは水分と栄養。話はそれからね!大丈夫、変な薬なんて入ってないわ。あ、もしかして毒見がいる感じ?」


 チャールズは、見知らぬ女を思い切り睨みつけた。怪しすぎる。もしやスープに何か良くないものが入っているのか?


「何が目的だ?お前、何者だっ!」

「パーカー男爵家のご子息に無事に帰っていただこうと思って」

「何故、僕の事を知っているんだ」

「貴方、自分で名乗ったのよ」


 女はスープをひと口掬って飲んだ。

「毒味はこれでいいかしら?新しいスプーンも用意してあるけれど、それも信用できないならこのまま下げるわね。落ち着いたらどうぞお帰りくださいね、パーカー男爵子息さま」

 

 部屋を出て行こうとした女にチャールズは慌てて声を掛けた。空腹に気がついたのだ。スープからは美味しそうな匂いが漂っていた。

「それは置いて行け。あんたが誰でどういう事情かは後で聞く」

 彼女の詮索は後にして、まずは腹ごしらえだ。昨日はまともに食べていなかった。

「美味い」

 チャールズは一気に平らげた。


*    


 この部屋の主はメリルと名乗った。昼間はドレスを作る工房で働き、夜はパブで給仕をしているらしい。

 昨夜、自分の勤めている酒場にチャールズが客としてやってきて酔っ払って、好きな女性を奪った上司への恨みをぶつぶつと呟いていたのだと聞かされて頭を抱えた。何たる失態だ。

 しかし酔い潰れた男を、この女が介抱して連れ帰ったのだろうか?

 ベッドから出て着替える際に財布や持ち物を確認したが、何も無くなってはいなかった。しかし後からぼったくられる可能性もある。それに全く覚えてはいないが、酔った勢いでこの女に不埒な行いをしてしまったかもしれない。

 覚えはないが確認はしなくてはならない。もし何かがあったとしたらどうする、どうすれば良い?

 女性との交際経験のないチャールズは真っ赤な顔で尋ねた。


「その、まさかと思うが……その……」


 チャールズの聞きたい事を察したメリルは明るく笑って否定した。


美人局(つつもたせ)を心配してるのね。ご心配なく。貴方をここまで運んだのはイーサンよ。覚えていないかしら、イーサン・ストレイン。昨夜一緒に飲んでいた相手よ。イーサンは途中で学校を辞めちゃったけど、パーカー様と同級生だったと言っていたわ」


 チャールズは朧げに昨夜の出来事を思い出した。

 ひとりで訪れた小さな酒場で声を掛けてきたのは、赤い髪をした朗らかな男で、学生時代の同級生だった。彼は途中で退学したのだが一緒に文官を目指した仲間だった。


「そうだ、イーサン・ストレインと飲んだ。で、あんたはストレインの恋人なのか?」


「やだぁ。イーサンは弟よ。もう仕事に行ったわ。港湾地区で船荷を積む仕事をしているの。

 パーカー様を背負って帰ったのも、ベッドに運んで服を脱がせたのもイーサンだから安心して」


 確かストレイン家は商会を経営していたのだが事故で両親が急死してしまい、相続のいざこざで親族と揉めてイーサンは学校を辞めたのだったなと、チャールズは思い出した。そうか、彼には姉がいたのか。


「昨日はイーサンの元同級生が結婚するからって、わたし達勝手にお祝いに行ったの。教会で新郎新婦を見たわ、とっても綺麗な花嫁さんだった。そういえばパーカー様の同級生でもあるのよね」


 いかにも彼らは同級生で、チャールズはその綺麗な花嫁に失恋したのだった。


「すまない。酔って醜態を晒して、その上世話になってしまった」

「いいのよ、イーサンの頼みだもの。失恋したら、そりゃ飲みたくもなるよね。ましてやあんなに綺麗な人だものね」

「な、な、なんで知ってる?」

「自分で叫んでいたわ」


 チャールズは真っ赤になって頭を抱えこんだ。恥ずかしすぎる。失恋したことも、その相手がイーサンも知っている同級生だという事も、全部知られていたとは。


 漸く気を取り直してお礼としてお金を渡そうとしたが、メリルは受け取ろうとしなかった。弟の友達から受け取れないと言って、微笑んだ。


 イーサンの姉だから年上の筈なのに、化粧をしていない素顔のメリルは、なんだか年齢より幼く儚げに見えた。口ぶりは下町娘を気取っているがその所作は優雅で、かつては令嬢教育を受けていた事が伺えた。

 メリルが淹れてくれたお茶は香り高く、随分良い茶葉を使っているんだなと感心していると、ドレス工房の顧客から貰った物らしい。


「両親が生きていた頃はまあまあ裕福だったから、わたしにも令嬢時代があったの。その頃教え込まれた刺繍の腕を活かして、ドレスに刺繍を入れる仕事をしているわ。それを気に入ってくださったお客様から頂いたとっておきの一品なのよ」


 女学校を卒業した年に父を亡くした、年子の弟は最後まで通う事が叶わなかったのが悔やまれる。今は父が残した借金を、姉弟で返しているのだとメリルは言った。


「若い女性にとって夜の酒場は危険だ、タチの悪い客もいるだろうし、絡まれたらどうするんだ。君は危機管理がまったく足りていない。そもそも弟の知り合いだからといって男と2人きりになるだなんて、一体何を考えているんだ」


 チャールズは酔い潰れて世話になった事も忘れて、メリルに説教を始めたのだが、そんな彼に嫌な顔もせずにメリルは柔らかく微笑んでいた。


「酒場の店主はもともと父の商会で働いていた人で、事情を知って給仕という名目で雇ってくれたの。実際は裏方で皿洗いをしているから、酔客に絡まれる事は滅多にないのよ」

「滅多にでもあっちゃ駄目だろう。なんでまた酒場なんかで仕事しているんだ」

「給金が良いの。借金を返す為には働かないといけないから」


 そう言われるとチャールズは黙るしかなかった。


「色々と心配してくれて嬉しいけど、パーカー様は貴族で紳士だから、わたしのような庶民に手を出すような事はしないでしょ「

「あ、いや、一般論としてだな……」

「だけど、これ程心配してもらったのは久しぶりで嬉しい。ありがとうございます」


 メリルは本当に嬉しそうに頬を赤らめた。チャールズはいつもの癖でお説教をしてしまった面倒臭い男だというのに、感謝までされてしまっていたたまれない気分だった。


「いや、僕も言い過ぎた。ともかく酔客と夜道には気をつけてくれ。南岸地区は治安が良いとはいえ、女性の一人歩きは危険だからな」

 

 照れるメリルにチャールズはちょっぴりドキドキした。何しろ彼は女性に免疫がない。その上、不必要な言葉を余計に喋って説教までして、相手に鬱陶しいと思われるのはよくある事なのだ。

 だが、彼女には誤解をされたくないなと、チャールズは思った。心配している気持ちが伝わるとよいのだが。


* 


 次のメリルの休みの日、チャールズは菓子と花束を持ってストレイン姉弟の住むアパートを訪れた。

 お礼をするのなら、花や菓子より現金のほうが良いだろうと思ったが、男爵家のメイド達によると女性にお礼をするのならまずはお花とお菓子だと言うので、と正直に話すチャールズに、メリルは呆れる事なく大変喜んで受け取ってくれた。


「お花なんて何時ぶりだろう」

「朴念仁にしては気の利いた贈り物じゃないか」


 イーサンはちょうど仕事に出かける前で、菓子の詰まったカゴの底に手荒れに効くクリームを見つけて、チャールズを揶揄った。

 チャールズはメリルをお礼の食事に誘うつもりだったのだが、はりきって料理を作ったので良かったら食べていきませんかとメリルに言われて少しばかり舞い上がった。あの時のスープはとても美味しかったのに、お礼も感想も言ってなかった事を後悔していた。


 家庭料理ばかりだというが、メリルの作ったものはどれも素朴で美味しかった。何より彼女は聞き上手だった。チャールズの自慢話や愚痴をふんふんと相槌を打ちながら聞いてくれたのだ。


「庶民の家庭の味だから、お口に合わなかったら正直に言ってくれたらいいわ」


 こういう時、気の利いた男なら、君の作る料理は全て美味しいと言うのだろうなと思うが、場数を踏んでいないので上手く言える自信がない。

「口に合わないわけじゃない。どちらかと言えば美味しい、と思う。うん、旨い」

「そう、良かったわ。パーカー様は嘘をつかない人だと思うから嬉しい感想よ」


 良かった。ちゃんと伝わったみたいだ。

 食事をしながらの会話は思いのほか楽しくて、チャールズは饒舌になっていた。


「済まない、つまらない話ばかりしてしまった。職場の同僚には、僕の話は嫌味と小言で出来ているって言われるんだ。何を話題にしたら良いのかわからなくて、女性からはつまらない男だと思われている」


「それが何か問題あるかしら?気が合う人もいれば、そうでない人もいるでしょう?相手に気に入られたくて自分を誤魔化して無理をしていたら、そんな上辺だけの人間関係は長続きしないわ」


 気がつけば、実家の男爵家は兄へと代替わりをするので、自分は平民になるのだという話までしていた。親は爵位のある家付きのお嬢さんとの縁談を勧めてくるが、どうもいまひとつ乗り気になれないのだ。

 とりあえず一度だけ会ったものの、自分の外見とか勤務先とかそんなものにしか興味がなさそうなご令嬢とは話す事もなくて、自分は結婚する気はないと、その場で本人に伝えたのだが、後で父親から叱られた。見合いには見合いの手順があってその場で本人に断るのはマナー違反なのだ。


「どんな女性が好みなの?」

「…そうだなあ、打てば響くような人、かな」

「まあ、貴族のお嬢様には余り見掛けないタイプかもしれないわね。

 いつかパーカー様の気持ちに寄り添うレディが現れるわ、大丈夫、パーカー様は素敵な人だから」


 目の前でにこにこと笑ってチャールズを応援してくれるメリル、彼女には恋人はいるのだろうか。

 強くて男らしくて、メリルの手料理を豪快に食べて旨い言って、それを聞いた彼女が頬を染める、そんな恋人がいるのだろうか?


「君は、その恋人は?」

チャールズはもぞもぞしながら尋ねた。そうだ、いくら弟の元同級生といっても、自分たちは未婚の男女なのだ。メリルに恋人がいるのなら誤解されてしまうのではないかと、今更だが心配になった。


「わたしは立派な行き遅れ。イーサンが結婚して甥や姪の世話をするのが楽しみなのよ」

「いないのか」

「そんな人がいてたらパーカー様を家に上げないんじゃないかしらね」

 明るく笑うメリルにその通りだなと頷いた。彼女の事をもっと知りたい、チャールズはそう思った。



 チャールズとストレイン姉弟の不思議な交流が始まって3ヶ月ほどが経った。週末にストレイン家を訪れて、イーサンが居なくても普通に上がり込んで、メリルの手料理をご馳走になるのだ。せめて食費だけでも受け取ってくれというチャールズに、誰かと一緒だと美味しくなるのだから遠慮しないでと、やんわり断られた。

 それならばと、珍しい菓子や高級な酒、肉などを持って行くが、それらは結局チャールズが口にする事になってしまうのでお礼の意味がない。


「弟がひとり増えただけですもの。チャールズ様は好き嫌いが多くて食が細いでしょう?もっと食べないと大きくなれないわよ。イーサンを見てごらんなさい、あの子ったら色気より食い気の男なのよ」

「僕は君の弟ではないし、大人だからこれ以上大きくはならないぞ」


 小さく抗議するがメリルにとっては弟扱いなんだなとチャールズはがっかりした。そして、残念に思う感情を慌てて打ち消した。


 そんな日々がさらに続いたある週末の事だった。いつものように持ち込んだワインでメリルの手料理をご馳走になったチャールズは、緊張で言葉が少なかった。一方メリルも何か心配事でもあるのか、心ここにあらずといった感じだ。それはそれで気になるが、今日は大事な話をしなければならないのだ。


「酒場の仕事は辞めないか?僕に心当たりがあるから、給金の良い働き口を紹介できる」

「嬉しいけれど、酒場の店主には本当に困っていた時にお世話になったから、急には辞められないわ」

「僕は…君に何か危険があるかもと考えたら耐えられないんだ。酒場は辞めて欲しいと思っている。

 借金返済は僕が肩代わりをする。返済はゆっくりしてくれたらいい。どうだろうか、考えてくれないか?」


 メリルはそっと目を伏せていたが、意を決したように口を開いた。

「そこまで親切にして貰う理由がないわ。気持ちは本当に嬉しいけれど」

「それならば」

「チャールズ様、貴方はもうここに来てはいけない。誤解する人がいるかもしれない。現に、わたしがパーカー様の囲い者だと言う人がいるの。だからもう来てはいけないわ」


 突然の言葉に動揺するチャールズは、帰って、さよならと有無を言わさず玄関まで追い立てられた。そして、メリルの泣きそうな顔を初めて見て言葉を失った。何もかも飲み込んでしまったかのように、いつも笑顔のメリルしか知らなかった。


 鼻先で閉じられた扉の向こうでは、メリルが啜り泣く声が響いていた。

 

 

 メリルと会えない日がひと月以上続いて、流石にチャールズは自覚していた。これは紛れもなく恋である、自分はメリルが好きなのだ。

 そして、もう来るなと言われてもそれくらいで諦める男ではなかった。何しろ、難関の文官試験突破のために寝る間を惜しんで勉強した根性の持ち主なのだ。

 何とかメリルの役に立ちたいと、彼ら姉弟が背負い込むことになった借金について調べたのである。


 どうにも胡散くさい話だった。ストレイン商会は無借金の堅実経営で知られていたのに、父親が親戚から借金をするなど考えられない事だった。しかもその返済が出来なくて、代わりに商会の権利を奪われただけではなく、新たに出てきた借用書が今も残る借金の理由だった。怪しい事この上ないではないか。

 なぜ当時彼らを助ける大人がいなかったのだろう。なぜイーサンは自分に相談してくれなかったんだろうか。男爵家が動いたら何とかなったかもしれないのに。

 いや、駄目だ。家の力なんか使っていたらメリルと対等にはなれない、彼らは彼らの矜持でもって今の生活を受け入れたのだ。だから己自身の力で全てを暴かないといけない。幸いな事に文官として築き上げた信用と、自分には才覚がある。

 もしかしたら借金のカタにメリルが売り飛ばされていたかもしれないと考えると、チャールズは怒りが込み上げて来て、ストレイン家を騙して陥れた親戚とやらを徹底的に潰してやると決心した。


 証拠を揃えて後は訴訟を起こすだけになり、チャールズは2ヶ月ぶりにストレイン家を訪ねた。しばらくメリルに会っていなかったが、漸く彼女に会えるのだ。

 ところがチャールズを出迎えたのはイーサンだった。


「やあ、イーサン喜んでくれ、これで君達の商会を取り戻せるぞ。借用証は偽造だった。証拠も集めてある。訴えれば必ず勝てる。

 ん、なんだ?具合でも悪いのか?それよりメリルはどこだ?いつ帰ってくる。早く伝えたいんだ」


 イーサンは不機嫌な顔のままで答えた。


「姉さんは居ない。しばらく帰ってこない。もしかしたら一生帰って来ないかもな」

「どういう事だ?一体どこへ行ったんだ?」

「なんでお前に言わなきゃいけないんだ?姉さんは失恋したんだよ。好きな男は見合いして結婚するんだもんな」


 チャールズが怪訝な顔をしていると、イーサンは不機嫌さが更に増した顔で吐き出した。


「お前の婚約者だって女がやってきて、金目当てで近づいたのかって姉さんを罵倒したんだよっ!」


 チャールズはわけがわからなかった。婚約者なんていないし、見合い相手にはその場で断った筈だ。


「お前、子爵家に婿入りするんだってな。今後一切関わるなと言われたんだ。

 こんな貧乏人のところに来ていていいのかよ?出てってくれよ!」


 なんていう事だ、あの見合い相手がそんな暴挙に出るとは想像もしていなかった。チャールズは真っ青になった。そこへイーサンの言葉が突き刺さる。


「うちに上がり込んで姉さんの心をもて遊びやがって!」

「待てよ!僕は婚約などしていない。その女が勝手に言っているだけだ。メリルは勘違いしているんだ。

 僕はストレイン家が詐欺にあったと確信したから証拠を集めていた。それで…メリルに喜んでもらって……」


 それでどうしたかったんだ、自分は?

 商会を取り返して僕はメリルと一緒に喜んで、それから?

 

「気持ちってのは言葉にしないと伝わらないんだよ。

俺たちは、父さんが死んだ時に、信じていた親戚から裏切られた。挙句に姉さんは婚約破棄されちまったんだ。結婚が決まってたのに。

 お前に手料理を振る舞ったのは、学校を途中で退学しなくちゃならなかった俺が、友達と会って学生時代に戻ったような気持ちになれば良いという気持ちだったんだ。

 それがそのうち、お前がやって来るのを待ち侘びるようになってた」


 チャールズはいつ来ても嬉しそうに迎えてくれた、メリルの笑顔を思い浮かべていた。


「借金のある平民の家に来るのは嫌だろうけど、友人の家に来るのならお前が気を遣わなくて済むだろうって。それをあの女、汚らしい金目当ての泥棒猫だって言ったんだ!

 姉さんがどんな気持ちでその言葉を聞いたかお前にわかるかっ!」


 チャールズは呆然と立ち尽くした。



 間に合ってくれ!息が上がり足が縺れる。今までの人生でこれほど焦り必死になった事が無いくらいに走った。


 なんとかイーサンから聞き出せたのは、メリルの刺繍を大層気に入った遠方の工房主が、破格の待遇でメリルを引き抜いたのだと言う。しかも工房主がメリルにぞっこんらしい。

「今日明日あたり出航するんだ。確か午後の……」 

 イーサンの言葉に我を取り戻したチャールズは、最後まで聞かずに部屋を飛び出したのだった。


 港湾地区から出航する船は貨物船がほとんどで、どれも似たような暗い色味の船ばかりだ。

 メリルが乗る船は客船なのだとしたら、あそこだ!

チャールズは息を切らしながら走った。


 いた!漸く探し求めていたメリルを視界に捉えたチャールズはあらん限りの声を振り絞って叫んだ。


「メリル!行くなっ!」


 チャールズの必死の声に、メリルと一緒にいたシルクハットの男が振り返った。声の主の見知らぬ若い男に、はて?と首を傾げて、知り合いか?と尋ねているようだ。

 メリルが頷いて、チャールズに向かって歩いてきた。


「何か御用でしょうか?」 

「メリル……」

「用が無いのでしたら失礼いたします」


 踵を返したメリルの手を掴んだ、そしてゆっくりと引き寄せる。


「行くな、いや違う、行かないでくれ」


 怪訝な顔でメリルが問い返す。

「パーカー様に近寄るなと言われました。離してください」


 早口で言うとメリルは顔を背けた。チャールズを見たら泣いてしまいそうなのだ。


「君はそいつと一緒に行くのか?」


「は?」


「メリル、君はあいつの嫁?それとも愛人になって、僕から離れていくのだろう?そんなの絶対に許さない。僕以外の誰が、君を幸せに出来るって言うんだ!

 メリル、僕は君が好きなんだ、愛してるいるんだ!僕は君を大事にする、一生大事にする。だから結婚してくれ!」


 メリルの手を掴んだチャールズは、周囲に人が集まっているのに気がついていない。そして、シルクハットの紳士は面白そうに彼らを見守っていた。


「僕は行政省の若手有望株で、将来は中央官庁で働く予定のエリートだ。実家は使い道に困るほど金がある。それに僕自身もちゃんと貯金もしていて無駄違いはしない。酒は多少は嗜むが、博打も女遊びもしない、興味がないからな!

 あ、いや、興味があるのはメリルひとりだけだ。

君を目にすると胸が苦しくて息が出来なくなって、触れたくて堪らなくなるんだ」


 チャールズは、空いた方の手で胸を押さえた。


「パーカー様!大丈夫ですか?」

「ああ、メリル。お願いだ。以前のようにチャールズと呼んでくれ。

 その前に結婚の返事をくれ。返事はイエスの一択しかないぞ」

 

「わたしでいいの?婚約者の方は?」

「あれはあっちの勝手な思い込み、メリルに対する非礼はきっちり抗議させて貰うから安心してくれ、で返事は?」

「そんなの、決まってる。もちろんイエスよ!」


 周囲のギャラリーから歓声があがる。シルクハットの紳士も拍手をしていた。抱き合うふたりに、祝福の声が掛けられた。

 ほっとして力が抜けたチャールズが後から聞かされたのは、メリルは短期契約で遠方の工房へ行って刺繍を指導する予定だった。


「だから来月には戻ってくるの。あの方は工房主で妻帯者だよ。わたしの刺繍の才能を高く評価してくれているの」

「あー、イーサンの奴……」


 メリルの()()にぞっこんなのかよと、チャールズは脱力してしまった。



 何とも情熱的な求婚は、その日のうちに南岸地区行政省で働く人たちにも伝わった。何しろあの小言が多くて何かと嫌味だと評判のチャールズが、人前で愛の告白したと言うのだから大事件だ。しかも相手は騙されて没落したストレイン商会の娘で、チャールズは不正を暴いて騙した奴らに厳しい制裁を与えた立役者なのだ。


「チャールズが結婚!しかもお相手はイーサンのお姉さんって、もう驚きしかないわ。おめでとう!お幸せにね」


 声の主は同僚のアイラだ。彼女のお腹は少し大きくなっていて、過保護な夫の配慮で早めの産休に入る予定だ。


「ねえ、知り合ったきっかけって何なのよ?イーサンから紹介されたの?」

「きっかけは、君だな」

 チャールズは笑った。いや、君に失恋したからメリルに出会えたんだよ、秘密だけどね。


「ありがとう、アイラ」


 なんだかよくわからないが、同級生で同期の、この不器用な男が幸せになればそれで良いと、アイラは我が事のように嬉しく思った。


 








お読みいただきありがとうございます。


チャールズ・パーカー : 22歳 南岸地区行政省のエリート文官

イーサン・ストレイン : 22歳 チャールズの元同級生。赤毛の陽気な男。港湾地区で働いている。

メリル・ストレイン : 23歳 イーサンの姉。刺繍の仕事と酒場の皿洗いを掛け持ち。

どこぞの子爵令嬢 : チャールズの見合い相手。

アイラ・マクレーン : チャールズの同僚




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