第四話
そのころサカキはというと、誰にも邪魔されることなくクララとの楽しい一時を満喫していた。
「うふふふっ、やだぁ、おじさまったらぁ」
得意の駄洒落でクララの笑いを取りつつ、彼女の笑顔に酔いしれる。顔は笑っているが、目だけはギンギンだ。クララを笑わせることに全神経を使っている。しかし、考え抜いた面白話はすべて出し切ってしまった。
「……さて、今度はクララの番だ。何か楽しい話しをしてくれないか?」
「いいわ」
待ってましたと言わんばかりに、クララが立ち上がる。咳払いなどしてみせたあと、嬉しそうに話しを始めた。
「実は、とっておきの話があるの」
「ほぅ、それは?」
「私ね、コンクールに出られることになったのよ!」
「コンクール?」
「そう。ひと月後のマクレ芸術祭ジュニアの部にね」
マクレ芸術祭。それはマクレ都市で毎年開かれる、音楽、美術、演劇などの芸術家たちがその腕を競い合うというものだ。だからといって誰でも参加できるのではない。各分野の優秀者のみが参加を許されるというもの。そして各分野から大賞に選ばれた者には賞金が与えられるのだ。ジュニアの部も同じである。舞台に上がれるだけでもすごいことだった。
「本当か、クララ! おめでとう!」
テーブルを引っくり返しそうな勢いでサカキが立ち上がる。クララの手を握りしめるとブンブンと振った。大袈裟に振るまっているわけではない。本気で感動していたのだ。
「あっ、ありがとう、おじさま」
サカキの動きに翻弄されつつも、クララが嬉しそうに笑った。
「そうと知っていれば、もっと豪華な贈り物を持ってきたのになぁ」
「いいのよ、おじさま。私、マサル二十四号だけで充分嬉しいもの」
「クララ……」
目頭が熱くなる。かつてこれほどまでに誰かを愛しいと思ったことはない。そう、クララの母、アルロア以外は。
「で、なにで参加するんだい?」
目頭を押さえ、気をとり直してサカキ。
「ピアノよ」
「……そうか。そうかぁぁ」
更に目頭をぎゅっと押す。
クララは小さい頃からピアノを習っている。アルロアの死後、一人で家にいることが多くなったクララに、ピアノを勧めたのはサカキだが、それはアルロアの残したピアノがそこにあったからでもある。
クララとアルロアを、繋げたい。そんな思いもあった。
「マクレ芸術祭に、ピアノで……。ううっ、素晴らしいっ」
感動しきりのサカキの隣で、ふっとクララの顔が曇る。
「パパ……何て言うかしら?」
少し声を低くしてクララが言った。カルロがクララにピアノをやらせたがらない理由を知っていたからだ。
「おめでとうって言うに決まっているさ。『自慢の娘だ』ってね」
パチリ、と器用に片目を瞑り、笑う。クララもつられ、微笑んだ。
「そう……かな?」
「そうだとも」
「……そうね」
そうであってほしい。
クララは切に願った。
若くして亡くなった母。母を愛していた父。そしてピアノは、そんな二人を繋ぐ想い出の一つだ。父がピアノを習わせたくないのは、自分の姿に母のそれを重ねてしまうときの寂しさゆえのことなのだろう。クララはそう思っていた。
「おじさま、聴きに来てくださる?」
「もちろんだとも。雨が降ろうが槍が降ろうが、必ず行くさ」
「約束よ?」
「約束だ」
指切りげんまん。
そして、クララが大きく息を吐き出す。
「あーあ、パパにも報告しようと思ってたのに……。ねぇおじさま、パパさっき何て言ってた?」
「急な仕事だ、としか」
「また事件かしら?」
「いいや、緊急会議だろう」
キッパリと、自信たっぷりに言い切る。
「……どうして?」
訝しむクララに、はっと我に返り、慌てて、付け足す。
「あ、いや、警察というところは会議が多いからね。それに事件なら、あんなに落ち着いて電話してきたりしないだろうし」
「……そうね」
とりあえず納得したクララを横目に、安堵の息を静かに吐き出す。
(ふん、カルロの奴、我々の予告状を読んで、さぞかし恐れおののいていることだろうよ)
知らないとは恐ろしい。とっくにゴミ箱に捨てられているのに。
(だがな、どんなに会議で話し合ったとしても、俺の野望を止めることなんてできないぜ)
とっくのとっくにゴミ箱に捨てられて、多分もう、回収もされているのに。
眉間に皺を寄せ、渋く決めているつもりのサカキだったが、その表情を見たクララは言った。
「……おじさま……もしかしてお腹痛いの?」
素直な感想であった。
かくして、サカキを中心とするデオドルラヴィーセウルコーポレーションの世界征服への第一歩が始まろうとしていた。そのきっかけが、クララの小さい頃に放った一言であるなどと、クララ本人は夢にも思ってないだろうが。
*****
『クララは誰が好きなのかな?』
小さなクララを相手に質問するサカキ。自分の名が挙がることを想像していたのだが、返ってきたのは意外な答え。
『クララはねぇ、ナイトキース(当時のヒーロー番組での悪役の親玉)が好きなの!』
『……ナイトキース?』
『ナイトキースはね、マントしててね、ばさーってしてね、悪いことするんだけどね、ほんとは優しいの』
夢見る乙女のような顔で、クララは語っていた。
『いっつもヒーローにやられちゃうのにね、何度も何度もやられちゃうのに、絶対に立ち上がるんだ。すごいでしょ?』
サカキはクララの語る理想の男性像を自分と重ね合わせた。
そうだ。
何度でも立ち上がる……。
挫けることなく。
そこに、愛する者がいる限り!!
正義なのに悪!
ダークさの裏に秘められた、愛と悲しみ。
「え、それってちょっとカッコよくない?」
単純・単刀・単細胞。ゾウリムシ並みの感想だ。
この時、サカキはナイトキースを名乗ろうと決めたのである。
あれから六年。
やっとのことでここまで来た。
本業である自分の会社だけではなく、肉体労働もコンビニのバイトも掛け持ちし、なんとか活動費を稼いだ。何しろ元手がなければ世界征服など出来はしないのだ。悪者をやるのも楽ではない。予算は大切である。
ラ・ドーンとレイナも巻き込み、メンバーも揃った。まさに今、そのときが来たのだ!
愛する者のため、立派な悪役になることを心に誓うサカキなのである。