第一話
マクレ三番都市警察署。
さして犯罪の多い都市ではないにしろ、窃盗、詐欺、痴漢から家出、ご近所の苦情に至るまで、警察署というのは年中無休、慈善事業の職場である。最近では誘拐や殺人という非道な犯罪も目立ち始めている。職員は忙しそうに署内を右往左往していた。
「カルロ君」
椅子に背を凭れ、湯飲みを片手に鏡を見ながら、でっぷりと太った年配の男がカルロを呼び止めた。マクレ三番都市警察署長、ラカム・シオダである。薄くなり始めた頭を気にしているのか、暇を見つけては鏡を見ている。
「はい?」
呼ばれたカルロは手に山程の資料を抱えたままラカムの前に立ち止まった。
カルロ・ベル。マクレ三番都市警察きっての敏腕刑事であり、サカキとは大学時代の友人でもある。サカキとは違い、常に陽の光の下でキラッキラに輝いているような人生を送っている彼は、均等の取れた体躯に甘いマスクの持ち主でもある。
「あ~、その、何だ」
このでっぷり腹の署長、ラカム・シオダは話が長いことでも有名な人物だ。用があるから呼び止めるのが普通だが、彼は呼び止めてから用事を思い出す。こういうときは黙って待つしかない。
「…………」
「あの~、あれだ。そうそう、この間はご苦労だったね」
「この間」がいつのことなのか、はっきり言ってわからない。だが、これ以上長居をするつもりはなかった。飛び切りの笑顔を浮かべ、礼を言う。
「有難うございます。これも皆、署長のおかげです」
どうやったら署長のおかげになるのか。だが、こう言えば署長が満足して開放してくれることをカルロはちゃんと心得ていた。
「あ~、うん。これからも精進したまえ」
ずずずっ、
茶を啜る。
いつも席に座って茶を啜っているイメージだ。現場に出ているのを見たこともなければ、部下に的確な指示を出しているところを聞いたこともなかった。
その分、好き勝手動ける、という意味ではやりやすくもあるが。
なぜ彼が署長になれたのか、それは署内七不思議のひとつである。
「カルロ」
やっとのことでデスクに戻るや否や、今度はデルディオが封筒片手に寄ってきた。今は別の部署だが、デルディオはカルロの同期であり、若い頃はコンビを組んで事件を解決したものだ。いわば「戦友」みたいなものである。平均的身長のカルロに比べ、デルディオは長身だ。口が達者で、女にモテる。そのせいか特定の女性と付き合うこともなく、独身貴族を楽しんでいるようだが。
「よう、デルディオ、久しぶり」
冗談めかして挨拶を交わす。久しぶりも何も、つい先日一緒に飲みに行ったばかりだ。仕事柄、この頃はあまり顔を合わせることはなくなったが、少なくとも週に一度は一緒に飲みに出掛ける。プライベートでも仲がよかった。
「ああ。久しぶり。しばらく見ないうちに、お前、老けたな」
デルディオもまた、肩をすくめ、返す。それから不意に真剣な顔になって手にした封筒をカルロに放った。
「……これは?」
まっ白な封筒。後ろに差出人の名前はない。そのかわり、ピンク色の小さなハートマークのシールが貼り付けてあった。
「お前宛だ。モテる男は辛いな」
パシ、肩を軽く叩く。
「おいおい、そんなんじゃないだろ、これは」
「宛名見てみろよ」
嘆息混じりに、デルディオ。カルロの机に寄り掛かり、手にしたタバコに火を付けた。
マクレ三番都市警察署内、カルロ・ベル様
丸っこい、右上がりの癖字で、そう記されている。一文字ずつ色を違えて書いてあり、何というか……とても派手な装いだ。
「誰が見たってファンレターだぜ?」
そのわりにはデルディオの表情が微妙だ。カルロにファンレターが届くのは初めてではないし、いつもならもっと茶化してくるのに。
「……お前、まさか……読んだのか?」
封が開いている。面白半分に中を見たに違いない。……と、いうことは内容に何か問題があるのだろうか? 無言のまま見つめ返す。デルディオが早く読め、と言わんばかりに封筒を顎でしゃくった。カルロは便箋を取りだし、広げた。
「うわっ!」
思わず声が出る。
「な?」
すかさずデルディオが同意を求めた。
赤・青・緑・オレンジ・黄色・ピンク。蛍光ペンを駆使し書かれた手紙。しかも、蛍光ペンで書いた文字を、更に違う色で縁取っている。……手間がかかっている。それはわかるが、その手間が活かされているとは到底言えない仕上がりだった。
便箋にはスタンプで作った模様らしきものがあり文章をぐるりと囲んでいるのだが、この縁模様に規則性がない。△が並んでいると思えば、急に〇が来たり♡になったりする。
一言でいうならば、センスがない。
いや、もしかしたら前衛的芸術作品の可能性も捨てきれ……捨てられるな。
カルロの顔は、どんどん歪んでゆく。
「読んでみろよ。ますますわからなくなるぜ」
タバコを灰皿にこすり付け、カルロと一緒に便箋を覗き込む。
『愛しのカルロ・ベル様 (*ノωノ) イヤン
いきなりのお手紙、ビックリしちゃった?
っていうのも、実は言っとかなきゃいけないことがあってぇ。
あのね、あたしたちぃ、悪の大結社デオドルラヴィーセウルコーポレーションっていうんだけどぉ、あ、もちろん言い辛かったら略して呼んでもいいわ。例えば、デヴィーとかデオとか? 大体、長すぎよね、この社名! しかも可愛くないしっ。
あ、やだ話が逸れた!
でぇ、えっとどこまで書いたっけ? そうそう。あのね、悪の大結社っていうからには悪いことするわけ。
何をするかって?
うふふ、知りたい~?
でも、それは、な・い・しょ!
だからぁ、覚悟しててねっ!
長い付き合いになると思うけどぉ、そこんとこ、四・六・四・九!
じゃ、まったね~!
愛を込めて♡
デオドルラヴィーセウルコーポレーション代表取締役社長 ナイト・キースより(ちゅっ)』
「……何だ? これは」
「知らん」
「ファンレターか? それとも嫌がらせか?」
「俺に聞くな。お前宛なんだから」
デルディオが眉間に皺を寄せる。
カルロは頭を掻いた。
嫌がらせか、それともただの悪戯か。ファンレター? 今時、数字並べて「ヨロシク」なんて書く奴、絶滅危惧種どころか、絶滅して標本になっているはずだ。
「事件性があるかどうか……お前どう思う?」
訊ねるデルディオは完全に面白がっている。
「事件性……」
どう考えてもこれが予告状や脅迫状だとは思えなかった。新聞に載ったりテレビに出たりすると、この手の嫌がらせに近い手紙が届くことはある。要は、成功している人間を見るのが嫌なのだろう。
それにしても今回の手紙は酷いもんだ。カルロは封筒を握り潰し、ゴミ箱へ放った。
「ファンレターだとしたらセンスがなさすぎるし、脅迫状だというなら書き直してこいと言いたいね」
ファイルを広げ、とっとと自分の仕事に取り掛かる。
「クララに自慢できるな」
デルディオがゴミ箱に手を突っ込んで手紙を取り出し、伸ばして寄越す。途端にカルロの顔が曇った。
「……は?」
「またファンレターが届いたぞ、ってさ」
「……冗談にもならんな」
ぐしゃ。
「なにがファンレターだ」
ぽいっ
「それに、何で俺宛の手紙をお前が先に開けたんだ? 窃盗もしくは信書開封罪で現行犯逮捕するぞ?」
「窃盗って、盗ってはいないだろ?」
「じゃあプライバシーの侵害で告訴してやる」
「悪かったよ。面白そうだったもんでさ、つい、な」
形ばかりといった風ではあるが、両手を合わせて頭を下げる。カルロが顔をほころばせ、にこやかに言い放った。
「『月雫の星』三本で手を打ってやる」
「なにぃ?」
月雫の星。一本何十万の高級吟醸酒だ。給料日当日、やっと一口飲むのが精一杯の酒。ただし、高いだけあって味はすこぶる、いい。
「いくらなんでも高過ぎるだろっ」
今度はデルディオが渋面をつくる。
「じゃあ、仕方ない。今日の残業の分を任せる。それでいいだろ?」
「う……」
もはや嫌だとは言えなくなってしまった。月雫に比べれば残業の方が……
そこまで考えて、はたと気付く。なんでそんなことを押し付けられなきゃならんのだ。
「ちょっと待てよっ」
「ラッキー!」
待てを言う隙すら与えない。さっさとファイルを手渡し、上着を持って出ていってしまった。
「カルロっ!」
「頼んだぜ、デルディオ」
振り返りもしない。
「……ちぇっ、嵌められた」
手渡された分厚いファイルを見、溜息をついた。
余計な茶々など入れなければよかったのだ。