出征
公叔はやがて目を覚ましたが、以前のように歩き回ることもできず、寝所で一日を過ごすことが常となっていた。自然、宮廷に出仕もできず、国政は滞りがちとなった。長く繁栄が続いた魏に暗い影が立ちこめたと感じる者は未だ存在しなかったが、確実にその予兆はあったのである。ただ、誰もそのことに気がつかないだけであった。
過去の歴史のなかで、覇権は次々と諸国の手に渡り、それを維持し続けた国は皆無である。斉の桓公が初めてそれを手にしたことに始まり、晋の文侯、楚の荘王、呉王夫差、あるいは越王勾践……このうち呉や晋はすでに国として存在もしていない。宋の襄公や秦の穆公なども覇者のひとりとして数えられることもあるが、そうでないという説もあることを思えば、覇権というものは非常に曖昧でもある。おそらくその期間が短すぎて数えるに値しないと判断されるのだろう。覇権がいつから始まり、いつ終わったかを正確に判断できる者は存在しないのだ。
しかしその定義についてはある程度の説明は可能である。つまり、覇権を失う国では、明らかに多くの人心が離れていく期間が存在する、ということである。有能な人物が他国へ流れる事例が多い国ほど、衰退するのだ。
これはつまり、当時の国々が制度や仕組みではなく、個人の能力によって支えられていたことの裏返しだということもできよう。強力な武将、頭脳明晰な政略家、人徳ある君主……どれも一代限りであり、それを受け継ぐ者がいなければ繁栄は永続しない。権力が移り変わるのも当然だと言えるのではなかろうか。
一
魏公罃は君主として宰相宅を訪れた。つまり病床にある公叔痤を見舞ったのである。その席には娟や衛鞅もいたのだが、魏罃は彼らに目もくれなかった。
娟と魏罃はいとこの関係にある。だが親の代で臣籍に降った娟と君主である魏罃との身分の差は明らかであったので、それについては娟も不満を抱かなかった。ただ、ひとこと声をかけてくれてもよかろうに、と思っただけである。
彼女は戸外に旦の姿を見つけると、それをいいことに座を外した。旦は龐涓の使いとして見舞いの品を届けに来ていたのである。
「殿さまがいらっしゃるのよ。居心地が悪くて……旦はいいところに来てくれたわね」
旦は緊張した面持ちで、注意を促した。
「そのようなことを言っても大丈夫なのですか。また、将軍に叱られますよ。慎みを持つべきだって」
「どうせ聞こえやしないわ」
実際に魏罃は娟がなにを言おうと聞く耳など持たなかったであろう。もともと魏罃とは異母兄と太子の座を巡って対立し、それを除いて即位した人物である。親族に対する愛情など、おそらく無きに等しい。娟はそれを知っていたのか、それとも実際に近づいて肌で感じたのか、いずれにしてもよい印象を魏罃に抱かなかったのであった。
やや遅れて衛鞅も座を外した。家宰などが同席する状況ではないと自ら判断したのか、それとも魏罃にそのような目で見られたのか、こちらも居心地が悪く退席したというのが実情であろう。彼は、普段通り庭の手入れを始めた。
「旦……」
寝所から旦を呼ぶ公叔の声が聞こえた。介添え無くしては身を起こすこともできず、そのために呼ばれたのである。子供ならば同席させても魏罃も不快に思わないだろうと判断してのことであろう。
「この子は、龐涓の使用人でしてな。具合を悪くしてからというもの、よく世話をしてもらっているのです」
「ほう、龐涓の……」
魏罃は一応相槌を打ったが、それ以上は関心を示さなかった。しかし少なくとも、同席することに不快感を示さなかったことは、公叔にとって都合がよい。
「ところでこのたびの公叔どののご病気……重いのか」
魏罃は公叔を見舞うというより、今後どうするべきか、それを知りたかったのだろう。公叔はその思いに応えるべく、同情を誘うことのないよう、さりげなく実情を語った。
「我が身も老いぼれてご覧の通りの有様です。もはや国のために働くことは難しかろうと存じます」
これは公叔自身に現役復帰の意思がないことを表明した言葉である。魏罃としては、やはりその後のことを考えねばなるまい。
「弱気なことを申すものであるな。……しかし、貴公の身にもし万一のことがあれば、我が国の行く末をどうすべきと考えるか」
「そのことについては既に考えてあります。私の家の中庶子(家宰)である公孫鞅なる者は、年若ながら奇才を有しています。どうか彼に国政をお任せなさいますよう」
しかしながら魏罃は黙っていた。公孫鞅すなわち衛鞅は、公叔痤のいわゆる秘蔵っ子として養成していた人物ではあろうが、家宰に過ぎぬ男に一国の政治を任せることに現実離れした感覚があったことは事実であろう。さらに公叔亡き後、大きくその息のかかった人物に国政を委ねることに対して危機感を覚えたこともあるかもしれない。
いずれにしても公叔は魏罃が衛鞅を用いることに乗り気ではないことを察した。
「もし公孫鞅を用いぬのであれば、直ちに彼を殺し、国外に出さないようになさいませ……彼の能力が他国に利用されることのないように」
「……よかろう」
会話の内容があまりにも危険なものであったので、旦は震えを覚えた。しかしそんな旦に公叔は宮殿へ戻る魏罃の見送りを命じ、邸内の先導を務めさせたのである。
「旦とやら。公叔どのの病気は重いようだな。それとも老齢に病気が加わって耄碌したか……。いずれにしても哀れなことだ。余に向かって今後の政治を家宰に過ぎない男に託せと言うとは、心が乱れた証ではないのか」
魏罃はからかうような口調で言ったが、それに対して旦は答えることができなかった。
魏罃を戸口まで案内し、その帰る姿を見届けたあと、旦は再び公叔のもとに赴いた。すると公叔は立て続けに衛鞅を呼ぶよう言いつけたのであった。
「もうお休みになった方がいいかと存じます」
「……いいから。呼んでくれ」
庭先にいた衛鞅は旦に呼ばれる形で寝所に赴いた。その衛鞅に向けて公叔は重い口調で話し始める。
「我が君は、次に宰相となる者について問われた。わしはお前のことを勧めたのだが……我が君のご様子では、どうもそれについてお許しが出ることはなさそうだ」
「そうですか」
衛鞅には特に落胆した様子もなく、淡々と相槌を打った。最初から期待していなかったと言わんばかりの態度であった。
「……わしの立場は」
公叔は一瞬言い淀み、感情を整理したかのようである。衛鞅が宰相に選ばれないという事実を、衛鞅自身よりも公叔の方が嘆いている様子であった。
「君主を第一に立てて、臣下のことはそのあとにしなければならないものだ。ゆえにわしは、もし鞅を用いぬのであれば、殺すべきだと言ってしまった。したがってお前は速やかに立ち去るがよい。そうしなければいずれ捕らえられてしまう」
衛鞅はそれでも顔色を変えず、平然としていた。旦が見る限り、彼には彼なりの考えがあったようである。
「ご心配には及びません。恐れながら我が君は、わたくしの存在を知りもしません。任用しないとお考えになったからには、殺す理由もないとお考えでしょう。恐れる理由がないからです」
旦は、衛鞅がふてくされているのではないかと感じた。それも無理のない話である。ほかでもない公叔に推挙されながら、それを否定されたとあれば、衛鞅にとって出世の道が断たれたということであろう。少なくとも魏国内で彼が身を立てる機会はなくなったのだった。
「まあ、いずれ……どうにかなるでしょう」
珍しく答えを曖昧に場を去った衛鞅であるが、旦は魏罃の本音を知っていたので、彼が軽く見られていることに同情を覚えたのである。
二
魏と秦との国境は魏が強勢のときは西の洛水がそれにあたり、秦が強勢のときは東の黄河がそれにあたる。この二つの河川に挟まれた土地にいくつかの都市があることは言うまでもない。それらの都市はどちらの国に帰属するか一定しないのが常であった。このとき魏は覇権を握っており、国境は西の洛水に沿って設けられていた。したがって黄河と洛水の間にある都市は、魏に属している。
その中に元里という都市が存在したが、龐涓の耳にこの都市が秦によって襲われたとの報が入った。急ぎ龐涓は増援隊を編成し、自らも救援に向かったのだが、東の大梁から戦地は遠く、到着するまでに大勢は定まっていた。秦の攻勢に対して魏は対抗できず、元里はおろか近隣の少梁という城まで奪われ、七千名に及ぶ死者を出してしまった。
「無策であった。我ながらなんという不始末……」
さらに龐涓を落胆させたのは、この遠征の間に宋が態勢を整えて黄池城を奪い返したという事実である。無策がさらに無策を呼び、敗北を重ねる……公叔が病に伏せたことで魏国は能動的な行動が採れなくなっていた。
秦の行動は素早く、新たに手にした少梁、元里に堅固な防備態勢を整えると、それ以上の東進はしない構えを見せた。龐涓は迷ったが、七千名の死者を出したあとに攻城戦を仕掛ける決断はさすがにできず、敗残兵を引き連れ大梁に撤退した。
失意の中、龐涓は考える。もともと彼は実戦の指揮官であり、軍政を担当しているわけではない。これまでその役目は公叔痤が引き受けていたが、病に倒れたあと、正式にその役目を引き継ぐように命じられたこともなかった。……だとすれば責任は君主その人にあるのではないか。
しかし君主である魏罃がそれを認めるはずがなかろう。周りにいる大夫らこそいい面の皮だ。きっとこの失態の責任を押しつけられ、手厳しく当たり散らされるのだろう。その可能性は自分にもあった。
「つくづくやりきれぬ」
こらえきれず独りごちた龐涓であった。
「今回の件、父上をお諫めしようと思う」
大梁に戻ったとき、龐涓は太子申に言われた。申は魏罃に寵愛されているが、それをいいことに諫言しようというのは、危険というものである。
「太子のお気持ちはわかります。ですがおやめになった方がよいかと存じますが」
「なぜだ」
太子申は若く、艶のある白い肌を紅潮させた。もともと間違ったことは嫌いな男であった。この時代には稀有な、正義感いっぱいの男である、と龐涓も認めていた。
「今さらお諫めしても状況は元に戻りません。それよりも速やかに邯鄲包囲の作戦を決行するようお伝えください。斉の干渉や秦の攻撃などに動じず、魏の威勢を天下に示すためには、もとの戦略に立ち返ることが一番です。いま思えば、少し斉国の干渉を気にしすぎました。保有する軍事力から判断すれば、我が国の方が他を圧倒しているにもかかわらず……情報が漏れたことに心を乱されてしまいました」
この発言には龐涓の主張が強く入ってはいるが、同時に諫言することで太子の身に危険が及ぶことを避ける意思が垣間見られる。しかも斉に情報が漏れた責任が自分にあることを早急に解決したいという願望も見えるのだ。状況が状況だけに焦りを感じるのも無理からぬことであろう。
「それにしても情報といえば」
太子は訝しげに唇を曲げ、龐涓に問うた。
「公叔が病に伏せた途端に都合悪く秦の攻撃があった。これはやはり内情が知られていると理解すべきではないか。どこかで誰かが情報を垂れ流しているに違いないと私などは思うのだが、将軍はどうだ」
「あり得ることです。しかしその正体がわからない以上、こちらが先んじて行動を起こすことが第一でしょう。決めたなら即行動し、相手に準備をさせない……それが私の考える解決方法です」
情報を外に漏らさないためには、大梁の城門を閉じて外部との交流を一切絶つことが有効だが、現実的ではない。城外から納められる百姓からの産物がなければ、大梁は三ヶ月とかからず飢えるだろう。それを防ぐためには城門を開放し、多くの人民が出入りできるように取り計らわなければならない。その際にいちいち検閲するのは途方もない話なのである。
「重要なことは、こちらが主導権を握ること。座して状況の変化を待っていては、相手の掌の上で踊ることになります。戦いに勝つためには、こちらが仕掛け、こちらの思惑通りに相手を踊らせるに尽きます」
「うむ。わかった。父上には邯鄲攻略を決断していただこう。その説得、任せてくれればありがたい」
太子申は何かの役に立ちたいと願っているのだろう。そのまっすぐな願いは龐涓も叶えてやりたい。彼は爽やかな男で、兵たちからも慕われているのだ。
「太子にお任せします」
そうは言ったものの、これからの軍政を考えれば、早急に態勢を整える必要があると思われた。公叔の後任は定まっていないが、龐涓はその足で衛鞅のもとを訪れたのだった。
「……すると、未だ公叔さまの跡取りは決まっていないのか。我が君はあなたを任用しないと?」
「どうも、そのようですな」
龐涓は公叔の意を知っていた。ゆえに公叔の政治面での跡継ぎは衛鞅が担うものと思っていたのだが、当てが外れた。なぜなら目の前で本人が否定しているのである。
「すると、今後の魏国はどうなるのだろう」
「いや、将軍。申し訳ないが私にはわからない」
「……そうだろうな」
衛鞅の態度に、龐涓は落胆を感じた。彼は任用されないことを機に新天地へ赴くのではないかと思ったが、彼にはそれを止めることもできないのである。しかしその気持ちを確かめることぐらいはできるだろう。
「私が心配していることは、ごく至近に迫った作戦のことだ。斉による干渉の恐れもある中で我々は宋に侵攻したが、秦に介入を許した。この状況を打破するためには、やはり当初の計画通り、邯鄲を包囲するしかないと思ったのだ。なかば強引な形ではあるが、魏の軍事的威勢を示すにはそれしかないかと……。これについて衛鞅どのに聞いてみたいと思ったのだが、すでにあなたの心は魏から離れてしまっていて、相談には乗っていただけないかもしれないな」
「いや、とんでもない。私の身分は紛れもなく……公叔さまの家宰である中庶子に過ぎないし、公叔さまがご存命な限り、その役目は変わらない。私でお役に立てるのであれば、相談には応じよう。将軍は趙を攻め、その都たる邯鄲を囲むと仰ったが、その意図は基本的に正しいと私も思う。ただ、趙は諸国に向けて救援を要請するに違いない」
どうやら衛鞅は、公叔が死ぬまでは魏にとどまろうと考えているようであった。それは彼なりに義理を感じているからか、それともただ単に新たな仕官先を見つけるまでの時間つぶしなのかはわからない。ただ、ここにいる限りはこれまでと同様、政策に助言を与えてくれることは期待してよさそうであった。
「確かにそうだが、たとえ斉国が介入しようとしても我々には対処する用意がある。魏と斉では兵力に倍ちかくの差があるのだ。それだからこそ、当初の予定を強引にでも実現させようとしている」
「確かに。しかし介入してくる相手が斉国だけとは限るまい。ここはひとつ、邯鄲を包囲する隊に先行して、一部隊を編成して他国を叩いておいた方がよいだろう。それによって諸国は趙から救援の要請があっても、それに応えることに尻込みする」
魏は兵力で他を圧倒しているのだから、介入されてからそれを分けるのではなく、戦略的に最初から分けた方がよいだろう、という衛鞅の案である。龐涓はその案の大胆さ、そして冷酷さに思わず唸った。
「ううむ。すこぶる思い切った策だ。しかし確かに有効な策と言える。だが、叩くその相手はどこの国か。まさか斉や秦などの強国ではあるまい」
「兵力に余裕があるとはいえ、二つの強国を相手に戦うことは危険極まりない。ここは、衛国を叩くのがよいだろう。その都の濮陽は魏と趙の間にあり、趙が救援を要請した際にもっとも早く使者が到着する位置にある」
龐涓は、その提案に驚きを禁じ得なかった。
「衛と言えば、あなたの故国ではないのか。それで構わないのか」
「私には確かに故郷がある。だがそれは幼い時を過ごした思い出の場所というだけであって、支配者に対する思い入れは特にない。衛は小さな国であるゆえ、強国の顔色をうかがうことだけで存続している。これを機に属国としてしまえば、魏国にとってもよい結果がもたらせるだろう。魏公も喜ぶに違いない」
確かに支配者が変わっても故郷の土地がなくなるわけではない……。龐涓は衛鞅の言葉に納得したような気にもなったが、どこか腑に落ちぬところも感じた。だが、濮陽は大梁から邯鄲へと北上する手前にあり、邯鄲攻略のためには地理的にも抑えておきたい都市でもある。結局、龐涓は衛鞅の案を受諾した。
三
孫臏は、田忌を相手に一種の弁明をしなければならなかった。秦の魏領土への侵攻は、彼が思っていたより整然としたもので、そのため大きな混乱を呼び起こすには至らなかったのである。
「秦はもっと貪欲な国だと思っておりました。洛水の東を得たところで防御を強固にするとは、意外と慎み深い。しかし秦の判断は正しく、泥沼に陥らないために最善の行動をしたということでしょう。そのところを読み違えました」
相手を軽んじたというところか。しかし斉にとっては、今のところ何も痛みはない。孫臏としては、戦わせることで秦という国の真価を把握することができたのである。
「唯一得たものがあるとすれば、その点につきます。秦は今後、侮れぬ相手となるでしょう」
「まあ、そう謙遜するものでもなかろう。わしとしては魏を奔命に疲れさせたことは意義のあることだったと思っている。ゆっくりではあるが、魏の覇権は揺らぎつつある……。それでも邯鄲包囲の作戦は実行するだろうがな」
田忌は他人事のように事態を批評した。孫臏は話題を転じた。
「ひとつ将軍に確かめておきたいことがあるのですが、魏が邯鄲を包囲した場合、我々がとるべき行動はどういったものだとお考えですか」
孫臏の質問は抽象的であり、そのためどのような意図があるのかがはっきりとしない。だが田忌は一瞬考えたあと、その意を悟ったようである。彼は答えて言った。
「わしの考えとしては、趙が邯鄲を失おうが、都を失って滅亡しようが構わない。我々の目的は、この争いに介入することで魏を弱らせることに尽きる。あわよくばそれによって斉も利を得たい」
「魏と趙の争いに乗じて、斉がいわゆる漁父の利を得るということですな。趙の行く末にはまったく関心が無い。非情ですな」
「孫先生が狙うところはわしとは違うというのか? 単純に邯鄲の危機を救い、その民衆を保護するという目的か……まさかだろう。わしに言わせれば、趙は効果的に弱らせたいが、その役目などは魏に任せておけばよいのだ。邯鄲を欲するのであれば、そのあとでゆっくり頂けばよいのだからな」
「もちろん私の目的は、将軍の思うところと同じです。その点を確かめることができてよかった。……将軍の言うように、魏に邯鄲を囲ませることによって趙を弱体化させ、趙を救うことを名目に我々は兵を出す。そこで魏が疲れたところを討てば……勝利は我々の手に収まることでしょう」
ふたりの会話は、このときの社会のあり方を如実に示していたと言えよう。そもそも情報として邯鄲の危急を事前に知り得た彼らである。人道を前面に押し出すのであれば、魏が行動を起こす前に、その事実を趙に知らせるなり、援軍を送るなりの対応ができたはずであった。しかし彼らはそれをしない。
他国の危機を自分たちの利益のために利用することは、何ら恥ずべきことではないのである。そうしないと、いつか自分たちが危機に見舞われるからであった。
「将軍には、戦端を開く際の心得として、常に『必攻不守』を旨としていただきたいと存じます。これがどういうことかおわかりいただけますかな」
「必ず攻めて守らず……言わんとするところはわかるような気がする。しかし具体的に説明してもらえるとありがたい」
田忌はいかめしい面構えに深沈な眼差しを加えた。そうすると相手は脅迫されたような気分になり、言いたくないことも言ってしまうという失態を演じるものである。だが孫臏は自ら話したがっているのであり、田忌の表情にいちいち心を揺るがされることもなかった。また、そもそも孫臏は若いころから強引に自説を押し通す性格であり、それは田忌を前にしても変わることはない。ゆえにこのふたりは根本的なところが似ており、意外にも息が合うのである。
「ご想像がつくとは思いますが、必攻とはただがむしゃらに攻撃をかけることを意味しません。敵の行動を観察し、それを分析してから戦うことを言います。そのためには相手が何を目指しているのかを知らねばなりません」
「たとえば?」
「敵が我が国を攻めようとしています。この際あえて単純に申し上げれば、敵がどの道を通って進軍してくるかを事前に知っておくと、そこに伏兵を忍ばせて撃退することが可能となりましょう。これが『不守』であり、状況を把握しておけば守勢においても攻撃に転じることができるたとえです」
「では、今回の魏国の行動について、先生はどう分析するか。それによって我々の軍計画を定めねばならない」
田忌は孫臏に明白な今後の見通しがあるのかどうか、それを探りたがったようである。彼は軍人として自身の成功を願い、その過程についてはさほど興味が無かった。その点が学問として軍事を扱う孫臏とは違う。
無論孫臏の作戦案も、その実現を可能にする者があってこそ成り立つものである。彼はその対象として当初龐涓を選んだが、それは叶わずに田忌を選び、田忌は自身が軍人として栄達するための道具として孫臏を選んだのである。お互いが打算に基づいて結びついた結果が、現在のふたりの関係であった。これがうまい具合に働いていることは、やはり意外というべきである。
「魏将龐涓や宰相公叔痤などは、秦が侵攻してきたことに肝を冷やしたことでしょう。ですが秦が早めに兵を引き上げたことで、魏はどうにか態勢を維持できる状態にあります。そこで彼らはいち早く当初の目的を達成しようとするでしょう。すなわち、これ以上の混乱を招く前に邯鄲包囲を完成させたい、と考えるはずです」
「そこを叩くのか。邯鄲への道筋に伏兵を忍ばせて……。孫先生の先ほどの理論から言えば、そういうことになるな」
「それでは趙が弱ることがない。せっかく魏が趙を苦しめるのだから、我々はそれを静観していればよいのです。動くのは趙の救援依頼を受けてからにしましょう」
「では魏を叩くにはどうする」
「包囲が長期化すれば、自然に魏の体力は弱まります。魏も趙も疲れてから我々は行動すればよい。具体的には状況を見てから判断しましょう」
孫臏はすべてを語らない。にもかかわらず、田忌は彼の頭の中に明確な案がすでにあることを察した。当然ながらその内容は気になったが、しかしそれは孫臏に任せておけばよいことである。彼自身は大船に乗ったつもりでいればそれでよいのだった。
四
太子申は父親である魏罃に邯鄲攻略の決行を直訴し、認められた。その際彼は上将軍に任じられ、全軍の指揮を委ねられた。これにより龐涓は彼の属将となったわけである。
「龐涓将軍、貴公にすべてを教わっておきながら……このたびの人事、気を悪くしないで欲しい」
太子は気持ちのいい男である。龐涓はその人事に異を唱えるつもりなど、微塵も持たなかった。というのも、龐涓は衛鞅の意にしたがって、太子とは別行動をとるつもりでいたからである。
「他国から干渉される前にその危険を取り除くという意味で、邯鄲攻略と同時に衛へ侵攻するつもりです。その指揮は私が受け持ちましょう。太子は本隊を指揮なさって邯鄲を包囲してください」
「衛を、濮陽を攻めるのか。確かに濮陽は邯鄲への通り道だが、軍を分けてまで攻める必要があるだろうか」
「趙の救援を名目に出兵されたら、邯鄲を包囲している最中に我々は背後から攻められる可能性があります。また、趙が求めなくとも斉や宋が衛の軍を利用して介入しようとする恐れもありましょう。その憂いを取り除くためには、事前にその兵力を削いでおくに越したことはありません」
魏は大軍であるから二正面作戦も可能だ、と龐涓は主張した。ただしそのかわり衛の攻略は速やかに終えて、可能な限り迅速に邯鄲へ向かうとした。
この当時、兵は一般の民衆から徴発されるのが常である。希望者がいなかったわけではないが、大部分は一定の期間を兵役として課された農民であった。すなわち、兵は純粋な軍人ではなく、その国の民なのである。このことを考えると、衛鞅や龐涓が下した決断は非情なものであった。衛国が、濮陽が邪魔だからこれを退ける……彼らの決断は、その国の民について何らの考慮がない。しかし裏を返せば、覇権国とは言っても、自分たちが生き残るためには他国の民にまで思いを寄せる余裕などなかったのだと言えよう。また、仮に龐涓が衛の国民を傷つけることを憂慮してこれを見逃したとしても、それを衛の側がありがたがるとは限らない。むしろ魏国を弱らせる好機だと思って兵を差し向けることとなるだろう。そうなれば龐涓は自国の民から無能者と批判されることになるのだ。
「総力を挙げる形になるな。そうなるからには、なんとしても成功させねばならぬ」
太子にも衛の民を思いやる心はない。あるのは自分たちが生き残ろうという願望だけであった。
「濮陽を抑えれば、この作戦に介入しようとする諸侯たちの意志を曲げることができましょう。魏の兵威が盛んであることを見せつければ、すすんで趙に助力しようとする者もいなくなるはずです」
龐涓は自分に言い聞かせるように言葉を発した。
「私は反対です」
邸宅に戻った龐涓を前に、娟はいつものようにはっきりと自分の意見を述べた。それに対し、龐涓は怒りをあらわにしたりせず、彼女の思うがままに話させている。意見や立場が異なってもふたりの関係が破綻しない理由は、おそらくこの点にあるのだろう。
旦はたまに双方から同意を求められる。それは圧倒的に娟の側から求められることが多かったが、それをうまくごまかして返答することにいつも苦労していた。
「旦もそう思うでしょう?」
「ええ、まあ……」
などという会話は幾度もあり、そのたびに心の中で自分の真意を確認するのが常であった。
「反対なの?」
この日は娟に食い下がられ、旦はやむなく自分の意見を言葉にした。主人たる龐涓の前で彼が政治的なことを言うのは初めてのことである。
「僕が思うに……ここ数年の魏国の戦いは、すべて将軍が指揮している作戦でのみ、成功しているように思えます。西方では秦に敗れ、その間に黄池城を宋に取り返されました。どちらも将軍が実戦を指揮していれば防げた戦いだったと僕は思います」
「それは将軍をお褒めしているのかしら?」
旦の言葉に娟はからかうような口調で先を促した。旦は未だ子供なので説明は下手だったが、それでも懸命に自分の考えを言葉にしようとしていた。
「ええと……将軍は今度、衛に出兵されるとのことですので……そこでたぶん、いえ間違いなく勝利なさるでしょう。その足で邯鄲を取り囲む……これも成功するでしょう。でもどこか将軍のいらっしゃらないところで魏は苦戦するような気がするのです。もちろんほかの国々にそんな気を起こさせないために濮陽を攻め落とすのだ、ということはわかってはいるのですが……」
旦は結局出征に賛成とも反対とも言えないのであろう。だが、その指摘は本質を突いていた。
「旦はどっちつかずなのね。まあ、あなたは可愛いから許してあげる。……ところで将軍はどうお考えなのですか」
それまでふたりの会話を静観していた龐涓は、意見を求められて重い口を開いた。
「邯鄲の攻略は趙に気付かれておらず、包囲そのものを妨げる勢力は無いと言ってよいだろう。濮陽を攻め、衛の領地に我が軍が進駐すれば、その東にある斉にも睨みをきかせられる」
「それが衛へ侵攻する理由だと将軍は仰るのね。でも趙は自国を攻められることを知らないけど、斉は知っているのでしょう? 彼らが魏軍の動きを察知して邯鄲に至る前に妨害するとは考えないのですか」
このとき龐涓は笑い声を上げた。
「公主。斉が趙を本気で救うわけがない。魏がそうであるように、斉にとっては趙も敵なのだからな。斉は趙が弱るまで手を出さぬ。事前に兵を邯鄲に派遣するなどあり得ぬことだ」
龐涓は正しく斉の意図を読んでいる。だからこそ彼は作戦の決行に踏み切ったのだ。しかしその笑い声はどこか冷笑的であり、自らが読み切った世界観に呆れているかのようであった。
「斉が趙のために戦うはずがないと仰るのですね。それはそうだと思いますけど、斉にしてみれば趙を助けることで恩を売ることができましょう。もし斉がそう考えたら?」
「魏軍の兵力をもってすれば、斉と正面から戦って敗れることはない。まして邯鄲攻略には総力を結集して臨むのだ。魏の兵数は斉の倍以上、互いの兵ひとりが一名ずつ敵を倒せば、こちらは半数以上が生き残る。それを斉の側もわかっているだろうから、軽々しく行動することはあるまい。たとえ孫臏が指揮を執っていたとしてもだ」
「孫臏……」
娟も旦も龐涓が心の底から憎んでいると知っている孫臏の名が、彼自身の口から出てきたことに驚いた。それは、軍の指揮において彼が孫臏を評価しているような口ぶりだったからである。旦はこの問題に少年らしい興味を抱いた。
「孫臏は孫武の末裔でしたね。その人の軍略は、やっぱり孫武の教えをもとにしたものなのですか?」
「確かに奴の理論は孫武の教えを基礎としている。しかし単にそれを継承するだけではなく、独自の理論を加えて……それに自分が孫武の子孫だという出自を主張することによって箔を付けているのだ。いや、こんな言い方は嫌味に過ぎるな」
孫武は兵を論じるに当たって、軽々しくその威力を利用するべきではない、と主張している。軍事は国の一大事であり、人の生死や国家の存亡に関わる問題なので限りなく深い洞察が必要である、と。
だが孫武が平和主義者だったかというと、無論そのようなことはない。彼は存命のころ呉王に招かれ、宮中の女官を兵に見立てて軍のなんたるかを説明しようとしたことがあった。しかし女官たちが笑うばかりで言うことを聞かないので、見せしめに隊長役の女ふたりを斬り殺したことがある。そのふたりはともに呉王の寵姫であり、当然呉王は機嫌を悪くしたのだが、その後女官たちは粛然として孫武の指示に従ったので、その効果には目を見張らざるを得なかったという。
孫武にしてみれば、これさえも「軍規を正しくする」という彼の考え方を実行に移すためのひとつの例に過ぎない。しかしその方法は残酷で人に厳しく、そこに人命を尊重している態度はうかがえない。彼は国家を存続させるために人命が存在し、それを失うことは「国家にとって」損失だと考える。つまり彼の残した書物は支配者向けに書かれたものであり、一般の民衆が読んだとしても、さほど共感は得られない。
「孫臏は、そのあたりを考え直したのでしょうか」
「まさか。孫臏が重視したのは、戦術論だ。一般の民衆に寄り添って理論を展開したら、戦争を論じる意味が無くなる。誰しも兵役など、本心では望まないだろうから」
「孫武は百戦百勝は善ならず、戦わずして勝つことこそが最善だと論じておりますが」
「旦はいつの間にかそのようなことを……。しかし実際にそのようなことが起こるはずがない。戦争は常に存在し、孫武は自分の理想を文章にしただけのことだろう。兵法家はみな戦争が好きなのだ。だからこそ論じる……。いや、話が逸れてしまった。孫武は大軍をもって敵を包囲し、互角ならば対決し、敵が圧倒的である場合は退却せよ、と論じているが、孫臏は味方の兵力が寡少な場合でも各個撃破によって状勢を打開できると主張するのだ」
その際に必要なものは、状況を的確に判断する目であるという。つまり、どんなに敵が大軍を擁していても、その編成は細分化されるものであり、それらがどれも均等な戦力を有しているとは限らない、というのである。戦力は、兵の士気あるいは指揮官の質と言い換えてもよく、その弱い点から順に突き崩していけば、やがては味方の軍に有利となる、というのだ。
「でも敵の強い部隊がそれを黙って見ているはずがないでしょう」
「うむ。それを地勢を利用して妨害せよ、というのだ。もし地勢に利用できる点がないとすれば、撒き菱などで対応することを勧めている。孫武の教えは大半が戦争の理念や君主の心構えなどを綴ったものによって構成されているが、孫臏の理論は具体的な戦術に言及しているのが特徴だ」
当然、龐涓はそれについて警戒している。斉に倍する兵力をあえて二分し、その目標を分散させた。たとえ斉側が各個撃破の戦術を用いたとしても、それは魏側が警戒していれば対応は可能である、と踏んだのだろう。
「対応策はいろいろとある。相手が撒き菱などを利用するのであれば、こちらが先に仕掛けるのもひとつの手だ」
それまで龐涓と旦の会話を黙って見守っていた娟は、嘆息と共にそれを批評した。
「将軍は、なんと言いますか……はやる心を抑えられない様子ね。武人であればそれも当然かと思いますけど、私は落とし穴が待っているような気がします」
「すると公主は、罠だと言いたいのか」
「勝利を確信してばかりいると、思わぬところで足をすくわれることがあると言いたいのです。具体的な考えがあるわけではありませんが」
龐涓には腹を立てた様子はない。しかしほかでもない娟にはわかってもらいたいという思いがあったのだろう。口調は重々しいものとなった。
「公主。私は自身の成功を確信して有頂天になっているわけではない。だがしかし公主の言うとおり……急いでいることは確かだ。なぜならばここで邯鄲包囲を完成しておかなければ、公叔さまを安心させることができない。今後あの方が生き存えるにしろ、亡くなられるにしろ……意識のあるうちに結果を残さなければならないのだ。そうではないか?」
公叔の名を出されると、娟も口を噤まざるを得なかった。
「……はたして結果は残せますでしょうか。私には、将軍が衛に出征することは大き過ぎる賭けのように思えます。いえ、衛の攻略は問題なく成功するでしょう。私にもその位のことはわかります。……でも、出征は危険を伴います。孫武は、城攻めほど愚策なものはないと主張しているでしょう」
「補給路は確保している。そのうえ濮陽で食糧を現地調達する予定だ。孫武もその著書の中でそれを勧めている」
「ええ。でもそれはつまり、略奪でしょう?」
「敵軍の補給物資を奪えばよいのだ。なにも民衆からすべてを奪い去るわけではないし、それを命じるつもりもない。それと……城攻めは愚だと言うが、孫武が死んでからすでに二百年が経とうとしている。よって、その理論がいつまでも有効だとは限らぬ。諸国に囲まれた位置で魏国が覇権を維持するためには、邯鄲の攻略がもっとも手近で有効な策であることは間違いない。だとすれば、やはり城を攻めてその支配権を奪取するしかないだろう」
龐涓の決心は揺るがない様子であった。もともと自分が意見したところで軍の方針を変えられると思っていたわけではない娟であったが、このときは胸騒ぎがして自分を抑えられなかったのであった。
五
「昨夜は言いたいことばかり言ってごめんなさい。結局私は将軍を戦地に行かせたくないだけなの。それを素直に言えなくてあれやこれやと……」
「今朝は素直ではないか。構わぬ。公主の気持ちはよくわかっているつもりだ」
龐涓は今朝も変わらず庭で剣技を磨いている。その傍らで娟は目を伏せていた。
「行かせたくないという思いはわかる。だが私はこれで生計を立てているのだ。人が嫌がることを引き受けることで、国から俸禄をいただいている。もし私が一介の農民に過ぎぬ男であれば、公主と出会うこともなく、旦を養うこともできなかった。だから私は行かねばならない」
「ええ……わかります」
「まして斉には孫臏がいる。あの男とはいずれ戦場でまみえることになるだろう。私としてはその前に有利な状況をこしらえておきたいのだ。……邯鄲には昼過ぎに発つ」
娟は驚いて口を閉ざした。急いでいることは知っていたが、なにも今日……今夜にはもう龐涓はここにいないというのだ。娟の落胆は甚だしい。
「わかってほしい。こういうことは早いほうがいいのだ。決心が鈍らぬうちに行動した方がいいに決まっている。ついては、公主にぜひ頼みたいことがある。……あの様子では、公叔さまが私の帰還まで生きておられるかどうかわからない。そのお世話と、いざというときには最期のお言葉をしっかりと聞いておいてほしい。……それと、旦のことだ」
「あの子がどうかしましたか」
「いつまでも子供だと思っていたが、知らぬ間に兵法について学んでいるらしい。将来は私と同じように武人となりたいのか……それはそれで構わないのだが、どうせ目指すのであれば、武人のきらびやかなところだけでなく、殺人を生業としていることを教えてやってほしいのだ」
「それは……もともと将軍のお役目でしょう?」
「確かにそうだが、今度ばかりは、いつ帰ってこられるか私自身にもわからぬ。だから公主に頼むのだ」
娟は不満であった。龐涓は、今生の別れとも思えるような言葉を放ちながら、目の前にいる自分に対しての思いを、一切語らない。公叔や旦への思いを口にするのはいいが、自分に対して何か思うところはないのか、と娟は思うのだった。
「将軍がいつ帰ってくるかわからないとすれば、その間私はどうすればよいのですか。このまま結局祝言も挙げず……どうすればよいのですか」
思わず涙がこみ上げてくるのを、娟は抑えようとしなかった。龐涓はそれを見てやや心を動かされたのだろう、常にない口調で言った。
「もし私が帰ってこないときは、捕虜となったか殺されたかのどちらかだ。捕虜となったときは知力を尽くして私を救う算段をたてよ。殺されたとわかったときは、あらゆる手段を用いて仇を討つのだ」
どちらにしても龐涓にはその覚悟ができているということであった。しかも衝撃的なことは、そのような重要な役目を彼が娟に求めているということである。娟はもちろん武人などではなく、人を殺めたこともない。女である。あらゆる手段などと言われても、どう対応すべきか想像もつかなかった。
「公主ならば、人の心を動かすことはできるはずだ。私はそう思っている。……期待してよいだろうな」
その言葉を最後に、龐涓は出立の準備を整えるため部屋に戻った。彼の言葉は、娟に対する信頼の証なのだろう。それを感じた娟の目に、既に涙はなかった。
その後大梁の宮殿前で出陣が宣言され、魏公罃が見守る中、軍が進発した。総勢八万の軍勢であり、各々が替え馬を二、三頭用意しているので軍列はこれまでにないほどの長大なものとなった。上将軍たる太子は、大梁の市中を出たところでそれを二つに分けた。
邯鄲攻略の軍と濮陽攻略の軍とである。
太子は邯鄲方面へすすむ軍を率いるにあたり、濮陽へとすすむ龐涓に対していくつか確認をした。
「お互いに早馬を用いて連絡は欠かさないようにしよう。それと軍糧の確保は絶対だ。邯鄲の包囲は長引く予定だから、衛でそれをどれだけ確保できるかに成否がかかっている。将軍には、言わずともわかっておられるものと思うが」
「それは無論のことですが、衛も趙も救援を依頼するでしょうな。地理的条件から判断すると、その相手は斉でしょう」
「斉は応えるかな?」
「おそらく形だけは応えるでしょう。ですがその目的は、覇権国たる我が国を覆滅することにあり、趙や衛を支援するのは口実に過ぎません。おそらく距離的に近い衛国へ先に斉は現れるでしょう。しかし斉は趙にも兵を送り出すはずです。邯鄲が我が国の手に落ちてしまえば、斉は事実上我々に対抗できなくなります。それを無視することはできないはずです」
魏が兵を二分したのはそのような読みがあった。自軍を分散させることは当然のことながら危険がある。しかし、それに対応するためには斉も兵を二分させねばならない。軍の精強さ、その数、それらを考慮において龐涓は魏に優勢な状況だと判断したのだった。
「ご心配には及びません。衛を攻略してその軍糧を奪い去り、救援に訪れた斉も討ち破って……さらに軍糧を奪います。包囲された邯鄲の城内では飢えが起きる一方で、我々は腹を満たしながら戦えます」
斉兵恐るるに足らず……龐涓は戦略の決定をその概念に基づいて行ったのである。その結果が今回の大胆な二正面作戦であって、それは充分に成功を予感させるものでもあったのだ。
少なくとも、太子申はこの言葉に勇気づけられたようで、彼は意気揚々と邯鄲へ向かった。
時に紀元前三五三年、魏公罃の即位後十八年のことであった。