第三話
「あら? 社長は?」
一段落したのか、動かしていた手を休め周りを見渡すレイナ。趣味に没頭するあまり時間の経過というものをすっかり忘れていたのだ。
ここはデオドルラヴィーセウルコーポレーション第一基地である。基地、などと言ってはいるが、会社の地下にある薄暗い倉庫の一室。ちなみに、第二基地はない。
遅刻してきたレイナは、そのまま事務所に顔も出さず、まっすぐ第一基地という名の作業場へと向かっていた。ある発明を思い付いたからすぐに作業に取り掛かりたかったのである。昨夜は設計図を作るのに徹夜していて、起きるのが遅くなってしまった。
レイナ、十八歳。
抜群の頭脳で飛び級を果たし、社会人となった。
短パンにパーカーというラフないでたちは社会人からほど遠い。
機械いじりが趣味であり、それに関してはサカキにも一目置かれている。
「今何時だと思ってんのぉ? 大幅に遅刻してきたかと思ったら勝手に地下に籠って、仕事しないで趣味に没頭?」
テーブルに肘を付き、そこに頬を預けているのはラ・ドーン。お気に入りの赤いチョーカーを首にまいているのだが、誰がどう見ても大型犬が赤い首輪をしているようにしか見えないだろう。見かけこそ異様だが、遅くまで仕事に取り掛かっている同僚を待っているあたり、優しく、面倒見がいいタイプである。
ここはサカキが社長を務める、雑貨などの輸出入を行っている商社だ。二人は社員として働きながら、副業としてサカキの夢(?)も手伝っているのだった。
その「夢」に、少々難があるわけだが。
「何時?」
「夜の九時。ちなみに社長はカルロ様のところ」
「またぁ?」
「カルロ様がいるならあたしも行きたかったわ~」
カルロ推しのラ・ドーンである。
「ラン、ほんとカルロのこと好きよね」
ラン、とはレイナがつけたラ・ドーンの愛称である。年齢は十も違う二人だが、精神年齢が近いのか、仲はいい。
「あっらぁ! だってカッコいいじゃなぁい! 新聞の写真見た? まさにダンディの化身!」
目をキラキラさせる。
「それに比べて社長のあの野暮ったさったら! 今日だってきっとクララの作ったご飯食べてニヤついてたに違いないわっ」
いそいそと出掛けていくそのお目当てが十二歳の子供だというのが何とも情けない。いっそ女目当てに夜のネオン街に消えてくれた方がましだと思う二人だが、こればかりはナントカに付ける薬なし、である。
ぐぅぅ、とレイナの腹の虫が鳴く。
「ご飯……私も食べたいな」
レイナがふと見ると、テーブルにはラ・ドーンが何かを食べたであろう、空になった皿が乗っていた。
「……って、ラン、あんた何か食べてたのっ?」
「ホルビッツのケーキ食べてたわ~。美味しかったぁん」
野太い声で自慢げに空の皿を見せる。
「ああっ、ずるいっ。独り占めなんてっ」
「だってレイナちゃん、いくら話し掛けても返事しないからぁ」
「あたしもホルビッツのケーキ食べたかったのにぃ」
レイナが頬を膨らませ、抗議した。
ホルビッツのケーキ。それは今流行のノンカロリーケーキである。ダイエット中の女性を対象に売り出された新商品であり、若い女性を中心に大人気となっていた。
「そ・れ・よ・りっ、今度は何を作ってたのよぉ?」
話題転換。いい作戦である。案の定、レイナはケーキの事を忘れ、自分の作った作品の方に気を向けた。
「聞いて聞いてっ。レイナちゃんの大傑作!」
何やらガラクタが散乱した中から、これまたガラクタのようなものを取り出し自慢気に差し出す。手の平サイズの四角い物体で、一見ラジオのようである。側面からコードが伸びており、先がマイクになっていた。
「……カラオケの機械?」
「ちっがぁぁうっ! ボイスチェンジャーよっ。ボイスチェンジャー!」
「なぁんだ」
「なんだとは何よっ」
「だぁってぇ、レイナちゃんにしてはずいぶん俗っぽいんだものぉ。がっかりぃ」
ラ・ドーンとしては、「色のついた水を透明にする機械」や「洗濯機で虹を作る機械」「新聞紙を白紙に戻す機械」とかいった、どうでもいい乙女チックなものがよかったのである。
「ふっふっふ」
肩を落したラ・ドーンを横目に、レイナが腰に手を置き楽しそうに笑い始めた。
「これをただのボイスチェンジャーだと思ったら大間違いよっ」
「違うの?」
「この、天才レイナ様がそんなちゃちなものを作りますかってぇの」
「なにっ? なんなの?」
ちょっと大袈裟なくらいの興味を示す。
「これはね、名付けて『特定不可能ボイスチェンジャー』!」
はしゃぐレイナを尻目に、ラ・ドーンの方はきょとん、とした顔で彼女を覗き込んでいる。よく、わからない。
「……って?」
説明を求めるラ・ドーンを不満気に見返すレイナ。
本来はここで大きな驚きと尊敬の眼差しを向けられるべき場面だったのに、聞き返されたのだ。
「だからぁ……、ボイスチェンジャーなのっ」
「それはわかったわよぅ。声変えるやつよね。特定不可能ってのはなんなの?」
「……そのままよ。周波数を変えることで声そのものを変化させ、それを電波に乗せて相手に届ける。その時、電波を辿られるとこっちの居場所もわかっちゃうし、周波数をいじれば元の声もバレちゃうの。でもほら、そこはこの天才レイナちゃんが作るわけだしね! 電波はありきたりな電話回線なんか使わないで、どっかの国の衛星を拝借すればいいし、ボイスチェンジャー本体も、周波数なんかで解析できないような複雑ぅ~な仕組みを考えついたってわけ!」
早口で捲し立てるレイナの言ってることが、ラ・ドーンにはまったくわからない。
「あたしにはよくわかんないけど……あんたって、無駄に頭いいのよね」
「なによそれっ!」
「そのまんまの意味よ」
(なんでこんな会社で仕事してるのかしらね、この子……)
ラ・ドーンが小さく肩を竦めた。
「せっかく社長に見せて褒めてもらおうと思ってたのになぁ」
頬を紅潮させ、遠くを見つめる。そんなレイナの横顔を見、小さくラ・ドーンが溜息を吐いた。
(どうにかしてよ。この、オジセン!)
……そう。レイナは「超」の付くオジサンスキーなのである。相手がイケオジならまだしも、相手はサカキだ。三十代でオジサン認定してしまうのもどうかとは思うが、実際二十九歳のラ・ドーンから見てもサカキはオジサンだと思える。だからどうしてレイナがサカキに好意的感情……つまり恋心が向けられるのか、まったく理解できなかった。サカキがいい人間であることは認めるが、恋人にしたいとは……さすがに……。カルロの方が顔もいいし仕事も出来て、よっぽどイケオジだと思うラ・ドーンである。
「まあいいや。もうしばらく手を加えて社長の帰りを待ってよーっと。きゃっ、私って一途ぅ」
腰を振り振りロックンロール。完全にイッてしまっているレイナを横目に、ラ・ドーンはもう一度溜息を吐きだす。
「……じゃ、あたし先に帰るから、レイナちゃんもあまり遅くならないうちにお帰りなさいよ? 女の独り歩きは危ないんだからね?」
「はぁい」
元気良く手を上げ、レイナ。ラ・ドーンの言葉が耳に入っているかどうかは怪しいものだ。熱中すると時間などまったく気にしないのだから。
「あ、そうだ。それと」
行きかけ、ラ・ドーンが思い出したように振り返る。いや、実際忘れていたのだが。
「何?」
「明日の朝、今日やるはずだった作戦会議をするって社長からの伝言。明日こそは、くれぐれも遅刻しないようにって」
「了解っ」
ピッ、と敬礼ポーズなど作って口を尖らせるレイナを見、ラ・ドーンの中に小さな嫉妬が生まれる。
(若いっていいわね。ぶりっこしても許されて。私だってもう少し若ければ……)
年ではないぞ。見た目の話だ。
(あと十年若ければ……)
「帰ろっと」
恋心に胸ときめかせているレイナのキラキラした瞳を見て、つい可愛いと思ってしまったのが悔しいラ・ドーンだった。