哲学
魏罃は王を称し、自らを恵王とした。「恵」という字には「めぐむ」「思いやり」という意味の他に「さとい」「賢い」という用法も含まれており、おそらく魏罃もこれらの意味を総合して自らの王号としたに違いない。旦の諱である「恵施」にあやかったということはないだろうが、いくつかの候補がある中からわざわざその文字を選んだということは、大いに旦が評価されていたという事実を示しているのではなかろうか。その可能性もあるかもしれない。
実際に魏罃は恵施に自らの跡継ぎとして王位を譲ろうともしたこともあったのだが、さすがにこのときは恵施も固辞したという。覇権を失い、放っておけば転落の一途を辿ったであろう魏国の命運を、恵施はその得意とする弁論で支えようとしたのである。魏罃は誰よりも高く恵施を評価していたのだ。
中興の祖とまでは言えまい。しかし没落を回避した功績は多大で、王はおろか民衆からも人気を得たのである。民は彼のことを「詩経」の一文にある「民之父母」になぞらえ、その政策を賞賛した。彼は宮殿の贅沢を抑え、浮いた費用を積極的に民生のために費やしたのである。その結果、魏には再び人が集まるようになった。
個人としては、蔵書の充実に努めた。また自らも著作し、その量は五台の車に満載されるほどであったが、それらはいずれも思想に関わる内容であった。
恵施の思想は以下に要約されている。
「至大無外、謂之大一。至小無内、謂之小一」
(極大でそれ以上の外側がない空間のことを最大の一という。極小でそれ以上の内側がない点のことを最小の一という)
「無厚不可積也、其大千里」
(厚さがない平面というものは積み重ねることができないと同時に、その広さは千里四方にも及ぶものである)
「天与地卑、山与沢平」
(天地はともに低い位置にあり、山と沢はともに同じ高さで存在している)
「日方中方睨、物方生方死」
(太陽は中天に懸かっているこの瞬間、同時に西へ傾きつつある。それと同じように万物は生きているこの瞬間、同時に死につつある)
「大同而与小同異、此之謂小同異。万物畢同畢異、此之謂大同異」
(大きな全体としての同一のもとで、小さな部分が相互に同一であったり、相違であったりすることを小さな同異という。万物が普遍的なものとしてはことごとく同一であり、また個別的なものとしてはことごとく相異することを大きな同異という)
「南方無窮而有窮」
(南方という言葉は、論理としてはどこまでも南を指していて限りがないが、地理の上では一定の地域を指すので限りがある)
「今日適越、而昔来」
(私が時間の流れを自由に遡り、空間の広がりを自在に経巡ることができるとすれば、今日南方の越に旅立って昨日着いた、ということもありうる)
「連環可解也」
(解けない知恵の輪は、それが絶対に解けないということを見破った時点で、解くことが出来たと言ってよい)
「我知天下之中央、燕之北、越之南也」
(私は天下の中央がどこであるかを知っている。もし私が燕の北に住めばそこが中央であり、越の南に住めばそこが中央なのだ)
「氾愛万物、天地一体也」
(私が万物をあまねく愛するのは、それらすべてが天地というひとつの体を構成する要素であるからだ)
これらは「歴物十事」と呼ばれる恵施の代表的な学説であるが、どれも解釈が非常に困難な文言である。しかしいずれも常識的な視点の外から万物を眺めてみることで、それまでとは異なった世界観が自らに生まれることを示しているように思われる。
大きな同一の中には小さな相異が数多く存在している、という説には「国」の有りようを示しているようにも思われるし、太陽が中天の位置にある瞬間にはすでに傾きかけている、という説には人間社会の悲哀が込められているようにも感じる。また、どこに住んでいても住む人の意識によって天下の中央がどこかという意識は異なるという説は、大いなる同一の中で小さな相異が存在するという説と矛盾せず、すべての事柄が天地を構成する要素であるという最後の一説とみごとに合致する。
しかし多くの人々から、恵施は「詭弁家」であるという、やや批判的な論評を与えられたことも事実であった。おそらくこのことは恵施自身も意識していたことであろう。ただ彼は個人という小さな存在が人類社会の「最小の一」であり、それが小さな相異を抱えつつも集団となっては大きな同一と化す、その大きな同一こそが「最大の一」であるという基本的な考え方を曲げていない。しかもその個人とは日々進歩を重ねる個体であり、やがては時間の流れさえも超越しうることを期待させる存在なのだと主張している。詭弁的に聞こえる部分は、その主張の柱から芽生えた枝葉の理論であり、あえて常識的な視点の外から、あるべき人の意識というものを論じてみせた部分なのである。
私と恵施との関わりは、ごく短期間に過ぎなかった。しかし彼が龐涓とともに戦い、孫臏と渡り合い、商鞅を追いやったという事実から、これらの理論を生じさせたという結論に至るまで、あまり時間はかからなかった。
一
旦は宰相としての執務中に、ある噂を耳にした。
「荘子なる人物が、宰相の地位を奪おうとしてやって来ている」
荘子……他ならぬ荘周のことであろう。旦はまさかとは思ったが、警戒心を抱かずにはいられなかった。その地位に執着しているわけではないつもりだったが、未だ何も為さない状況にある中でそれを失うことは、やはり避けたかったのである。
「確かに荘子であるという証拠はあるのですか」
旦は側近に問い、その結果本人が自分でそう告げているという返答を得た。これを受けて彼は三日三晩にわたって国内を捜索させ、荘子を見つけ次第宮殿に連行するよう命令を下したのだった。
「……宰相ともなると親しい者に対しても疑心暗鬼となるらしい。この私が君の地位を奪いにくることなどあるはずもなかろう」
捜索の網をかいくぐったのか、なんと荘周は絵に描いたような唐突さで宮殿に姿を現した。驚きを通り越して呆気にとられた旦を前に、荘周は言葉を紡いだ。
「南の地に一羽の鳥がいて、その名を鵷鶵(おおとり)というのだが、君は知っているかな」
旦はすでに会話の主導権が荘周にあることを自覚しながら、虚ろな声で答えるしかなかった。
「いえ、鳥獣については詳しくありませんので……」
「うむ。その鵷鶵とはもともと遙か南の海を生息の場としており、そこを飛び立って北海の果てを目指す習性がある。その途上では、うるわしい梧桐の木でなければ止まらず、珍しい楝の実でなければ食わず、清らかな甘泉の水でなければ飲まない。実に高貴さを絵に描いたような鳥なのだ」
これは一種の謎かけであろう。おそらく荘周はこの鵷鶵を自分になぞらえていて、現在の状況を暗喩しようとしているに違いない。
「あるとき、一羽の鴟が腐った鼠の死骸を手に入れた。そこへ件の鵷鶵がたまたま通りかかったのだ。すると獲物を奪われることを恐れた鴟は、振り仰いでぐっと鵷鶵を睨み、『嚇』とどなりつけたというのだ」
「…………」
「いま、君は手に入れた魏国の宰相の位を奪われることを恐れて、この私を『嚇』とどなりつけるつもりなのか」
荘周は意地の悪そうな笑みを浮かべて旦の反応を待っていた。意外なことに、旦はこの発言をすぐさま否定することができず、戸惑った表情を浮かべていた。
「……子休どのの仰りように反論できないのが残念です。僕は確かに、あなたに自らの地位を奪われることを心配しました。ですが落ち着いて考えてみれば、あなたが宰相の地位など欲しがるはずもない……そのことに思い至らなかった自分に落胆しています」
荘周はこれを聞き、高らかに笑った。
「私は人為というものを嫌う。ゆえにいまの君の発言に裏の意図がないことを喜ぶ。とにかく、素直に自分の気持ちに従うことはよいことだ」
「……答えていただけるかどうかわかりませんが、もし子休どのがこの国の宰相であったなら、どのように民を導きますか。ぜひ参考になるお話を伺いたいのです」
これは旦らしい駆け引きであった。自身の謙虚さを損ねずに相手の本音を引き出す彼特有の技であるとも言える。その技は、口調のみならず態度や視線にも現れるので、相手はいい気分になって喋り出してしまうのだ。
だがこのときの荘周の話は、非常に印象的なものであった。荘周は淡々と、自分が経験したことについて話したのである。
「ここに来る前に、私は楚の国内を旅して回った。その道中で、すっかり肉が落ちて干からびた……しかしまだ形のしっかりしているひとつの髑髏を見つけたのだ。髑髏はかつてそこに目があったであろう大きな二つの穴を私に向けて、何かを語り出そうとしていた。そこで私は手にしていた馬の鞭でぴしゃりとその髑髏を打ち、会話を楽しもうとしたのだ。『これ、貴公よ。貴公は生前、私欲をほしいままにして度を過ごし、そのためにこんな姿となったのか。それとも祖国滅亡の事件にでも出くわして、お仕置きを受けて死罪に処され、そのためにこんな姿となったのか。それとも貴公は悪事を働き、父母妻子に恥を残さないために、自らこんな姿となったのか。それとも飢えや凍えに苦しんで、こんな姿となったのか。さもなければ、貴公の寿命にはじめから定めがあって、それが尽きたためにこんな姿となったのだろう。そうに違いないな』……そしてその晩、私は髑髏を引き寄せ、枕にして眠ったのだ」
「……本当ですか? 気味が悪い」
「本当だとも。それにその髑髏は形がよかったので、ちっとも気味悪さはなかった。薄汚さとも無縁だったね」
「そうですか……それで?」
この時点で荘周は旦の質問に対する答えを示していない。旦は荘周の明晰さを誰よりも理解しているつもりでいたので、彼が適当に話をごまかすつもりではないことを知っていた。が、荘周が何を言おうとしているかは、今のところまったくわからなかった。
「夜中になると、その髑髏は私の夢枕に立ったのだ。そいつはむき出しになった歯をカチカチと鳴らしながら流暢に言葉を紡いだ。曰く、『其方のまくし立てるさまは、まるで論客というべきもので、なかなかに上手であった。しかしごちゃごちゃと其方の言い立てたところは、いずれも生きている人間の苦しみだ。死んでしまえば、そんなものは消えてなくなる。そこでどうだ、ここはひとつ死の論理でも聞いてみないか』と、な」
「骸骨がそんなことを喋ったのですか」
「くだらぬ話だと思うか? 愚かだと思うか?」
「いえ……子休どののお話にはいつも聞く価値があります。お続けください」
「うむ。その髑髏は私の夢の中で言ったのだ。『死の世界には、上に立つ君主もいなければ、下に仕える臣下もいない。まったく平等な社会で、春夏秋冬、四季折々の労役からも解放されている』と。そこで私は死後とは自由気ままな暮らしができる世界なのか、と問うてみた。すると髑髏は頷いて、『なにしろ、ゆったりと無窮の天地を己の春夏秋冬としながら、天地とともに永遠の歳月を送ることができるのだから、南面して天下を統治する帝王の楽しみとて、これに敵うことはない』と宣ったのだ」
「…………」
「なにしろ夢の中のことだったので、さすがに私もその言葉を信じることができなかった。そこで私はその真意を探るべく、次のように問うてみたのだ。『では聞くが、もしも私が人間の生死を司る神司命に頼み込んで、もう一度貴公の身体を蘇らせ、骨・肉・皮を元通りにした上で、貴公を父母妻子や郷里の友人のところに帰れるよう取り計ってやるとすれば、貴公もそれを望むだろう』と。すると髑髏は困ったような仕草をみせた。いや、確かにそれには人らしい外見など一切なかったのだが、私には確かに彼が眉を寄せたように見えたのだ。そこで言うことには、『南面して天下を統治する帝王の楽しみを上回る、死の世界における絶対の楽しみを捨ててまで、再び生きた人間社会の苦しみを味わうことなど、わしはまっぴらご免だ』と」
旦はこの話に、確かに感じるところがあった。しかし全面的に認めたいとは到底思えなかったので、あえて荘周に問うてみた。
「では、子休どのは人はみな死んだ方がよいとでも仰るのですか」
荘周は薄ら笑いを浮かべて答えた。
「愚かなことを言う。君ともあろう者が。生者の世界も死後の世界のようにあればよいと言っているのだ。君が宰相として採るべき政策についての助言をしたつもりなのだが、君はそれをわからないというのか?」
「ですがすでに生者の世界では、君主と臣下の関係が存在していて、これをすべて無くすることは不可能です。人とは自らの経験から知恵を得る生き物ですので、自由を得たと言って寝てばかり過ごしていては、他者に財産を横取りされてしまいます。その結果として、せっかく得た自由を失ってしまうのです。そのようなことを抑えるためには、政治というものが必要ですし、政治をするためには君主が必要です。なぜなら、市井の民を律するためには先導が必要だからです」
「だからその先導者たる君主が贅沢に溺れず、特権を捨てればよいというのだ。君主たるもの、なにもせずともよい。民がよくないことをしたとき、『それは駄目だ』と言えばよいだけだ」
「君主に権威がなければ、民はその言うことを聞かないでしょう。ゆえに君主が立派な宮殿に住まい、民より豪勢な食事にありつくのは、ひとえに民を律するためなのです」
旦と荘周の会話は、いつもこのような調子であった。しかし不思議なことに、お互いに相手のことを一流の論客として尊敬していたのである。
二
その後ふたりは連れだって濠水へと歩き出し、そこに架かる石橋の上でくつろいだ。荘周は橋の下に目をやって、旦へ語りかけた。
「鮠が実にゆったりと泳いでいるなあ。魚も楽しんでいるのだね」
なにげないひと言であったに違いない。だが旦はこの言葉に疑問を呈してみせた。
「子休どのは魚でもないのに、なぜ魚の気持ちがわかるのです?」
始まりは単純な疑問であったのかもしれないが、このようなひとことから論議になるところがふたりの関係性である。荘周は言った。
「そういう君は私でもないのに、どうして私に魚が楽しんでいるのがわからない、とわかるのかな?」
旦は負けずと言い返した。
「なるほど確かに私はあなたではないのだから、あなたの考えていることはわからない。しかし、あなたが魚でないことは確かです。だからあなたに魚の気持ちがわからないことは、間違いありません」
荘周はしたり顔でこれに応じた。
「最初に戻って考えてみよう。君はいま、『どうして魚が楽しんでいるとわかるのか』と問うたが、それはそもそも私が魚の気持ちを理解している、とわかったからこそ発した質問だったに違いない。だとすれば、私がすでに魚が楽しんでいることを知っていることを、君も認めているのだよ。現に私は濠水の上から、魚が楽しんでいるとわかったのだ」
「まるで屁理屈ではないですか。それではあなたがなぜ魚の気持ちがわかったのかという説明になっていません」
「君は何ごとも理詰めで考えすぎだ。人というもの、ときには自らの直観力を信じなければならぬ」
またあるとき、旦は荘周に質問した。
「人の姿をしていながら、感情がないということは、ありましょうか」
荘周はいともあっさりとこれに答えた。
「あるよ」
旦は怪訝そうな顔でさらに質問を重ねた。
「人に感情が備わっていないとなると、どの点をとらえてこうした者を人と呼ぶのでしょうか」
そこで荘周はぴんときたようであった。彼はかつて「聖人には人間としての情など必要ない」と主張していたのである。旦はそのような人など、この世に存在するのかと言いたいようであった。
「万物の根源たる『道』が人の容貌を与え、世界の理である『天』が人の身体を与えたのだ。これを人と呼ばずしてなんと呼ぶ」
「そのような姿を持ったものを人と呼ぶのであれば、それに人の感情がそなわらないなんてことがあり得るのでしょうか」
「どうやら君と私とでは『情』という語の解釈に隔たりがあるようだ。君はそれを感情と表現するが、私はそれをあえてそのまま『情』と呼ぶ。『情』とは、たとえて言うなら人が後天的に身につける悪しき知恵のようなものだ。それを持つ者は、好悪の念をすべてに優先させ、いかなるときでも物事を自然の成り行きに任せず、生命の働きを人為的に助長したり、あるいは阻害したりする。これに対して『情』を持たぬ者は、そのような事柄とは無縁でいられるのだ」
「僕が言う『感情』とは主に他人に対する思いやりのことを示しています。好悪の念を抱かないとなれば、思いやりも持たないということになりはしませんか。友情や恋愛に始まり、貧しい者への施し、困った人を助けたり……『情』を持たぬ者は、そのようなことにも無縁です。これは、悲しいことではありませんか。ましてやそのような者が君主たり得ましょうか。仮に本人がそれでよくとも、周囲の者誰ひとり支持しないでしょう。だいいち、人為的に生命の働きを助長することなく、どうやって自分自身の身を保持していけるのですか。健康を害していることがわかっているというのに、なにも養生しないなんてことは誰にも不可能なことです」
「ごく僅かながら、そんなことを気にしない人が存在するのだ。聖人というものは、自分のことなど何も気にしないのだが、そもそも好悪の念というものがないので、他人との関わりによって自分を傷つけるということがない。誰もがそのような人であれば、結果として人社会は温和となり、争いがなくなる」
「人とは、毒にも薬にもならないような形が理想だと仰るのですか」
「内面こそ充実していれば、それで充分なんだ」
旦はいつも荘周にやり込められている印象を自分で拭いきれなかったので、また新たな問答を荘周に仕掛けてみた。
「先に魏王からひょうたんの種をいただいたのですが、これを地面に蒔いて育ててみたところ、ものすごく大きな実が成りました。しかしこの実に飲み物を注ごうにも、皮が薄くて重さに耐えられない。そこで二つに裂いて割り瓢(器のこと)にしようとも思ったのですが、やはり皮がぺらぺらで何も入れることができなかったのです。大きいばかりで全く役に立たないので、打ち砕うと思っているのですが」
旦はこの寓話によって、ひょうたんの実を人になぞらえようとしていた。役立たずは切り捨てる……このような考え方は正しいのか、荘周はこれについてどう考えるのかを確かめようとしていた。その意を悟ったのか、荘周は答えた。
「君は大きさを考えることが苦手なようだな。ひとつ実際にあった話をしてあげよう。……その昔、宋の国に手のあかぎれを抑える薬を上手に作る者がいたという。その者の一族は、その薬を手に塗って、真綿を水にさらすことを生業としていたのだそうだ。あるとき外国の者が、その薬の製法を百金で買いたいと申し出た。そこで真綿さらしの一族は相談し合い、『わしらは代々真綿をさらしてきたが、これまで儲けは数金に過ぎなかった。ところがいま、一晩のうちに百金の価値で薬の製法が売れるのだそうだ。この際ひとつ売ろうではないか』と結論を出したのだ」
「はあ……それで?」
「薬の製法を買った外国の者は、その技術を手に呉の国を訪れた。呉王相手にその有用性を説いたところ、なんと彼は将軍に任じられたのだ。折しも呉は越国と戦っており、彼に冬の時期を選んで水上戦を仕掛けさせ、大勝を得たのだ。これによって彼は領地を与えられた……まあ、そういう話だ」
「いったいそれがひょうたんの話と、どうつながるのですか」
「わからないかなあ? 薬を用いてあかぎれを防ぐという点では、どちらも同じだ。しかし一方は領主に取り立てられ、他方が真綿さらしの生活から抜け出せないというのは、これを何に用いるかという判断の違いだね。いま、君は巨大なひょうたんの実を持っているが、どうしてこれで大きな酒樽でも作って、広大な湖にでも浮かべて遊ぼうとは考えず、ぺらぺらで皮が薄い、何も入れることができないなどと愚痴をこぼすんだい。ひょっとすると君にも小さくいじけた雑草のような心があるのかな」
旦はまた言いくるめられたと感じた。したがって彼は効果的な反論を探したが、結局こう言い返すのが精一杯だった。
「領主として富貴を得ることが、子休どのの理想ではないでしょうに。あなたも心の中では、そのような人生に憧れを持っているのではないですか」
「ほう……これは一本取られたかもしれないな。あるいはそれが作為によらず、ときの流れによって生み出された結果であるとしたならば、私も従うかもしれない。しかしいまの私はただ、無用とされるものにも用いるべき価値を見出せるかどうか、それを説いただけだよ」
「無用の用……人に置き換えてみればかなり意義深い説ですね。子休どのはさすがです」
三
「無用の用については以前に詳しく聞いた覚えもあるのですが、どうも僕には深く理解できません。もう一度わかりやすく説明してもらえますか」
もともと荘周は寡黙な男であったが、自説を展開している最中には表情も明るくなり、口調も軽やかとなる。要するに荘周は自らの説に絶対の自信を持っているのであった。
「役に立たないものについて深く認識することで、人は初めて役に立つことを論じることができるのだ。例えばこの大地だ。大地とはまことに広大で、どこまでも続いており、その果てを知る者はいない。しかし現実として我々にとって役に立つのは、二本の足が踏みしめる箇所だけだ。だからといって、足の寸法を測り、その箇所だけを残して大地の他の部分を深く掘り下げてしまったとしたら、残った部分は役に立つであろうか」
「役に立たないでしょうね」
「その通り。ゆえに役に立たぬものこそが、真に役に立つ存在であることは、誰の目にも明らかだ」
「大地には人が立つだけではなく、歩くための役割も与えられていると思います。そのたとえは不充分ではありませんか」
「ならば車輪の話をしよう。車輪とは実に便利なもので、それが動くために人は快適な旅を味わうことができる。しかしその実用性が発揮されるのは、車輪の中央にある軸のおかげだ。君も知っての通り、車軸というものはいくら車輪が回っていても微動だにしない。一見無用に見えるものが実は重要だということが、ここにも示されているのだ」
「……その教訓を、僕は宰相としてどうまつりごとに活かせばよいのでしょうか」
「世に役に立たない者と思われている人物は数多くいる。偏った見方をせずに、そういった者たちを登用してやればよいだろうな」
「そのように子休どのは仰いますが、あなたご自身に仕官するつもりがないことは明らかです。矛盾していませんか?」
「この私に宮仕えせよと君は言うのかい。いや、私はこの先も理想に生きるつもりだ。だからその誘いには応じられないな」
荘周の話にはもともとなにげない事象を深遠に至るまで掘り下げる傾向があり、うかうかしているとそのとりとめのなさに主張を見失いがちである。しかし彼は「無」こそが世を動かしている実体であると訴え、人々が捉えている「無」とは字面の通りなにもない状態を指すのではなく、天下万物の根源であるのだと言うのである。
ひと言でわかりやすく言い表すとすれば、「無から有が生じる」……だからこそ「無」が大事だということであろう。
それゆえ、荘周は自らを「無」の位置に置きたがるのであった。彼が為政者の地位を嫌う理由は、そこにあった。
しかし旦は、荘周の態度にどこか無責任な印象を抱いてしまうのである。もちろん彼の理論からすれば、荘周自身が責任を負う必要などまったくないのだが、そうとわかっていても不満を感じるのである。いったい荘周ほどの見識を持つ者が……在野で自説を振りまいたところで、どれほど社会に影響を及ぼせるのか、彼のような者が先頭に立って民を導くべきではないのか、と考えてしまうのである。
しかも現実として、その責任は荘周ではなく旦が負っているのであった。
つまるところ、旦は荘周の言説にいちいち感化されながらも、反感を抱いているのであった。自分を気楽な位置に置き、好き勝手にものを言っていると考えるのである。
「僕が新しく住むようになった家に、大きな楡の木があるのですが……こいつときたら幹は太いばかりで節くれがひどく、墨縄の当てようもありません。とても材木にはならないでしょう。そればかりか、枝も必要以上にひん曲がっていて、定規や円規に加工もできません。道行く大工は見向きもしませんね。さて、子休どのの学説ですが、大きいばかりで役に立たず、大衆の誰ひとりも振り向かないしろものですな。まるでうちの楡の木のようなものですよ」
旦の挑戦的な物言いに、しかし荘周は動じなかった。
「ううむ。君もきっと山猫というものを見たことがあるだろう。山猫は地に伏せて低く身構え、獲物を窺う。それを追っては東に西に跳びはねて、木の上や穴の下をも物ともしない。しかし、最後には人の仕掛けた罠にはまるか、網にかかって死んでしまう。……ところで君は犛牛というものを見たことがあるかい? あれの大きさはまるで天空に浮かぶ雲のようだが、これにできる能と言えば、ただ大きいだけ。鼠一匹も捕らえられないのだ。だからこそ犛牛は野生のままに、のほほんと生き続けることができる。……ところでいま君は大木を持ちながら、それがまったく役に立たないと悩んでいる。どうして虚無の村里や茫漠とした荒野にこれを植え替えようとしないのかね。私が思うに、君はその傍らでぶらぶら無為に過ごし、その下でゆうゆう昼寝でもするべきだな。なぜならその木は斧や鉞で伐られることがない。害を加えようとする者がいないのだ。だからいかに役立たずとは言っても、実際に君が困るようなことはないのさ」
無用の用とは、人が生きるために必要な知恵のように荘周は説く。しかし旦からしてみれば、人とは生きて何を為すかを問われる生き物であり、生きることそのものが目的の獣とは存在の意義からして違うのである。彼は、この点から自説を展開した。
「歴物十事」に残される恵施の主張は、これらの荘周との問答によって完成された理論であった。旦は万物すべてに役割があると認識し、人それぞれの生き方を尊重する、としたのである。
四
魏と斉との間では、田忌・孫臏亡き後に盟約が結ばれ、互いに領域を侵さないことが定められていた。しかし斉側にこれに違反する行為が認められ、魏王は怒りを覚えた。
そこで魏王は斉に刺客を送り出し、斉王を暗殺する計画を立てた。恵施が孫臏の命を絶った前例に倣おうとしたのである。
これを諫めたのが、当時犀首という役職にあった公孫衍である。彼は主君のやり方を卑怯だと恥じていた。
「大国の君主たる者、そのようなつまらぬ手段を用いるべきではありません。ここは私に命令をお下しになって、二十万の兵をお貸しくださるよう。王さまのために斉に攻め入って、その人民を引っ捕らえ、牛馬をふん縛ってご覧に入れましょう。そうすれば敵の君主は怒りに我を忘れ、はらわたは煮えくり返って、あげくには背中に腫れものが吹き出てきましょう。そのときを逃さず、斉の国都を攻め落としてやりましょうぞ」
この公孫衍の進言を恥ずべきものとして考えた者がさらにいた。官僚の季子という人物である。季子はせっかく築いた斉との盟約関係が、このような形で崩れ去ることを危ぶんで、次のように進言した。
「人の背丈の十倍もあろうかという城壁を築いたとして、その高さがいよいよ目標を達成しようかというときに、それをぶち壊してしまっては、ただいたずらに人夫を苦しめるだけの結果しかもたらしません。我が国は斉と盟約を結び、その結果として戦争は起きておりません。これこそが天下の王たる基礎でございます。公孫衍という男は国を滅亡させる乱人ゆえ、ゆめゆめその言葉を用いてはなりません」
穏健な季子の主張だが、これにも異論を唱えた者がいる。やはり官僚で華子という人物であった。
「斉を討伐せよと声高々に主張する公孫衍などは間違いなく乱人ですが、討伐するなとまことしやかに説教する者も、やはり国を滅亡に導く乱人です。季子が裏で斉と何らかの繋がりを持っていることを疑ってみるべきではないでしょうか」
魏王は驚いたように問い返した。
「季子にその事実があるのか?」
「確証はまったくありませんが、その可能性もあるかもしれないということです。こうしてみると、討伐する者もしない者もどちらも乱人であるなどと主張するこのわたくしも、やはり国を滅亡に導く乱人だと言わざるを得ませんな」
魏王は途方に暮れた顔をした。
「では、余はどうすればよいのだ」
「王さまご自身が、万物の根源である『道』を求められるよりほかありますまい」
華子は「道」の探求により真実を知るべし、と言いたいのであろう。そこで魏王は恵施を呼んだ。
恵施すなわち旦は、一連のやりとりをあらかじめ知っていたので、魏王に戴晋人という男を紹介した。戴晋人とは魏国内でも賢人と噂される人物であったが、宮廷には属していない。荘周のような、自由人のひとりであった。
その戴晋人は魏王に目通りすると、まず質問を発した。
「蝸牛という虫を知っておりますか」
「確かに余はほとんど宮殿の外に出ることはないが、そのくらいのことは知っておる。何を話したいのか」
「その蝸牛の左の角の上に国家を営んでいる君主がおりまして、その名を触氏と申します。一方、右の角の上には蛮氏という君主がやはり国家を営んでおりますが、あるときこの両者が領土を争って戦争を始めました。戦地に倒れた屍は数万にのぼり、お互いに敗走する敵を十五日間にもわたって追い回した結果、両者ともようやく兵を退いたと言います」
「蝸牛の角同士で戦争だと? それでは領地とは頭のことか。作り話だろう」
戴晋人は魏王の言葉に動じることなく、その独特な世界観を弁論によって披露した。
「いまに王さまにもこれが本当の話だとお分かりになりましょう。まずは仮の話として、王さまがそのお心を天地、四方に広がる宇宙にまで広げたとします。それは有限でありましょうか」
「無限であろうな」
「その通り、それは無限です。その無限の宇宙に伸びやかに広がったお心で、人間世界の地上に存在する国々を眺めてみたとしましょう。するとそれはまことにあるかなきかのちっぽけな存在ではないでしょうか」
「ふむ。確かにそうだろうな」
「そのちっぽけな地上世界の国々のひとつが魏であり、魏の国の中に都の大梁があるのです。その大梁の中に王さまがおられる……こうして考えてみると、王さまの存在は蝸牛の右の角に君臨する蛮氏とどれほどの違いがございましょうか」
「……違いはないだろう」
魏王はぐうの音も出せなかった。
戴晋人が退出したあと、旦は魏王と面会し、その様子を窺った。
魏王はどこか呆然とした様子で、その表情はさながら大事なものをどこかになくしてしまい、ひどく落ち込んでいるかのようなものであった。
「旦の連れてきたあの男はたいしたやつだ。目の付け所が壮大すぎて、過去に存在した聖人でも、彼の足もとにも及ぶまい」
「一流の人物が竹の筒に息を吹きかければ、美しく澄んだ音色が響き渡るものです。しかし剣の柄にある小穴などに息を吹きかけても鈍い音しか響きません。尭舜はなるほど古代の聖人ですが、戴晋人の値打ちに比べれば、剣の柄にある小穴から響く鈍い音に過ぎません。したがって、彼の言うことには耳を傾けるべきなのです」
魏王は旦の言葉に疑わしさを感じたらしい。
「大げさに過ぎる。確かに戴晋人は偉大であるが、それが古代の聖人たる尭舜よりも格上とは信じがたい。もし真に戴晋人が立派な人物であるならば、彼はすでに天下の話題になっていることだろう。名を轟かせているはずだが、彼は無名だ」
「市井に埋もれている者こそ重要なのです。なぜなら彼らには、名を売りたいだとか、出世したいだとかの欲がありません。それだけにその発言には裏がなく、たとえ王さまが相手でも本音を言います。無名こそ尊重すべき対象であることを王さまにお知らせするために、本日わたくしは戴晋人を連れてきたのです」
「旦はあのような人物を多く知っているのか」
「無名かつ無欲の人物は、世の中にそう多く存在しません。見つけ出すこともひと苦労です。しかしわたくしは戴晋人のほかにも荘周という人物を知っています。荘周はとらえどころのない男で、視野が現実の世界を飛び越えています。戴晋人が宇宙から見た地上の世界を表現したように、彼は万物を俯瞰します。小さな事に動じず、かつ大きな事にもまったく動じません。荘周は『無』を万物の根源としています」
魏王は困惑したかのように顔を歪ませた。旦の言うことはひどく漠然としていて、とりとめがない。そこで魏王は次のような質問を発した。
「では結局、余は斉にどう対処したらよいのだろう」
「戴晋人はその問題を小さなことだ、と論じました。おそらく……いや間違いなく、荘周もそう答えるでしょう。つまり彼らは揃って斉の動向など放っておけ、と言うに違いありません。しかしわたくしはそれに反対します。あらためて斉王と会同すべきと主張いたします」
「会同してどうする。何を話せというのか」
「盟約の内容を遵守せよ、と言うのです。人という生き物は相手の真心に感じる能力を備えておりますので、あえて条件などを付けずに王さまの素直な気持ちを斉王にぶつけなさるのがよろしいでしょう。そうすれば、斉王も感じるところがあるに違いありません」
「この策略の時代に……あえてそう申すか。ともすれば余は愚か者と呼ばれてしまうぞ。必ず斉王は心を動かすのか。その確証はあるのか」
「一度や二度の説得では、よい結果は得られないでしょう。それでも粘り強く説得するのです。その間に兵を鍛錬し、精強な軍隊を編制しておけば、諸国は魏の国のことを義も勇もある国だと見るようになります。それこそが覇者の道というものではありませんか」
「小競り合いごときに軍を動かすなということか。さもあろう」
かくして魏王は斉に資格を送り込むことを断念し、甄で斉王と会同した。甄は斉国内の地である。
五
「王さまを説いて、斉と和解させたと聞いたけど……さすがね。あなたとともに過ごしたときを誇りに思うわ」
公主娟は里帰りした旦をそのような言葉で出迎えた。その目もとにはうっすらと涙が浮かんでいるかのように、旦には思えた。
「泣いていらっしゃるのですか」
「……そんなことないわよ」
無理やり笑顔を作った娟であったが、やはりそれなりに年齢を重ねてきて、涙腺がもろくなっているようであった。宰相として大きく育った旦の姿に、感じるところがあったのだろう。
「あなたは私の手が届かないくらいに大きく育ったわね。ちょっとそのことに感動しただけよ」
「手が届かないなんて言わないでください。僕の心はいつも公主さまとともにあります。……宰相として民のことを考えるたびに、公主さまならどのように思うだろう、喜んでくださるだろうかと思っているのです」
これを聞き、娟は照れたように笑みを浮かべた。
「それは嬉しいけど、わたしはあなたの政策の対象になるような庶民ではないわ。畑仕事をしなくても食べていける身分なわけだし……」
「公主さまはいつも民に寄り添った考え方をなさいますので、僕もそのようにありたいと望んでいるのです」
「でもわたしは旦の言うような『無』の原理なんて全然わからないわ。荘子に出会ってその考え方を受け継いだみたいだけど……ねえ、『無』ってなんなの? わたしにもわかるように説明してちょうだい」
どうやら娟は旦が魏王を説いた内容を把握していたものの、その論理を理解できなかったようであった。そこで旦は昔のように卓を囲みながら、話をすることに決めたのであった。
「趙良どのもよろしければ……」
居候のような立場にあった趙良を旦が招き入れたのは、彼の心の広さだろう。今のところ仕官の当てもなく、ただ娟の屋敷に世話になっているだけの彼は、居場所を見つけて安心したかのような顔を見せた。
「さて……」
旦は話し出そうとしたが、何から先に説明するべきか迷っている様子であった。
「その昔、老聃という人物……つまりは老子のことですが、彼は万物の根源としての『道』を発見しました。『道』は万物の根源ですから、あらゆるものを生み出します。そこから派生して次のものが生まれ……言い換えれば、道は一を生み出し、一は二を生み出す。おわかりでしょうか」
「なんとなくわかるわ」
「だいたいわかります」
公主娟と趙良のふたりはそれぞれに同意を示した。旦にとってはいかにも心許ない返答だったが、それも致し方ないことだろう。
「ええと……万物の根源たる『道』は、当然ながら僕たちの目には見えません。しかし、多くのものを生み出す。つまり『道』とは『無』と言い換えることが可能です。ゆえに無から有が生まれるのです。荘子、つまり荘周はこの事実を尊重し、人はすべての行動において自分自身が『無』であることを意識すべきだと説きます。それによって人は何かを生み出すことができる、というわけですが、これは人に限りません。世の中に存在する有象無象……無用のものと思われているものにこそ実は価値があるとも彼は説きます。その論理は茫漠としてわかりにくいものではありますが、真理を突いている一面は確かにあると僕は思っています」
「一面?」
「旦どのは、『無』の論理を全面的に信じているわけではない、ということですか」
「荘周どのには助けていただいた恩義もあり、論者として尊敬もしています。ただし僕は宰相として民の営みを助ける立場であり、同時に王さまをはじめとする宮殿をも支えねばならない立場です。そんな僕が『無』に徹するわけにはいきません。荘周どのが言うには、古代の聖人たちは何が起きようとも、のほほんと構えて、その様子はさながら器のようなものであったそうです。しかしこの時代……いまを生きる僕たちにとって、そんなことはあり得ません。『無』から生まれた僕らは、すでに『有』であり、存在しているのです。そうである以上、間違ったことには反対しなければならないし、実際にこれまで生きてきた人たちは皆そうしてきたのです。それは人の自然な振る舞いであり、その行動を断ち切ろうとすること自体が『作為』なのです。荘周どのの言うような『無為自然』は実現不可能なことだと僕は考えます」
旦は熱く、力強く語った。ふと我に返ったとき、卓の向かいに座る娟に唾を浴びせていないか心配したような素振りをした。
「ですから僕は」
気を取り直したように居住まいを正した旦は、やや落ち着いた口調で語り続けた。
「一般の民が『無』を意識するようになってはまずいと思っているのです。何が起きても我関せず、では……収穫が落ちても知らぬふり、工芸品の出来が悪くても我関せず……では産業も育たず、人々の暮らしはいっこうに上がりません。ましてやまつりごとについてはどうでしょうか。君主が無謀な戦いを計画したら……誰かが止めねばなりませんし、少なくとも反対の声をあげることぐらいはしなければならないと思います。でも、国民の誰もが『無』であるとしたら……人々は言うがままに君主の意に従うでしょう。だから荘周どのの唱える『無為自然』とは、非常に危険なところがあるのです。下手をすれば国を損なうもととなってしまう」
「旦どのの言うことはわかる。もともと人とは『無』となるには難しい生き物だ。それを強制すること自体が作為であり、自然ではない。しかし支配者が強権で民にそれを求めたとしたら……」
「『無』ではない君主が民衆に『無』を求めることができたら、支配することは簡単ね」
旦の熱弁に趙良と娟は理解を示した。「無為自然」は支配者の都合のいいように利用される恐れがある、という部分に彼らも脅威を抱いたのである。
「でも旦、いまのあなたは君主側の立場にいるわけじゃない? 魏王が民衆に『無』を求めたら、あなたはそれを促進しなければならないのではないかしら?」
「幸いにして今のところ王さまには、そのような傾向が見受けられません。ですがもしそうなったとしたら、全力でお諫めするしかないでしょう。なぜなら君主とは、いつも正しい判断ができるという存在ではないからです。人である以上、それは仕方がありません。君主の誤った判断を正す役割は臣下にあり、国そのものの誤った政策を正す役割は民衆にある……僕はそう信じたいのです」
旦の主張はふたりに受け入れられた。しかし心配の種は尽きない。自国は問題なくとも、隣国がそのような状態に陥ったら、影響は免れない。なにしろ彼らが生きるこの時代は、常にその危険をはらんでいるからだ。
「無為自然の思想は、荘周どのが独自に思いついたものではなく、さっきも言ったように老子が最初に唱えたものです。だからこの大陸に住む人たちの意識には、僕たちが思っている以上にその考え方が刷り込まれている……法で民をがんじがらめにするという思想は、明らかにこの影響を受けているのです。……秦は危険な状態にあります」
この言葉を受け、公主娟は苦虫を噛み潰したような表情を示した。
「衛鞅のことね……!」
六
これまで荘周はたびたび宮殿を訪れ、旦はその都度連れだって外出したものだった。しかし、このところ訪問は途絶えており、旦は安心した一方で寂しさも覚えた。荘周と議論をすれば、いつもやり込められることはわかっていた。しかし旦にとって荘周とは、常に刺激的な会話の相手だったのだ。
荘周はもともと気まぐれな男だから、旦も深く心配してはいなかった。ゆえに彼から直筆の書状が届いたときには、かなり驚いたのである。旦には、荘周が他人に向けて書をしたためるような人物とは思えなかったのであった。
だが、本当に驚いたのは書状の内容の方であった。
「なんてことだ! 小蓉が亡くなったと書いてあるぞ!」
旦にとって、荘周は確かに恩人であった。しかし実際に命を救ってくれたのはその妻の小蓉であったことは間違いない。荘周には感謝していたが、小蓉には恩義を感じていた。宰相となって、人に施しを与えられるような蓄えができたら、一番最初にそれを行う相手が、小蓉であった。しかしどうやら、旦はその機会を失ってしまったらしい。
どう表現すればいいのだろう……小蓉は挙措が端正と言うよりは可愛らしく、元気で、溌剌とした女であった。それでいて爪の間には土が溜まっていたり、衣服にはつぎはぎがあったりと、隙だらけのみすぼらしさがあったのである。しかしそのことを当の本人がまったく気にしていないので、いつの間にか相手もそのことを忘れてしまう……そんな女であった。
その彼女が死んだという。
なぜだ、という思いよりも、そのあっけなさに心底落胆した旦であった。小蓉とはあれ以来一度も会ったことがなかったが、旦が魏国の宰相となった事実は荘周を通じて知っていたであろう。きっと喜んでくれている、と旦は信じていた。しかしそのことももう確かめることができないのである。お互いに遠く離れた地に住まいながら、どこかで気持ちが通じ合っているのではないかと感じていた旦にとって、これは大きな損失であった。
「しばらくお暇をいただく。王さまにはよろしく伝えてほしい」
旦は小蓉の葬儀に参列するため、簫へと向かった。
弔問に訪れた旦は、小蓉の遺体と対面して涙を流した。変わり果てた姿であったが、不思議なことに小蓉は笑っていた。笑っていたのだ。
荘周はそこにいなかった。
——おそらくどこかで悲しみに暮れているのだろう。
小蓉には威厳に満ちた態度で接していた荘周であったので、その死を悲しむ姿を人前にさらす、という行為には躊躇いがあるのかもしれない……いかにも荘周にしてありそうなことだ、と旦は思った。
それにしても小蓉の笑みにはどのような意味があるのだろう。自分の人生に、荘周と出会ったことに満足しているということだろうか。それとも苦しみもなく、安らかに死を迎えることができれば、人は自然とああいう表情になるのだろうか。小蓉の微笑みに、生者に対するのと同じような愛おしさを感じた旦は、もしかしたら自分にそのような嗜好があるのかとさえ思った。
——いや、底抜けの明るさが取り柄の小蓉のことだ。自分の死後も人が悲しまぬように気を遣ったに違いない。
そう思うことにした。しかしそれであるならば、あまりにも健気である。旦は、その健気さに涙をこぼした。
荘周は、彼の屋敷の近くにある川原に座り込んでいた。後ろ姿を見る限り、呆然としているようでもある。旦はどう声をかけるべきか迷ったが、結局自ら前に回り込み、荘周の視界に入ることで会話を始めようとした。
だが驚くことに、荘周は缶を叩きながら呑気に歌っていたのだった。さらには両脚を前方に放り出し、衣服ははだけたままという……その姿はだらしなさの極みであった。
「子休どの」
呼びかけても荘周は歌をやめない。缶を叩く手も休めなかった。
「泣くべき場面ではないですか。死んだ者への礼儀として、哭泣すべきです」
そこで初めて荘周は歌うことをやめ、旦に視線を合わせた。その表情は明後日の方角を向いているようで、何を考えているのかさっぱりわからない。
「あなたと小蓉とは、長い間夫婦として連れ添い、同じ苦労を分け合った身でしょう。哭泣しないだけでも非礼だというのに、缶を叩いて歌を歌っているとは……子休どのは小蓉が哀れだと思わないのですか。僕は彼女に……大きく同情します。子休どのがそんな様子では小蓉が可哀想すぎる」
荘周はまじまじと旦を見つめ、やがて口を開いて言うことには、
「あれは私の妻だった女だよ。君の思い人ではなかったはずだが」
と、やや辛辣な口調のひと言を残した。旦は痛いところを突かれたのか、押し黙ってしまった。
荘周は続ける。
「君にとって小蓉は命の恩人であった、だから彼女が死んでしまったことに衝撃を受けている……まあ、そういうことにしておこう。その方が私も気が休まる」
「そういうことになどと……本当にその通りのことです。そんなことよりも僕が聞きたいのは、子休どのが小蓉の死を悲しんでいないのはなぜか、ということです」
これを受けて荘周は、苦笑いを浮かべたようであった。
「いや、そういうことではない。あれが死んでしまったときは、この私でも胸にぐっと迫るものを抑えることができなかった。……だが、気を取り直したのだ。小蓉が命を受けてこの世に生まれてきたときのことを考えてみたのだ。当然のことだが、天に命を受ける前にはなにも存在しない。命がないということは、身体も存在していなかったのだ。いや、身体が存在しなかっただけではない。身体を形成する『気』さえもなかったのだ」
「生まれる前は何も存在していなかった……それはもちろんそうでしょう。何が言いたいのです?」
「もともとはなにか薄暗くぼんやりとしたものの中に一切が混じり合っていたのだ。そこにある変化が生まれ、一種の精気が生まれた。その精気にまた変化が起こり、人の身体が形作られた。その身体に生命が吹き込まれた結果、小蓉が生まれたのだ。そして、いままさに変化が起こって小蓉は死に赴いたというわけだ。思うにこれは春夏秋冬の四季の巡りと同じことだよ。常に季節が巡るうつるように、人の命も流転を繰り返す。小蓉の身体は、死を迎えたことで精気へと戻り、空間の中に溶け込むに違いない。そしてまた精気へと形を変え、新たな命がそこに宿る。ゆえに実在した小蓉は死んでしまったのだが、その本質は眠っていることと変わらないのだ。……小蓉はいま、この宇宙という巨大な部屋の片隅で、すやすやと眠ろうとしている。ちょうどそのようなとき、この私が遺骸に取りすがっておんおん泣き喚いたとあっては、彼女に迷惑をかけてしまう。しかもそのような行為は、我ながら世界の必然というものに暗いことを露呈してしまうように思われて……それでやめてしまったのだよ」
旦には、これが荘周にとっての悲しみとの向き合い方なのだと思われた。そこで自分が師父たる龐涓を失ったときのことを思い出してみたのだが、やはり当時の彼はその悲しみをどこにぶつけるべきか迷ったのである。その結果として彼は復讐の道を選んだのだったが、荘周の身の処し方は彼自身に比べてはるかに平和的であり、死んでしまった妻の尊厳をも失うことなく、立派なものであると感じざるを得なかった。
「小蓉の死に顔が笑っていたということは、子休どのが泣かずに歌っていたことに満足している、と解釈するべきですか」
荘周はふうっ、と息を吐きつつ、手にしていた缶を地に放り投げた。
「いや、それは私にはわかり得ぬことだ。私は……苦しみながら死んでいった彼女が最後には笑みを浮かべていたことに触発されたのだ。あれが笑っているのだから、私が泣くことは得策ではない、と」
「小蓉はなぜ死んだのですか。そんなに苦しんだのですか」
「……畑の土を耕している最中に、足首を傷つけた。そこから毒が回ったのだ。傷口が膿んで、高熱を発し……苦しんでいることは明らかだったが、泣き言はひとつも言わなかった。あれは私などよりも、人の死というものに理解があったのだ。今となってはそう思うよ」
旦は落涙する自分を抑えきれなかった。やはり彼は小蓉に特別な思いを抱いていたのである。あるいは彼は、なにごとも起きずに終わったことに安堵したのかもしれない。頬をつたう涙は、その証かもしれなかった。
「子休どのは、よい妻を持たれました。それを失ってしまったことに、心からお悔やみ申し上げます」
旦はそう言い残し、その場をあとにした。
七
旦は以前に荘周から、その死生観を知ることができるような寓話を聞かされたことがある。それは今となっては象徴するような話であり、小蓉が死んだことを彼がどう乗り越えようとしているのかがよくわかる話であった。それは次のような話である。
……肢体不自由の叔という人物と、精神に異常を来しているやはり叔という同名のふたりが、ある日のこと連れだって、冥界の王が支配している冥伯の丘や、死者の霊魂が集まる崐崘の丘、あるいは人類の生みの親たる黄帝が静かに憩ったとされる地に遊んだという。
その際、どうしたことか精神を病んでいる方の叔の左腕に、一本の柳が生えてきたのだった。彼は少なからず動揺し、嫌がっているような表情を見せたという。
「嫌か?」
肢体不自由の叔が尋ねたところ、精神を病んだ叔は答えた。その口調には多少の強がった態度が見え隠れしていた。
「何が嫌なものか。だいたい生命というものは天からの借り物に過ぎぬのだ。だから人はしばらくの間、それを借りて生きているに過ぎない。たとえて言うならば、人とは塵芥のような存在で、死生の変化は昼夜の交代のようなものなのだ。それに私と君はこの地に遊び、万物の転生をこの目で見てきたところだ。今度はその万物の転生がこの私に訪れて、私の身を柳の木に変えようとしているわけさ。何も怖いことはないし、嫌がることでもない」
……この寓話には荘周の考え方がよく現れている。「人は塵芥のような存在」であるがために、天のさだめや自然の摂理には従わねばならない、いやむしろその方が幸福なのだ、と彼は説くのである。それらに抗おうとする行為は「作為」であり、「無為」こそが人の生きる最善の選択なのである、と。
「人は塵芥のような存在」……その事実は旦も承知している。しかしこの説を無条件に受け入れることは、難しかった。なにしろ人には知恵がある。それはこの世界に唯一の存在であって、自分が柳の木に転生しようとしていることを悲しむ心があるのだ。仮に柳が人に転生することになったとしても、柳はしょせん植物に過ぎないので、その喜びを感じることはできない。大自然の大いなる移ろいの中で人は謙虚さを失うべきではないという理屈は十分に理解できるが、旦は人に備わった知力や感情をもっと誇ってよいのではないかと考えていた。
ただ、それは必ずしも正しい方向に働かないことも事実である。人という生き物は、人同士で傷つけあうことを常としてきた。悲しみが転じて怒りとなり、怒りが転じて憎しみとなる。さらにそれが転じて殺意となることはしばしばで、歴史もそのことを証明しているのだ。多くの人々が共通する憎しみを持てば、それはやがて国同士の戦争と化す。それは今さら言うまでもないことであり、旦自身も人類社会とはそのような習性を備えているものと信じていた。ゆえに「無」はやはり重要なのである。個人の感情が「無」を基本としているものであれば、相手を憎むこともない。
しかし「無」であれば、憎むこともなければ親しみを持つこともないのである。これは荘周の理論における最大の欠点ではないか、と旦は考えた。なぜならば、相手に対する感情が「無」であれば、事実上なにを仕掛けても自分の心に負担がかからないからである。つまり良心の呵責を感じないのだ。
これらのことについて旦は熟慮し、ついに「歴物十事」における最後の一分を完成させたのである。
「氾愛万物、天地一体也」
(私が万物をあまねく愛するのは、それらすべてが天地というひとつの体を構成する要素であるからだ)
彼は生者を愛するのと同じように、死者をも愛す。善人を愛するのと同じように、悪人も愛する。なぜならそれらは皆一様に世界を構成する要素であるから……
旦はすべてを受け入れる決意をした。
筆者注:文中にある荘周と恵施の議論については池田知久氏「荘子」を参考にさせていただきました。