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戦国に生きる ー魏国興亡史ー  作者: 野沢直樹
第一部

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桂陵

挿絵(By みてみん)



古之大化者、乃與無形俱生。反以觀往、覆以驗來。反以知古、覆以知今。反以知彼、覆以知此。動靜虛實之理不合於今、反古而求之。事有反而得覆者、聖人之意也、不可不察。

(いにしえの聖人は、無形とともに生きた。『反』をもって今までを見ることで、その『覆』でこれからのことを考えた。『反』をもって過去を知り、『覆』をもって今を知った。『反』をもって彼を知り、その『覆』から己を知った。現在の動静虚実が理に合わないと感じれば、過去に『反』してその答えを求めた。『事』の解決のためには『反』して『覆』を求めることが、聖人の姿勢である。ぜひ知っておくべきである……「鬼谷子」反応第二)


 鬼谷は、「問いかけ・働きかけ」のことを「反」と自らの著書の中で称する。それに対する「応答や反応」を「覆」と称した。働きかけがあれば反応があるのは自然の摂理であり、それを「無形」と称したのである。


 物事には順序というものがあり、それを正しく知ることが重要なのだと鬼谷は説く。原因と結果を正しく知るためには、自らが働きかける(反)ことが要件であり、無作為の状態ではいずれも得られないのだ。


 しかし実社会では、物事の原因は複雑に入り交じっており、その反作用も多岐にわたるものである。ゆえにひとつひとつを正しく把握しておかなければ、求める結果は決して得られない。


 邯鄲を占拠した魏軍は、作戦の成功を確信していた。龐涓にしても、すでに公叔痤が死んだという事実こそ知らなかったが、その遺志を成就させたという思いで満足したに違いない。古くからの大都市である邯鄲を支配することは、それだけ彼らにとって意味のあることであった。しかし覇権を強化しようとする魏を、他国がそのまま指をくわえて眺めているなどあり得ない。斉はこれに挑戦することで、自らがそれに取って代わろうとした。孫臏はその軍事を司り、ついに龐涓と直接勝負することになる。ふたりの諍いが、大陸の行く末を大きく左右しようとしているのだった。



 占拠した邯鄲の宮殿には、逃げ遅れた侍従や女官たちが多くいる。龐涓は後々のことを考え、彼らを懐柔しようとした。兵たちが彼らに狼藉を与えることを禁止し、女官に淫らな行為をすれば厳重な処罰を与えると宣言した。高潔な判断のように見えるが、これも占領政策の一環なのである。龐涓にとってこれは、魏が長くこの地を支配するための策なのであった。道徳的な判断というよりも、採らざるを得ない戦略なのである。


「しかし我々は、ここに宮殿があることを必要としていない。言いたくはないが、あの者たちがいるおかげで、軍糧の負担がかさむ。このままだと将軍が濮陽から調達してきた資源を食い尽くしてしまうかもしれない」


 太子申はこの点に神経質である。戦場での指揮能力より、彼は軍政の方に能力を発揮するようで、その点では龐涓と組むと均衡がとれて丁度よいのである。次代の統治者として魏公から期待されているのも頷ける話であった。


「抱えきれないのだから、体よく放逐した方がよいだろう。彼らのもとに兵が集まって、将来的に敵の中核となるようなこともあるまい。鉅鹿の趙侯のもとに向かわせよう」


「太子がそれでよろしいのであれば」


 異存はない、と龐涓は言う。確かに彼らがいれば、近く来襲するであろう斉軍との戦いにおいて、邪魔となるかもしれなかった。


「斉が来る前に処理していただきたく思います。ひとたび戦闘となると、今度は城を守る戦いになるため、籠城戦も覚悟しなければなりません。そうなると余分な人数は……太子の仰るとおり抱えきれないでしょう」


「ではそうしよう。……ところで斉のことだが、奴らは趙から救援の依頼が届く前に行動を開始していた。我々が邯鄲を抜いたことを知れば、一度撃退したとはいえ、黙ってはおるまい。近いうちに何らかの行動を起こすだろう」


「はい」


「将軍は奴らの行動を、どう予測するか」


 龐涓はいろいろと考えを巡らせてみたが、最終的にはこの邯鄲で戦うことになるだろうと結論づけた。斉にとって趙を救うというのは名目であり、その目的が魏の強大化を阻止するためであるのは明らかである。


 そうであれば、邯鄲の守りを固めるだけであろう。しかし、なんらかの奇計があるかもしれないと感じた。


「もし、斉が何かを仕掛けてきたとしても、太子は絶対にここを動かず、守りを固めてください。邯鄲城外で斉が気になる行動をすれば、すべて私が配下の兵を用いて対処いたします。私が城外に出れば、包囲を試みる斉軍を挟み撃ちにすることも可能となります」


「いずれにしても、何か動きがあってから、ということになるな。長く包囲戦が続いた。結局四か月ほどかかってしまったぞ。既に年が明けたことだし、兵たちには交代で休息を与えたいと思うのだが」


「休ませるのであれば、今が最良の頃合いでしょう。士気を高めるためにもそれが良いと思います。ただし滞りなく付近の警戒をするべきでしょう」


 龐涓はそう言ったが、結局城内の兵士たちは、破壊された城壁の修復と、周囲への警戒を自分たちでしなければならないのである。彼はそれをおざなりにするなと言うのだった。


 ごく短期間の平和な日々を過ごした彼らのもとに、それが本当の意味でごく短期間であったことを思い知らされる知らせが届いた。太子が休息を命じた五日後のことである。


「斉軍が動いただと? ここに向かってくるのか。到着は何日後か」


 太子に重ねていくつもの質問をされた伝令は、そのすべてを否定する返答をした。


「斉軍はすでに動いており、しかも目的地はここ邯鄲ではありません。従って到着することもなく……」


「では、どこに向かっているのか」


「大梁です」


 その返答に太子は言葉を失った。彼は龐涓を顧みて、どうするべきかを目で問うた。


 龐涓は答える。


「いま大梁にはまともに軍隊と呼べる組織がありません。ここは私が一部の兵を率いて急行するとしましょう。途中で濮陽に残してきた守備兵を吸収して、斉軍と対峙します」


「間に合うのか」


「正直に申せば、わかりません。だが、言ってみれば、これは誘い出しの策です。つまり斉軍は、この策をもって魏を邯鄲から引き剥がそうとしている……しかしそうはいきません。太子はここにお残りになって、これまで通り防備を固めてください。斉軍には、私が対応します」


「だがそれでは将軍が少数の兵で敵と戦わねばならなくなる。伝令、斉の兵数はどれくらいだ」


「八万から九万ほどだと言われています」


 伝令の返答に、さすがに龐涓も覚悟を決めざるを得ない気持ちになった。龐涓が自分の兵を率い、途中で濮陽に残してきた兵をあわせたとしても、せいぜい二万から三万ほどしか用意できない。敵はおよそ三倍であり、いくら魏軍の質が高くても不安は拭えないであろう。


「敵の指揮官は誰か」


 太子申は使者に改めて問うた。その返答は龐涓にとって重いものであった。


「田忌と称する将軍を、両脚のない軍師が支えていると言われております。軍師は自らを孫臏と称しているとか……」


「…………」


 ついに来たのだ。奴が来た。やはり殺しておくべきだった……自分の中途半端な処置が国を危機に陥れている。龐涓はそう感じざるを得なかった。つくづく自らの行為を後悔した龐涓であった。


 しかし何を考えてももう遅い。前回殺せなかったのであれば、次に会ったとき殺すまでだ、と非情な決意をするに至った。公主娟がここにいれば、激しく諫められていたことだろう。しかしそれによって決意を揺るがされることはない、とも龐涓は思った。




「繰り返すようですが、太子は決してここを動かないようにしてください。たとえ私の身がどうなろうとも、邯鄲は死守してくださいますようお願いします」


 龐涓は考えた。斉が企図しているのは邯鄲の開放だろう、と。しかし孫臏は自分をおびき出して対決することを欲しており、そこに付け入る隙があるのではないか……。つまり自分が戦場で孫臏に敗れたとしても、邯鄲を維持しさえすれば、その意図を妨げることが可能だ、というのである。まして斉を返り討ちにすることができれば……。


「欲張りすぎというものだな。ここは我が身よりも邯鄲の維持を優先するべきだろう」


 この種の判断をいともあっさり下すところが、龐涓らしさであった。


 しかしこれも彼の意地なのかもしれない。大梁には許嫁(いいなずけ)の如公主娟がおり、息子同様に愛情を注いでいる旦がいた。また、彼はこの時点で敬愛する公叔痤の死を知らない。邯鄲うんぬんより、大梁を救うことが本音であったとも思われる。


 いずれにしても、龐涓に採るべき道はほかにない。ここは自分が遠征し、容易に邯鄲を放棄する姿勢を見せるべきではなかった。


 彼は部下を引き連れ、大梁へ向けて出発した。


 旦は臨淄の城内で、斉軍の主力が歴下(れきか)に集結しており、そこから出撃したとの情報を得た。軍から宮殿へ早馬が走り、その口伝の内容が人々の耳に入った、というところである。もちろん、市井の人々はこれについて好き勝手な論評を加えるものであり、ある人は放っておけばよいのに、と言い、またある人は魏軍を成敗せよ、などと言う。しかし最終的に彼らが求めるものはひとつだけであった。


 放っておけという人は、魏や趙は争っている間に国力を浪費し、やがては斉に覇権が転がり込むと考えている。魏を成敗せよという人は、現在覇権を握っている魏を痛めつけることで、斉にそれが転がり込むと考えている。つまり、臨淄の人々はいずれ自分たちが覇権を握ることをみな一様に信じているのであった。不思議なことである。


「魏はやっぱり覇権を失うことになるのかしら。ここの人たちは、みんな野心を隠さないように見えるわ」


 娟は不安を抱いたのか、思わずそのような言葉を口にした。


「実際に覇権を握ったとして、その土地に住む人たちが得るものは少ないでしょう。急に農地が改善されて収穫が格段に増える、そんなことはあり得ません。ただ、有為な人々が集結するようになって、その結果政治がよくなることはあるかもしれません。この国の宰相は……確か成侯とか呼ばれている人ですが、その方面に熱心なようです。民衆が期待を隠さないのも、その政策によるものなのでしょう。どうにかしてこの人物に近づきたいのですが……」


「宰相にいきなり接触なんて、とても無理ね。大夫や大臣の中で、その人と懇意な人を探して……」


「既に軍が動き出したということも気になります。将軍の身にもしものことがあれば、僕らがこうして臨淄まで来たことも無駄になってしまいます。急がなければなりません」


「さっそく成侯派の近臣を探して、実際に会ってみましょうよ」


 成侯とは言うまでもないが鄒忌のことである。旦と娟は、非戦派を説き落とすことで龐涓を戦地から呼び戻そうとしていたのだった。



 孫臏は田忌とともに、大梁への途上にあった。幌付きの特別あつらえの馬車に乗りながら戦略を練っていたが、途中何度か軍を止めた。彼はひとりで小用を足すことができなかったのである。彼をそのような姿にしたのは、ほかでもない龐涓であった。


——やっと、恨みが晴らせる。


 孫臏がそのように思ったかどうかは定かではない。しかし、彼の周囲にいる者たちは、彼がそう思っているだろうことを確信していた。


「大梁などは、実のところどうでもよいのです。むろん入城できるならそれに越したことはありませんが」


 小用を足したあと、その場に虹が架かったことを気にもせず、孫臏は田忌に語りはじめた。


「すると、やはり孫先生の狙いは、龐涓を討ち取ることか」


 田忌の表情は常より厳つい。孫臏の言葉よりも、介添えされて小便をしたばかりの男が偉そうに物事を語ることに嫌悪感を抱いたかのようであった。しかし田忌としては、この男を頼るしかない。


「まさしく。ですが今回は彼の命を奪おうとまでは思っていません。できれば生け捕りにして虜囚の憂き目を味わわせてやりたい、と考えています」


「追い詰めすぎると、自害することもあり得る。どうやって龐涓を捕虜とするつもりか。それ以前の問題として、魏軍は強い。今回は彼らが遠く邯鄲から昼夜兼行で駆けつけてくる形となるから、体力の面では我が軍が有利だが……破ることは難しいぞ」


 この点に関しては、孫臏も以前から指摘していたとおりである。しかし彼はこのとき自信に満ちた表情を見せた。


「以前私は、いくつか勝利のための策を将軍にお授けしましたが、覚えておりますかな? 今回は〝譲威〟の策を採らせていただきます」


「譲威とは……確か味方が少なく、敵が強大なときに採るべき策であったな。伏兵を忍ばせるのか」


 もともと敵に比して兵数が少ないとされる斉軍である。詭計が必要だとは田忌も考えていたが……。


「邯鄲から大梁までの道筋の各所に伏兵を忍ばせ、魏軍の側面を突きます。何重にもこれを配置し、龐涓が大梁に着くころにはその身ひとつ、という状況に追い込めれば理想的ですな」


 兵の少ない側があえてその兵力を分散させて敵を迎え撃つ、というのである、作戦の内容を聞いただけでは、田忌に勝利の確信は生まれなかった。


「確かに成功するのかどうか、わしが知りたいのはそれだけだ」


「間違いありません。必ずや、龐涓を目前に跪かせてみせます」


 孫臏は八万の兵を分散させ、濮陽以南の各地にそれを配置した。これが成功すれば、魏軍は進むたびに兵力を削ぎ落とされ、最後にはごく僅かな部隊が残るだけのはずであった。田忌は、もはや孫臏にすべてを任すしかないと観念したように頷いた。



 龐涓は文字通り昼夜兼行で軍を進め、濮陽に達した。ここで駐屯する一万の兵を吸収して、彼の軍は三万五千となった。しかしこの時点で濮陽の占拠を魏が放棄した形となり、衛の宮殿は濮陽へ戻された。つまり孫臏の策は、趙よりも先に衛を救ったことになる。しかも、実際には斉軍の方が魏軍の倍以上の兵数であることが明らかとなった。しかし、龐涓はまだそのことを知らない。


「邯鄲の占拠が目的通りに達せられたいま、濮陽の存在は我々にとって重要なことではない」


 龐涓は濮陽を出発する際に、その防衛を任務としていた兵たちに向けて説明した。ひとつの任務が終わり、新たな任務に邁進せよという彼の強い意志が示されたのである。


「おそらく大梁に至るまで、いくつか戦闘を重ねなければならないだろう。道中、気を許すな」


 その龐涓の言葉の通り、濮陽から出て間もなく、山中に身を隠した一軍が現れた。その数はおよそ一万、龐涓の予測するところでは、このような規模の軍が各所に配置されており、少しずつ勢力を削り取っていくつもりだ、というものであった。


 不利な状況にありながら、龐涓は孫臏の思惑を正確に把握していた。


「残さず討ち取れ。一兵たりとも逃すな」


 横腹をつかれたような形となった魏軍であったが、対応力と精強さは魏が斉を上回る。一撃して離脱しようとする斉軍の意志を龐涓は無視し、徹底した掃討を部下に命じた。その過程で百名ほどの死者を出したが、いっぽうの斉軍は八千五百名もの兵を失ったのである。


 報告を受けた孫臏は珍しく驚きをあらわにした。


「ほぼ全滅したというのか。千五百名しか残っていないとは」


 その顔色は青ざめ、額には汗が浮かんだという。この調子で戦闘が続けば、先に全滅するのは斉軍の側である。それを思うと、彼は目眩を覚えた。


「ですが、魏軍の兵数はさほど多くありません。龐涓が率いる兵数は三万を超える程度であったとの報告があります」


 孫臏は救われた思いを抱き、伝令を問いただした。


「確かか」


「戦場を辛うじて脱した使者の言上ですが、その者は既に死にましたのでそれ以上のことはわかりませぬ」


 孫臏は山中に四段の陣を敷き、それぞれに八千から一万二千の兵を配置していた。このとき最初の戦端が開かれたわけだが、報告を残した兵は次の陣へ駆け込んだらしく、その後命を落としたのだという。しかし、このことによって孫臏は魏軍の状況を把握しやすくなった。


「将軍、残念ながら魏軍は邯鄲に半数以上の兵力を残しているようです。つまり、龐涓は半数以下の部隊で、我らと対峙しようとしていることになります」


 田忌はこの孫臏の発言を要約するすような口ぶりで論評を下した。


「では、ここで我々が龐涓と戦っても、邯鄲を開放することはできないということか」


 孫臏が重々しく頷いた一方で、怒りをあらわにした者がいる。趙国の使者、李曇であった。


「話が違うではないか!」


 彼としては自国の命運がかかった問題であり、顔を紅潮させてまで興奮するのも無理はない。しかし田忌や孫臏はまともに取り合おうとしなかった。


「まだ龐涓を生け捕る可能性は大きく残されている。我が軍は四万の軍を前方に配置しているが、本隊にはさらに四万の備えがある。龐涓は我々の本隊と対峙するまでに兵力を削がれ、我が方が優位に立つことは明らかだ。兵数が均衡していれば、通常ならば魏が有利であるが、奴らは連戦を重ね、なおかつ長駆することで体力を大きく損なう。我々が最後には勝つのだ」


 うるさく騒ごうとする李曇を手で払おうとするように、孫臏は説明した。しかし李曇は反論する。


「龐涓を破ればそれでよいというわけではなかろう。私が聞きたいのは、邯鄲がどうなるかだ」


「魏の主力はあくまで龐涓であり、やつが率いる軍こそが重要である。龐涓を捕らえてしまえば、いま邯鄲に駐屯する部隊など気に病む必要もあるまい。いずれ武力で奪い返すことも可能だが、龐涓を捕らえておけば、その身柄と引き換えに邯鄲を開放する交渉も可能かもしれぬ」


「いくら龐涓が勇将だとは言っても、ひとつの国の都と同等ということもあるまい。やはり軍師どのは邯鄲のことよりも龐涓に恨みを晴らすことで頭がいっぱいなのだ」


 李曇の言葉に怒気を示した孫臏だったが、思い直したかのように言い放った。


「だとしたら不満か。では我が軍は作戦を中止して撤退するぞ。そうなれば邯鄲は永久に救われぬ。それでもよいのか」


 李曇は従うしかなかった。だが、結局孫臏は李曇の放った言葉を否定することはなかったのである。



 龐涓の軍は損失を免れなかったが、敵の損失の方が多いという事実に士気は向上している。彼らは進軍速度を上げ、戦いのあとも休まずに南下していた。李曇と孫臏が言い争いをしていたそのときには、すでに斉の第二陣が潜む地点に到達している。


 弩から放たれる矢が、彼らの行く手を塞いだ。やや遠方からの攻撃ということだろう。龐涓はその矢が草木の影から発射されることを確認すると、部下に火矢で応戦するよう命じ、敵が潜む草むらを焼き払った。たまらず姿を現した敵を狙い撃ちしたうえで、相手が怯んだところに槍撃隊を突進させた。


 ここでも龐涓は味方の損失を上回る打撃を敵に与え、その指揮能力の高さを示した。このとき斉軍の死者は六千余名、対して魏軍の死者は三十名を下回ったという。


 度重なる敵の出現に、龐涓はこの先にも多くの敵が潜んでいるに違いないと察し、数名を偵察に出した。その情報が得られるまで、やや進軍速度を落としたのだった。


「ここで慎重姿勢をとると、それこそ孫臏の思惑にはまったかのように見えるかもしれない。だが、いまは我々より斉側の方が慎重にならざるを得ない状況だろう。彼らは今ごろ気付いている……二度、草むらに兵を忍ばせて我々を奇襲したが、通用しなかった。三度目を試しても同じことだろう。よって、次は何か新たな仕掛けを施してくるに違いない」


 しかし部下の中には、疑問を呈する者もいた。


「ここで我々が速度を落としてしまっては、大梁が危機に陥り、陥落の憂き目をみるのではないですか?」


 その疑問に対して、龐涓はさらりと答えた。


「もし本当に彼らが大梁を攻めたいと思うのであれば、我らの存在などに構わずに大梁へ突入すればよいのだ。しかし、今のところ彼らはその構えを見せているだけで、実際にやっていることといえば、我々を迎撃することばかりだ。孫臏は、よほど私と戦いたいのだろう。それとも、捕らえたいのか……」


「将軍は斉の軍師である孫臏とは因縁の仲だと伺いましたが……」


 因縁と言われれば確かにそうであろう。共に鬼谷先生のもとにあったときには、こうまでお互いの関係がこじれることなど、双方想像していなかったに違いない。孫臏は龐涓を見下し、龐涓は孫臏を目障りだと考えていたが、先に暴力的な手段に訴えたのは龐涓の方であった。いまの魏と斉との抗争は、極端な話をすると龐涓の行動にこそ原因がある。


「なぜ殺さなかったか……」


 今さら遅いと知りつつも、かえすがえすそう思う龐涓であった。しかし、いま彼が実感していることは、孫臏の兵法などたいしたことはない、という事実である。夢中で邯鄲を攻めていた隙に大梁が危機に陥ったことは、確かに不意を突かれた。ただしその目的を成就させないために、こうして自分は奮戦し、今のところそれが成功しそうなのである。彼は今度こそ、孫臏の鼻を明かしてやるつもりであった。


 やがて偵察の者からの報告がもたらされた。


「進軍方向に撒き菱が置かれております。かなりの広範囲で、撤去するには相当の時間がかかるかと……」


 ついに孫臏は本気で仕掛けてきた。



「さて、どうするかだ」


 撒き菱を撤去するのはよいが、その間に敵は攻撃を仕掛けてくるだろう。迂回して進むにしても、敵はその迂回路を予測して待ち受けているに違いない。


「斉軍の潜んでいる場所を特定できないか」


「進軍方向に向かって右側の山中に潜んでいるらしいのですが、いくつかの分隊に分かれている模様です。一挙に覆滅するのはおそらく不可能かと思われます」


 部下の報告に龐涓はため息をつき、迷いを見せた。が、しばらくして意を決したかのように軍令を下すに至る。


「軍を二手に分けて、一方は歩兵だけで山中を行軍せよ。もう一方は正面から攻める。これは、双方が囮だ。敵の注意を分散させることで活路を見出す。難しい作戦だが、これしかあるまい」


 龐涓は正面から攻める軍を、わざと見え見えの状態で展開させ、山中を行軍する部隊にとって不要になった戦車を、これに配置した。このことによって正面を攻める部隊は、実際よりも重厚な布陣であるように見せることができる。さらに歩兵を前面に配置し、盾で撒き菱を、それこそ掃くように撤去させた。これに敵軍が気付いた時点で、山中から襲おうというのである。


 龐涓自身は、山中にあった。その手には弩ではなく、弓がある。これは、彼に従う部下たちも同様であった。弩は近距離での射撃が容易である一方で、連射が効かない。弦が短く、硬いためである。また、構造上の理由で矢羽を小さくせざるを得ないことから、長距離の射撃には向かない。一定の距離以上になると、矢は失速して狙いが大きくぶれるのである。しかし引き金を引くだけで発射できるという利点は、それらの欠点を補ってあまりあるものであった。


 だが、龐涓はこの戦いの際に、人力による弓矢を利用した。弓は弩に比べて弦の張りが緩く、連射が可能である。そのかわり技術を得るためには多くの鍛錬を必要とするが、魏兵の多くは、それを会得していた。兵の多くは農民出身であったが、覇権国家にはそれを鍛錬する余力があるのである。


「先に撒き菱を掃除させろ。それを襲おうとする奴らに向かって射よ。足場は悪いが、連射することで機先を制するのだ。敵に矢を拾われても構わぬ」


 事前に偵察を行い、敵の意図を読み取った時点で勝利の可能性は大きく魏に傾いた。これまでことごとく孫臏の策は、龐涓に読まれている。さらにこの時点で、龐涓は山中に潜む斉軍の一団を発見した。


「奴らが動いたところを撃て」


 草むらを出ようとする斉軍を、魏軍は一斉に射撃した。それと同時に撒き菱を撤去していた部隊も攻撃に転じ、斉軍に壊滅的な被害を与えた。彼らの生き残りが逃走したところで、龐涓らは道に戻り、その際撒き菱を拾い集め、進路を確保したのであった。


 このとき魏軍の損害が殆どなかった一方で、斉軍の死者は一万に達した。


「なんということだ」


 斉将田忌は、孫臏を呼び寄せて事態の打開策を求めた。それに応じた孫臏の顔にも、焦燥の色が浮かんでいる。状況は、斉に甚だ不利であった。


「当初の策としては、もう一段の防御線を展開する予定でしたが、状況が切羽詰まっています。次の段階で本隊を合流させましょう」


「ふむ。……なぜそう思うか」


「私は、魏軍の行軍進路を予測し、そこに四つの部隊を配置しました。進軍途中の魏軍に小規模な攻撃を仕掛け、効果的にその兵力を削ぎ落としていこうと考えたからです。しかし龐涓は意外にもこれに全力で対応したため、我が軍はすでに三万近くの兵を失いました。これに対して魏軍は三千も失っておらず、いまでもその兵力は三万を越えます。予定通り次も我々が攻撃を仕掛けたとして、また一万ほどの兵を失います。それでは、兵力において魏軍とほぼ対等となってしまい、数で上回ることができません。ごく僅かでも有利な状況で戦うためには、もう本隊を温存する余裕がない。次で決めなければならない」


 田忌は状況が切迫していることを孫臏以上に理解している。彼にとって孫臏の言葉は、それを再確認させるだけのものであった。


「孫先生がそう言うのであれば、そうするしかないだろうが……。しかし、本隊を合流させたところで、勝てるのか。そうでなければやる意味はない。すでに邯鄲からは半数近くの兵が離脱しているのだ。その状況に満足すべきではないか」


「我々が満足したところで、李曇どのは満足しないでしょう。しかもこのまま我々が引けば、魏を強くさせるだけでございます。正直なところ、龐涓と直接対峙することは、容易ではありません。我々も半数以上の兵が失われることを覚悟するべきでしょう。しかし、最後には勝ちます。将軍には、その犠牲を覚悟する意志をお持ちください」


「それは確かか? 孫先生の独りよがりな妄想ということはないだろうな?」


「……勝ちます。ですが、最終的に我々の方が寡勢となっているかもしれません。にもかかわらず、龐涓を捕らえさえすれば、この戦いは勝ちです。失うものは多いかもしれない。しかし一瞬でもそれを惜しいと思えば、負ける」


 田忌にはそれが孫臏の詭弁に思えた。しかし、予定通りに伏兵を忍ばせて次の一戦に臨めば……そして敗れればお互いの兵力の多寡は逆転するだろう。その前に勝負を決めなければならないと思ったことは確かである。しかしこれは、孫臏の兵法が龐涓の実戦指揮能力に敗れることを意味するのではないか……そう考えるのも無理のない話であった。


 龐涓は長く魏国の将軍として大小さまざまな戦歴を重ねているのに対し、孫臏が実戦を経験するのは、実はこれが初めてである。孫臏は理論武装でここまでやってきているが、所詮は経験不足か、と田忌は思わざるを得ない。だが、この点に関しては田忌自身も責めを負うべきであろう。ここまできたら、最後まで孫臏を信じて勝利を掴むしか、彼に残された道はなかった。


「失礼ながら……軍師どのは龐涓を生け捕りにすることにこだわりすぎているように見受けられます。思い切って討ち取るつもりで攻撃をかけた方が、大きな結果を生むとは思いませんか」


 李曇に問われた田忌は答えて言う。


「孫先生の龐涓に対する思いは、ひとことでは言い表せない。両脚を斬り落とされた恨みは確かに彼の中で大きいものだ。それゆえ、彼はただ単に龐涓を殺すのではなく、生きながら苦しむ姿を見たいと思っている。しかしその一方で、彼は自分を殺さずにおいた龐涓に感謝しているふしもあるのだ。決して言葉には表さないが、その証拠に彼は自分の足で歩けなくなったことに対して不満を漏らさない。わしの目には、彼が自らの現状を受け入れているように見える」


「しかしそれでは甘いのではないか? 敵に手心を加えるようなやり方をしていては、勝てるものも勝てないでしょう」


「確かに。だが実際は手心を加えるなどの余裕は我々にない。魏軍は強大で、龐涓は名将だ。孫先生にしても、本気でやっているつもりだろう。また、龐涓は今度こそ孫先生を戦場で討ち取ろうとしているに違いない。それを真っ向から受けて立つには、並大抵の心構えでは対抗できまいよ」


「将軍はどうなのです?」


「わしか? わしとしても無論負けるわけにはいかん。孫先生の戦略には、わしとしても覚束ないところはあるが……もはや彼を信じるしか道はない。次の戦いで万が一にも敗れれば、死ぬ覚悟だ。生きて国に帰ったところで、示しがつかぬ。それに気付いた」


「それはその通りでございましょうが、しかし趙としては、それだと困るのです」


 李曇は言い残して立ち去ったが、田忌としては気楽なものだと思うしかなかった。だから趙などは、たびたび他国の侵略を許すのだ、と感じた。所詮彼らは、自国の運命を他国の者の手に委ねているだけの存在なのである。



 孫臏は、ひとり幌の中で戦略を練り、一つの解答を得た。鍵となるのは、大梁である。まともな兵が残っていないとの情報はあるが、まったく存在しないということはないだろう。老兵ばかりだとしても、龐涓と戦っている間に後ろを取られてしまっては、斉にとって不利な状況となる。よって、あまり大梁に近い位置で仕掛けるのはまずい。


 このことから、孫臏は決戦の地を桂陵(けいりょう)と定めた。桂陵は大梁と濮陽の中間地点にあり、どちらからも援軍が到着するまでに一定の時間がかかる。龐涓はすでに濮陽に残っている兵を併せたと聞いていたが、それならばなおのこと、大梁から遠い位置で仕掛けるのがよかろう。


「自分ともあろう者が、龐涓を相手に連戦連敗とは……」


 柄にもなく自嘲気味に呟く孫臏であった。その思いが自分の過去に及んだとき、彼は言い表せない不可思議さをもって、それを振り返るのだった。


——なぜ俺は師であるはずの鬼谷に反発したのか。


 無論根底には弁士を育成しようとする鬼谷と、兵家になりたいという孫臏の考え方に違いがあったことは明らかだった。権謀術数の駆使を教える鬼谷に対し、孫臏はそれを実現するには武力を背景にすることが必須だと考えた。仮に弁士がいたとして、その人物に実行力が伴わなければ、為政者は聞く耳を持たないだろう。また、弁士にそれ以上の社会的立場がなければ、やはり為政者は聞く耳を持たない。どこの馬の骨かわからぬ者の言うことを、素直に聞き入れる君主は皆無であろう。


 よって弁士には実績を積むことが必要とされる。つまり、戦地で功績を挙げるか、有力者の客となってその推挙を受けるという道が求められるのである。この点で鬼谷の理論には不備が多かった。理論をたたき込むばかりで、それを生かす道が示されていないのである。教えるべきことは教え、あとは自分で道を切り開けと言っているようなものであった。しかし孫臏にとって、鬼谷の教えなどは今さら教えられずとも既に身につけているものなのであった。彼が鬼谷に求めたものは、その後の仕官の道であり、それを授けようとしない鬼谷に、彼は反抗したのである。


 自然、同門の塾生たちに対しても荒れた態度をみせるようになった。今となっては、それが自分自身の甘えだったことがわかる。思い通りに事が運ばないもどかしさを周囲にぶつけることで発散し、反発されると独自に身につけた拳法で叩きのめすことに満足感を得ていた。だが、いまの彼にはもう拳法も使えない。両脚を失ったことで、彼の反抗心は弱められていった。


 しかし状況が思い通りに運ばないという事実は、彼の人生の中で今がおそらく最大のものである。それは壁のように高く、巨岩のように重い。編み出した戦略は龐涓によって悉く打破され、ついには自軍の数的優位さえも脅かされる事態となっている。孫という自分の持つ姓が、このときの彼にはとてつもなく重いものに感じられた。


——孫武の子孫であるこの自分が、おめおめと負け続けるわけにはいかぬ。


 次こそは、としつこく自分に言い聞かせ、孫臏は戦略を完成させた。


 桂陵に自軍を集結させ、魏軍を迎え撃つ。その際に軽騎兵を中心に小部隊を編制し、敵の出方を探る。あらかじめ彼らには敗走するよう言い含めておき、敵が追ってきたところを側面から討つ。今のところ斉軍の方が兵の数において勝っているのだから、その利点を生かさずにおくことはできない。ただ待ち受けて包囲するだけでは勝てぬ。兵の質において、魏は斉を凌駕しているからである。こちらから仕掛け、その犠牲のもとに勝利を掴む……兵法が言うところの「大得」の策である。


 桂陵は街道に沿っていて、その街道は林に囲まれている。一本道であり、林間に兵を隠すことが可能であった。しかし、これは敵である魏にとっても同様である。しかし龐涓の軍は昼夜兼行で駆けつけているため、疲労度が激しいはずであり、細部にこだわった戦略を立てることは難しいのではないだろうか、と孫臏は考えた。


 その点では、彼がこれまで仕掛けてきた攻撃が無駄ではなかった、と結論できる。そうして彼は自分を納得させるしかなかった。相手は疲れているだろう、だから正攻法しか採れない、などという薄弱な根拠で戦略を立てざるを得ない状況に、彼は内心で不安を覚えた。



 しかし龐涓の率いる軍は確かに疲労していた。いっときも休むことを許されぬ行軍と連戦。その連戦にはいずれも勝利したが、消耗の度合いは計り知れない。休息を進言する部下もいたが、休めば襲われるだけである。局地的な戦いに勝利するだけでは、この厳しい局面を突破することはできない。彼は、自分が孫臏の策略にはまりかけていることを認識しつつあった。


「おそらく次が最後だ。そして次の戦いでは、総大将の田忌や、孫臏が出てくる。奴らを見逃すことなく、確実に仕留めるのだ」


 彼は兵を励ましたが、その言葉には力がない。彼自身も消耗は激しかった。


——疲れたなどというふざけた理由で、負けるわけにもいくまい。


 至極当然なことであるが、このときの魏軍にとっては深刻な問題であった。それだけに龐涓は、孫臏の策略の見事さを痛感することになったのである。


「私は、目の前にある一戦の結果にとらわれすぎていたのかもしれない。しかし孫臏は最終的に勝つためとあらば、三戦も四戦もする用意があった。やつの戦略眼の凄みがそこにあるのかもしれぬ。だが……奴は戦いの目的を喪失している。そもそも斉にとって、この戦いは魏の邯鄲占拠を妨害する目的で発せられたのだが、いまや孫臏は私を討ち取ることだけにこだわっているようだ」


 つまり龐涓は、自分の身に替えても邯鄲は維持する、と言うのである。付き合わされる兵たちにしてみれば酷な話ではあるが、魏兵は皆誰よりも龐涓に心酔しているところがあるので、それに対して文句を言うことはない。


「お供します」


 多くの者がそう言ってくれる。しかし、それが彼らの本音であるとは、龐涓は考えなかった。彼はこのとき兵の半数に邯鄲へ戻るよう命じた。


「この次の戦いの結果がどうなろうと、すでに斉軍の兵数が半分近くまで減った事実は変わらない。戦いのあとは、なお減っていることだろう。その少ない兵力で、彼らが大梁に侵入することはないはずだ。まだ大梁には僅かながら我が君のの直属兵が守備隊として残っている」


 なによりも邯鄲が大事であり、大梁に危険がない以上、それを守るために躊躇する必要はない、と言うのである。兵たちは龐涓の大胆な判断に戸惑いを抱いたが、結局は言うとおりにした。これにより、龐涓の軍は一万程度の規模に縮小したのである。




「両側に林がある。一本道だ。奇襲があるに違いない」


 龐涓は警戒を強めた。撒き菱は置かれず……斉軍としては、魏軍にこの道を通ってもらいたいということだろう。事実、道はこの一本しかない。


「周囲に警戒しながら進め。敵が一方向から現れるとは限らんぞ」


 その言葉を裏付けるかのように、龐涓の軍は右側面から敵の奇襲を受けた。


 狭隘な一本道で乱戦が繰り広げられ、龐涓の部隊は前後に分断された。しかし分断を許したかのように見せかけて、魏軍は前後から斉軍を挟み撃ちにするという曲芸じみた戦法を披露し、これによって大きく斉軍は数を減らした。だが、魏軍は息つく暇もなく、今度は左側面から攻撃を受けたのである。


「落ち着いて対処せよ! もう一度、敵を欺いて挟撃するのだ!」


 そう叫びつつ、龐涓は自ら長柄の剣を構えた。


 戦車の台上から飛び降り、敵に向かって突進するその姿は、兵たちの目に鮮やかに刻まれた。白銀の鎧に身を包んだ龐涓は、荒々しくも流麗に敵を斬り倒していく。魏の兵士たちはそれに歓喜し、勢いのままに斉軍を討ち破った。


 正面から斉の本隊と思われる軍団が現れたのは、そのときであった。一本道の行く手を塞ぐように現れ、あっという間に攻め入られた。狭隘な場所で乱戦が繰り広げられたのである。


「どうにかして、敵の中軍にまでたどり着きたい。援護せよ」


 龐涓は二、三の部下に命じて、中央を突破しようと計った。本隊とおぼしき部隊が出現している以上、敵将の田忌あるいは軍師孫臏を討ち取れば戦いは終わる、そう思っての行動であった。


 龐涓が扱う剣の切れ味は鋭い。斉兵たちは最初のうちこそそれに挑み、逆撃を食らっていたが、次第に遠巻きにして矢を射かけるなどの対応をし始めた。このため、龐涓は苦しみながらも前進を続けることができた。


 気付くと、すでに彼は斉の陣中にいた。目の前には黄金の装飾を施した戦車、そして幌を取り付けた一風変わった形の戦車があった。きらびやかなのは田忌のもの、幌が付いたものは孫臏のものだろう。龐涓は、自分が目指すべき場所にたどり着いたことに気付いたのだった。




「ようやく来たな、龐涓!」


 その声は孫臏のものだった。龐涓はその声のする方に憤然と向かっていった。


 間に割って入ろうとする兵は無数にいたが、龐涓は剣を振り回し、彼らの接近を許さない。正面に入ってくる兵に対しては、容赦なくこれを突いた。


「集団で抑えよ! 背後から取り押さえろ!」


 叫ぶ孫臏の傍らで、田忌は明らかに憔悴していた。


「こっちに向かってくるぞ! どうすればよいか」


 孫臏も龐涓の剛毅な姿に戸惑っているようであったが、作戦としてはここが正念場である。自らの意志を押し通すしかなかった。


「どうするもなにも、捕らえるのみだ」


「しかしこちらの兵と力の差が歴然としている。このままでは無駄に兵が殺されてしまうぞ。ここはわしが前に出て、勝負を挑むか」


「とんでもない。将軍にもしものことがあれば、この戦い、斉の敗北です。そんな危険を冒してはならない」


「ならば、どうにかせよ!」


 一喝した田忌だったが、結局見ていられなかったのであろう。従卒に弓矢を用意させると、災厄とも呼べるような龐涓に向かって、それを放った。


 矢は龐涓の右肩に突き刺さった。


 一瞬怯んだ様子を見せた龐涓は、それでも唸り声を上げて剣を振り回す。一度に三名の兵が、斬り倒された。


 孫臏は叫んだ。


「十人、いや二十人だ! 飛びかかって龐涓を押さえ込め!」


 背後から龐涓を押しつぶすかのように兵たちが飛びかかった。下敷きとなって腹這いとなった龐涓はついに動きを止め、その剣は地面に接した。しかし最後までそれを手放すことはなかったのである。



 両手を背後に体を縛られた龐涓は、さすがにこれから首を斬られるものと覚悟した。戦場に残した兵たちは、うまく追跡を逃れただろうか、このまま死ぬことになれば公主や旦の今後はどうなるだろうか、などと自分の命以外のことを心配したりした。そうでもしなければ、気が休まらなかったのであろう。


 斉の陣中で引見を受けることになったと聞いたとき、限りなく屈辱的な罰を与えられることを思い浮かべた。自分が孫臏にしたように両脚を斬られるか、それとも鼻を削がれるか、軽くても顔に刺青を施されるか……どれにしてもいままでのような人生を歩むことはできなくなる。そう考えると我知らずため息が出た。


 しかし死を恐れるあまり相手に助けを求めるなど、この時代に生きた武人として、あってはならないことであった。彼は堂々とした態度で臨むことを余儀なくされ、当の本人もそれを当然のこととして受け入れた。


「殺すのであれば、そうするがよい。私は、自分が生きているうちに成せる任務を、既に果たしたと思っている。つまり、斉は邯鄲を救うことができない。魏軍は、いまもなお勢力を保っている。そしてお前たちのいまの兵力では、大梁に攻め込むこともできぬ」


 孫臏は縄をかけられた姿の龐涓に向かい、毒づくように言い放った。


「どう理屈をこねようと、お前は敗者だ。そこに跪け」


 龐涓は言われたとおりに跪いたが、口では反論した。


「お前は私との戦いに夢中になりすぎて、目的を失ったのだ。お前は私のことを敗者としたいらしいが、邯鄲が魏に占領されている事実はまったく変わっていない。つまり、お前のしたことは無意味だ」


 孫臏も黙っていない。


「政略的なことはともかく、お前は実際の戦闘でこの俺に勝てなかった。その事実を認めるのだな」


「……いいとも。認めよう」


 いともあっさりと龐涓は言った。彼はさらにそれに続けて言う。


「実際のところ、我々を追い詰めたお前の戦略は見事なものだった。自軍の兵力の喪失を厭わず、最終的にこの私を生け捕りにするに至った手腕は認めざるを得ない。しかし聞きたいのだが、そこまでして私を虜にする意味があったのか。なぜ、大梁に攻め込まなかったのか」


「なに、斉が大梁を占拠したところで、維持はできないと判断したに過ぎない。仮に我々が大梁を火の海にしたところで、お前が生きていれば奪い返されると思っただけだ。そんな危険は冒せない」


 龐涓は思わず苦笑いした。


「たいそうな評価をしてもらっているようだが、くだらぬ話をしている暇もお前にはあるまい。首をはねるのであれば、早々にやってくれぬか。なにしろ縛られている状態では、自害もできぬ」


「その覚悟は結構だ。だがそう簡単に死なせるわけにはいかぬ。お前には利用価値があるのだ」


 龐涓は驚き、問い返した。


「なんのことだ」


「お前のおかげで我々は多くの兵を失った。この機会に斉に攻め込むと決める諸侯もいるかもしれぬ。特にお前たちの国は復讐を考えるだろう。そのときのためにお前の命はこちらで預かっておく」


「私を殺さずにおく、邯鄲も取り返せぬまま、とあっては、なんのためにお前たちは戦を仕掛けたのか。昔からそうだったが、お前の考えはよくわからない」


「その気になれば、魏に勝てることを内外に証明したかったのだ。魏国は覇を唱えているが、それもいまのうちだけだということが実証されたことになる」


 過去の孫臏の言動を考えると、龐涓はこの言葉に納得したような気になった。いかにも孫臏にしてありそうなことだ、と。


 孫臏は続けた。


「それを一番思い知らせてやりたい相手は、お前だ。よって、死なれてしまっては困る。虜囚としての辱めを受けながら、生き続けるがよい」


 勝手な言い草だ、と龐涓は心の内で呟いた。しかし、当面は現状に甘んじるしか道はない。孫臏の言うとおり、諸侯たちが斉に攻め入る動きを示せば、講和の条件として自分が解放されることはあり得る。そのときを待つしかない、と彼は考えた。



 桂陵の戦いで魏は敗れ、三万五千あった兵数は四散したが、龐涓は事前にそのうちの半数以上を邯鄲へ戻している。このため魏の兵力は半分以上、生きていた。しかし勝利した斉は七万以上の兵を失い、その多くは死に至った。なおかつ邯鄲は相変わらず魏の占領下にある。このため、真の勝利者がどちらかは定かでない。この「桂陵の戦い」は、のちに「囲魏救趙」という斉の作戦が実現した例として記録されたが、とても成功したものとは言いがたいものであった。



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