第六話
麗らかな春の午後。遂にナイトキース以下二名による世界征服計画第一弾が実行されようとしていた。
今回の目的は、この恐ろしくも美しい(?)デオドルラヴィーセウルコーポレーションの名を世界に知らしめること。
ああ、それなのに……。
「なぜあいつらは、こんな大事な日にまで遅刻するのだっ」
ナイトキースことサカキ・マサルは待ち合わせ場所でたった一人、ポツンと待ちぼうけを喰っていた。朝、園児たちを乗せ、幼稚園へと向かうバスはとうの昔にその仕事を終了している。既にお天道様は一番高いところを通り過ぎているのだ。
「このままでは、帰りのバスにも間に合わなくなってしまうではないかっ」
幼稚園というところは学校と違い、夕方までなんて営業していない。いいとこ三時やそこらのはずである。
現在の時刻、午後一時四十八分。
「お客様、何か追加はございますか?」
もういいかげん怒り浸透のウェイトレスがこめかみの辺りを引きつらせ、嫌がらせよろしく追加を取りに近づいて来る。待ち合わせは午前九時。五分前行動を心掛けているサカキはきっちり八時五十五分にこの店に入った。タキシードにマント、ステッキを手に顔には金色の仮面といういでたちで……。
「あ……じゃあ、コーヒー」
目の前のテーブルには七杯目のコーヒーがまだ半分も残っている。
嫌がられているのはサカキもわかっていた。コスプレ張りの衣装をしたオッサンが入り口を気にしながら何時間も居座っている。ご機嫌だった朝に比べ、時間が経つほどに貧乏ゆすりが増え、指先でテーブルとトントン叩きイラついている。そのくせ店員にはにこやかな態度で気遣いをしているのだから、気持ち悪かろう。さっきから何人かの客が、入り口をくぐるなりヒソヒソと何かを囁き合い出ていく姿が見受けられていた。見た目の怪しさマックスでありながら、何をするでもなくひたすらコーヒーを飲んでいるだけなのも、かえって胡散臭い……そう思われているに違いない。営業妨害に限りなく近いだろう。
だからといってここを離れるわけにはいかないのだ。こちらにはこちらの事情がある。
「くっそぉ~」
ぐい、コーヒーを飲み干す。胃の中はコーヒーでたぷんたぷんになっていた。絶対音感があれば、たぷんの音を譜面に落とせそうなほどだ。
カララ~ン
何度目だろう、店の扉が開かれる。その度にサカキは振り返り、ラ・ドーンかレイナじゃないだろうかと確かめるのだ。
お腹がチャポン、と音を立てた。
「ああ~っ、いたいたぁ」
重低音ブリっ子、ラ・ドーンの声が響く。
「んもぅ!」
続いて顔を見せたのはレイナ。アイドル風なフリフリメイド服に白のおろしたてロングブーツが眩しい。
二人とも、顔バレしないように大きめのサングラスをかけ、マスクをしていた。
サカキは二人の姿を確認するなり立ち上がり、足早に近づくとラ・ドーンの胸倉を掴んだ。……といっても、ラ・ドーンの方が一回り以上サカキより大きいため、見た目には子供が大人に抱っこをせがんでいるようにしか見えなかったが……。
「きっ、きっ、貴様らっ。今何時だと思ってるんだぁっ」
突然暴れだしたサカキを見、店員は慌てた。サカキが絡んでいるのは、なんとかベレーさながらのミリタリーファッションに身を包んだ大男である。喧嘩になどなった日には、サカキの死は免れないとまで考えていた。
「ちょっと、落ち着いてくださいよぉ」
サカキが力一杯胸倉を掴んでいるにもかかわらず、ラ・ドーンはびくともしていない。それどころか、サカキを落ち着かせようとサカキの手をねじり上げた。店員が息をのむ。
「こっ、こんのぅっ」
抵抗するサカキ。もがけばもがくほど、痛む腕。ラ・ドーンの筋肉質な体は伊達ではないのだ。柔道、空手、プロレス、ボクシング、ありとあらゆる武術を彼はマスターしているのだから。
「落ち着いてくださいってばぁ」
サカキの肩をキュッ、と掴む。
「はぅっ……くっ、にゃっ、にゃにをしやぎゃるっ」
変な声を上げ、サカキがその場にへたり込んだ。ラ・ドーンは指圧師でもある。
「なんれ遅れたろかいっれみろほっ」
ツボを押され全身の力が抜けたサカキが、弱々しく叫ぶ。ラ・ドーンとレイナは顔を見合わせ、溜息を付いた。
「こう言っちゃなんですけど、社長、待ち合わせ場所、ここじゃないですよ?」
かがみ込んで、レイナ。チラリと覗いた胸元がセクシーである。
「なっ、なりぃ?」
へにょへにょとした口調のままサカキが驚く。言い訳にしては無理があり過ぎる。
「確かに、最初指定された場所はここでしたけどぉ、そのあとになって社長が、『大通りに面したところじゃ目立つから、場所を変える』って」
……言った。
すっかり忘れていた。忘れて、そして思いっ切り怪しまれるようなことをしてしまっていた。
サカキはあんぐりと口を開けたまま、脳内で昨日の自分を締め上げ、殴った。
(ばかばかっ! 昨日の俺の、ばかちーん!)
「どうします? 今日はやめます?」
気を遣ってか、レイナが中止を促す言葉を吐いた。その言葉に、昨日の自分をコブだらけにしたサカキの意識が戻る。
「駄目だっ。何としてでも、今日」
「じゃ、急がなきゃ」
グイ、
ラ・ドーンが座りこんだままのサカキを、まるで捨てられていた子猫を拾うかのようにひょいと持ち上げた。そのまま小脇に抱え、店を出る。その間にレイナは伝票を掴み、支払いを済ませる。ナイスなコンビネーションである。
「あ、領収書、お願いね。デオドルラヴィーセウルコーポレーションで」
彼女は経理も担当しているのだった。
*****
さくら幼稚園内、職員室。
「じゃあ、」
園長の言葉を聞き、トワコは残念そうに肩を落した。
「明日は中止ということですね」
園長も残念そうである。園内での臨場感あふれるヒーローショー。子供たちを驚かせ、喜ばせる絶好のチャンスであり、最高の演出だったのだ。この催しのために今まで経費を削り、頑張ってきたというのに。
「どうして直前になって……」
口に出したところで仕方がないことは重々承知しているのだが、若いせいか、物事に対する諦めが悪い。頭では納得出来ても心では認めたがらないのだ。
「業界の人は忙しいですからね」
園長がやんわりと慰める。先方からの、急なキャンセルだった。
「わかりました。子供たちにも伝えておきます」
トワコは気を取り直し、職員室を後にした。
「明日がだめなら今日にしてくれるってこと、ないかしら?」
ふぅ、
溜息一つ。トワコ、二十一歳。仕事熱心な新米保育士である。