第五話
港、波止場の北の宿。
鳴くはカモメか、縋る女か。
風吹く海に懐かしの、古き良き世のミュージック。
……いや、音楽は流れていないようだが。
「俺に惚れちゃあ、いけねぇぜ」
いかにも、という格好で男が呟いた。
「……はぁ?」
少々男の時代錯誤は大き過ぎたようだ。女は冗談で返すことも、いや、受け止めることさえできずに異言語として処理され、消えた。
「あのぉ、お客さん」
「お客だなんて野暮な言い方は良くねぇな。俺の事は、ボギーって呼んでくれ」
チッチッチ、と人差し指を立てて左右に振りながら、舌打ちまでしている。当然、トレンチコートに咥えタバコだ。
「……じゃあ、ボギーさん。もう一度言いますけど、料金の支払い、溜ってるんで払っていただきたいんです」
嘆息混じりに、女。やっと男の種類がわかったようだ。
種類、ナルシスト。中折れ帽をわざと斜めに被り、実年齢に二十年を上乗せしたようなくたびれた顔。目の下に出来た隈はハードボイルドというより病的である。世界は自分中心に回っていると思っている、完全に世界を履き違えている勘違い男。
「……支払い?」
男の細い眼が鋭く光る。女が一瞬たじろいだ。男は、ふっと小さく笑い、言った。
「……俺は一文無しだ」
…………。
静まりかえる、場。そして女の顔がみるみるうちに赤く染まりだした。爆発五秒前である。
「……何ですって?」
「だから、金はない」
五、
「……お客さん、今日になったら金が入るって言ってませんでした?」
「そうだったか?」
四、
「いいましたよね?」
「言ったかもしれん」
三、
「じゃあ」
「当てが外れたんだ」
二、
「……」
「人生、そんなこともある」
一、
「……つまり?」
「踏み倒しだ」
0!
チュドォォォンッ
大爆発。それは、女が怒った感情の爆発ではない。実際に、宿が爆発したのだ。
崩れる、壁。
吹き飛ぶ、屋根。
血まみれの、女。
唯一、男だけが平然と風を避け、その場に立っていた。衣服の乱れもない。手の中には小さなスイッチが握られていた。
「ふん、馬鹿が」
目の前で絶命している女に向け、呟く。その瞳は鋭く、冷たい。
「……に、しても」
見事に廃虚と化した宿を見渡し、男が言った。厳しい口調だった。
「ハルの奴、どうして来ないんだ?」
港近くの古びた宿屋。周りにあるのは倉庫ばかりで、この時間は人通りなどないに等しかった。これだけの爆発が起きたというのに野次馬ひとり見受けられないのがいい証拠だ。爆発のせいでか、火の手が上がり始める。発見されるのも時間の問題だ。
「こっちから出向くしかないか」
苛立たし気に歩き始める。後を振り向くことなど、一度もなかった。
*****
「幼稚園バス襲ってGo!」
ホワイトボードには、確かにそう、書かれていた。
デオドルラヴィーセウルコーポレーション第一基地、全員が揃っての作戦会議である。
大体、悪の大結社なのになんでコーポレーションなのか? 長ったらしい意味のない会社名といい、とにかくやってることに一貫性がなく、支離滅裂なのだった。
「……あのぉ、社長?」
ラ・ドーンがホワイトボードを指差し、言った。
「社長ではないっ。今は総帥と呼べっ」
偉そうにソファにふんぞりかえっているのは、サカキ。黒のタキシードにマントを纏い、怪し気な仮面を付けている。仮面はサカキに頼まれたラ・ドーンが「大人の玩具 いじっ亭」で購入した。タキシードは、サカキの一帳羅である。
「じゃあ、総帥。今日の会議の項目は、これで合ってるんですかぁ?」
野太い声を目一杯可愛らしく演出している(つもりの)ラ・ドーン。やればやるほど落差が大きくなっていくしかないのだが、本人は気付いていない。
「……不服か?」
「いえ、あの、不服っていうかぁ、あたしたちってぇ、世界征服を目的とする悪の大結社なんですよねぇ?」
「いかにも」
「じゃあ、どうして幼稚園バスを襲うんですかぁ?」
隣でレイナもうんうんと頷いていた。どうやら二人とも、納得がいかないようだ。
サカキが立ち上がった。ホワイトボードを指差し、そして早口で捲し立てる。
「ばっかもん! 世界征服を企む輩は昔っからこうしておる! お前、小さいときヒーロー番組見なかったのかっ」
「……ヒーロー番組って、男の子が見るやつよねぇ? 私は断然アニメ派だわっ! 変身魔女っ子ララリィとか!」
熱く語り出すレイナにラ・ドーンが同意する。
「きゃぁっ、懐かしいっ。あたしも見てたわぁ、ララリィ。可愛いくって、大好きだったのぉ」
「えぇ? ランも見てたのぉ?」
「当たり前じゃなぁい。あたし変身シリーズ全部見てるものぉっ」
「じゃあさ、あれは? 魔法少女ネネ!」
「見てた見てたぁっ! 『あったしぃはー♪ かわいいまほうつぅかぁいい~♪』ってやつ!」
片鱗すら理解出来ない二人の会話を前に、わなわなと震えているサカキ。
そんなサカキなど完全に無視して、二人は昔見たアニメ番組の話で盛り上がる。大体、レイナとラ・ドーンでは年齢差が十以上あるというのに、どうして同じ番組の話で盛り上がれるのだろう?
「……しゃあらぁっぷっ!」
ダンッ
テーブルを叩き付け、サカキ。騒いでいた二人もその音に驚き、ようやく口を閉じた。
(まったく、女二人集まるとどうしてこうもうるさいのか……って、ラ・ドーンは男やないか~い)
脳内でひとり、ノリツッコミを披露する。
「……でも、総帥、ヒーロー物の悪役って結局負けるじゃないですか。そんな人の真似をして、本当に世界を征服できるんですかね?」
レイナが尤もなことを言う。さすがのサカキもこれには言葉が詰まった。だが、言い返した。変なところで負けず嫌いなのだ。
「……悪しき者はいつも正義を振りかざす偽善者どもにしてやられてきた。その散り際は壮絶たるものだ。彼らを思い出す度、私は今でも目頭が熱くなる。いいか、レイナ、悪を、悪を絶やしてはいかん。絶対にいかんのだぁぁっ!」
ぐぉぉぉぉ
拳を握りしめ、語る。それを見るレイナの目は、いつの間にかまたしてもハートマークへと変わっていた。
(意味わかんないけど、社長……かっこいいっ)
なぜそう思うのか、彼女の思考回路がどうなっているのかは知らない。
ラ・ドーンだけが一人、取り残され、つまらなそうな顔をしていた。
「どうした、ラ・ドーン」
「あたしは嫌だわ。ちぃーっとも素敵じゃないし」
「なにを言うっ。私たちが送った予告状を見て、カルロは緊急会議を開くほどにビビっているというのにっ」
キラリ~ン
ラ・ドーンの眼が光った。
「カルロ様がっ?」
「そうとも。いいか、ラ・ドーン。我々はカルロに追われることになるのだぞ。あの、マクレ三番都市警察きっての敏腕刑事、カルロ・ベルに、だ!」
サカキがラ・ドーンの心に砲弾を撃ち込む。ラ・ドーンはサカキの思惑通り、俄然、やる気を起こし始めた。
(カルロ様に追われる……)
ラ・ドーンの頭の中では壮絶な愛のドラマが生まれていた。何故か腰まである金髪の巻き毛で、真っ白なワンピースを身に纏ったラ・ドーンと、胸まではだけた白シャツに、膝までたくし上げられたスラックス姿のカルロが海辺を走る。
『こらこら、待てよラ・ドーン~』
カルロに追われる自分。
『あはは~、捕まえてごらんなさぁ~い♡』
『よぅし、いっくぞ~』
あの、カルロが満面の笑みで自分を追い掛ける光景が、スローモーションで脳内再生される。
やがて二人の周りには色とりどりの花が咲き乱れ、蝶が舞う。悪と善との、結ばれぬ恋。それはまるで映画のワンシーンのようだ。
「ス・テ・キ」
ほわぁ~
遠くを見つめているラ・ドーンを見、サカキがニヤリと笑った。動機はどうあれ、やる気を起こしてくれたことに間違いはない。今はそれだけで充分だ。
「どうだ?」
再度、気持ちを確認すべく、サカキが問う。二人は無言で頷いた。この時点でサカキの馬鹿らしい企みを止める人物は、誰一人いなくなった。
「で、いつ実行するんですっ?」
完全に燃え上がってしまったラ・ドーンの質問に、サカキは笑顔で答えた。
「……明日、だ」
早い。
即断即決だ。……なぜか? それは、ひと月後のクララの発表会に支障を来さないためだ。予定が押してしまうと困る。あくまでもクララが第一なのである。
「緊急会議までして待っているカルロを、待たせるわけにもいくまいて」
顎を撫で付け、もっともなことを言う。
本当のところ、カルロはラ・ドーンの書いた予告状などこれっぽっちも気に止めてはいないわけだが、そんなことは知らないのだ。
「で、どこの幼稚園バスを狙うんです?」
レイナが地図を広げ、言った。
マクレ三番都市には大小ざっと三十近くの幼稚園がある。エスカレーター式に進学可能な有名幼稚園から、生徒数が十人足らずな小さなものまでだ。ラ・ドーンもレイナも、狙うなら断然金持ちの多い幼稚園だろうと踏んだのだが……
「さくら幼稚園だ」
「さくら幼稚園?」
サカキの口から出たのは、どちらかというと地味な、どこにでもあるような幼稚園の名だった。
「……あの、五丁目の?」
「そうだ」
今あるサカキの会社から、歩いて十分の場所。郵便局とタバコ屋の並びにある。
「どうしてです?」
「決まっておる。……近いからだ」
「……」(適当すぎたか?)
「……」(絵的にイマイチのロケーションじゃなぁい?)
「……」(園児と戯れる社長も素敵っ)
三人は沈黙した。さすがのサカキも、さくら幼稚園を狙う理由に説得力がなさ過ぎると感じたのだろう、反省しているのか、額にうっすらと汗がにじむ。沈黙が、痛い。
最初に声を上げたのは、サカキ支持者のレイナだ。
「総帥がそうおっしゃるんでしたら、私はそれでいいです」
こうなれば民主主義に則って二対一。ラ・ドーンは文句を言う事ができなくなる。
とはいえ、ラ・ドーンはカルロの気を引ければそれでいいのだ。例え地味な幼稚園を襲うのだとしても、別に構わないのである。騒ぎを起こせればいいのだから。
「じゃ、あたしもそれでもいいですぅ」
すんなりと、受け入れる。
「……よし、決まりだ」
ばさぁっ
サカキがマントを大きくなびかせた。きびすを返し、出口へと向かう。
「総帥、どこへ?」
決定したのは明日、さくら幼稚園の送迎バスを襲う、ということだけ。詳細については何も話されていない。これから詳細を話し合うのだと思っていたレイナが引き止める。
サカキがピタリ、と足を止めた。
ゆっくりと振り向き二人の顔を見ると、悪の大結社総帥らしく眉間に皺を寄せ、言った。
「……おトイレ」
ばさぁっ
カツ、カツ、カツ、カツ、
格好良く決めているつもりの後ろ姿ではあるが、肛門は正直だ。
ぷぅ、という小さな音を立てたのを、二人は聞き逃さなかった。
数秒後、飼い主の足を嗅いだ後の猫面で、遠くを見つめる二人の姿が、そこにはあった――。
決戦は、明日。